【08】ブリーフィング
〇〇大学での訊き込みを終えて、県警本部に帰庁するまで、
そしてブリーフィングのための会議室に入ってからも、ずっと不機嫌なままの彼に対して、
「鏡堂さん、いい加減、不機嫌な顔は止めてもらえませんか」
それに対して鏡堂は、不機嫌な表情のまま返す。
「別に不機嫌な顔なんかしてない。
俺の顔はいつもこんなもんだ」
しかし天宮も負けていない。
「いいえ、いつもの軽く5倍は不機嫌です。
写真のことで怒ってるのでしたら、直接蘭花先生に言って下さいね。
私に八つ当たりされても迷惑ですから」
彼女の反論に鏡堂は詰まってしまった。
図星だったからだ。
彼は軽く溜息をつくと、諦めた口調で言う。
「分かったから、始めるぞ」
すると天宮は、まだ憤懣遣る方ないという表情だったが、手帳を広げていつもの様に意見を述べ始める。
彼女の意見に対して、鏡堂が訂正したり付け加えたりするのが、二人の間の取り決めだったからだ。
「まず、今回の犯人は高遠さんから始まって、黒部議員まで、全員同じという前提で話を進めますが、それで構いませんか?」
天宮が確認すると、少し冷静さを取り戻した鏡堂は、軽く頷いて先を促した。
「そして犯行手段に共通することは、何らかの微生物を犯人が操作して、ガイシャたちを殺害したと思われます。
通常では絵空事にしか聞こえない話だが、彼らがこれまでに経験してきた超常的な犯罪を考えると、その前提も無理なく受け入れられるのだった。
そもそも天宮於兎子自身が、どこにでも雨を降らせることが出来るという能力を有しているのだ。
「その前提で、最初の高遠純也の事件から考えていきます。
方法は恐らく、ヒ素を吸収させた微生物を用いたと思われますが、それをどのようにガイシャに与えて殺害したかは、現時点では想定出来ません」
「微生物という前提はいいが、何が問題だと思う?」
「国定先生の検死結果では、ヒ素はガイシャの食道や胃だけでなく、気道や、皮膚の露出部分、さらに衣服からも検出されています。
つまりガイシャはヒ素を飲み込んだだけでなく、吸い込んだり全身に浴びたりしたと思われます。
この状況を見ると、蘭花先生の仰った、<微生物にヒ素を採り込ませてから、それをガイシャにぶっかける>という方法が、至極妥当に思われてしまいます。
被害者の全身に、ヒ素を採り込んだ微生物を散布すれば、口から吸い込んだり皮膚に付着したりする状況が生まれますので。
ただ、どうやって散布するかが…」
そう言って最後は口籠る天宮に、鏡堂は自分の考えを口にする。
「<散布>ということに、あまり拘る必要はないんじゃないか?
微生物というのは眼に見えないから、空中に漂わせた中にガイシャを誘導するとか、微生物自体が動けるなら、ガイシャの体に纏わり付かせることも出来るだろう」
そう言いながら、鏡堂は自分の意見の荒唐無稽さに、思わず心中で苦笑を浮かべる。
普通ならそんなことは、到底あり得ないだろうと思ったからだ。
しかし彼が対峙して来た犯人たちが、その到底あり得ない方法で殺人を行ったのも事実なのだ。
「とりあえずそこは置いて、先に進もう。
高遠の事件で、他に気になる点はあるか?」
彼の言葉に天宮は頷いて話を続ける。
「高遠さんの事件と直接関係があるのかどうか分かりませんが、公安の動きが気になります。
何故公安が、六壬さんを探していたのか。
そして先日亡くなった村川さんは、明らかに六壬さんと接触したと思われます。
六壬さんが高遠さん殺害の犯人だとは思いませんが、彼女が事件に何か関りがあった可能性は否定出来ないと思うんです」
「公安については、俺たちが直接当たっても埒が明かんだろう。
連中は極端な秘密主義だからな。
だから高階さんのルートで探りを入れて見ようと思う」
鏡堂のその言葉に、天宮は頷いた。
「次に
二人ともリゾート開発の工事現場に置かれていた石膏ボードに、微生物を作用させて発生した、硫化水素で殺害されたと考えられます。
この場合は犯人が、事前に微生物を石膏ボードに付着させて、時限装置のように発動させたと考えられますので、高遠さんの事件よりは方法が想定しやすいと思います」
「それについては同意だが、何か気になる点はあるか?」
「一番気になるのは、渡会が何故工事現場に行ったかという点です。
高島議員の場合は、視察予定が事前に分かっていたと推定されますが、渡会の場合はそうではありません。
彼の殺害時刻は夜間という検死結果が出ていますので、何故夜に工事現場に行ったのか。
そして犯人が、何故そのことを知っていたのか。
石膏ボードに予め微生物を付着させていたと考えると、犯人は渡会が工事現場に行くことを事前に知っていたことになります。
その場合考えられるのは、渡会に工事現場に行かなければならない理由があって、それを犯人が把握していたか、あるいは渡会が犯人によって誘い出されたか。
