第5話 きみはともだち。②



「……やってしまった……」


 休み時間、こってり絞られた上にたっぷりと課題を机に積まれて肩を落とす。

 現国担当の担任は生徒をよく見ていて、わりと皆に人気があるのだが、その廣瀬教諭に「成宮に教えてもらうのはなしだぞ―」としっかり釘を差されてしまった。

 光は悲壮な顔をしたが、「次の時間は自習だし、ちょっとは大人の矜持きょうじを見せなさいよ」と言われてしまえばぐうの音も出ない。

 咲太郎が憐れみの目を向けていると、男子生徒が急に近寄り二人に声をかけてきた。


「いやー、面白かったわ! 一ノ瀬って割と面白いんだな」


 突然話しかけられて咲太郎はドキリとする。


「そりゃ、どうもぉ……ええっと……」


 残念ながら光はすぐに名前が出てこず言い淀む。声をかけてきた生徒は光のその様子に特に嫌な顔もせず、人好きのする顔でニカッと笑った。


「あ、俺紺野こんの紺野こんの 翔真しょうま


 よろしくーと軽く挨拶をして、咲太郎の方にも向き直った。


「成宮とは一年の時同じクラスだったよな。覚えてる?」

「……あ、うん」


 気さくに話しかけてくる紺野に少々戸惑いながら、咲太郎はなんとか曖昧な笑顔を返した。


「一ノ瀬ってあんまり学校来ねーし、超絶美人な上にいつも寝てるから、なんか話せねぇかもって思ってたけど、さっきので大分印象変わったわ―。最近良く成宮とも喋ってるよな?」


 成宮が喋れるんなら俺も喋れるかなーって勇気出たわ、と言われて咲太郎と光は顔を見合わせた。


「なんだそれ」

「ねー」


 三人で思わず笑う。

 三年生になってから、朝の挨拶以外殆どしなかったクラスメイトと会話が、驚くほど自然に弾んだ。


「……っ、いた……」


 不意に光が顔をしかめて俯く。


「どうした?」


 左手で目の上を押さえた光に怪訝な顔をする。


「いや、笑ったら頭に響いた。ちょっと頭痛がしてて」


 はっとしてよく顔を見ると、朝よりも青白い顔色をしていた。


「早退すれば?」


 どうせ今も自習だ。課題は家でやってくるしかないが、いてもいなくてもさして変わりはしないだろう。


「ん。でも明日仕事で学校休まなきゃいけないし、今日の授業はなるべく出ておきたくて……」


 マネージャー、夕方まで今日は来ないし、と青白い顔で笑う。とりあえず頭痛薬でも貰ってくるかなぁと立ち上がった所で、光の体がぐらりとかしいだ。


「おいっ!」


 咲太郎が思わず腕を伸ばす。


「ご、ごめん、ちょっと立ち眩み」


 咲太郎に支えられ、机に手をついてなんとか倒れるのを回避する。「大丈夫、大丈夫」とへらりと笑う光に咲太郎は思わず声を荒らげた。


「お前、もう帰れよ! 今日は寝ろ! 一回くらい仕事休んだってどうってことないだろ!」


 急に怒り出した咲太郎にぽかんとする。紺野は「いや、そんなに怒らんでも」と二人の間をオロオロしたが、咲太郎の真剣な顔を見て光は目元を柔らかく緩めた。


「……ありがと。咲は心配してくれてるんだよね? 自分の自己管理不足だから何も偉そうな事は言えないんだけど……。仕事休むと色んな人に迷惑かかるしさ、自分で決めてやってる事だからきちんとしたいんだ」


 大丈夫、薬飲んだら楽になるから。でも咲の忠告聞いてこの時間は寝てくるね、と咲太郎の肩をポンポンと軽く叩いて教室を出ていった。


 取り残された咲太郎は、


「……子ども扱いすんな……」


 と小さく呟いて、光が触れた肩を苦虫を噛み潰したような顔でぎゅっと握った。

 一連の流れを一緒に見ていた紺野は光に別の感情を持ったようで、感心したように口を開いた。


「……なんて言うか、やっぱり一ノ瀬って大人なんだなー」


 かっこよ。プロって感じするよな? と話を振られたけれど、咲太郎は正直仕事をしている光を見たことはないし、別に光が格好いいかどうかなんて関係なかった。


 ただ、いつもヘラヘラとしている光が、仕事についてはっきりと自分の意志を述べたことにチリチリと刺すような小さな胸の痛みを感じて、咲太郎は紺野にそうだなと首を縦には振れなかった。






 放課後、頭痛薬が効き無事に今日の授業を最後まで受けることが出来た光は、マネージャーの車で仕事先に向かっていた。

 車のラジオからは、三番目の兄がプロデュースした流行りの曲が軽快に流れている。


「……ごきげんだね?」


 気がついたら、鼻歌交じりに口ずさんでいたようで、マネージャーがバックミラー越しにたずねてくる。

 光は鼻歌を止めるとやんわりと口の端を持ち上げた。


「今日さ、めちゃくちゃ調子悪かったんだよね。そしたら友だちに、ちゃんと休めって怒られちゃった」


 すごい剣幕で真剣に叱られちゃったよ、と笑う。


 マネージャーはおや、とバックミラーを見る。


「……叱られた割には嬉しそうだね」


 このマネージャーは、光が芸能界に入った時からの付き合いだ。彼の声は、何故光が嬉しそうにしているか全て解っている声色だった。


「うん。最近、休みたくないな、と思うくらいには学校が楽しいよ」



 ――光は大人びた子どもだった。


 子役でこの世界に入ると、皆がちやほやすることもあり、我儘に育つ子役もいる中でよく周りを見ることのできる手のかからない子だった。


 だからこそ、光の家族は彼を学校と言う枠にあえて入れようと思ったのだろう。


 ただ、仕事で多忙を極める彼に、仕事と学校を行き来する生活は負担に思えた。実際に、最近まで彼自身も負担だと思っているに違いなかった。


 ――けれど。


 光の口から、『友だち』なんて単語が出たのは何年ぶりだろう。

 その横顔は、ちゃんと高校生に見えた。


「……よかったね」


 光の家族の方針は間違いではなかったのだなあと、車窓を流れる外の景色を眺める光の横顔を見て、マネージャーはハンドルを握り直して再び前を見たのだった。


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