第38話 ぼくの好きな人。④



 咲太郎は地下鉄に乗り、自宅近くの最寄り駅で降りて図書館に向かった。


「あ、シャーペン」


 そう言えばシャーペンの芯が無くなったんだと思い出して途中のショッピングビルに入る。

 文具売り場は七階だ。エレベーターのボタンを押すとすぐにドアが開いた。


「乗ります」


 ドアが閉まりそうになったところで女性が一人乗り込んできて、咲太郎は慌ててドアの開閉ボタンを押した。


「すみません、有難う」

「いいえ」


(――うっわ……)


 乗ってきたのは身長が咲太郎よりも高い赤毛のサングラスをした女性で、高いピンヒールを履いているものだから迫力がすごい。どう見ても普通の人ではないオーラが漂っていて、しかもいい匂いがする。咲太郎はなんだか気まずくて上の階に移動していく電光掲示板のナンバーをひたすらに見ていた。


 その表示が、四階に差し掛かったところでエレベーターのかすかな揺れとともに止まる。


「え?」


 咲太郎のつぶやきに、赤毛の女性も異変に気がついたようだ。


「どうしたの?」

「あ……なんかエレベーター、止まっちゃったみたいで……」

「え?! ……嘘でしょ?!」


 冷静ではあるが困惑した様子がサングラスの下と声から伝わってくる。

 咲太郎は「緊急ボタン押しますね」と言ってエレベーターのインターホンを押した。


 エレベーターの管理会社にはすぐに繋がったが、エレベーターの点検業者の到着がトラブルで遅れるらしく、二時間はかかると言われてしまった。


 咲太郎はこれは図書館で勉強するのは絶望的だなと諦めの境地だったが、同乗していた赤毛の女性は復旧時間まで二時間かかると聞いて「困ったことになったわね」と焦った声を出した。


「……大丈夫、ですか?」


 咲太郎は遠慮がちに女性に尋ねる。女性は少し眉を下げるとため息混じりに話しだした。


「……あと一時間後に八階の催事場でイベントがあるのよ。私、――一応仕事が女優なんだけど。困ったわ、エレベーターに乗る前にカバン、マネージャーに渡しちゃったのよね」


 エレベーターに乗り込む前に、マネージャーが車に忘れ物をしたと言って戻ったらしい。女性は先に行くと言って別れてエレベーターに乗り込んだのだ。スマホはマネージャーの持っている鞄の中。連絡のしようがない。


「俺のスマホ使います?」


 咲太郎は気の毒に思って自分のスマホを差し出したが、女性は「有難う、でも流石に番号覚えてないのよね」と残念そうに苦笑いした。


 連絡もなく女優が姿を消したとなれば会場のスタッフもマネージャーも心配するだろう。


「それは困りますよね……あ」


 どうしたものかと考え込んで、咲太郎がすぐになにかを閃いた。


「――事務所! お姉さんが女優さんなんだったら事務所に連絡したらどうですか。事務所ならスマホで検索したら電話番号出ると思います」

「……なるほど!」


 咲太郎のスマホで事務所名を検索する。すぐにホームページがヒットして、女性は無事、事務所と連絡をとることが出来た。


 連絡を取り終えて咲太郎にスマホを返そうとすると『咲くん、帰りに牛乳買ってきてくれる?』と母親らしきメッセージが通知される。

 女性はスマホを咲太郎に返すと、サングラスを取って咲太郎に握手を求めた。


(う……わ)


 サングラスをしていてもオーラがあったが、サングラスの下からは切れ長だけれど睫毛が長くて想像していたよりも倍印象的な顔立ちの美人が出てきた。


「有難う。本当に助かったわ。私、夏目なつめ 亜希あきといいます。……学生さんよね?」


 機転が利くのね、とにこと微笑まれる。


「あ、ハイ。向陽台高校に通ってます」

「向陽台……」


 女優夏目亜希は形の良い顎に指を添えて何か思案していた。


「?」

「ごめんなさい、なんだか聞き覚えがあるなあと思って」


 亜希の反応に咲太郎は、ああと笑う。


「この辺じゃわりと大きな私立高ですから」


 エレベーターが止まって一時間ほどしたところで、緊急用のインターホンが鳴って予定より早く業者が到着したとの事。咲太郎と亜希は顔を見合わせてほっと胸を撫で下ろした。


「これならイベントにも間に合うかも知れませんね」


 亜希に向かってにこりと微笑む。そのうちドアの外から「聞こえますか―? 今からドアを開けるのでドアから下がって下さい!」と声が聞こえて、ゆっくりとドアが開く。エレベーターは四階に完全に行き着くまでに動きを止めたらしく、四階の床と三十センチほどの段差ができていた。


「大変ご迷惑尾をかけしました。段差がありますので気を付けて出て下さい!」


 点検業者が汗をかきながら言う。咲太郎は亜希の横を通り抜けると真っ先にエレベーターから出た。


 そして振り向く。


「足元、気をつけて下さい」


 そう言って差し出された手に、亜希はああ、なるほど、と思った。


(これは、光がハマるわ)


 光に比べたら線が細くて、繊細な印象だなと思ったけれど、その瞳は理知的で握った手はしっかりと男の子の手だった。


 咲太郎の手を握り、ぐいっと段差を超える。


「危ない!」


 しかし亜希はヒールを履いていたせいか、足をついた瞬間に足元がぐらついて倒れ込んだ。


「……あっぶねぇ……」


 大丈夫ですか? と咲太郎に声をかけられた時には亜希は咲太郎の上に乗っていた。


 幸い、咲太郎がクッションになってくれたおかげで亜希に怪我はなく、代わりに咲太郎のディバックの外ポケットに入れられていた小物が周りに散らばっていた。


「大丈夫よ。……ごめんね、下敷きにしちゃって。キミこそ大丈夫?」


 咲太郎が自分で起き上がっている間に散らばった荷物を拾う。落ちた時に紐が切れたらしいパスケースの中から、定期券と写真が飛び出していた。向こうからマネージャーが慌てて走ってくるのが視界の端に見える。


「夏目さん! 大丈夫ですか?!」


 怪我は? よかったぁぁ!! 無事で! とマネージャーが泣くんじゃないかという勢いで亜希の無事を喜ぶ。亜希は「問題ないわ。イベント間に合うかしら」と笑って、定期と写真をパスケースの中にしまうと咲太郎に手渡した。


「ハイ。ごめんなさいね、紐切れちゃったみたい」


 パスケースを落としていたことに気づいていなかった咲太郎は亜希からそれを受け取ると「有難うございます」と大事そうに胸に握り込み、ちょっと情けない顔で笑った。


「手ぇ差し出しといて支えれないとかカッコ悪い。すみません。怪我しなくてよかったです」


 そう言って照れた咲太郎に亜希は胸に温かいものが広がった。


「夏目さん、急ぎましょう!」


 急かすマネージャーの声を聞きながら、亜希は咲太郎に「有難う。……じゃあね、咲クン」とお礼を言って踵を返した。


 咲太郎はその背に手を振って見送ったが、ハタと「あれ? 俺、名前言ったけ……?」と首を傾げたのだった。



【つづく】



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