第八章 夫と姉二人

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夫は冷静で強くて、周りからの信頼もあつく、真面目だ。手先も器用で、子供たちのお手本になっている。

ギャンブルも女遊びもせず、家業もしっかり継ぎ、金銭感覚も素晴らしい。

だが、普段は優しいが、突然プチッとキレる。

だから、夫の顔色も窺うようになった。

怒りのオーラはすぐわかる。


周りからみれば、わたしは三歩下がった奥さんに見えるらしい。

実際、その通りだ。

それは突然結婚し、ウチに養子に入ってもらい、子供たちを育て、前の大手企業の会社を退職し、ブラック企業に務めながらも、家業をサボらず一生懸命働いてくれている。

とても同等には歩けない。

わたしは自信がない。

プロポーズもなければ、愛してる、好きだとか、言われたこともなかった。

ずっと、愛されているのかもわからなかった。


夫が単身赴任をし、その時にお金を毎月振り込んでもらい、それで子供たちの物や自分の物、食費、その他突然くる集金や、雑費を払っていた。

そして、わたしの通帳には手をかけない約束だった。

でも、わたしは少しずつ自分の通帳からも、お金を下ろすようになってしまった。

単身赴任から帰ってきた夫は、わたしの通帳を見て、「信用できない!」と言い、わたしから通帳を取り上げた。

以前はお小遣いももらっていたが、今のブラック企業の会社になってからは、お小遣いなしになった。

わたしは仕方ないから、食費から少しずつ自分の分を、色々買うようになってしまった。

そんな時に病気になる。


夫とはずっとケンカをしたことがなかった。

それは一つわたしが言うと、五倍くらいにして言葉で返ってきたからだ。

父親と重なる部分が出来てしまった。

夫の言うことは、殆ど正しい。

だが、女性の気持ちをくみ取ることが、苦手だと思う。

だから、温花の望むもの、当時中学、高校の時の私服や、メイクグッズ、バックに靴など、こっそり買うと、そんなに買わなくてもいい、何個も買う必要がない、と、いつも言われてしまった。

だけど、周りの女の子たちは、次々と新しい服を買ったり、コスメや色々な可愛いものを持ち歩くようになった。

わたしは幼い頃から、お古が多くて、可愛いもの、新しいものになかなか縁がなかった。だから尚更、温花には、なるべくみんなと同じようにさせたかった。

言い訳だけど、通帳からお金を引き出した理由の一つでもある。


そして遂に、お金の不安と心配で、夫にわたしの通帳を返して欲しいと、入院中にラインした。

確か六年前くらいだったと思う。

初めて自分の気持ちを伝えた時だった。

ラインを送った時、わたしはすごく怯えて、頓服をもらう為に詰所に行くと、そのまま倒れ、看護師さんに抱えられながら、ベットまで運んでもらい、注射をした。

頭がもうろうとしてしまい、意識も半分なくなった状態だったと思う。

何の注射だったのかわからないけど、そのあと、看護師さんがずっと傍にいてくれて、深呼吸を一緒にしたことを、ハッキリと覚えている。

夫には、こんなウチにきてもらったという、罪悪感、結婚してもらったという罪悪感、ずっとわたしの為に…と、思ってきた。

もしかしたら、果穂ちゃんみたいにしっかりしていて、料理も上手で、整理整頓もきちんとしていて、気の利く人が良かったんじゃないかと、思った時もあった。

服装だってそうだ。

次第に、果穂ちゃんみたいに、ジーンズを履き、いつもスニーカーを履きこなす。

時に果穂ちゃんは、ホットパンツに少しダボッとしたTシャツを着、その時に夫は「ああいう格好も可愛いな」と、ボソッと言ったこともある。

根に持っていると言われればそうだが、そのくらい傷ついていたのだ。

ちょっとしたことかもしれない。

でも、わたしはコンプレックスだらけ。自分で良いところがわからない。 自信がない分、言い返すことが出来なかった。


入院中、本気じゃなくて浮気ならしてもいいよ、と、言ったこともある。

わたしはずっとダメ、ダメ、ダメ!と言われてきたから、こんなわたしと結婚してくれて、申し訳ないと、ずっと、ずっと、思ってきた。

でもお金のことは、どうしても伝えたかった。

自由を少しでも手に入れるには、お金が必要だった。

すると、夫はキレだし、

「金、金、金、アンタは金の亡者か!アンタには保険代も、スマホ代も車もオレが全部払ってるんだぞ!」

と、ラインで送ってきた。

わたしは、ああ、そう思ってたんだ、と、深い悲しみと絶望を覚えた。

そして遂に、

「入院中でも弁護士を通せば、離婚できます」

と、送られてきた。

わたしはしばらくぼう然とし、それならもう、それでもいい!と、思い、

「離婚したかったら、いつでもどうぞ」

と、返事をした。

それが最初で最後の、わたしの勇気だった。


そのあと「ごめん」と、ラインがきたけど、離婚を考えていたことが、本心だと思い、

「わたしは別に離婚してもいいよ」

と、返した。

わたしの頭の中は、もう離婚したつもりで、この先どうしようかなと、シュミレーションしていた。

子供たちは立派に育ったし、一人アパートでもいいや、とまで、考えた。


それが、わたしたち夫婦の、ちゃんとしたぶつかり合いだった。

結婚して、二十年以上過ぎていた。


その後、わたしは通帳を返してもらい、それで入院費とスマートフォン代を払えるようになった。

もちろん、美容院や、洋服代も堂々と払えるようになった。


夫はそれから少しずつ、変わってきた。

以前は病気のことを話すと、機嫌が悪くなったり、話も聞こうとしてくれなかった。

しかし今は、カウンセリングがどれだけ大切かということや、双極性障害についても、動画で見くれるようになった。

わたしと出かける時も、「トイレは大丈夫か?」、「コーヒーでも買ってくるか?」と、気遣いをしてくれる。

わたしはまだ夫が怖いけど、安心する人がすぐ傍にいることを、改めて実感することが出来た。

夫は相変わらず口数が少ない。

でも、言葉で言わなくても、普段の生活の中に、愛情が溢れているということを、入退院を繰り返しているうちに、知ることができた。

今は、感謝しかない。



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美百合お姉ちゃんは、同棲宣言した彼と結婚し、東京でずっと仕事をしていた。

