第29話

数日後、いつものように朝早く稽古場に入ると、野々村が登場した。


さっそく、月子が自分のパートを踊ろうとスタンバイすると、

毅彦は月子の隣でポジションをとった。


「えっ?」


一瞬、月子は戸惑ったが、曲が流れ始めたので意識を集中させた。


右手を伸ばす。

本当なら、ここでパートナーが手を取り、二人で踊りはじめる。


今日もてっきり、野々村の踊りを想像しながら、自分のパートだけを踊るつもりでいた月子は、

ふいに、右手を取られて驚き、毅彦の顔を見た。


彼は、何事も無いかのように、涼しい顔で当たり前のように踊り始める。


(えっ、今日は二人で踊るとか?

そ、そうなんですね・・・ううう)


考える間もなく曲が進んでゆく。


いつも一人で踊っていた通りに、月子は集中して踊る。


彼女の動きに合わせるように野々村も踊っている。


最初に一緒に踊って以来、二人で踊るのは2回目だったが、

はじめに感じた強引さも、違和感も無くなっていることに、月子は気づいていた。


もう何度も一緒に踊っていたかのように、スムーズにパートが進んでゆく。掴まれる腕ももう痛くない。


毅彦は、何日もずっと月子のダンスを観察していた。


どのぐらいの力加減で踊ればいいのか、

彼女の動き一つ一つを客観的に見ながら、自分の動きを合わせるイメージを作り上げてきた。

リフトで持ち上げる時の力加減、角度、降ろしたときの衝撃を和らげるには・・・

とにかく、野々村は月子の動きの一つ一つを頭に叩き込んだ。


(野々村さん、私の踊りの癖とか、色々なことを分析していたんだ・・・)


彼は、つぎの月子のポジションで確実に彼女の身体を受け取りとり、案転感のあるホールドをしてくれた。


月子はのびのびと自由に踊ることができた。

踊り終え、月子が何か言おうとすると、


「上出来だ。浅井さんはこのままで良いと思います」


と、月子の顔を見て、初めてまともな言葉を発した。


「あっ、ありがとうございます。

こういう練習の仕方、初めてで、少し不安でした。

あ、すいません。不安というか・・・」


月子が、言葉を選びながら話そうとしているのを、野々村は息を整えながら、クールな眼差しで見ている。


次の瞬間、野々村が笑い出した。


「ふっ。そうでしたか。それはすいませんでした。

僕はいつもこのやり方なんで、てっきり浅井さんはご存知かと思っていました。

一緒に踊りを合わせることよりも、相手の癖や動きを徹底的に観察すると、案外、うまくいくんですよ。

イマジネーションはとても大切ですから」


「そうだったんですね。すいません。

こちらこそ、何も知らなかったものですから。

確かに、ずっと野々村さんの動きを見させていただいていたせいか、いつの間にか動きが頭に入っていたんですね。


野々村さんのあの動きの時、私はこうして、ああして、とか、

いつもイメージしていましたから。とても勉強になりました」


月子は、少しホッとして野々村に礼を言い、嬉しそうな笑顔を見せた。


「ダンサーは100人いれば、100人とも踊りが違いますからね。

女性の動きがそれで良いと思ったら、あえて、僕に合わせてもらうような指摘はしませんよ。

僕が、女性に合わせていけばいいんですから。

浅井さんは全力で踊ってください。力加減は僕が調節しますから」


じゃあ、また明日と言い残して、毅彦は稽古場を出ていった。


バレエダンサーでも、色々なタイプがいるのだなと、

月子は思った。

以前に踊った省吾のように、お互いのダンスをじっくりと合わせていくタイプもいれば、

野々村のように、女性に自分を合わせていく人もいるのだ。


しかし、全く、訂正や指摘されないのも、少し不安は残ったが、とりあえず、合格点はもらえたようだ。

そして、初めて、野々村が何を考えているかも、ちょっとわかったので、月子は嬉しかった。


午後の群舞のレッスンの前に、月子はカフェテリアで軽く昼食をとっていた。この時間だけは団員達のしばしの休息である。


「月ちゃん、ここ、いいかしら?」


先生が、トレーを持って、月子の隣に座った。


「あ、三崎先生。おはようございます。どうぞ」

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