第38話

体調もだいぶ回復し、月子はいつものように稽古を終えると夕暮れの道を歩いていた。

それにしても、昼間のアサトからの電話。

大丈夫、何でもないとは言っていたけれど、なんか様子が違っていた。酔っていたからとかではなく、いつもと違う声のトーン。「なんでそばにいないんだ」という言葉。


(アサト、何があったんだろう。仕事のことかな)


「ううっ、さむっ。今日はお鍋にしようかなー」


「浅井さん!」


背後から声をかけられて振り向くと毅彦だった。


「あ、野々村さん。お疲れ様です」


月子の姿をみつけて走って来たのか、毅彦は少し息をはずませている。


「もう調子は良いみたいですね。安心しました」


「はい。ご心配をおかけしました、もう大丈夫です」


「・・・」


何か言葉を考えている様子の野々村。指で頬をポリポリと掻いて、月子を見下ろしている。


「・・・?」


(野々村さんなんか私に用事があったのかな?)


「あの、もし良かったら食事でもどうですか?迷惑じゃなかったら。今日寒いから鍋食べたいなって思ったんですけど、良かったら」


(は?!この人、エスパーかしら?お鍋って、あははは)


(お鍋食べたいな。行っちゃおうかな、男性だけど、同僚だし。アサトも食事ぐらい許してくれるよね)


「・・・はい。私もお鍋食べたいなって思ってたんです。行きましょうか」


「えっ、ほんとですか?てっきり断られるかと思いました。旦那さんに叱られないかな」


そう言いながらも毅彦は嬉しそうに歩き出した。


「はい。大丈夫ですよ。そんなに私過保護にされてませんから。事後報告ということで」



(しかし、ほかの男の人とお鍋をつついているなんて、なんか変な気分)


野々村のお薦めだという料理屋の一室で、湯気のたつ鍋を挟んでいる。話すことに困ったらどうしようという不安があったが、野々村とはバレエの話や食べ物の話、なかなか月子と話が合うようで思いがけず楽しい時間となった。


「で、旦那さんはまだ海外ですか?寂しいですね」


「ええ。でも、年末には戻ってくる予定なのでもう少しです。ほんとこのおダシ美味しいですね。ふふふ」


「じゃあ、公演は見に来れるんですね、それは良かった」


「はい。見てほしいような、見てほしくないような。複雑ですけどね。もぐもぐ」


「・・・月子さん、いや、浅井さんは、見た目以上に良く食べますね、安心しました」


「っあぅ。す、すいません。私ったら。あ、それに、私の事は月子でも何でも呼んでください。よかったら。もぐもぐ」


「いや、やはり鍋は一人より二人のほうがおいしいですからね。それと、僕の事もよかったら毅彦と呼んでくれて構いませんよ。それはないか。あはは」


(へ?毅彦・・・さん。とか、呼んじゃう?それはなんか呼びづらいな。なんか野々村さんって思ったよりもずっと温ったかそうな人なのね。って、全然食べてないじゃん、まあいいか)


「良かったら、またたびたび食事しませんか?お互い今は一人ってことで。変な意味は・・・ないですよ」


「はい。喜んで。野々村さんは美味しいお店たくさん知ってそうですもんね。私で良かったら、また誘ってください」


「月子さんにはちゃんと食べてもらわないと、公演前に倒れられたら僕が困りますからね」


そう、ニコリと言いながら鍋を取り分けてくれる野々村。


(ああ、もしかしてこの人は、わたしが一人だと食欲落ちて食べないのかも、とか心配してくれて誘ってくれてるの・・・かな)


「あの、野々村さんは、私と食事とかして怒っちゃう人とかはいないんですか?すいません、よけいな詮索ですね」


少し考えてから野々村は、


「んー、いると言えばいるかな。いないと言えばいないかな」


「ええええ、なんですか、それ。謎ですね。野々村さん実はご結婚なさってる?とか?」


「いや、月子さんには本当の事言っちゃおうかな。実は僕はバツイチでしてね。娘が一人いるんですよ。4歳です」


彼は目を細めて恥ずかしそうな笑顔をみせる。


「ええええええ!そうなんですね!知らなかったです!4歳とか可愛くてしょうがありませんね」


「ええ、可愛いですね。普段は近くの実家で両親が面倒を見てくれているんです。僕よりも懐いちゃって。ははは」


「そうなんですね。そうなんだぁー」


月子がやたら感心していると、


「月子さんは、子供とか好きですか?」


「はい、子供は大好きですよ。癒されますよね」


「別れた妻とはNYのバレエ団で知り合ったんですけど、子育てよりまだまだ自分でやりたいことがあるらしくて、僕が帰国する際に子供を引き取ったんですよ。でも今は娘と一緒で本当に良かったって思ってますけどね。すいません変な話しちゃいましたね」

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