【11】呉羽宗一郎

鏡堂達哉きょうどうたつや天宮於兎子てんきゅうおとこは、〇山市立病院を訪問した翌日、高階邦正たかしなくにまさに面会を求めた。

執務デスクに座る高階の表情は、相変わらず厳しい。


――この人って、いつ見ても怒った顔してるんだよね。疲れないのかな?

天宮は高階を見る度に、そんなことを考えるのだった。


鏡堂は坂田看護師らの証言から、朝田正義の死は通常の感染死ではなく、微生物が用いられた一連の事件と、関連性が認められることを報告した。

そして前日に〇山市立病院の監視カメラに、公安課の川上道孝かわかみみちたかが映っていたことも併せて報告する。


「お前は公安の川上が、事件に関与していると考えているんだな?」

「あの場に川上がいる、他の理由が分からない以上、その可能性は否定出来ないと思っています」


その答えを聞いた高階は、鏡堂たちの意表を突く言葉をおもむろに口にした。

「公安の二人だがな、どうやら呉羽本部長から直接指示を受けて、動いていたらしい」


「えっ?」

「呉羽本部長ですか?」

二人が同時に驚きの声をあげるのを見た高階は、さらに表情を引き締める。


「この間お前に約束した件だがな、津々木さんにそれとなく当たってみたんだ」

津々木敏久つづきとしひさは、数か月前に県警本部内で変死を遂げた谷幹夫たにみきおの後任として、公安部長の席に着いていた。


「津々木さんもはっきりと言いたがらなかったんだが、どうやら本部長の直接の指名で、本来の公安の任務から離れて、別の仕事をしているらしい」

「どんな仕事なんですか?」


「それがな、本部長からの直接の指示で動いているということ以外、二人が何をしているのか、全く分からないらしいんだ。


そこにこの間の時田課長と村川の事件があったからな。

津々木さんも、相当頭に来ている様子だったよ」


「本部長がどうして?」

思わず呟いた鏡堂に、高階はおもむろに訊いた。

「お前、北海道の出身だったな?

20年前には、もうこっちにいたのか?」


「20年前ですか?

それならこっちで、大学に通っていた頃です」

「じゃあ、呉羽という名前を聞いて、何か思い浮かばないか?」


そう訊かれた鏡堂は、一瞬考え込んだが、やがて彼の脳裏に一つの名前が浮かんだ。

「それはもしかして、呉羽隆一郎くれはりゅういちろうのことを仰ってますか?」


鏡堂のその答えに、高階は小さく肯いた。

「そうだ。当時財務大臣だった呉羽隆一郎。

彼が呉羽宗一郎くれはそういちろう本部長の父親なんだよ」


「それが今回の件と、何か関係があるんでしょうか?」

「それは俺にも分からん。

しかし本部長には妙な噂があるんだ」


「噂ですか?」

鏡堂に訊かれた高階は、

「これから話すことは、絶対に口外するな」

と二人に念を押すと、おもむろに語り始めた。


「呉羽本部長は東大を卒業後、警察庁に入庁してかなりの地位まで昇っていた。

順調にいけば、警察庁長官は確実と言われていたんだ。


その彼が、こっちの県警本部長という、貶降ともとれる地位に異動したのは、何か失敗があった訳ではなく、本人が望んだ結果らしい。


そしてその理由というのが、父親の跡を継いで、この県から衆院選に立候補するためだという噂なんだ」


「選挙ですか?

でもそんな馬鹿な。

自分が選挙に勝つために、対立候補を消していってるって仰るんですか?

あり得ませんよ」


鏡堂の言葉に高階も苦笑を浮かべる。

「俺もそんなことは、あり得んと思ってる。

だからこれは、あくまでも噂に過ぎないし、本部長が公安の二人にやらせている業務とは関係ないのかも知れん」


「しかし部長の口振りだと、その辺りを疑ってますよね?」

「相変わらず、口の利き方がなってない奴だな。

だが、20年前のことを調べて見ると、何か浮かんでくるかも知れんということだ」


その言葉に頷いた鏡堂を見て、高階は続けた。

「ただし本部長まで絡んでくるとなると、公安どころの騒ぎじゃなくなるからな。

今まで以上に慎重にやれ。いいな」


「分かりました」

鏡堂はそう言った後、天宮を促して高階の執務室を出た。


そしてデスクに戻ると、

「ネット上で20年前の呉羽隆一郎くれはりゅういちろうの件を当たってくれ。

丁度その頃に、呉羽は不正献金問題で財務大臣を辞任している筈だ」

と彼女に指示を与えると、自分は席を立った。


「鏡堂さんは、どこに行かれるんですか?」

「知り合いの新聞記者に当たってみる」

そう言い残すと、鏡堂はさっさと出かけてしまう。

その後姿を見送りながら、天宮は小さく溜息をつくのだった。


***

鏡堂が向かったのは、地元紙の本社があるビルだった。

そして知人の社会部記者坂東勉ばんどうつとむを、ビル内にあるコーヒーショップに呼び出した。


坂東は今でこそ社会部に籍を置いているが、若い頃は政治部にいて、|呉羽隆一郎が失脚した当時のことを熟知している筈だった。

鏡堂がブレンドコーヒーを半分ほど飲んだ頃、坂東は太った体を揺するようにしながら、店に現れた。

そして鏡堂の向かいの席に陣取ると、自分もブレンドコーヒーを注文する。


「鏡堂さんからのお声がけなんて、久しぶりだね。

で、今日は何の用かな?


