第九章 存在と愛着障害
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わたしは、淡いピンク色のガーベラが好きだ。それにかすみ草が一緒だと、なお一層ハッピーな気分になれる。
ただし、それも気持ちが落ち着いてる時だけ。
嫌いな花は、赤やピンクのカーネーション。母の日を思い出すからだ。
母親は未だに、母の日を特別にしている。
もう八十なんだから、敬老の日なんだよ、と言っても、「敬老会なんて行きたくない!」と、意地を張る。
わたしの好きな色は、オレンジ色、黄色、みどり色、そして淡いピンク。
年齢と共に、洋服のピンクは似合わなくなったが、小物類は淡いピンクにして、癒される。
昔から、オレンジ色が一番好きだった。その次に黄色。二十代の時にその組み合わせで歩いたら、「キチガイみたいだ」と、母親に言われたことがある。
でも、好きなものは好きだ。
数年前から、観葉植物にハマり、色々買ったり、死なせてしまったり、かわいそうなことをしてしまったと、思っている。
だが、まだこりない。
お気に入りはホンコンシェフリラの、ハッピーイエロー。グリーンの葉の中に、黄緑色の葉が所々にある。時々なでてあげると、ほわんほわんと、葉が揺れる。
とても可愛い。
それと、温花からもらった、オレンジ色の花が咲く、カランコエ。
これもとても大切にしている。
観葉植物を家に取り入れるようになったら、みどり色を楽しむようになった。
オレンジ色と、黄色の仲間として、みどり色のトレーナーもお気に入りになった。
だが、考えて見ると、昔からみどり色は好きだったかも、と、思う。
木々いっぱいにみどり色の葉がびっしり着き、風をうけると、ざわざわざわーっと、大胆に揺れる。そして、葉と葉のすき間から光がこぼれ落ちる姿が、とても好きだ。
わたしは季節の中では秋が一番好き。
紅葉もそうだし、落ち葉を踏んで、サクサクと音がするのを楽しめる。
空は高くなり、空気も澄んで朝と夜のギャップが美しい。
みんなは秋が苦手、寒くなるから。と、言うけれど、わたしは逆に寒くなって人恋しくなるし、暖かい手、温もりを感じられるから、秋が好きだ。
わたしは小さい時から、母親に抱っこしてもらったり、手を繋いでもらった記憶がない。いつも美鈴ちゃんが母親代わりだった。
生理が初めてきた時も、ずっと下痢だと思い、叱られることだけを恐れ、こっそりパンツを洗っていた。
それに美鈴ちゃんが気づき、
「どうして早く言ってくれなかったの?」
と、言われた。
言いたくても叱られるのが怖くて、言えなかった。
昔は生理について教わるのは、五年生の三学期。
わたしはその前の冬休み中にきた。
夜十時頃、深いため息をし、美鈴ちゃんと一緒に、両親の部屋をノックした。
わたしはとてもビクビクしていた。
美鈴ちゃんが、
「うーちゃんが生理がきた」
と、部屋の前で言うと、
父親が、
「うるさい!そんなことどうでもいい!あっちに行け!」
と、怒鳴った。
母親も部屋の戸を開けずに、「わかった」とだけ、中から声がして、出て来てはくれなかった。
わたしは母親に出て来てもらい、抱きしめて欲しかった。
結局美鈴ちゃんから、ナプキンの付け方、捨て方、万が一、急にきた時の場合のやり方、全てを教わった。
その時から自分は、汚い者だと思った。
次の日母親は、赤飯を炊いたらしい。
しかしわたしは覚えていない。
ただ、虚しさと寂しさが、心の中に埋まってしまった。
先日テレビで、「思春期の生理について」という題名で、放送していた。 わたしはイラッとし、
「お互いもうないんだから、見なくていいでしょ?」
と、言って、チャンネルを変えようとした。すると母親は、
「わたしは誰にも教わらなかった」
と言い出した。
(は?今更何を言いだすの?)
