【05】公安vs. 六壬桜子
〇〇県の隣県の某所。
占い師
彼女は天涯孤独の身の上だったが、亡くなった父が残した莫大な遺産のおかげで、将来に渡って生活に困ることは一切なかった。
しかしそのように金銭的に恵まれた状況にある一方で、桜子は世間の人に比べると、物欲というものが格段に少なかった。
彼女の興味は唯一、占いを通して他人の人生に関わり、相手の心の深淵に潜む真の願望を垣間見ることであった。
そして自身の<言霊>の力を用いて、時折その願望の具現に関わりを持ち、その行く末を思い通りに操ることに邪悪な喜びを感じるのだ。
桜子は今、亡くなった知人の風水師
鏡自体は先日、これも知人である陰陽師
――
――そして獣神鏡が割れることで、東の封印が解けたと。
――それにしてもあの左道は、何を愚図愚図しているのでしょう。
――恐らくわたくしを焦らそうなどと考えているのでしょうが、相変わらずの愚か者ですね。
――とは言え、ここにじっと引き籠っているのにも、少々飽きてきました。
――そろそろわたくしを追っている愚か者の、始末でもいたしましようか。
そう決断した桜子は、すみやかに行動を開始する。
彼女のトレードマークとも言うべき黒衣を身に纏うと、〇山市内富〇町にある<占い処>へと向かった。
その日は丁度日曜日。
近い将来復帰することを見越して、自身の担当曜日の枠は、そのまま確保していたのだ。
***
〇〇県警公安課職員
村川と同僚の
その中に、桜子の身柄確保も含まれていた。
その日非番だった村川は、桜子を捕えに行くに際に、川上を呼び出すべきかどうか迷った。
しかし最近の川上に対して、微かな不気味さを感じていたこともあって、単独で出向くことを決断したのだ。
富〇町にあるゲームセンター二階の<占い処>に到着した村川は、装飾の施された扉を慎重に開いて、室内を覗き込んだ。
するとそこには、全身を黒い衣装に包んだ占い師が、後ろにある真っ黒な緞帳に溶け込むようにして端座していた。
「どちら様でしょうか?
本日占いは致しておりませんが」
黒衣の占い師は、ずかずかと室内に入って来た村川に、嫣然とした笑みを向ける。
「あんた
村川が横柄に訊くと、桜子は笑みを浮かべたまま答える。
「人にものを尋ねる際には、先ず名乗られるのが、礼儀というものではございませんか?」
その一言に少し切れた村川は、さらに横柄さを募らせる。
「ああ?生意気言ってんじゃねえよ。
〇〇県警の村川だ。
あんたに訊きたいことがあるから、一緒に来てもらおうか」
「〇〇県警の村川様と仰いますか。
しかし、その様に名乗られましても、身分を示すものを見せていただきませんと、おいそれと信じる訳には参りません。
何かと物騒なご時世でございますから。
身分証をお持ちでしたら、ご提示いただけませんか?」
そう言いながら小首を傾げる桜子に、村川はムッとした表情で警察手帳の表紙を見せたが、それだけでは済まなかった。
「ご冗談がお好きな方ですね。
表紙だけ見せられましても、中を見せていただきませんと。
あなたが本当に警察の方かどうか、確認出来ませんわ」
「いちいちうるさいぞ、この
黙ってついて来りゃいいんだよ!」
激高した村川は、桜子を恫喝してその手首を掴んだ。
しかしその時点で、彼女の<言霊>に操られていることに、彼は気づいていなかった。
掴まれた手首を軽く捻って掴み返した桜子は、
「貴様、公務執行妨害で!」
と、喚こうとする村川に顔を近づけ、その眼を覗き込む。
村川は彼女のその凄艶な
そして
『貴方の真の
村川はその言葉に、思わずゴクリと生唾を飲む。
『貴方は出世なさりたいのですね?
しかし、貴方の学歴と年齢では、あまり高い地位は望めない。
そう思っておいでです。
そのため貴方は、課長という地位が、自分には精々であるとお考えのようです。
つまり貴方は、課長になりたいと望んでおられますね?』
桜子の口から迸り出る<言霊>に呑み込まれたように、村川はコクリと頷く。
しかし桜子の<言霊>は、それで終りではなかった。
『しかしながら貴方の真の
貴方の心の深淵から滲み出る声が、そのことをはっきりと告げております。
貴方は、貴方の上司、現在の課長を疎ましく感じておられますね?
