第13話 きみの好きな人。①



 遮光カーテンの隙間から指す光に目をしかめる。

 いつもならとっくに起きている時間だけれど、今日はすぐには起きたくなくて、咲太郎は布団の中でうだうだとしていた。


 あと五分、あと五分……と思っている間に部屋の扉がノックされる。


「おにい〜? もうご飯できてるよ〜?」


 なにやってんの? と今年中学に上がった妹が顔を覗かせる。具合でも悪いの? と聞かれて、咲太郎は「なんでもない……」と観念して布団からやっと出た。


 制服に着替え顔を洗ってリビングに行くと、妹の桃が言ったようにすでにテーブルには朝食が用意されていた。父と母はすでに朝食を食べ始めている。


「おはよう。今日は珍しくお寝坊さんね」


 そう言ってご飯をよそってくれる母に有難うと返すと、「昨日ちょっと予習してたら遅くなって」と適当に誤魔化した。



 ……本当は、夜ふかししていたわけでもなんでもない。

 昨日は光は仕事で学校には来なかったけれど、今日は行くとメッセージアプリで言っていた。

 先日図書館で醜態を晒してから、はじめて顔を合わせることになる。あの時は泣くつもりなんかなかったのに、過去の記憶と光の優しさが染みて馬鹿みたいに感情が込み上げてきてしまった。


 帰る頃には、なんでもないふりをしたけれど。



 中学の時の苦い記憶は、誰にも言っていなくて。なんなら成績も最後まで落ちなかったから、教師も両親も気がついてないと思う。高校を受け直したいと言った時に驚きはしていたが。その理由を、深くは問われなかった。

 まさか、出会ったばかりの光に、あの事を打ち明ける事になるとは思ってもいなかった。


『咲太郎はかっこ悪くなんか無い。オレが知ってる人の中で、一番格好いいよ』


 光のくれた言葉が、咲太郎の心に出来た亀裂に広がって、隙間を埋めてくれた気がする。

 見えないナイフで切り裂かれた心と、負けてしまったという気持ちで、ずっと自分に自信が持てなかった。


 自分が悪いのだと、ずっとどこかで思っていた。


(俺、傷ついてたんだな……)


 光が慰めてくれて、初めて気がついた。

 自分の傷口が、まだ塞がっていなかったことに。


 光の言葉は、まるで絆創膏みたいに咲太郎の傷口を塞いで包んでくれた。

 今は、血が滲んでいても、もう我慢できる痛みだ。


 ただ、泣いてしまった手前、やはり光と顔を合わせるのはちょっと気恥ずかしい。

 咲太郎は、自分より早く教室にいるであろう光になんて声をかけようか、悩みながらご飯を咀嚼した。


「え!」


 自分より先に朝食を食べ終えていた妹がスマホを見ながら声を上げる。どうしたの? と声をかける母に妹はスマホの画面を母に見せながら言った。


「二階堂ヒカル、熱愛発覚だって〜!」




 *****  *****




 登校したら、光は珍しくまだ来ていなくて、1時間目が終わる頃に遅れて登校してきた。


 クラスメイトの何人かは、妹が見たのと同じネットニュースを見ていて朝からその話題で持ち切りだったが、登校した本人には流石に聞けず、遠巻きに様子を伺うだけであった。チラチラと向けられる視線が咲太郎をソワソワさせる。


 光の事だから、多分記事はでまかせだろうと思う。けれど咲太郎は光の仕事関係の事は知らないから、一概に違うとも言えない。報道されたのは、現在撮影中のドラマの共演女優だと言うことだが、もしかしたら本当にその女優の事が好きなのかもしれない。そう思うと、咲太郎の胸が何故かチクリと痛んだ。


「一ノ瀬〜! なんだよあの記事は〜!」


 で? 本当のところはどーなんですか? 光くん? と紺野が直球で光に問いかける。咲太郎はギョッとしたが、紺野のこう言うところは素直に凄いと思った。

 光はギロリと紺野を睨む。


「……どーもこーもないよ。その事実無根の記事のせいで一限目潰れちゃったんだ」


 光曰く、熱愛報道記事等は基本的に実際に世に出る前に事務所にこんな記事がでますよ、と知らせが来るらしい。だがしかし、今回の記事は殆ど抜き打ちに近い形で世に出され、現在事務所は対応でてんやわんやだ。


 どうやら、撮影の休憩中にスタッフの誕生日を祝うサプライズをして、そのプレゼントを買うために買い出し班として店に二人で入った所を切り取られたらしい。


「相手の女優さんにも迷惑がかかるからもう最悪だよ」


 不貞腐れた顔でそう言って、なんとも言えない顔をしている咲太郎に気がつくと、


「あっ! 言っとくけど、本当になんにもないからね?! 一切付き合ってない!」


 と何故か力いっぱい否定された。

 その顔を見てなんだかほっとする。


(……? なんでほっとしてんだ?)