「わたしだって、お母さんから教えてもらってないよ」
「美百合と美鈴には、ちゃんと教えたよ」
「だからなに?わたしは怒鳴られただけだったよ。部屋からもお母さんは出て来てくれなかったじゃない!」
「わたしの方がもっと大変だった!脱脂綿にちり紙を巻いたんだよ!」
これ以上ムダと思った。
どうして姉二人にはちゃんと教えて、わたしは放ったらかしだったのだろう。
嫌な記憶が頭の中でよみがえる。
数秒後、
「アンタはもしかして、わたしを批判してるのか?」
「そうだよ!」
初めて言えた。やっと言えた。区切りが着いたと思った。
三姉妹の中では、わたしは一番影が薄い。
とにかく美百合お姉ちゃんは、大事に大事に守られ、いつも新しいものを買ってもらい、食べものも特別だった。
美鈴ちゃんは母親を守りたくて、必死で強くなり、代わりにわたしの面倒を見てくれた。
そして、本当は両親は、美鈴ちゃんに跡を継いで欲しかった。
順番で仕方なくわたしが残り、わたしはカゴの中に入れられてしまった。
逃げ出そうとした。
でも脅されて、逃げることが出来なかった。
普段弱音を吐かない、父親の泣いた姿も、頭から離れなくなってしまった。
小さかった頃から、お前は一番ダメな奴と罵られ、途中母親から、「可愛くない」と言われ、わたしは何のためにこの家にいるのか、わからなくなった。
いつも人間関係をチェックされ、日記も読まれ、カバンの中もチェックされ、詩や、うさばらしで書いてビリビリに破き、ゴミ箱に捨てた紙まで読まれた。
家を新築した時、わたしが仕事から帰ってくると、天井から床近くまで、濃いピンク色に白の大柄な花模様のカーテンが、付けられていた。
とてもインパクトがあり、入った瞬間、「うわっ!」となった。
いつもそのカーテンで、見張られているような気がした。
家を建てる時もそうだけど、カーテンを選ぶなら、わたしの意見も聞いて欲しかった。
いつもいつも、わたしのことは無視し、グチのはけ口にしたり、八つ当たりをされた。
ダメな奴!努力がたりない!一番頭が悪い!手先も不器用だ!いったい誰に似たんだ!でも、お前は絶対逃がさない!どこにも行かせない!
毎日、毎日、口すっぱく言われ、そうだ、わたしはダメ人間なんだと、思うようになり、どんどん自信やチャレンジ精神が失われていった。
自分がわからない。
自由になりたい。
でも自由ってなに?やりたいことってなに?
次第に好きなこと、楽しいことも忘れかける…。
可愛い下着を集め、それを身につけ洗濯をし、干すと、母親は、
「いったい誰に見せるんだ!」
と、怒り出した。
お風呂に入る時、脱いだ下着をカゴに入れると、父親は、
「女郎屋のバンツみたいだな」
と、ニヤニヤ笑いながら、後ろに手を組み、ずっと見ていた。
その話を母親に言うと、
「アンタが悪い!小さくたたんでカゴに入れないからだ!」
と、かばうことなく、罵声を浴びせられた。
なんなんだ!なんなんだ!絶対おかしい!こんな家庭、ぶち壊したい!
わたしは叫びたかった。
ずっと、ずっと、叫びたいのをこらえていた。
だが、叫ぶ勇気さえもない。
両親の思うがままだった…。
そんな時に病気になり、美鈴ちゃんからもっと頑張れと言われ、夫も数年理解はしてくれなかった。
病気についてわかってくれたのは、まるちゃんだけだった。
入院するたび、父親は、
「まだ治らないのか!」
と叫び、母親はすーっとその場から逃げた。
夫は怒りのオーラを放ち、子供たちには心配されるが、「もっと動け!」と言われた。
毎日、息をするだけで精一杯。
生きてるだけで精一杯。
他のことなんて、考える余裕もなくなった。
30
結婚する前、付き合った人がいた。
声をかけられ、最初はとても優しかった。わたしの話も聞いてくれた。
次第に年数と共に、その彼は変わってきた。
パチンコ、パチスロをするお金がない、呑み代もない、ガソリン代もない、タバコ代もない、ご飯食べるお金もない。
車とバイクをぶつけてしまった。直すお金が欲しい。
今度友達と遊ぶけど、そのお金が欲しい。
そのお金は全てわたしが払った。
当時、愛され方を知らなかったから、わたしは、その彼はわたしの存在を大切にしてくれる人だと思い、相手の要求になるべく答えていた。
この人はわたしが傍にいないとダメな人。
わたしを甘えさせてくれる人。
わたしを必要としてくれる人。
それで、わたしという人間を認めてくれるなら、一緒にいてくれるなら…。と、思い、言われるがまま、お金をあるだけ渡した。
今病気になって知ったこと。
愛着障害。
