幕間 赤い月の宴。



 駅から少し歩き、大通りから一本曲がった街ビルの地下に、ライブハウスバー『RedMoonレッドムーン』はあった。


 猛威を振るったコロナ禍も五類になったことにより、都心でもマスクをする者はだいぶ減ったが路地でタクシーから降りてきた長身の二人組の男はキャプを目深に被り、しっかりとマスクをして顔をあまり伺えないようにしているようだった。


 ただ、夜目でもわかるスタイルの良さと、目元だけでも均整が取れているのは解ったし、車を止めた先に何があるのかを知っているタクシーの運転手は、やはり芸事をする者は見た目が違うのだなあと内心思いながら男達から代金を受け取った。


 二人は慣れた足取りで目的地に向かい地下に降りると、『Closed』とプレートの下がった重い防音扉をくぐった。

 防音扉には不釣り合いな、バー特有のカランカランと言うドアベルが鳴る。


「いらっしゃい。やあ、アラタくん」

「ちーっす! オミさん!」


 軽く片手を上げてアラタはマスクをとった。


「……誰かと思ったら光くんか。久しぶりだね」


 にこやかに笑いながら、バーのマスター オミはアラタの後ろに続いた青年に声をかける。


「……お久しぶりです」


 その声色が、あからさまにふてくされている様子だったので、「どうしたの? ご機嫌ナナメ?」とバーカウンターに座った二人にオミは声をかけながら注文を取った。


「……今日は仕事が夕方で終わったから、直帰で帰ろうと思ったのに」


 アラタさんに無理矢理飲みに行くぞって引きずられて、と光は注文したスクリュードライバーをちびりと口にした。


 おや? と思ったオミにアラタが笑う。


「気にしないでオミさん。こいつね、今ご執心の子とオンライン通話できなかったからスネてんの」


 可愛いーよね、と笑ったアラタを光は恨みがましい目で見た。


「え。光くん好きな子できたの」


 光の久しぶりの恋話にオミが目を丸める。

 そんなオミに、光ではなくてアラタが答えた。


「そーなんスよ。しかも相手、花の高校生! えーと何だっけ? サナちゃん?」

「……違います! サナじゃなくて咲! もー! アラタさんベラベラ喋らないで!」


 嬉嬉として喋るアラタに光が釘を刺した。


「ただでさえ、一緒にいられる時間が少ないんだから、仕事のない時間は貴重なんですよ。向こうは真に学生だし」


 唇を尖らせてブチブチと文句を言う光にオミは元々タレ気味の目尻を緩める。


「付き合い長いの?」


 つまみを出しながら光に問う。けれど光は片手で頬杖をついたまま答えない。


「?」


 首を傾げたオミに光は「……まだそーゆーのじゃありません」とボソリと答えた。

 売れっ子俳優のまさかの片想い発言に少々驚く。


「相手、高校生なんでしょ? ……二階堂ヒカルに告白されて断る子なんていないんじゃない?」


 オミは以前、光が別の女性と付き合っていた事も知っているし、彼がそんなに奥手でない事を知っている。ここではバーのマスターと客の関係だが、なんなら彼とは子どもの頃からの知り合いだから、光がこんな風に言うのは珍しかった。


