【09-1】訊き込み(1)

その日鏡堂達哉きょうどうたつや天宮於兎子てんきゅうおとこは、〇山市にあるフォーゲートスタジアム内の管理事務所に来ていた。

このスタジアム内のアスレチックジムでは一週間前に、県会議員であり朝田建設社長でもある朝田正道が、アンモニア中毒により死亡するという事件が起こっていた。


そのためジムは事件後ずっと閉鎖されたままで、再開の目途は立っていないらしい。

その日は事務職員でトレーナーを兼任している大橋薫おおはしかおるから事情聴取するために、管理事務所を通して彼女とアポを取りつけていたのだ。


事務所を訪れると、大橋は既に来ていて、顔見知りの鏡堂と天宮に向けて愛想のよい笑顔を向けてくれた。

彼女とは今回の事件だけでなく、前年に同じジムで発生した爆弾事件の際にも関りがあったのだ。


鏡堂たちは管理事務所内の小さな応接スペースで、大橋の話を聞くことになった。

刑事たちと向き合ってソファに腰掛けた大橋は、開口一番泣きそうな顔で訴え始める。


「刑事さん、先週の事件って、いつ頃解決しそうなんですかね?

あれって、うちのジムが原因じゃないですよね?」

「まだ捜査段階で断言は出来ませんが、ジムの設備や対応の不具合が原因でないと、警察では考えてますので、ご心配なく」


鏡堂の返事を聞いた大橋は、「よかったあ」と言って、困ったように笑う。

「このままジムが閉鎖になるんじゃないかって、ハラハラしてたんですよ。

元々客の入りが悪いんで、閉鎖になってもおかしくないなって。

そうすると私、即失業なんですよね」


鏡堂は彼女の立場に同情しつつも、このままでは話が進まないと感じ、早速用件を切り出した。

「大変そうですね。

ジムが早く再開出来るように、我々も事件解決に全力を尽くします。

それで、本日お伺いした件なんですが」


「あ、すみません。愚痴言っちゃって。

あの事件の日に、ジムに来場されていたお客さんの名簿ですよね。

ここに来る前にジムに寄って、取って来ました」

そう言って大橋は、手に持っていたグリーンのプラスチックファイルを、テーブルに置いて開いて見せた。


「あの日ジムに来場されたのは、朝田さんを含めて10人でした。

これがそのリストです。


事故があった時、ジム内に残っていたのはその内5人ですね。

朝田さん込みですけど」


鏡堂と天宮は、大橋が提示したリストの、上から順番に氏名を確認していったが、一人の会員の名前の所で同時に眼を止め、顔を見合わせた。

そこには<村川伸介>と書かれていたのだ。



「大橋さん、この<村川伸介>という会員は、どんな方か憶えておられますか?」

鏡堂の問いに大橋は、「村川さんですか?」と言って少し考え込んだ。

「ちょっと顔は思い出せないですね。

ジムに入会時の身分証のコピーがあるんで、取って来ましょうか?」


鏡堂はその申し出に礼を述べ、持って来てもらえるよう依頼した。

大橋が席を立ってジムに向かった後、鏡堂と天宮は声を潜めて話し合う。


「この村川という人物は、公安の村川さんでしょうか?」

「この県に村川姓は割と多いから、同姓同名ということもあり得るが。

仮に村川本人だとすると、話が出来過ぎている気もするな」


そもそも公安の刑事が、平日の昼間にアスレチックジムに来るだろうかと、鏡堂は思う。

――仕事であれば別だが、その場合は、誰かを監視するためということも考えられるが。


「村川さんって、一度しかお会いしてませんが、アスレチックジムに通うタイプには見えなかったんですよね」

その天宮の呟きに、鏡堂も何となく納得してしまう。

彼の知っている村川という男は、確かにジムに通うようなタイプではなかったからだ。


鏡堂たちがそんなことを話し合っていると、大橋が黒いファイルを手にして戻って来た。

そして彼らの前に腰を下ろすと、

「一応個人情報なので、他には漏らさないで下さいね」

と断ると、ファイルを繰って該当するページを開いて見せる。


そこには免許証のコピーが挟んであり、写真に写った顔は、鏡堂たちの知っている公安課の村川伸介のものだった。

鏡堂たちがその写真を見て目配せし合った時、大橋が「おかしいなあ」と言って怪訝な表情を浮かべた。


鏡堂が「どうしました?」と訊くと、大橋は困ったような顔をした。

「これ、あの日ジムに来てた人とは、違う人なんですよ。

会員証の貸し借りは禁止なのに。

困ったなあ」


「それは間違いないですか?