両親に愛されている自覚がなかったから、相手が望むのであれば、叶えてあげたいと思うようになった。
だから、わたしから離れないで欲しい。わたしをちゃんと愛して欲しい。と、ずっと思っていた。
だが、気づけばただの「都合のいい女」だった。
それでも良かった。ここにわたしの居場所がある。
本気でそう思った。
二股をかけられていたこともあった。
しかも相手の彼女は、当時の職場で一番仲が良かった人だ。
彼女はわたしと同じ歳なのに、とても色っぽかった。
茶髪のロングヘアを、下だけくるりんと内巻きにし、可愛いのにそれをひけらかすこともなかった。
わたしとは容姿が全く異なるのに、二人ともお互いに、必要な存在だと感じていた。
彼女の家にも遊びに行った。
オシャレも二人で楽しんだ。
カラオケにボーリング。
夜中まで遊びまくった。
ふざけて、フレンチキスをし、二人で大笑いした。
彼を初めて見た時、わたしにはないものが彼にはあると思い、わたしは一目で彼を好きになった。
彼は口が上手かった。
話のネタも尽きず、ドライブの時は音楽を聴き、周りの景色を見ながら楽しんだ。
顔はイケメンではなかったけど、一緒にいると、安心し、益々彼に惹かれていった。
そして、ここにはわたしの居場所がある、と思ってしまった。
まさか彼女とも付き合っていたなんて、思いもよらずに…。
知らないから、デートをした後は、嬉しくて彼女に、今日の出来事を報告していた。
彼女は笑顔で「良かったね」と、ニコニコしながら一緒に喜んでくれた。
だから、二人が付き合っていると知った時は、ものすごい悲しみと絶望感でいっぱいになった。
胸の奥がギュギューッと苦しくなり、引き裂かれる思いがした。
わたしは彼も好きだったけど、彼女も大好きだった。
失いたくないと思った。
だが結局、彼と彼女は結婚し、アパート暮らしを始める。
そして、彼に内緒で、彼女と一緒にアパートへ遊びに行った。
彼女が笑いながら、ご飯の支度をする。その傍でわたしが笑顔で話をし、二人は同じ空間を楽しんだ。
そんな時に、突然彼が帰ってくる。
空気がひんやりとし、部屋の中の雰囲気がガラリと変わっていく。
彼女は、確か今日は残業だったはず…。と、わたしに耳打ちした。
マズイ!非常にマズイ!
わたしは急いで、アパートを出て行った。
その後、彼が彼女に、「二度と会うな!」と言い、わたしたちは、本当のさよならをした。
たぶん、これも愛着障害だったと思う。彼女から離れたくなくて、ずっと一緒にいたくて、彼にふられてもこっそり会いたかった。
彼に内緒で、ご飯を食べに行ったこともある。
二人で下着を見て、「これがいいんじゃない?」なんて、笑って話をしたこともある。
わたしは彼女といると、いつも元気になった。
一緒にいることが、当たり前に思っていた。
わたしたちはきっと、お互い心の中に空いた穴を、埋めあっていたのだろう。
離れてから、三十年以上経った。 今でも時々彼女を思い出す。
わたしたち三姉妹は、パターンは違うと思うけど、みんな、愛着障害者だと思う。
いつも誰かを想い、それにすがっていく。
そうすることで、安心し、自分の存在を確認し合うのではないだろうか。
美百合お姉ちゃんは、自分を弱く見せることで、人から注目を浴び、甘える機能を覚えた。
美百合お姉ちゃんと両親は、共依存も強い。
いない時には、お互いの悪口を言うけど、一緒にいると寂しさを分かち合う。
母親と美百合お姉ちゃんは、自分で自分のことを「悲劇のヒロイン」に仕立て上げ、それにしがみつき、「かわいそうな自分」を作り合っている。
母親は、美百合お姉ちゃんを通して、自分の幼かった頃や、青春時代、甘えたかった自分を、見ているのかもしれない。
まるで鏡を見ているようだ。それに気づいていない。
美鈴ちゃんは、お父さん役とお母さん役をずっとこなし、子供たちを育てた。
その子供たちはそれぞれ自立し、家庭を持った。それが嬉しくもあり寂しい気持ちを引き出させた。
本当はずっと、誰かにすがりたかった。
でもずっと「強い自分」を演じてきたから、甘えてはいけないと思うようになった。
自分が尽くすように、自分も尽くされたい。それに気づかず、寂しさを埋めるように、アルコールに走ってしまった。
今度は孫たちが生まれ、すがる者が出来た。
そして、「孫の為に…」と、孫にすがり、それを生き甲斐にしている。
やはり、自分の存在を確かめる為に…。
両親は加害者と被害者だ。
両親も、愛されることを知らずに育った。
だから、愛し方がわからない。
