【04】陰陽師の暗躍
翌日の捜査会議は紛糾することとなった。
まず被害者の身元については、朝田建設社長であり、県会議員でもある朝田正道で間違いないことが親族によって確認されている。
ここまでは問題なかったのだが、朝田の死因について司法解剖の結果が報告された時、会議室は騒然となったのだ。
彼の死因は、高濃度のアンモニアを経口摂取したことによる、食道及び胃粘膜の高度障害と、気体のアンモニアを吸引したことによる、気道障害及び呼吸困難による窒息という解剖所見が出された。
その結果報告を聞いた捜査員の一部が、
「そんな筈ないだろう。
高濃度のアンモニアを呑み込むなんて、あり得ないじゃないか」
と言って、異議を唱えたのだ。
他の捜査員の大方が、その意見に賛同を示した。
しかし鑑識課の小林誠司は、その所見について全面的に賛成する意見を述べたのだ。
「ガイシャの遺体の状況と、死亡時の目撃証言から見て、その解剖所見は妥当だと思う。
ガイシャは実際にドリンクらしきものを嘔吐していたし、吐瀉物からも高濃度のアンモニアが検出されている」
その意見に対して、さらに異論を唱えようとする刑事たちを制して、
「どういう状況だったら、今回のガイシャのようなことが起こるんだ?」
それに対する小林の回答は、捜査員たちを更に混乱させるものだった。
「実際にあり得るかどうかは置いて考えると、プロテインドリンクは朝田正道が口に入れた時点では正常だったものが、何らかの理由で急激に腐敗して、大量のアンモニアを生成したものと思われます。
その時にボトルに残ったドリンクも同時に腐敗し、それが大量のアンモニアガスを発生させたというのが、現場の状況から考えて最も合理的解釈ですし、解剖所見とも合致します」
その見解に会議室は騒然となったが、高階の「鎮まれ」の一言で沈静化する。
しかしまだ、ざわつきは小さく尾を引いていた。
「ガイシャが飲んだ後に中身が腐敗するというが、具体的に何が起こったと考えられるんだ?」
高階のその質問に、小林はやや顔を
彼自身も納得していないことを、口にしなければならなかったからだ。
「これから申し上げるのは、単なる推論ですので、その点は承知して下さい。
恐らくガイシャがボトルを開封した際に、空気がボトル内に入り、それが引き金になって、急速に腐敗が進行したと考えられます。
しかしそれだけ急激な腐敗を引き起こすためには、相当量の菌が混入していたことになりますので、その場合は元の飲料自体が汚染されていたことになってしまいます。
尤も仮にそうだとしても、瞬間的に腐敗が広がるというのは考えられないのですが」
最後はそう歯切れ悪く締めくくって、小林は着席した。
その時熊本班の
「小林さんの見解は一旦置くとして、プロテインの提供元の〇〇食品での訊き込み結果について報告します。
先ず問題のプロテインドリンクですが、〇〇食品が今年から発売開始したもので、事件現場のアスレチックジムには、発売当初から試供品として月一回提供しているとのことです。
昨日も営業担当の柏木敏光という社員が、ジムに届けたようです。
柏木によると、試供品の数は500mlボトルを1ダース12本で、これは現場に残された開封済み及び未開封の合計ボトル数と合致しています。
そして中身の腐敗についてですが、製造工程で雑菌が混入して腐敗が生じたのであれば、他のボトルにも影響が出る筈で、一本だけ中身が腐敗することはあり得ないと、かなりの剣幕で主張されました。
それを鵜呑みにする訳にはいきませんが、実際当日提供された試供品は、同日同時刻に同じ製造ラインで作られたもので、ラベルのバーコードの番号も、他の11本と連番になっています。
ですので、〇〇食品の主張もあながち虚偽とは言い切れないと考えます。
以上です」
そう言って梶木は着席した。
「他の試供品には、異常はなかったのか?」
高階のその質問には、鑑識課の
「昨日現場から回収した