事故の当日、この写真の人物は来てなかったんですか?」


「間違いないと思います。

この方、割と特徴のある顔じゃないですか?

あんなことがあった日だし、もし来られていたら、憶えてる筈なんですよね。


うちのジムって、会員数が少ないんで、よく来場される会員さんの顔は、大体憶えてるんですよ。

でもこの人は見覚えないんですよね。

ちょっと待って下さいね」


そう言って大橋は、来場者のリストを繰り始めた。

そして、「ああ、やっぱり」と言って、顔を上げた。


「この村川さんっていう方、二か月前に入会されたんですけど、先週の事故の日を含めて、三回しか来場されてないですね。

だから別の人が、村川さんの会員証で入場していたとしても、気づかなかったんですよ。

両方とも顔を覚えてないんで」


その説明を聞いた鏡堂が、大橋に質問する。

「ジムでは会員証で、来場者の顔の確認はしないんですか?」

「うちのジムの会員証って、顔写真入りじゃないんですよ。

いけてないでしょう?」


「それでは質問を変えますが、その村川さんの会員証を持った人物が来場された時、朝田さんも来場されていませんでしたか?」

その質問に大橋は、再度来場者リストを見た。


「ああ、朝田さんも来られてますね。

最初の二回は朝田さんが来られたすぐ後に、村川さんも来場されています。

それから事故のあった日は、朝田さんが来られる20分くらい前に来場されて。


あれ、おかしいな。

朝田さんが来られてから、10分くらいで帰られてますね」


彼女の答えを聞いて、鏡堂はさらに質問を重ねた。

「朝田さんは、いつも平日の昼間に、ジムに来られていたんですか?

或いは、先週の事故の日は、偶々来場されていたとか」

その質問に大橋は即座に答えを返す。


「朝田さんは毎週決まって、事故のあった曜日の、あの時刻に来場されてました。

建設会社の社長さんなのに、平日の昼間にジム通いしていいのかなと思ってたんで、よく憶えてます」


「すみません。色々聞いて申し訳ないんですけど、例のプロテイン飲料の試供品は、毎月メーカーから提供されているということでしたよね?

朝田さんはその試供品を、事故の日に初めて飲んだんでしょうか?」


「いえ、結構お気に入りだったみたいで、置いてあったら必ず持っていかれましたよ。

なくなってた時は、『今日はもうないんだね』って、残念がっていたのを憶えてます」


「そうですか、ありがとうございます。

これで最後なんですが、村川さんの会員証で来場されていた方の顔や背格好に、何か特徴はありませんでしたか?

思い出して頂ける範囲で結構なんですが」


その質問に、大橋は申し訳なさそうな顔で答えた。

「すみません。

会員証の方でないことは分かるんですが、その人の顔とかはちょっと…」


「そうですか。

では、もし何か思い出されたら、こちらまでお知らせ下さい。

本日はお時間頂いてありがとうございました」

鏡堂は大橋に名刺を渡しながら礼を述べた後、天宮を促して席を立った。

そしてスタジアムの管理事務所を出て車に向かう途中、二人の刑事は訊き込みの結果について話し合う。


「村川さんではなく、村川さんの会員証で来場していた人物が、一連の事件の犯人ということでしょうか?」

「その可能性は高いな。

今回の事件が連続殺人だとすれば、少なくとも村川は、黒部の事件の犯人ではあり得ないからな」


「犯人は朝田さんが、毎週決まった曜日にジムに通っていることを調べ、彼が試供品のプロテイン飲料を、必ず手にすることを知っていたんですね」

「そのために二回、朝田の後にジムに入った。

多分尾行していたんだろう。

そして事件の日は朝田より前にジムに入り、微生物をボトルに仕込んだ」


「その際に犯人は、朝田さんが手にするボトルを、見張ってたんじゃないでしょうか?

そして仕掛けておいた微生物を操作して、彼のボトルに集めた」

「それが朝田の飲んだボトルの中身だけが、腐敗していた理由ということか。

確かにあり得るな」


「そして犯人は、村川さんからジムの会員証を、入手出来る人物ということになりますね」

天宮の推理に、鏡堂は頷いた。

漠然としていた犯人像が、俄かに明確になり始めたことを感じ、二人の刑事は興奮を抑え切れないのだった。

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