そして、三姉妹みんな平等に育てたと、母親は言うが、差別してきたことをわかっていない。
両親も実は甘えたいのだ。それを上手く伝えられず、「ああしろ、こうしろ」と、いい、自分の要求に答えていくように仕向ける。
自分たちの思った通りに、わたしが動かないことに苛立ちを感じ、両親をチヤホヤしないことに腹を立てている。
わたしたち三姉妹は最終的に、愛着障害にたどり着いてしまったけど、それぞれ痛みのパターンが違っている。
そして、たまたまわたしが家に残り、たまたま病気になってしまった。
それを両親は、未だに理解しようとしない。もしくは、理解をしたくない、現実を認めたくないのかもしれない。
両親とわたしたち三姉妹は、機能不全家族だった。
特にわたしは、感情を出すな!と脅され、いつも姉たちや友達と比べられ、徐々にウチで居場所がないと思うようになった。
話したいことも言えず、安心感も得られなかった。
常に顔色を窺うようになり、自己否定し、寂しさを強く感じるようになった。
そしてわたしは、いつの間にか、アダルトチルドレンになっていた — 。
31
X先生の話を突然思い出した。
ユダヤ人の残虐と、特攻隊の話。
先生の言いたいことは、よくわかる。
わたしは、それでも奥深いところで、死にたい気持ちを持ち続けている。
本当は死にたいじゃなくて、助けて欲しいということも、わかっている。
わたしは、眠剤を沢山飲んで、ベッドの上でそのまま死にたいと、言った。
まるちゃんは、「キレイな死に方なんてないんだよ」と、言う。
薬を飲んでも、誰かが助けて、病院に運ばれて、大量の水を飲まされて、無理やり吐かされるだけなんだよ。とか、海に入って死んだら、体がブニョブニョになって、見られたもんじゃないよ。とか、首吊りはもっとタチ悪い。体の色んな物が全部出て、悪臭もして、処理する方も大変なんだよ。と、まるちゃんの話は、現実味を帯びていた。
わたしは病院に通う前、自分の心を殺していた頃、ウチにいたくなくて、ぷらっと車で出かけた。
家を出て運転した途端、涙がどうしようもなく溢れていた。
どこに行こうか全く考えていなくて、ただ適当にさまよいながら、車を運転していた。
そこで、なんとなく大きな書店に入る。
まるで頭からの司令で、そこに行きなさいと、言われているようだった。
沢山の本、見渡す限りの本、溢れんばかりの本。本、本、本。
そこで、何を求めているのかもわからないまま、ふらふらと本を適当に見て回った。
絵本とか、子供用ドリルとか、かいけつゾロリとか…。そういえば、和希が好きだったな。
温花には毎日眠る前に、抱っこしながら読み聞かせをした。
途中わたしがウトウトしてしまい、起こされたこともあった。
文庫本コーナー。
高校生の頃友達から借りて、氷室冴子さんの「なんて素敵にジャパネスク」にハマったっけ。
それから、山浦弘靖さんの「星子シリーズ」にもハマった、ハマった。
ハートから始まってトランプのようにダイヤ、クローバー、スペードetc…。
次々出てくる小説が楽しみで、でも予算がなくて、途中挫折したんだった。
そうそう、わたしはマンガも好きだけど、文庫本を借りたり買ったりして、沢山読んでたな。
懐かしい…。
そう昔のことを思い出しながら、整然と並んでいる本たちの通路を、一つずつ回って歩く。
そして一つのコーナーで、足が止まった。
心理学、自己啓発本。
ふと、一冊をパラパラとめくって読んでみた。
するとそこには、わたしの求めていたこと、不安な気持ち、恐怖心など、色んなことが書かれてあった。
同じような本を、次々手に取って見る。
そして、一番ズキリときた本。
それは加藤諦三さんの本だった。
そこには、目を背けたいことも、受け止めなくてはならないことも、こんなはずじゃないと思うことも、全て書かれていた。
立ち読みしている間、鼻がグズグズし始め、まばたきが多くなっていく。
着ていた服の袖口で、溢れ出てくる雫を拭く。
わたしはたまらず一度に三冊、加藤諦三さんの本を買った。
家に帰り、二階の部屋に行き、すぐさま読んでみる。
震える心、怯える心、悲しみ、苦しみ、寂しさ、憎しみを覚えた。
認めたくない自分、背けたい自分、叫びたい自分、ありとあらゆる自分が、わたしの中にいることを知った。
他人との距離感、親子関係、依存性、こんなこと、今まで思ったことなどなかった。
だが、この本たちには真実が書かれている。そう、思った。
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