残りの9本もジムのフロントで回収しましたので、合計は間違いありません。
うち、ガイシャ以外の来場者が飲んだと思われるボトルの内容物は、未開封のボトルのそれと完全に一致しています。
また内容物に腐敗の形跡は認められず、アンモニアも検出されていません。
もちろん未開封のボトルの内容物も、すべて同様の状態でした。
以上です」
「例えば、ガイシャが飲んだボトルだけ、事前に細工されたような形跡はなかったのか?」
高階のその質問には、また小林が立ち上がって答えた。
「ボトルを精査しましたが、現状では注射針を刺した痕など、外部から何らかの細工が施された形跡は見つかっておりません。
他の11本のボトルも同様です」
そのやり取りを聞いていて
「例えばガイシャが飲んだボトルの口の部分に薬品が塗ってあって、口を開けて飲んだ瞬間に混ざり合ったという可能性はないのかな?」
その質問に対する小林の答えは、非常に苦しいものだった。
「そうですねえ。
絶対ないとは言い切れませんが、そんな瞬間的に腐敗を起こすような薬物が、実際に存在するかどうか…」
「仮にそんな薬物があって、ガイシャが飲んだボトルの口に塗られてたとしたら、このヤマは無差別殺人ということになるんですかね?」
一人の刑事が口にしたその言葉が、新たな物議を巻き起こした。
「試供品だから、誰が飲むか分からなかったということか。
確かにな」
「ガイシャが手に取った後に、口に塗った可能性もあるんじゃないか?」
「それは現場の訊き込み情報から、可能性は低いと思う」
「やっぱりガイシャの飲んだボトルの中身だけ、腐ってたという可能性も捨て切れないんじゃないかな」
会議室のあちこちから不規則発言が飛び交う中、鏡堂は黙して考え込んでいた。
ボトルの口を開けた途端に始まる、急激な腐敗。
無差別殺人に見せかけた、特定のターゲットを狙った犯行。
外部からの細工の形跡がない証拠品。
いずれも小説の中の話に聞こえるが、実際に起こっている事象だった。
彼の中では今回の事件もまた、過去の一連の事件のように、超常的な力を有する犯人による犯行であるという確信が生まれつつあった。
そして無差別殺人などではなく、明確に朝田正道を狙った犯行であることも。
やがて鏡堂は、その確信が事実であることを知ることになる。
***
遺跡発掘事業の責任者であり、彼女の恩師でもある、考古学教室の
大学院の前期課程修了を目前に控えたこの時期、そろそろ研究テーマのまとめに入らなければならなかったのだが、それにも余り身が入らない。
進路についても、このまま後期課程に進むべきかどうかについて、彼女は迷っていた。
清宮が苦悩する原因は様々だったが、やはり靜〇川南岸のリゾート開発計画が県議会で承認され、その開発区域に含まれる地域での、遺跡発掘調査が頓挫してしまったことが大きいだろう。
靜〇川南岸の遺跡候補地は、まだ調査すら行っていなかったが、澤村の考えでは北岸以上の規模の遺跡が埋もれている可能性があったのだ。
それがリゾート地の下に埋もれてしまうのを、手を拱いて見ていなければならないことが、清宮の中で悲しくも悔しい思いを掻き立てているのだ。
――結局世間の人にとっては、弥生時代の歴史遺産なんて、どうでもいいのよね。
そう考えると、自分が行っている研究自体が、虚しいものに見えて仕方がない。
そんな鬱々とした気分のまま、清宮は資料館の玄関を潜った。
玄関を入るとすぐに、北岸遺跡で発掘された出土品が、一般公開されている展示室が広がっている。
その日は平日ということもあって、展示室は来場者も
その中に清宮は、異様な出で立ちの人物を見つけ、思わず立ち止まってしまった。
その人物は男性で、全身赤ずくめの装いをしていたのだ。
近づいて見ると、赤のジャケットに赤のデニム、Tシャツや靴下、靴までも赤という、滅多にお目に掛かれないような全身コーデだった。
男は近づいて来た彼女に気づいて振り向き、童顔に人懐こい笑顔を浮かべた。
