第14話 きみの好きな人。②
たとえ一睡も出来なかったとしても朝は来る。
気分が晴れなくとも外は晴れているし、行きたくない時に限って熱は出ない。
残念ながら休む理由も一つもなくて、咲太郎は重い足を引きずりながら自分のクラスに向かった。
多少の期待を込めてドアの外から中を覗き見るが、会いたくない人物は残念ながらしっかりと自分の席に収まっていた。
咲太郎はドアの前で躊躇した。
どうやって声をかけよう? 光は咲太郎があの場所にいたことなど知らない。ならば普段通りに振る舞うべきだ。
でも、知ってしまった咲太郎は昨日と同じ顔が出来るほど大人ではない。
ドアの前で一人悶々としていたら、光の方から声をかけてきた。
「咲? おはよー。なんでそんなとこで固まってんの?」
曇りのない笑顔で言われて、咲太郎はその場に立ち尽くした。
(……なんで? なんでこんな風に笑えんの?)
「咲……?」
昨日は、見たことのない顔で、あんなに苦しそうにしていたのに。
咲太郎が、苦しい胸の内を打ち明けたあの日。光が一緒にいてくれたから気持ちが救われた。
……なのに、自分は逃げ出して、光のなんの力にもなってない。
「どうして……お前はそんな平気な顔ができるの」
「へ?」
光のきょとんとした顔が目に映る。その顔が、咲太郎の神経をどうしようもなく刺激した。
「お前は、なんでいつもニコニコできるんだよ。なんで何にも言わねーんだよ!」
思わず口にしてはっとする。
何を言っているんだ自分は。
現場を勝手に見たのは自分。自分だって人に自分の悩みをペラペラ言わない。
極めつけになんで何にも言わないんだだって?
どんな思い上がりの勘違い野郎だ。
(馬鹿みたいだ、馬鹿みたいだ、馬鹿みたいだ!)
「咲? どうし……」
「さわんな!」
手を伸ばしてきた光の手を振り払って席につく。
自分の行動が、一番自分でもよく解らない。
光の驚いた顔が、顔を見なくても伝わってきた。当たり前だ。
(違う――こんな態度をとりたいんじゃない)
力になりたかっただけだ。困らせたいんじゃない。
それでも、渦巻いた心は言うことを聞いてくれなくて、これ以上馬鹿な事だけは口走るまいと机に突っ伏した。
授業が終わると咲太郎は光が声をかける前にさっさと席を離れてしまい、訳が分からない光だけが取り残された。
「な、なんだあ……?」
一応自分に非があるのかと思って思い返してみるが、思い当たる節がない。
(化学のノートは返したしな……うーん?)
元々そんなに口数が多いわけではないが、意味もなく咲太郎が怒ったことは今までなかった。叱られるのはいつも光が何かやらかした時だ。
「どーしたん、あいつ」
二人の様子を見ていた紺野が近づいてくる。
「いや、全然解んなくて」
「昨日は普通だったけどなあ」
ケンカでもしたん? と聞いてくる紺野に首を降る。
「ケンカはしてないけど……」
「どーせ、一ノ瀬がなんか気に触ること言ったんだろ?」
「何にも言ってないけど?!」
「わからんぞ。お前、嘘みたいにノーテンキな時あるじゃん」
「もしもし紺野くん?」
一応テレビの向こう側では大人な雰囲気の二枚目俳優で通っている自分を『ノーテンキ』の一言で片付けてしまう紺野に、有り難いやらむなしいやら。
「なんでこんな目にあってんの、オレ」
がっくりと肩を落とした光に、紺野は笑顔で「一ノ瀬のアホさを理解出来るのは成宮とおれくらいなもんでしょ」と返ってきて返答する気力もなくならせた。
「……まあでも、成宮もちょっと情緒不安なとこあるよな」
ふいに紺野が呟く。
光が視線を向けると、紺野は「そー思わん?」と言った。
「おれ、一年時もあいつと同じクラスだったけど、殆ど喋らなかったよ。ちょっと神経質そうなイメージあったよな。だから三年になって一ノ瀬と普通に喋ってるの見てマジでびっくりしたんだよね」
喋ったら、わりと冗談通じるし、別に普通に話すのになんであんなに喋らなかったんだろうって。
そう言う紺野に、先日咲太郎から聞いた中学時代の話が頭の中を横切る。
「あ……なんか、中学の時友だちと上手く行ってなかったみたいで……」
咲太郎から聞いたことを、詳しく言うわけにもいかず曖昧に答えたが、紺野は気にするでもなくふーん、と言った。
「ちょっと人間不信っぽいとこあるみたいで……人との距離がわかりにくいのかも」
光の言葉に、紺野はなるほどなーと頷いた。
「成宮、一見クールに見えて凄く人に気をつかってるよな。おれ達にまで、そんな気ぃ使う事ないのになあ?」
笑ってそういう紺野に、光は自然に顔が緩んでいくのを感じた。
「よおっし! ここでグダグダ言ってても始まらないよな! 咲にちゃんと聞く!」
ぐっと拳を握ってガッツポーズをとる。紺野は笑って手を叩いた。
「おお、やれやれ! 頑張れよー」
頑張る〜とヘラっと笑う光に、
(これもう、夫婦喧嘩なんよなあ……)
と紺野は愛を込めて光に生温かい目を向けた。
【つづく】
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