第6話 やさしいきみ。①



「成宮くん、ちょっといい……?」


 視線を左右に泳がせながら、少し緊張した面持ちの女生徒に呼び止められた咲太郎はすぐに何事かを察した。


 彼女は確か――いや、名前は思い出せない。

 でも多分同じ学年の隣のクラスの生徒だ。


 咲太郎自身はこの高校三年間、こんな風に女の子に声をかけられたことはない。けれどお兄も読んで! と押し付けてくる妹が読んでいる漫画には同じようなシチュエーションはよくあったから、何故自分が彼女に声をかけられたのかはすぐにわかった。


 咲太郎は女生徒に気づかれぬように小さく息を吐いて、彼女の後をついて行った。



 *****  *****



「あー! もうわかんないっ!」


 ぐしゃりと答案用紙を握りしめ、机に突っ伏してくだを巻く光に、咲太郎と紺野は苦笑いで光の手から答案用紙を抜き取った。


「38点。赤点ギリギリですねぇ〜光くん」

 

 ちなみに俺、68点ねと追い打ちをかけられて、光は「紺野キライ」とジト目で紺野を睨む。


「英単語の書き取りも和訳も全部出来てるのに、なんで文法が壊滅的なんだ……?」


 咲太郎が困惑の表情でシワだらけの答案用紙を見た。


「お前さー、こないだドラマで英語ペラペラしゃべってたじゃん。雑誌のインタビューで英語喋れるって書いてあるの見たことあるぞ」


 なんだよ〜盛ってんのか? と突っ込む紺野に光は情けなく眉を下げた。


「セリフと勉強は別物ですぅ! 英語が喋れても文法はまた別の話だよ! ……日本語喋る時に形容詞がどこについて〜とか考えながら喋らないでしょうよ!」


 ちなみに英語を喋れるのは、小さい頃に海外在住経験があったりだとか外国人の友人がいたりするせいだが、そこに文法は必要ない。

 学校の教科において、唯一の得意科目になれるであろう英語でも実力を発揮できない光であった。


「顔が良くて、日本中のお茶の間の人気をかっさらってる上に頭までよかったらこっちがたまったもんじゃねーよ」


 なあ? と紺野が咲太郎に同意を求める。


「ちなみに成宮は何点だったん?」


 ひょいと咲太郎の答案用紙を覗き見る。そこには、95点の赤文字。


「え、スゴっ!」


 ちょっと他の教科も見せろよー! と咲太郎からむしり取ったテストノ答案用紙はどれも八十点以上だった。


「えー……、成宮、頭良いとは思ってたけど、お前スゲーなあ!」

「た、大した事ないよ。……勉強くらいしか、好きな事無くて」


 恐縮して言う咲太郎に光が喚く。


「もうダメだあ……みんな俺を置いて卒業するんだ……」

「「いや、勉強しろよ」」


 二人は同時につっこんだ。





 昼休み。昼食を終えて紺野は委員会の仕事に呼ばれ、咲太郎と光はテストの直しをしていた。どの教科もなんとか赤点は免れたが、どれも追試ギリギリの点数である。


「ほら、間違ってるところの解説載ってる所に付箋つけてやるから頑張れよ」

「うぅ……優しいぃ」


 半分泣きながらテキストをめくる。

 一人では解説を読んでもチンプンカンプンだった問題も、時折入れてくれる咲太郎のアドバイスにだいぶ救われていた。あまり抑揚のない落ち着いた声は、一見冷たく聞こえがちだけれど煩くなくてすっと耳に入ってくる。


 光はその声をもっと聞いていたくなって、「ねぇ、ここが解らないんだけど……」と咲太郎に質問をした。


「一ノ瀬―! なんか女子が呼んでるぞ―」


 不意に名前を呼ばれて顔を上げると、教室の入口で緊張した面持ちで手を握りしめている女生徒が立っていた。

 クラスメイトでは無いから多分他のクラスの生徒だ。光は立ち上がると「ちょっと行ってくる」と席を離れた。


「あ、あの……少しお話、いいですか……」


 教室の入口まで行くと、女生徒は顔を真赤にして消え入りそうな声で言った。

 光は彼女が何を言いたいのか察すると、「あー……うん、じゃあちょっと別の場所で話そっか」と彼女を連れて外に出た。



 あまり人の来ない校舎の影に移動して、女生徒に「話って何かな」と声を掛けると、予想通り彼女は震える手で手紙を差し出してきた。


 可愛らしい封筒に、光の名前が書いてある。一目で手紙だと解った。


「……ごめんね、こう言うの、受け取れない事になってて……」


 申し訳無さそうに光が言うと、女子生徒は目に涙を滲ませて首を横に振った。


「気にしないで! ……解ってたの、受け取ってもらえないことは。でも……あの、気持ちだけは伝えようって」


 そう言って彼女は深呼吸をすると、顔を上げて光を見た。


「一ノ瀬 光くん好きです!」


 彼女は一息でそう言うと、光が返事をする前に「ああ、すっきりしたぁ! ……聞いてくれてありがとう」と溢れてくる涙を拭いながら笑った。

 その姿を見て申し訳ない気持ちになる。


「ごめんね」


 こう言う状況ははじめてではないが、何度経験しても慣れはしない。中には慣れてしまって適当に断る者も、自分の立場を利用して付き合う者もいるのだろう。でも、人気商売である意味自分自身が商品でもある光には、手ひどく振ることも気持ちに応えることもできずに謝ることしか出来なかった。

 こちらも相手に好意を抱いているならまだしも、光自身が認識していない不特定多数の好意を無碍にする事は光にとって苦しい事でもあった。


 誰だって、人の泣いている顔は見たくない。


 少し眉を下げて謝罪する光に、彼女は笑って言った。


「謝らないで! 聞いてもらえただけでいいの。はじめから叶うなんて思ってないもの。……言えてよかった。

 ……言わずに諦めようと思ったけど、成宮くんが、ちゃんと自分の気持ちは自分で言った方が良いよって言ってくれたから……」

「え……?」


 思いがけない人の名前が出て来て目を見開く。


「咲が……なんて?」


 光は咲太郎の名前が何故ここで出てくるか解らず、思わず聞き返した。女生徒は、ちょっと言いにくそうにしながらも、昨日咲太郎と交わしたやり取りを教えてくれた。


【つづく】

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