 光が手を出すのを躊躇するくらい、綺麗な子なのだろうか。


 オミの全うな疑問を受けて、光はゴニョゴニョと何かを言った。


「え?」

「……だから、……とこ、なんです」

「は?」


 よく聞こえなくてもう一度聞き返す。


「――っ、相手、男の子なんですっ」


 やけくそ気味に答えた光に、オミは目をパチパチとさせた。


「それは……また、難儀だねえ……」


 そんな茨の道をいかなくても、と苦笑いしたオミに光はカウンターに突っ伏した。


「しょーがないでしょお……好きになったのが、たまたま男だったんだもん」


 ボヤいてカウンターと仲良くしながらブツブツ文句を言っていた光だが、何かを思いついたようにガバリと顔を上げるとオミに噛みついた。


「でもオミさんも悪いんだからね!」

「えぇ?」


 急に非難の矛先が自分に向いて困惑する。

 光は非難がましい目でオミを見た。


「小さい頃からオミさんと藤哉とうやさん見てるからさぁ! そーゆーのに抵抗無いんだよ。オレには普通の感覚だったんだもん〜」


 オレは悪くない〜と騒ぐ光に、後から来た男が光の頭を何かでバシッと叩いた。


「いったー!」


 叩かれた頭を抑えて振り返ると、そこにいたのは長い髪を一纏めにした長身の男。


「……自分の責任、人のせいにしてんじゃねえぞ、このクソガキが」


 ドスの聞いた低い声で毒づく。アラタはヒエッとすくみあがったが、光は涙目で吠えた。


「だからって普通スティックで殴る?! 何この店、客を殴るの?!」


 鬼畜! と叫んだ光を長髪の男――藤哉とうやは鼻で笑った。


「お前は客じゃねえ。いつまでたってもガキみてえな事言ってるからだ。達臣たつおみに絡んでんじゃねえよ、埋めるぞ」


 そう言うと藤哉は光達がいることなど全く気にしない様子で店内のステージ上に置いてあるドラムセットに座り、軽くドラムを叩き始めた。


「……相変わらず怖いねー。トーヤさん」

「藤哉さんは怖いんじゃなくて乱暴なだけだよぉ」


 俳優の頭をドラムスティックで殴るとか信じられないぃ、と喚く光にオミが「ごめんごめん」と苦笑いで謝った。


 ここ、ライブハウスバー『RedMoon』は光の三番目の兄で作詞家のこうが学生時代に組んでいたバンドのメンバーが経営している店だ。


 平日はバーとして、土日はバー兼ライブハウスとして営業している。

 定休日は月曜日と水曜日なのだが、水曜日はClosedの札が下がってはいるが実は営業しており、煌の知り合いや芸能関係者専用のバーになっているのだ。


 マスターのオミこと達臣とドラマーの藤哉は公私ともにパートナーで一緒に暮らしている。

 光は兄の煌について幼い頃から彼らと付き合いがあったので、光にとってここは兄貴分の家の様なものだった。


「どんな子なの?」


 オミが優しく聞く。横からアラタが「コイツ気持ち悪いんですよ、学校の集合写真拡大してスマホに入れてんの」と茶々を入れる。

 光はアラタをきっと睨むと「残念でしたー! もっといい写真持ってますぅ!」とスマホを開いた。


「……どっちの子?」


 咲太郎と紺野が写る写真を見てオミが尋ねる。「お、この間見たのより全然はっきりしてる」と覗いてくるアラタに「アラタさんは見なくていいです!」減るから! と肘で押した。


「なんか、凄い真面目そうな子だね」


 オミは意外に思って思わず口にした。


「……真面目ですよ。多分、成績学校の中でもトップクラスだと思うし。年下だけど、めちゃくちゃしっかりしてるんです。オレなんかいつも叱られてばかりで。

 勉強も教えてくれるし、……でも、なんていうか……ちょっと自分に自信のない子で……危ういところもあるっていうか。こう、ぎゅっとしてあげたくなる可愛さがあるというか!」


 後半は光の語りにだんだん熱が入ってきて、もう最後はただの惚気になっている。

 オミはクスクスと笑った。


「光くん、めちゃくちゃ好きなんだね」


 気がついたら拳を握って力説していて、光は急に恥ずかしくなって握った手をほどいて手を組んだ。


「う……まあ。……でも、彼はノーマルだから望み薄なんですけど。……ただ、それでもとなりにいたいなって」


 顔が熱くて熱が引かないのは、アルコールを接種したせいだけではないだろう。


「そっかぁ……。しっかり者で光くんが守ってあげたくような子なんて、光くんにぴったりじゃないか。咲くん……だっけ? 会ってみたくなっちゃったなあ」


 藤哉と違ってオミはいつも優しい。背は180センチ以上ある長身なのに、ゆるくパーマのかかった柔らかそうな髪と甘く優しい双眸は客にも人気がある。オミ目当てで来る女性客もいるのだ。これでギターを弾かせればその腕前は一級品なのだからだいぶズルい。

 とは言え、光にとってはオミは実の兄に次ぐ頼りになる兄貴分だ。光はオミの言葉に優しさを感じながら、スマホに映る咲太郎を眺めるとメッセージアプリの通知がポコリとなった。


「あ、噂をすれば、咲ちゃんじゃん」


 アラタがスマホを覗き込む。

「寄らないで下さいよ」とアラタを押しのけながら通知を開くとそこには、


『これ、光のアイコンみたい』


 という短いメッセージとともに黒猫のぬいぐるみの写真が送られてきた。

 そのあとにポコリと黒猫が『かわいい』と言っているスタンプが貼られる。


「かっ…………!!」


 わいい、と光が天を仰いで突っ伏した。


「う……わぁ、咲ちゃんヒカル殺しぃ……」

「……天然無自覚ってこういうことを言うんだねぇ」


 二人に好き勝手に感想を言われて、光は「オミさんもう一杯おかわりちょうだいー!」と叫んでアルコールを要求したのだった。




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