第53話

野々村から聞いていた杏子とはずいぶん違っていた。

目の前にいる杏子は小さく、とても弱く見える。


「杏に、会わせて」


「それはできない」


「・・・おねがい。会いたいの」


二人の会話は、平行線をたどるばかりだった。




「どうしたものかな・・・」


やれやれと行った顔をして、キッチンでアサトがため息まじりに月子に話す。


「野々村さんが、今まで頑張って一人で杏ちゃんを育ててきたっていう思いも痛いほどわかるし。

杏子さんが杏ちゃんに会いたいっていう気持ちもわかるな」


月子がポツリと言う。

すっかり彼女まで滅入ってしまっている様子だった。


「うん。僕が見ていて思ったのは、

あの二人、嫌いじゃないよな。

杏子さんのいう事が本当なら、

野々村の誤解で夫婦仲が冷え切って、

彼女がつらくなって、別れた?

という感じに聞こえるんだけど・・・」


「私もそう思った。

野々村さんは嫉妬するぐらい杏子さんを好きだったんだなって」


二人は「はっ」として顔を見合わせた。


もしかしたら・・・



二人がテーブルに戻ると、少し冷静になった二人が話をつづけていた。

しかし、先ほどとは何か雰囲気が違う。


化粧室から戻ってくる杏子に、


「あの。杏子さん。もしかして、バレエ、

もう踊らないんじゃなくて、

もう、踊れないんじゃ、ないですか?

あなたの足・・・」


月子が思い切って杏子に聞いた。


「えっ!?」


野々村が驚いた顔をして杏子の顔を見る。


「・・・ええ。さすがですね。そうなんです。

もう私の足は、踊ることはできません。

去年、怪我をしてしまって・・・夫と子供を捨てたからバチが当たったんですね」


そう言うと、杏子は再び静かに泣き出した。


ひどいショックをうけた様子で、野々村が何も言えずにいると、


アサトが野々村の肩を叩いて目配せした。


(あとは、自分でやれるよな・・・)



二人は奥の、杏が眠っている部屋に消えることにした。


「しかし、良く眠っているな・・・」


アサトが杏を見ながら、不思議そうにつぶやく。


「ほんとね。向こうの部屋にパパとママがいるのも知らないで」


「パパとママか・・・あの二人、見てるとお似合いだよ」


アサトがフッと苦笑した。

月子も微笑みながら、


「ほんとうね。なんとか杏ちゃんのためにも、

仲直りしれくれないかな。

せめて杏子さんがたまには杏ちゃんに会えるようにならないかなー」


「・・・」


アサトは黙ってスヤスヤと眠る杏を見ていた。



しばらくすると、野々村が部屋をノックし杏を連れに来た。


どうやら杏子との話は終わったらしい。


まだ眠そうに目をこすっている杏を抱き上げると、

リビングにいる杏子のもとに連れて行った。


杏は杏子を見ると、

(だれ?)という様子で月子や周りの人間の顔を不思議そうに眺めていた。


「こんなに・・・おおきくなって・・・こんにちは。杏ちゃん」


杏子が杏の顔を覗き込む。


野々村が、


「杏・・・ママだぞ」


「?」


杏は不思議そうな顔をして野々村の顔をみたあとに、

目の前にいるママと言われた女の顔を見た。

杏子は笑顔で泣いていた。


杏は彼女の広げた手におそるおそる近づくと、

おとなしく抱っこされた。



「・・・どうもありがとうございました」


野々村が僕たちに深々と頭をさげる。


「いったい・・・どうなったのかな?」


アサトは腕を組みながら一部始終をみていたが、


「バカみたいな話に巻き込んでしまって申し訳ありません。

僕たち・・・少し歩み寄ってみることにしました。

杏の為にも・・・」


「あははっ!そっか。それは良かったな。やっぱりな」


少し照れている野々村に向かって、アサトが嬉しそうに笑いかけた。


「へっ!?野々村さん、杏子さん?」


月子も胸に手をあてて(信じられない!)と驚いている。


「はい、月子さん。ほんとうにありがとう。

そういう・・・ことです。本当にすいませんでした」


もう二人には何も言うことはなかった。


アサトと月子は、いったいこの二人がどういう話の展開でそういう結論になったのか、さっぱりわからなかったが、

ホッと胸をなでおろした。

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