第2話 きみはひかり。



 咲太郎さくたろうにとって学校は『勉強するところ』だった。


 昔は単純に学ぶことが好きで。

 テストでいい点をとれたら楽しかったし、やったらやった分結果が出るのが面白かった。

 中学受験をしたのも、もっと学びたいと言うワクワクとした気持ちがあったと思う。


 友だちなんてものは、自然にできるものだと思っていた。


 能天気に勉強が楽しいだなんて、そんなことを思っている人間は少ないのだと、テストの順位が上がるたびに殺伐としていく人間関係に気づいた時には『友だち』の意味がよくわからなくなっていた。


 高校では、息を潜めてただ目立たぬように、当たり障りのない会話をして自分のことはあまり話さずにやり過ごす。

 面白みはないけれど痛みもない。

 ちゃんと勉強だけはして、あとは大学に入れさえすればその後はきっと一人で生きていける。


 人生の中のたった三年の一通点。通り過ぎればいいだけだと、確かに最近までは思っていた。





「……え、お前二十歳はたちなの?」


 昼休み。


 いつものようにパンを頬張りながら向かいの男を見る。


「うん。そうなんだよね……ははは……」


 ひょんなことから行動を共にすることの多くなった本物の芸能人、一ノ瀬いちのせ ひかるは明後日の方向を向いた。


 確かに、周りの連中と比べると大人っぽいなとは思っていたものの、見た目を売りにしている芸能人ならそんなものかと気にもとめていなかったが、まさか二十歳だとは思っても見なかった。光は乾いた笑いを浮かべる。


「いやぁ……、一年の時さ、映画で海外ロケがあって……三ヶ月。それで出席日数が合わなくなってあえなくアウト。二年の時も映画とドラマ撮りでクソ忙しくて出席日数たんなくてさ。お目溢しの進級テストも散々でダブり坊主だったの」


「……なかなかユカイな人生送ってんな」


 咲太郎の感想に光が苦笑する。光は今年こそは卒業したいなぁと笑った。

 そんな光の顔を見て、咲太郎は半ば呆れて彼を見た。


 光とつるむようになって解ったことだが、彼の生活は本当に忙しい。

 学校に週に三日まともに来ればいい方で、あとの二日は大体午後の授業は早退するか、酷い時は朝来て授業が始まる前に予定が変更されて帰ることもある。

 しかも彼はすでに成人しているので、深夜に仕事が入ることもあって授業に出ていても殆ど寝ている始末だった。


「なんで学校やめないの?」


 へとへとになるまで仕事をして、体を酷使して、学校には寝に来ているようなものだ。どうせなら仕事一本に絞った方が彼のためにもなる気がする。光はヘラっと眉を下げた。


「いやぁ……。俺、年の離れた兄貴が何人もいて、割と芸能関係の仕事してる人が多いから……気がついたらやってたって感じなんだけど……この先どう転んでもいいように親が高校だけは出ておけって言うから……」


 俺もこの生活は実際キツイよと笑う光に、正直理解できない、と咲太郎は思う。


 咲太郎はあまりテレビを観ないから、光がどれだけ有名なのかはよく知らないが、新しい人が出てきたりあっという間にいなくなったりする世界だ。なんとなく、で通用する世界ではないだろう。

 どちらかに専念する方が明らかに効率がいい気がするし、人生設計も立てやすいのではないかと思う。


「この先ちゃんと自分でどうしたいか考えとかないとさ、困るのお前じゃないの」


 購買のあんぱんをかじりながら呟くと、光は目を丸めてきょとりとした。


「……さくは大人だなぁ……咲の方が年上みたいだね」


 心配してくれて有り難うと笑う。


「まあ、確かに仕事一本の方が楽なんだけどさ。俺、子供の頃から芸能界にいるから、兄貴が絶対に普通の学校行っといた方がいいって」


 ここ、兄貴の母校なんだよねと言いながら頬杖をついて綺麗に光は笑った。



「高校に入った時はさ、物珍しさもあって話しかけてくる人もいたんだけど、あんまり学校に来ない上に毎年落ちてるだろ?」


 気がついたら周りに知ってる人がいなくなってて、歳も違うし話しかけにくいみたいで。

 咲が声をかけてきた時はほんとにびっくりしたよねーとへにょりと眉を下げた。


 やはり年上のせいか普段は大人っぽいのに、眉を下げて笑う顔は気が抜けていて幼く見える。国宝級の美形の笑顔は男の咲太郎の心拍数も上げるから末恐ろしい。これは周りが騒ぐのもわからなくは、ない。


 落ち着け心臓。キモいぞ俺。と呪文のように心のなかで念仏のように唱えて平常心を取り戻そうとする。


「でも咲は凄いよね。しっかりしてるし、頭いいよね? 二つも年下なのに兄貴と喋ってるみたいだもん」


 二番目の兄貴がすごく頭が良くてさ、ちょっと似てるんだよねー、と光がケラケラ笑う。

 光の塊のような彼に、まさか凄いなんて言われるとは思わなくて咲太郎は動きを止めた。


「別に……ふつーだよ」


 なんとかそう返す。

 光は俳優だから、作った表情なんてお手の物だと思うのだけれど、これが演技だったら本当に化け物だと思うくらいに飾り気のない柔らかい顔で、


「いーや、咲は凄いよ」


 とまるで眩しいものを見るかのように目を細めた。


「……」


 落ち着いた心臓が、またトクトクと鳴り出す。


「……そういう事言ってると、タラシって思われるぞ」


 咲太郎の忠告に、光は「えっ! 酷い!」と情けない顔をする。


 窓から入ってきた四月の風が、少し火照った咲太郎の頬を撫でていく。

 窓の外は春の陽気で、校庭の隅の花壇には色々な色の花が咲いている。毎年同じ風景を見ているはずなのに、今年はやけに色鮮やかで。


 前に座る彼に当たる窓からの光が眩しくて、咲太郎は何故か直視できずに頬杖をついて窓の方をぷいと向いた。



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