第11話 きみと図書室。④
咲太郎の手を引き、カフェに入ってカウンターで珈琲を二つ頼む。出来上がった珈琲を受け取ると、さっきの学生にまた絡まれるのも嫌だったからお店の奥まった隅のカウンター席に座った。テーブルに珈琲を置いてからハッとする。
(ヤベ。咲太郎、珈琲大丈夫だったかな)
ムカムカした気持ちで頼んだから、咲太郎が珈琲が飲めるかどうか聞くのを忘れていた。慌てて謝ろうと光は咲太郎を見る。
「――ごめん」
光が謝るより先に、咲太郎の口から謝罪がこぼれた。
嫌な気持ちにさせたよな、と謝る咲太郎に、光は驚いて反論した。
「咲が謝ることなんてない! なんにも咲は悪い事なんかしてないだろ。謝るなよ!」
そう少し怒って言う光に、咲太郎は曖昧に笑って俯いた。膝の上でぎゅっと手を握ったのがわかる。
長い沈黙の後、ぽつりぽつりと咲太郎は話しだした。
「……俺、勉強が面白くて……頑張って中学受験して、
私立海成学園は中高一貫の名門校だ。都内でも有数の偏差値の高い学校であり、受験は狭き門ではあるが、合格すれば高校受験をすること無く高度な知識を大学に向けて学ぶことができる。
「入学してからも……本当に勉強が楽しくて、海成に入れて良かったって最初は思ってたんだけど……」
咲太郎は学べる事が全て楽しかった。質の高い教育、環境、全てが整っていた。咲太郎は特に塾には通っていなかったけれど、中学に上がって意欲がより湧いたせいか、ますます成績が上がって一年生の半ばには成績は常にトップを走っていた。
……けれど、光差す者がいれば影になる者もいる。
上昇志向が高くて、勉強を武器に勝ち上がってきた者の中には咲太郎をやっかむ者もいた。
最初は、ただの陰口だったと思う。
定期考査で咲太郎に勝てなかった者が「点数がいいからって調子にのっている」くらいの。
咲太郎はコミュ障と言うわけではなかったけれど、当時はとにかく勉強が楽しくて、夢中で本や机にかじりついていたから、自分を羨む人間がいるなんて思いもしなかった。
ある日、クラスのグループメッセージに『成宮は自分より成績の低いやつの事を影で笑ってる』と突然メッセージが回って来て、咲太郎は驚いて否定しようとした。
けれど、咲太郎が否定のメッセージを送る前に数人のクラスメイトがそのメッセージに『わかるw』等と同調の返信をした事で、咲太郎は怖くなって否定のメッセージを送る事が出来なくなってしまった。
特に誰かと仲良くしていたわけではなかったけれど、咲太郎は彼らになにかした事は無い。ただ、普通のクラスメイトだと思っていただけだ。
なのに、知らない内に数人に悪意を向けられてしまった事にショックを受けた。
都内有数の名門校だ。イジメなどに加担すれば将来の進路にも関わるし、別に咲太郎は殴る蹴るのイジメを受けた訳では無い。
ただ、グループメッセージにいわれの無い事を書かれた日から、咲太郎は完全にクラスの中で浮いてしまった。
グループメッセージで声をあげなかった他のクラスメイトは、自分に火の粉が飛んできてはかなわぬと知らぬ存ぜぬを決め込み、三年間クラス替えの無い学校だった事もあり、咲太郎は中学の三年間を一人きりで過ごす事になった。
「……別に、勉強するのに友だちは必要なかったから、授業さえ受けれれば良かったんだけど」
学内で何かされるわけではない。
けれど、グループ作業も修学旅行も、一応はメンバーに入っていても実際は咲太郎はいない者として扱われていた。
そしてメンバーの中に咲太郎が入っているのを解りつつ、時々グループメッセージで回ってくる遠回しな言い方の咲太郎への誹謗中傷は咲太郎の心を少しずつ削っていった。
それでも、せっかく入った海成学園。負けたくなくて成績は常に学年一位をキープし続けた。
……けれど、中等部ももうすぐ卒業という三年の秋。グループメッセージに『あいつアンドロイドかなにかじゃねーのww 心無いわw』と回って来て『それなw』と沸いたグループメッセージを見て、……咲太郎の心はついに折れた。
「……ちょうどその時、家でもちょっとメンタル落ちる事あって……高等部に行っても同じメンツかと思ったら耐えられなくて、……向陽台に受け直したんだ」
入り直した向陽台高校ではクラスのグループメッセージには入らなかったし、自分の連絡先も教えなかった。クラスメイトとは当たり障りなく、ちゃんと会話はするけれど、なるべく気配を消してきた。
学業の成績や順位が、個人のスマホに来るシステムなのも良かった。自分から言わなければ周りに順位が知られることもない。
極力目立つことは避け、大学に合格さえすればいいと思っていた。
けれど、
一人きりでクラスから浮いて食事をとる光に、過去の自分が重なった。
あの時、誰か一人でも声を上げてくれたら。
光もこの三年間一人きりだったのか?
自分も傍観者になるのか?
そう思ったら居ても立っても居られなかった。
咲太郎の独白に、彼の三年間を思ったら言葉にならなくて、光は何も言えず唇を噛んだ。
そんな経験をして、光に声をかけた時、彼はどんな気持ちだったんたろう。
凄く勇気がいったに決まってる。
「……俺、愛想ないから。もしかしたら知らない内に周りを嫌な気持ちにさせてるかもしれない。……ごめん」
いつもは光に毒を吐くくせに、咲太郎は無理矢理作った顔で力なく笑った。
膝で硬く握られた手が、小さく震えている。
光は握った咲太郎の手をそっと包むと、「咲」と小さく名前を呼んだ。
「――あの日、教室で声をかけてくれて、凄く嬉しかった。オレ、学校に来るのが咲のおかげで楽しくなったよ」
揺れる咲太郎に、届けと願う。
「咲が、オレを嫌な気持ちにさせたことなんてない。咲太郎は凄く優しいって、オレが一番知ってるよ」
咲太郎の目に滲んだ涙がゆっくりとその頬を零れ落ちるのを見て、光はたまらない気持ちになった。
カフェの隅で小さくなって声を殺す咲太郎の背中をさする。今日、咲太郎を一人でここに越させなくて本当に良かったと光は思った。
咲太郎はしばらくの間肩を震わせていたけど、ふぅーっと長い息を吐いて「俺、カッコ悪」と目元をゴシゴシとやる。
光はハンカチを差し出して、
「咲太郎はかっこ悪くなんか無い。オレが知ってる人の中で、咲は一番格好いいよ」
と言うと、「顔面偏差値の高い光にそう言われたら、ちょっと自信になるな」とやっと照れくさそうに笑ってくれた。
頼んだ珈琲はとっくに冷めて苦かったけれど、この日飲んだ珈琲の味は、光は一生忘れないと思った
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