いずれにせよ犯人と渡会の間には、以前から何らかの関係があったと推定されます」
その推論に頷いた鏡堂は、「朝田についてはどうだ」と、先を促した。
「朝田議員の事件は、プロテイン飲料のボトルに予め微生物を付着させておいて、彼が蓋を開けた時に、微生物が中に入り込むように操作していたのではないかと考えています」
「その場合、最大の問題は何か分かるか?」
鏡堂の質問に天宮は頷くと、自分の考えを口にした。
「朝田議員が試供品として置かれたボトルの、どれを選ぶかということが、犯人には事前に分からないという点です。
実際朝田議員以外の人が飲んだボトルや、フロントに残されていた未使用のボトルからは、大量のアンモニアを発生させる程の微生物は検出されていません。
つまり朝田議員が手に取ったボトルにだけ、それだけの量の微生物が付着していたということになります。
もしそれが偶然だったとすれば、犯人の意図は朝田議員を狙ったものではなく、無差別の犯行だったことになってしまいます」
「それでもお前は、犯人が無差別ではなく、朝田を狙ったと考えているんだな?」
その言葉に天宮は頷いた。
「根拠を問われると答えられないのですが、私は朝田を狙った犯行だと思います」
「分かった。では、最後の事件はどうだ?」
「黒部議員の殺害方法は、予め農薬に微生物を付着させて、窒素酸化物を発生させたと考えます。
渡会や高島議員の事件での石膏ボードを、農薬に置き換えただけで、原理は同じですね。
その場合、事前に警官を名乗って、あの工場に入り込んだ人物が、犯人である可能性が高いと思われます。
そして黒部議員が肥料の前を通った時を狙って電話を掛けたのは、あそこで足止めして、窒素酸化物を吸わせることが目的ではなかったかと。
電話の件を考えると、少なくとも渡会の事件と同じ犯人が黒部議員の殺害に関わっていると思われます」
彼女の説明に頷いた鏡堂は、「何か気になる点はあるか?」と訊いた。
その問いに天宮は、「二つあります」と答えた。
「一つ目は、黒部議員があの日あの時間に肥料工場を訪問することを、何故犯人が知っていたかという点です。
犯人がそれを知っていなければ、事前に肥料の中に微生物を仕込むことが出来なかったからです。
そして二点目は、黒部議員が肥料の前を通過するタイミングを、何故犯人が知り得たかということです。
一点目については現時点では不明ですが、二点目については犯人が現場近くにいて、黒部議員が肥料の前を通過するのを確認してから、電話を掛けたのではないかと推測されます」
天宮の説明に鏡堂は大きく頷いた。
刑事としての彼女の成長を、大きく実感したからだ。
そして鏡堂は、天宮の推論に幾つか自分の意見を加え始める。
「黒部事件で犯人が現場付近にいたということは、他の事件にも当てはまるだろう。
以前の事件でもそうだが、犯人が超常能力を発揮するには、少なくとも現場周辺にいることが必要なんだと思う。
だから高島の事件でも、犯人は現場付近で待機して、高島が現れた時に微生物を操作したんじゃないか。
そしてそれを朝田の事件に当てはめると、犯人が彼の取ったボトルにだけ、微生物を付着させたかが推定出来ると思わないか?」
「それは犯人が、朝田議員がボトルを取る瞬間を近くで見ていて、予め試供品の周辺に撒いておいた微生物を、そのボトルに移動させたということですか。
なるほど、そうすれば朝田議員だけを狙うことが可能ですね。
だとすれば、当日あの時間にジムにいた、人物をもう一度洗い直す必要がありますね」
天宮の答えに頷いて鏡堂は続ける。
「次に黒部の当日の予定を、何故犯人が知っていたかという点だが、これは黒部の事務所に問い合わせてみるしかないだろうな。
ところでお前は、今回の一連の事件の動機は何だと思う?」
そう訊かれた天宮は、難しい顔で答える。
「正直言って分かりません」
「高遠、渡会の事件と、残りの事件を切り分けてみたらどうだ?」
「そうですね。
後の事件のガイシャの共通点と言えば、三人とも議員だったという点ですが。
他に何かありますか?」
「黒部は分からんが、高島と朝田正道は、朝田正義引退による衆院の補選に、立候補する予定だったそうだ」
「他の候補者が、当選の邪魔になりそうな候補者を抹殺したということですか?
あり得ますかね」
「まあ、単なる可能性だよ。
お前の言うように、今のところ犯行動機はまったく分からないというのが正しいだろう。
さて、当面の方針として、ジムの来場者の洗い出しと、黒部事務所への訊き込みが最優先だな。
両方の都合を聞いておいてくれ」
鏡堂のその言葉を最後に、ブリーフィングは終了した。
事件の状況が少しずつ明らかになって来たが、まだまだ解き明かさなければならない謎の多さに、天宮於兎子は改めて気持ちを引き締めるのだった。
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