第36話

「・・・わかっています。奥様以外は考えられないんですよね。当たり前ですよね、あんなに可愛くて素敵な奥様ですもの・・・」


ナイトのグラスの氷がカラリと音をたてた。

ソファで前かがみになり、ひざの上で両手を組む。

そして、ゆっくりと言葉を選ぶようにつづける。


「月子と、彼女と出会う前の僕は、正直とんでもない男だったよ。

毎日服を着替えるように何も考えずに女性と付き合ってた。

でも、誰のことも愛していると思えたことはなかったんだよ」



「はい。わかっています。ほんとうにすいません」


「・・・で、君は、どうしたいの?」


僕は思い切って彼女の気持ちを聞いた。


「えっ?どうしたいって・・・なにも、ありません。

お酒の力を借りて、ナイトさんに告白してるだけ・・・

それでナイトさんに軽蔑されるかもしれませんけど。

こんな気持ちじゃ、苦しくて。


ナイトさんは大切なクライアントなのに、

公私混同で、申し訳ないです。


でも、黙っていられない性分なんです」


「僕は君を軽蔑なんかしないし、君を人間として好きだし、

右腕としてそばにいてほしいって思っているよ」



「・・・人間として・・・か。やっぱ、そうですよね。


ナイトさん。


もし・・・私が一度だけでいいから抱いてほしいって言ったら、

そしたら・・・抱いてくれますか?」


もう酔った勢いだと、視線をナイトに向けた。





彼はしばらくグラスの中を見つめていた。


そして、何かを決したような顔をユウカに向けた。


「ユウカ・・・君はとても魅力的だから、君を抱くことは簡単だよ。


けれど、今僕が君の気持ちを受け取って、君を抱くってことは、僕もそれなりの覚悟をもつってことなんだよ。


僕は、妻と君を同時に失うことになるだろう。


君の立場で僕に「抱いてほしい」って言うってことは、

そういうことなんだよ。わかるよね?


ゲームや遊びは無しだ。


それでも君が望むなら、命をかけて君を抱こう」


そう言うと、ナイトは、

ユウカが今までに見たなかで、

一番真剣で、一番セクシーで、一番やさしく、一番寂しいまなざしを彼女にむけた。




ユウカの瞳から涙が溢れてきた。


(ああ、わたしったら、なんてバカなんだろう。今の言葉は心に刺さった)


「・・・ナイトさん!ごめんなさい!

私、ほんとうに浅はかでした。

お酒の力を借りて、あなたの気持ちや日ごろの努力は無視で、

自分の立場も考えないで、色仕掛けであなたを試したりして。

ほんとうに最低です。申し訳ありません!」



・・・私のバカな申し出に、彼は真剣に答えてくれた。


私がここでドレスを脱いだら、彼は嘘偽りなく私を抱いただろう。


命をかけるって・・・私にはそこまでの価値も覚悟もない。


当たり前だけど、ナイトの家庭も仕事もぶち壊そうなどとは、到底思っていなかったし、

もっと軽く、一生の思い出にナイトさんに抱かれてみたい。


そんな気持ちで、そこらへんの男に言うみたいに口にした。


私はとんでもないことを言って彼を悩ませ、傷つけてしまったんだ。


本当に、自分の軽率さが嫌になる。


私が底なしにへこんでいると、


「ユウカ。君は悪くないよ。僕に対する自分の気持ちを勇気を出して言ってくれて、びっくりしたけど嬉しかったよ。

だから、僕の答えにも嘘はないよ。


もうわかったよね?僕は君とこれからも良い関係をつづけていきたいと、思っているんだよ」


こんな私にそこまで言ってくれるなんて。私はフラれているのに、ものすごく優しい言葉で。


「私、もっとあなたのそばにいたい、あなたの力になりたいって・・・思っちゃってます。いいんでしょうか?」


「ん・・・ぼくは、ズルくて欲張りだからな。

君が好きだよ。君も僕が好き。

実は仕事のパートナーとしての相性は抜群なんじゃないかな」


「・・・ナイトさんは勝てません。

私の事、人間として好きだと思っていてくれて、

抱けないわけじゃなくて、ある意味幸せなのかもですね。ううう。

あ、バカなのかな私。思考回路がおかしくなってきました」


ナイトは足を組みなおすと、ユウカに微笑し、


「君は、ほんとうにクレバーで素敵な女性だよ。

僕は君を必ず守るし、君の幸せを誰よりも祈っている。

それより、君のことを僕よりも思っている男がほかにいると思うんだけどなぁ」


「えっ、どこにですか?!

私を想っている人なんていませんよ、ぜんぜん思いつきませんし。いたら教えてほしいですよ」


(あなたが一番素敵ですよ!もう、私ったら、一層ハートを鷲掴みにされました、ほんとに)


こんな感じでユウカはナイトの前でみごとに自爆した。

でも気持ちを知られた以上、もうウジウジ悩まなくても、なんとかやっていける。

と、ユウカは思っていた。

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