貴方よりも後輩であるその方が、貴方の上に立って命令することに、随分と腹を立てておられますね?
何故こんな奴の命令を聞かなければならないのか。
何故こんな奴に、無能呼ばわりされなければならないのか。
貴方の心が、そう叫んでいるのが、はっきりと聞こえます。
貴方はその上司の方を、この世から消し去りたいとお望みですね?
それが貴方の、真の
あいつを消し去りたい。
あいつを消してやりたい。
あいつを殺したい。
あいつを殺してしまいたい。
それこそが、ご自身の真の
桜子の口から溢れ出る<言霊>に、傀儡のような動作で肯く村川の眼からは、既に光が失われていた。
その村川に対して、
『しかしながら、上司の方を殺めることは、貴方にとって、この上もなく凶です。
貴方が、事を成すは、凶です。
事を成すは、凶です。
よろしいですか?』
「ことをなすはきょう」
黒衣の占い師が繰り出す<言霊>に、完全に心を操られた村川は、そう呟きながら、ゆっくりと立ち上がった。
そして彼女に背を向けて、部屋を出て行く。
「ところで、わたくしを捕えようとした目的は、何なのでしょうか?」
彼女の言葉に立ち止まり、ゆっくりとした動作で振り向いた村川は、ぽつりと一言呟いた。
「鏡」
そしてそのまま、扉を開けて出て行く。
――なるほど、あの獣神鏡が目的でしたか。しかし何故?
――まあいいでしょう。暇つぶしに、あの愚か者を
そんなことを思い浮かべる桜子の笑顔は、言葉に表せない程、邪悪なものだった。
***
翌日、〇〇県警本部庁舎内の公安部フロア。
公安一課長の
そして書類の確認と押印に一段落ついて、ふと室内に目を向けると、一人の部下がフラフラした足取りで近づいて来るのが、彼の眼を止まった。
時田は村川に対して、良い感情を持っていなかった。
と言うよりも、無能と蔑んでいると言った方が正確だろう。
警察での経歴は村川の方が長いのだが、仕事は全く出来ないと時田は断じている。
近々管轄内警察署の閑職に飛ばそうと思っていた矢先に、上からの命令で
何故二人が選ばれたのか、どんな任務なのかを全く知らされていない時田は、そのことで一層村川に憎悪を向けるようになっていた。
その村川が真っ直ぐ自分の席まで来たことを、怪訝に思った時田は、
「何か用か?」
と、煩そうに睨み上げる。
そんな上司の不機嫌さに頓着もせず、村川は何事かぶつぶつと呟いていた。
「ことをなすはきょう」
その言葉の意味が分からず、苛立たし気な顔を向けた時田が眼にしたのは、自分に向かって振り上げられた特殊警棒だった。
「ことをなすはきょう」
そう呟きながら村川が振り下ろした警棒を、咄嗟に時田は腕で受け止める。
その衝撃で彼は、椅子から転げ落ちてしまった。
さらに時田を打ち据えようとするのを、周囲にいた同僚たちが慌てて取り押さえようとするが、興奮して警棒を振り回す村川を止めることが出来ない。
村川は同僚たちを振り払うと、意味の分からない言葉を喚き散らしながら、室外に走り出して行った。
そして県警本部から前の大通りに飛び出し、走行中の大型トラックに撥ねられてしまったのだ。
その事故を目撃した警備の警官がすぐに119番通報したが、既に手遅れだった。
到着した救急隊員によって、現場で彼の死亡が確認された。
その日、公安部で発生した騒動を耳にした
咄嗟に昨年連続して発生した、<言霊>事件を思い出したからだ。
「ことをなすはきょう」という言葉は、桜子が関わった、事件の当事者たちが口にしていた言葉だった。
だとすれば、村川と彼女の間に、一体何があったというのだろう。
確かに公安の村川と川上の二人は、
しかし彼らが桜子を追っている理由は、鏡堂たちには知らされていない。
そして彼女の行方は、今もって鏡堂たちにも分からなかった。
そうした曖昧模糊とした状況の中で、漠然とした不安だけが、鏡堂たちの中で膨らんでいくのだった。
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