第2話
(わたしはまだ、物わかりのいい奥さんには、全然なれないや)
本当なら、玄関で大人しく夫を見送るべきだったのは、よくわかっていた。
こんなところまで急に見送りに来たりして、アサトも相当驚いたし。
これから数か月間、彼はロスで映画の撮影に入る。
準主役級のとても大切な仕事だった。
当初、月子もアメリカに同行しようと思い、アサトもそれを望んでいた。
しかし、彼の仕事の邪魔になりそうな気もしたし、
再び本格的に再開したバレエの公演が年末にあったので、
月子は悩んだあげく、同行しないことを決めた。
月子は、あの空港での怪我以来、復帰に向けてバレエの稽古を地道に積んできた。
夫であるアサトも彼女の努力を影で応援し、見守ってきた。
一時はプロとしての道を断念しかけたこともあったが、アサトや周囲の助けで何とか復帰を遂げることができたのである。
その恩に報いるためにも、公演に参加し、少しでも恩返しになればと月子は思っていた。
何かひとつやり遂げることができれば、また次の何かに進めるような気がしていた。
アサトは、渡航しないという月子の決断を受け入れたが、
自分が彼女のそばにいてやれないことを心配していた。
「アサト。わがまま言ってごめんなさい。あなたについて行かないなんて」
「いいんだよ。年末には帰ってくるし。
僕がいなくても、君はきっと頑張れるよ。
僕のほうが耐えられないかも。あはは。
でももし、どうしても堪えられなくなったら我慢しないで言うんだぞ」
彼女の顔を覗き込みながら、子供に言って聞かせるように優しく答えた。
「はい。ほんとうにありがとう。わたし、がんばるね。
アサトもね、堪えられなくなったら・・・
そんなことないよね。あなたは、ふふっ」
彼の髪を指に絡ませながら、月子はいたずらっ子のように笑う。
「ん?なんだ?その笑いっ・・・
月子、今、僕のほうが堪えられないって思っただろ?
・・・たぶん当たってるけどな」
昨夜、二人はそんな会話をして、いつものように過ごした。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
月子は、再び大きく深呼吸をすると、ターミナルを去ろうとした。
その時、
「あの、月子さんですよね?
私、今回現地でナイトさんのコーディネーターを務めさせていただきます、ユウカ・モトハシです」
大きなサングラスを外しながら、女優のように華やかな女性が声をかけてきた。
外国製の強い香水に、あたりの空気が巻き込まれてゆく。
ヒールを履いているせいか、月子よりも10センチは背が高い。
黒く豊かな巻き髪と、体のラインを強調した真っ赤なワンピースに身を包み、ものすごく目立つ。
「あ、はい。月子ですが。
そ、そうなんですね、ナイトのコーディネーターさんなんですね?こんにちは、はじめまして。
あの、どうぞ主人をよろしくお願いします」
月子は、ユウカの突然の登場に困惑していたが、丁寧にお辞儀をした。
ユウカも軽く会釈をしながら、
「ええ。お任せください。
でも・・・奥さまが同行しないなんて意外でしたわ。
あちらでは夫婦同伴の行事も多いですからね。
私でよろしければ、色々お供させて頂くことになると思います。
あっ、いけない、もう急がないと。
それでは、失礼しますね」
早口でそう言いながら、名刺を手渡し去ってゆく彼女を、
月子はボーっと見ていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます