第4話 きみはともだち。①
咲太郎の通う私立
学校のすぐ下には大きな運動公園があって、その裏手にある坂道を登ると校舎が見えてくる。
坂の脇には桜の木が道なりに植えられていて、入学式の時期にはそれはそれは綺麗に薄紅色の花が咲き誇っていた。
今はすっかり桜は散り、青々とした葉が風に揺れている。
満開の桜も確かにいいけれど、新たに芽吹いた葉がいきいきと揺れる姿も好きだな、と思いながら
運動部に所属していない咲太郎は本来こんなに朝早く学校に来る必要はない。
それでも、誰もいない教室でクラスメイトが集まるまでの僅かな時間にめくる英単語帳は頭の中によく入ったし、この時間が咲太郎は嫌いではなかった。
そして最近、この時間に咲太郎が来る理由に、もう一つの理由が追加された。
(――いる)
教室のドアを開けると、まるでドラマのワンシーンのように、咲太郎の席の隣で眠る友人の姿を見つける。
咲太郎は彼――
色素の薄い栗毛の髪に長いまつ毛。
眠っていてもまるで一枚絵のような完成度で彼はそこに収まっている。
寝息を立てて眠る光に、咲太郎は起こすか起こすまいかしばし迷ったが、放っておくと確実にホームルームの時間まで起きないのは目に見えているので容赦なく彼の頭に手を振り下ろした。
ゴンッと小気味よい音がする。
「……ったぁ……?」
いきなりの衝撃に、無理矢理夢の世界から引き戻された光はまだ寝ぼけた目で咲太郎を見上げた。
「おはよう」
咲太郎が抑揚のない声で挨拶する。光は叩かれた頭を擦りながら「いちいち叩くの止めてくれる?!」とぼやいた。
「……お前ってさぁ……あんまり学校来ないくせに、来る時異常に早いな」
咲太郎が呆れてそう言うと、
「学校に来たって事実が大事なんだよ。それに、途中で仕事が入って抜けないといけなくなったら勿体ないだろ」
と訳のわからない理由を言って、
「早く来ても寝てりゃ一緒だろ」
と、咲太郎はド正論をお見舞いした。それはそうなんだけどさぁ、と光が唇を尖らす。
咲太郎の妹によると、俳優 二階堂 ヒカルは二十歳ながら抜群の演技力で子役時代から活躍しており、大人っぽい立ちふるまいとマスコミやファンへの対応で若い女性からお年寄りまで幅広く人気があるらしい。
だがしかし、咲太郎が知っている光はどちらかと言うと二十歳ということを忘れるくらいには子どもっぽい。
いや、顔面は確かにびっくりするくらい整っているのだが、
「あ、そう言えばお前、今日の現国当たるぞ」
昨日の授業の進捗状況を思い出しながら咲太郎が指摘する。
「えっ?! ウソっ! どこだよ?!」
「あー、確かここと……ここ」
「うへぇ……マジかぁ……」
形の良い眉をハの字に下げて渋々テキストを開く。ホームルームまでの間にもう少し寝られると踏んでいた光は情けない声を上げた。
「予習しとかねぇからだろ、馬鹿」
現代国語の教科書で軽く光の頭を叩く。光は「そんな事言ったて~」とボヤいたが、泣いた所で現実は変わらないので目の前の課題に取り組み始めた。
咲太郎は嘆息しつつ、しっかりと予習をしてきた自分のノートを光に貸してやろうとカバンから取り出して彼の方に向いた。
「――お前、なんか顔色悪くないか?」
元々色の白い光だが、今日は白いを通り越して少し青白く感じる。
「うーん、そうかも。昨日の夜深夜ラジオに出ててさ。あんまり寝てないんだよね」
そう言って問題を解きながらあくびを噛み殺す。咲太郎はさっき光を無理に起こしたことを少し後悔した。
「……大丈夫かよ」
「んー? 大丈夫だよ。寝不足はいつものことだし」
咲太郎がノートを渡すと「咲ちゃん神様!」と破顔して受け取る。
「……あんまり無理するとハゲるらしいぞ」
心配してる、とは何故か素直に言えなくて、つい軽口を叩いて返す。
「怖いこと言わないで! 気にしてるんだから!」
光の悲鳴のような声に思わず笑って、その場は何事もなく過ぎていった。
一限目。授業が始まった途端、すでに光はこっくりこっくりと船を漕ぎ始めていた。
朝の一件もあって、そのまま寝かせてやろうかとも考えたが、いつも寝ていて授業内容がわからないと嘆いているのは他でもない光だったので、ペンケースから消しゴムを取り出すと小さく切って光の顔に飛ばす。咲太郎の放った消しゴムは、見事光の顔に命中して床に落ちたが、光は少し顔を歪めただけで起きはしなかった。
咲太郎はなんとなくムッとして、今度はボールペンを取り出すと光の頭めがけて投げた。
「あたっ……!!」
「どおしたー? 一ノ瀬〜」
担任の
「……投げないでよ~」
ボールペンを返して小声で抗議すると、
「寝てるお前が悪い」
と返ってくる。「それはそうだけどさぁ」とぶちぶちと文句を言ったが、仕方なく前を向いて真面目に授業を受けた。
……しばらくすると女子の間からクスクスと笑いが漏れてきた。咲太郎は怪訝な顔をして顔を上げると、皆自分の方をチラチラ盗み見て笑っている。
一瞬心臓がぎゅっと掴まれたような気持ちになったけれど、はたと隣を見て理解した。
さっき起こしたはずの光が、シャーペンを握りしめたまままた船を漕ぎ始めていたのだ。
「いちのせー」
流石に廣瀬が気がついて声を掛ける。
「おい、光……ひかるっ!」
咲太郎は焦って光を小突いたが全然起きやしない。
「一ノ瀬! 起きろー!」
廣瀬教諭は持っていた板書用のペンを光に向けて投げた。周りの生徒は察して素早く避け、野球部顧問の担任が投げたペンは見事に光に命中してスコンと音を立てて床に転がった。
「いったぁ!!」
クラス中が笑いの渦に巻き込まれる。
「あ、あれ……?」
周りを見渡して、光はやっと起きてきょろきょろとあたりを見渡した。
咲太郎は耐えきれずにがっくりと顔を机に突っ伏した。
【つづく】
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