第44話 きみに伝えたいこと。⑤
ハァハァと自分の息が煩い。
肩で息をしながら玄関の下駄箱を確認する。もう帰ってしまっていたら追いかけるつもりだった。まだそんなに時間は経っていないはずだ。
(靴、ある――)
光の下駄箱には、いつものローファーが収まっていて、彼がまだ校内にいることを示していた。昨日はあんなに迷っていたのにすぐさまスマホを取り出して文字を打つ。
『今どこ?!』とだけ書いた。もしかしたらもう既読はつかないかもと思いつつ、祈るような気持ちでスマホを握る。しかし咲太郎の予想に反して、すぐに既読がつくと『B棟の屋上階段』と返信が返ってきて、咲太郎はそのまま再び駆け出だした。
もう、ここには二度とこないと思っていた。
咲太郎にとって、ここは今まで生きてきた十七年間で一番嬉しくて、そして一番最低な場所だったから。
それでも、ここに光がいるのなら、今日は逃げるわけにはいかなかった。
走りすぎて汗は伝ってくるし、階段を上がるのに息も絶え絶えだったけれど、ともすればもつれて転びそうになる足を叱咤激励しながら一段一段階段を上がってゆく。
一番上の段を登りきって、階段の踊り場に座り込んだ光の姿を見つけた時には、もうそれだけで泣きそうになっていた。
「え。咲、今授業中――」
光から返信を貰ってからまだ一分も経っていない。今まで授業をサボったことなど人生で一度もないであろう咲太郎が、まさかこんなに早く現れると思っていなかった光は驚きに目を見開いていた。
「学校っ……辞めるって、本当っ……?」
まだ整わない息の下で、それでも言葉を紡ぐ。自主退学の話がすでに咲太郎の耳に入っていたことに光は動揺した。その瞳の揺れを見て、咲太郎は事実なのだと確信する。
「……俺の、せい、だよな?」
「さく――――」
違う、と言いかけたが続きは咲太郎に遮られた。
「俺が! ……俺が! お前に酷いことを言ったから!!」
呼吸も、胸も苦しくて。なんだか頭も痛い。
でも、光に伝えなくては。ちゃんと言わなくてはいけないと、上手く動かない舌を必死に動かす。
「ごめん! ――違くて……俺 が、浮かれてお前の気持ちに答えたら……お前の大切にしてるもの、無くなっちゃうんじゃないかって。
――――怖くて。……ニュースで見た芸能人みたいに、同性愛がバレてお前も叩かれたらどうしようって。
俺……お前の仕事のことは何もわからないけど。お前がいつも真剣なの、知ってる。だから、い……今なら無かったことに出来るって、思って……」
自分のせいで、光の仕事や夢が無くなってしまうのは耐えられなかった。
仲違いしても、光が夢を追い続けてくれれば、頑張れと密かにエールを送ることも出来ると思った。
「夏休みも……あんなに光、頑張ったじゃん……! なのに……!」
溢れてくる涙を、腕で拭う。言葉が詰まって、その先が上手く出てこない。
もっと、ちゃんと謝らないといけないのに。
謝って、光をちゃんと引き止めないと。光のこの五年の努力を無駄にしてしまう。
そう思うのに。喉に詰まった熱い塊が、うまく言葉を紡がせてくれない。
「――……それって、オレが好きってこと?」
今まで黙って聞いていた光が、震える声で独り言のように呟いた。
恐る恐る視線をあげた先の光は、惚けたような顔でこちらを見ている。
光はふらつく足取りで立ち上がると、ゆっくりとした動作で咲太郎に近づいた。
咲太郎は、ぐっと腹に力を入れると、声が震えないように一言一言噛み締めながら言った。
「俺、お前のことが好きだ」
あの日、口に出せなかった言葉を光の目を見て告げる。
光は、一瞬泣きそうな顔をして、ぽすんと咲太郎の肩に自分の頭を乗せた。
「……これ、夢じゃないよね?」
震える声で光がそう言うから、咲太郎はそれに答えるように光の身体にそっと腕を回して力を入れる。
そのうち、光の腕も咲太郎の身体に回ってきて、暫く無言でお互いの体温と心音を聞いていた。
……先に顔を上げたのは光で。光は、今までに見た事のない目の色で微笑んだ。
そのまま、ぎゅっと咲太郎の手を握る。
「あのね。……オレ、二年後の大河の主演決まった」
え? と今度は咲太郎が目を見開く。
「まだオフレコだけど。ダブル主演で……撮影が入ったら、一年半は目が回るくらい忙しくなる。撮影スケジュールに合わせて、前倒しで他の仕事もすることになって……もう、この冬から全然時間に余裕がないんだ」
だから、学校を辞めるのは、咲太郎のせいじゃない。咲のせいじゃないけど――
「でもちょっとは咲のせいかも」
そう言って、光はちょっと困った顔をして笑った。
「――オレ、学校生活に未練なんてなかった。行けって言われるから、ただ惰性で通ってた。これは通過儀礼だ、通り過ぎるのを待つしかないって。……だから、学校を辞めるのに、なんの後悔もない」
「――けど。けれど、咲太郎が、……咲がオレの席のとなりになって、本当に俺の世界が変わったんだ」
「モノクロフィルムみたいな世界がびっくりするくらいに鮮やかになって、本当に……本当に毎日が楽しかった。
咲の優しさや、教えてくれたことに、ああオレもちゃんと色んなことに向き合わなくちゃって思えたんだ」
「オレがもし、学校生活で未練があるとしたら……後少しの間だけでも、咲のとなりに誰がが座ると思ったら嫌な事くらい」
「咲。
もう咲のとなりの席には座れないけど……進む道が違っても、オレはこれからも咲のとなりにずっといたい。咲太郎のとなりは俺がいい」
すでに、咲太郎の目からは熱い水がとめどなく溢れていて。
咲太郎は自分の目が溶け出したのだと本気で思った。
眼の前がぼやけて何も見えない。
目も、喉も、何もかもが熱くて、嗚咽のほかは何も言葉が出てこなくて。
誰かの手が、咲太郎の涙を拭ってやっと焦点があった時には、咲太郎は光の腕の中だった。
「オレ、咲が照らしてくれたから……光れたんだよ」
これからも一緒にいて、と回された手に、咲太郎も光をぎゅっと抱きしめ返してただただ頷いた。
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