近頃不可解な事件が続いてて、鏡堂さんも忙しいだろうに。

事件関連の情報なら、こっちが聞きたいくらいなんだけどなあ」


坂東は早口でそう言いながら、疑いのこもった視線を鏡堂に向ける。

「事件と直接関係があるかどうか分からないんだが、ちょっと古い話でね。

坂東さんなら、知ってるんじゃないかと思って来たんだよ」

坂東は丁度その時、店員が運んできたコーヒーに口を着けて、「それで」と先を促した。


「呉羽隆一郎のことを訊きたいんだ」

「呉羽?それはまた、随分と古い話だね。

それで呉羽の何を訊きたいんだい?」


「20年前に呉羽が大臣を辞任しただろう?

その時の事情を、知ってる限り教えて欲しいんだよ」


「ああ、それなら結構はっきりと憶えてるよ」

そう言って坂東は、一口コーヒーを啜ると、当時のことを思い出しながら語り始めた。


「呉羽が失脚したのは、正確には21年前だね。

アテネオリンピックがあった年だから、よく憶えてるよ。


呉羽は失脚する直前が、政治家として絶頂期だったなあ。

2001年の中央省庁再編で、大蔵省から財務省に替わった時、彼は初代財務大臣に任命されたんだよ。

その後3年以上もその地位にいたんだから、正に権力の中枢に位置していたんだ。


次の総理大臣は呉羽隆一郎だって、当時はもっぱらの噂だったからね。

〇〇県から初めての総理誕生だって、地元でも盛り上がってた」


「俺もこっちの大学に入学した直後だったから、その時のことは何となく憶えてるよ」

鏡堂が言うと、「そんなに若かったの?」と言って坂東は笑った。


「そしてその頃、唐突に持ち上がったのが、地元企業による不正献金疑惑だった。

東京地検特捜部が乗り出して、かなり大胆な捜査を行ったんだ。

あれは特捜部が、かなりの確証を掴んだ上での捜査だと、当時はもっぱらの噂だったよ。


後から入って来た情報によると、当時呉羽のライバルと目されていた、安西幹介が裏で動いてたって話だったな。

そして更にキナ臭かったのが、当時は参院議員だった朝田正義なんだ」


「朝田正義?」

「ああ、昨日亡くなった朝田だよ。

<朝田王国>も終わりだろうね。

これも因果応報って言うのかな」

そう言って坂東は、カップに残ったコーヒーを飲み干した。


「当時朝田は、呉羽隆一郎くれはりゅういちろうの腹心中の腹心だったんだ。

その朝田が安西側に寝返って、不正献金の証拠を提供したという噂だった。


後から朝田が当時の呉羽派から安西派に移って衆議院に鞍替えし、安西の引退後は派閥を引き継いだところを見ると、どうやら事実っぽいがね」


「その後、安西隆一郎はどうなったんだい?」


「結局財務大臣を辞任した後、体を壊してね。

さらに国会議員も辞職したんだが、一年も経たないうちに亡くなったんだ。


権力の絶頂にいた者としては、寂しい晩年だったろうね。

まあ、その時の因果が、今回朝田正義に巡って来たんじゃないのかな」


そう言って坂東は、少し遠い眼をした。

長い間記者として、政治家の裏表に関わって来た者だけが知る悲哀があるのかも知れないと、鏡堂は彼のその横顔を見ながら思うのだった。


坂東に礼を言って別れた鏡堂は、県警本部に帰庁すると、天宮於兎子が調べた情報と、自身が入手した情報の擦り合わせを行った。

坂東から聞いた朝田正義に関する情報は、当時は今程ネット情報が流布していなかったためか、天宮が調べた情報には引っ掛かっていなかった。


それを聞いた天宮は、驚きと同時に少ししんみりとした声で呟く。

「21年前と言えば、父が亡くなった年ですね」

それを聞いて鏡堂が、彼女に掛ける言葉を探している時、二人の携帯から同時に着信音が鳴った。


鏡堂たちが携帯を見ると、業務連絡用のメールアドレスに、同じ人物からメールが届いている。

その人物のメールアドレスは、h.watarai@#####.jpとなっていた。


――渡会恒わたらいひさしの携帯からのメールなのか?

二人は同時にそう思い、メールを開いた。

そこに書かれたメッセージは、二人の予想外のものだった。


『本日午後9時、鏡堂達哉と天宮於兎子は、<靜〇川弥生遺跡資料館>裏の駐車場まで来ること。

その際天宮は、飼い猫をキャリーバッグに入れて連れてくること。


なお、こちらは新藤優しんどうゆうを確保している。

指定の時間に現れない場合や、このメールの指示内容を周囲に漏らした場合は、即座に新藤優を処分する。

以上』


そのメッセージを確認した鏡堂の表情に、天宮がこれまで見たことのない怒りが現れた。

そして彼女も、事の成り行きに驚きながらも、心の中で犯人に対する激しい怒りを覚えたのだった。

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