 光に好きな人がいようがいまいが、咲太郎には関係ない話しだ。けれど、咲太郎の知らない誰かが、光のとなりに立っているのを想像したら、言いようもない嫌悪感が這い上がってきた。


(……なんか、やけに執着してるよな、俺)


 少し光に優しい言葉をかけてもらったからって、異常なまでの独占欲が湧いている気がする。女々しい自分に嫌気が差す。


 光は、芸能界の第一線で活躍しているにも関わらず、咲太郎に普通の友達として接してくれるし、本当に感心しきった様子で「咲はすごいなぁ……」と言う。

 既に自分の力で働いて活躍している光こそ凄いと思うのだが、光には傲慢なところが一つもない。だから光は他人と距離をおいていた咲太郎にとって、初めての尊敬して心許せる友達だった。

 勉強はできないし、すぐに泣き言を言うし……世話も焼けるけれど、彼の物の見方は視野が広くて、やはり大人なんだと実感する。でも逆に、光が悪いわけではないのに何故か光に対してモヤモヤとした感情が沸き起こったりもして。


 光はいつも笑っているから。


 時々、苦しくなる。

 自分の了見の狭さに。自分の幼さに。


 自分も、彼の力になりたい。頼られたい。

 ……光と、対等でいたい。


 こんな風にグルグルと思っている自分がまた嫌で。仏頂面のまま半日を過ごしてしまった。

 そうこうしている間に、光は昼から仕事が入っていたようで午前の授業を終えたら早々に帰ってしまった。途中何度か光が声をかけてくれたけれど、碌な返事ができていない。図書館での事もあるし、きっと気を使わせてしまっただろう。


(ほんっっとうに俺ってガキ……)


 一度落ち込むとなかなか浮上できないのが咲太郎の悪い癖で。授業も中々身に入らなかったけれど、サボるという考えは微塵もないから真面目に授業を受けて帰路についた。




 向陽台高等学校はその名の通り、向陽台と言う高台に立っている。

 校門を出るとすぐに坂になっており、坂の下には大きな運動公園がある。地下鉄は公園の反対側にあるので電車に乗るには公園をぐるっと回らなければならない。もやもやした気持ちを抱えて、咲太郎は今日は早く帰ろうと公園を突っ切って行こうと柵を乗り越えた。しかしその行動がそもそもの間違いだったと、今の咲太郎は知る由もない。



 公園の垣根をかき分けていくと聞き慣れた声が咲太郎の耳に飛び込んできて咲太郎は硬直した。


「……なんでだよ……オレの事好きって言ったよね……?」


(え……?)


 それは確かに聞き慣れた声。

 でも、咲太郎の知っている彼とはかけ離れた内容。


 ……人違いかも、と思ったけれど、それは間違いなく光の声だった。


「今時あんなセリフ一つで信じてたわけ? 馬鹿じゃないの貴方」

「由香さん……!」


 頭に浮かぶ、今朝の出来事。


 立ち去らないと。今すぐここから。

 こんなの盗み聞きだ、聞いちゃいけない。


 頭の中で言い聞かせる。けれど足はまるで地面に縫い留められたように動いてくれなくて。話している二人の声と自分の心臓の音がやけに耳に響いていた。


 そのうち女性は「じゃあね」と立ち去り、茂みには静寂だけが訪れる。

 あまりにも静かで、咲太郎はそっと茂みの隙間から光の方を覗き見た。


 瞬間、咲太郎は一目散に駆け出していた。


 とにかく走って走って家に帰り、ただいまも言わずに部屋に駆け込んで扉を閉めてずるずるとへたり込んだ。心臓が、さっきよりも波打っているのを感じる。


 光はいつも笑っているから……なんて。


 そこにあったのは、光の苦渋に満ちた表情かお


 いつもの彼とは想像もできない顔で、彼は静かに泣いていた。



 同じ学年といっても、咲太郎は十七歳で光は二十歳。高校生にとって、その二年の差はなかなかに大きい。


 光は全く気にしていないようだったが、光を深く知れば知るほどその微妙な差は劣等感となって咲太郎の心をつついた。


 彼が自分の隙間を埋めてくれたみたいに、頼られたかった。光が苦しんでいたら助けたかった。


 けれど……


 実際彼の涙をみたらどうすればいいかなんて解らない。


 咲太郎は心の中に流れるこのドロドロとした感情がなんなのか、全く解らなくて一人俯いた。


【つづく】


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