「いやあ、珍しいものが展示してありますねえ。
ここの遺跡から発掘されたんですかあ?」
突然のその質問に清宮は一瞬戸惑って、「はい」と曖昧な返事を返した。
しかし赤ずくめの男は、彼女の困惑など意に介さないように、一方的に話し始めた。
「この獣神鏡の紋様は
本邦ではとても珍しいですう。
大陸からの渡来品でしょうねえ。
句芒はご存じですかあ?」
清宮は彼の問いに思わず首を横に振る。
すると男はまたも饒舌に話し始めた。
「句芒とは、東方木帝
その姿は人面鳥身として描かれていますねえ。
この獣神鏡の紋様が正にそれですう。
しかしこの様に割れてしまっているのは、何とも惜しい限りですねえ。
これは発掘時に、既に割れていたんですかあ?」
清宮は饒舌の最後に繰り出され男の質問に困惑しながらも、
「いえ、発掘時には割れていなかったんですけど、ここに展示している最中に突然割れてしまったんです」
と、丁寧に説明した。
その答えを聞いた男は、目を丸くして驚く。
「そうなんですねえ。
何とも奇天烈な。
既に
ああ、そう言えばまだ名乗っていませんでしたね。
僕は
陰陽師を生業としてますう」
「かみおいのづか?陰陽師?」
清宮がその名前と職業を聞いて絶句すると、男は彼女に満面の笑顔を向けた。
「あなたとは大変深いご縁がありそうですう。
また必ずお目にかかることになりますので、その説はよろしくお願いしますねえ」
その言葉に唖然とする清宮沙耶香を残し、彼は悠然と資料館を後にするのだった。
***
その時
数か月前に父、
転校前には不幸な事件が重なって不登校になってしまった優だったが、今は環境も変わって、目前に迫った高校受験のための勉強に取り組んでいる。
新しい学校では、数は多くないが友人も出来たので、彼の生活は以前に比べて格段に落ち着いていた。
叔父夫婦には高校一年と三年の子供がいたが、優は小さい頃からその従妹たちとはよく馴染んでいたので、叔父の家の居心地が特段悪いわけでもなかった。
もちろんまだまだ遠慮はあったのだが、叔父一家は皆が穏やかな性格だったので、彼も一生懸命解け込もうと努力していたのだ。
優が友達と別れ、自宅に向かって歩き出した時、目の前の路地から突然真っ赤な服装の男がのっそり出て来た。
驚いて目を丸くする彼に、その男は人懐こい笑みを向けた。
「新藤優君ですかあ?
初めましてえ。
僕は
唐突にそう名乗った赤い男は、絶句する優を置き去りにして、一方的に話し始めた。
「僕のことは、あの真っ黒な占い師のおばさんから聞いてませんかあ?
ああ、聞いてなさそうですね。
おっとお、おばさんなんて言ったのがばれたら殺されるので、今のは内緒ですよお。
それはそうと、占い師さんから何か預かってませんかあ?
これくらいの長さのものですう。
あ、鞄にぶら下げてますねえ。
ちょっと見せて下さいい」
赤い陰陽師はそう言って優の鞄ごと奪い取ると、繁々とぶら下がった銅鐸を観察する。
そして鞄を彼の手に戻し、呆然となすが儘になっている優に笑顔を向けた。
「優君とは、この先必ずお会いすることになりますから、僕の名前をしっかり憶えておいて下さいねえ。
じゃあ、その時まで元気でねえ」
一方的に宣言して去って行く赤い陰陽師を、優は言葉を失くして、ただ茫然と見送るだけだった。
一方その場から立ち去る神斎の顔には、底知れぬ邪悪な笑みが浮かんでいた。
――なるほど、なるほど。
――これを利用しない手はないけど、馴染むまで見ていたい気もする。
――しかし桜子さんも、そろそろ焦れてきそうな気がするな。
――このままもう少し焦らすのも面白いんですけど、そうすると怒るだろうなあ。
――ああ、悩ましい。
そんなことを考えながら、邪悪な笑みを浮かべる真っ赤な出で立ちの男に、通りすがりの人たちは、狂人でも見るような目を向けるのだった。
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