その後 、美百合お姉ちゃんも、旦那さんとなった人も、共に仕事が忙しくなり、お互い承諾して離婚した。

結婚生活は何年だったのだろう…。


離婚する前の美百合お姉ちゃんは、ポニーテールにピンクのシュシュ、サッと薄化粧し、生き生きとし、東京の合唱団に入っていて、海外でもステージに上がって歌を歌っていた。

ウイーン少年合唱団とのコラボも、したことがある。

両親にとっては、自慢の娘だった。


忙しい最中、数年に一回のペースで、ウチに帰ってきた。

その時に、カレイの煮付け、豚汁、カボチャのコロッケをわたしが作ると、美味しそうに食べてくれたことを、覚えている。

ところが旦那さんが、化粧をすることや、太ることを気にし、美百合お姉ちゃんに太らないようにと、苦言を刺すようになった。

それから、美百合お姉ちゃんは、当時流行っていた、「朝だけ紅茶ダイエット」というのにはまり、朝は紅茶に黒砂糖を入れたものだけにし、あとは、食事を減らすようになった。

数年後、またウチに帰ってきた時は、ずいぶん痩せてきているなと、感じた。

美百合お姉ちゃんは、頑固だ。こうと決めたら、絶対に揺らぐことはない。

そして、旦那さんの忠告をきちんと守り、太らないようにしていた。


しかし、最終的には離婚。

合唱団も止め、古いマンションで、一人暮らしを始める。

時々両親が東京見物に行くと、必ず美百合お姉ちゃんのところに、一泊はしてきた。

そして、美百合お姉ちゃんの姿を見ては、「かわいそうな美百合」を復活させて、心配そうに家に帰るようになった。

美百合お姉ちゃんは、仕事もままならず、かたよった食事で体力も落ち、出歩くことも困難になって来た。


ある日夜中に、我が家の電話が鳴り出した。

電話に出たのは、わたしだった。

東京の警察からで、美百合お姉ちゃんが路上で倒れ、念の為病院で入院している、と、いう内容だった。

わたしは慌てて両親を起こし、母親は寝ぼけまなこで、電話に出た。

話をしながら、みるみる表情が変わっていく。

そして電話を切ったあと、両親は荷物をまとめ、朝一番の新幹線で東京に行くことにした。


その時わたしはもう、病気になっていて、入退院を繰り返していた時だった。


東京に到着すると、両親は急いで、美百合お姉ちゃんの入院している病院へ、向かった。

その時には、点滴を終え、すっかり良くなっていたらしい。

とりあえず退院して、美百合お姉ちゃんのところに泊まるという電話が、母親から来た。

わたしもホッとする。


体重がかなり減ったらしく、ガリガリだったと、帰ってきた両親から聞かされた。

そして家族会議。

あのまま一人にしておけない、と、両親は言い、ウチに帰ってくるようにしてもいいかと、わたしと夫に相談した。

わたしも心配だったけど、夫は承諾してくれるか、気にしていた。

夫は「何年もいる訳じゃないんだったら」と、言い、わたしも賛成し、帰って来れる体力があるうちに、と言って、その一年後、ウチに帰って来たた。

新幹線の駅までは、わたしが迎えに行った。

すると美百合お姉ちゃんは、改札口でふらふらとなり、その場にペタンと座り込んでしまった。

薄いグレーのコートを羽織り、髪の毛は肩下くらいで、白髪がかなり目立っていた。

その姿はわたしの想像以上で、初めて見る美百合お姉ちゃんの姿だった。


その日は夕暮れも早くなり、秋風が身に染みる、冷たい夜だった。


駅員さんは、急いで車椅子を用意し、美百合お姉ちゃんを抱え、車椅子に座らせた。

「ありがとうございます」

と、か細い声。

そこから駅員さんも付き添ってくれ、わたしの車に乗せた。

そして「お帰り」と、家族に迎えられ、それから新しい生活になった。

寝室は両親と同じ部屋になった。


和希と温花は、この人が「おばさん」だとはわかっていたが、殆ど顔を見たことがなかったから、説明はしたものの、どうして同居するのか、初め、理解出来なかった。

食べものもみんなと違い、その時は、紅茶ダイエットは止めていて、豆腐一丁を水切りし、その上にとろろ昆布、あおさ、海苔、きな粉をのせ、かき混ぜながら食べていた。

それが一日一度の食事だった。

水も二リットルのペットボトルを買い、水分はその水しか取らない。

異様な雰囲気が、家中、漂うようになる。


後日、美鈴ちゃんもやって来て、「お帰り」と、声をかけた。

その時、美百合お姉ちゃんは、白髪混じりの髪の毛をアップにし、

「どう?痩せたでしょう?」

と、首の後ろの骨を美鈴ちゃんに見せた。

美鈴ちゃんは、オエ、気持ち悪い。痩せてるわたしに、対抗意識しているのだろうか…。と、思った。

数日後、また美鈴ちゃんが美百合お姉ちゃんの様子を見にきた時、わたしたちの知らないところで、美鈴ちゃんの前で、美百合お姉ちゃんは倒れた。

舌をベロンと長く出し、血が出ない程度に歯で舌を噛む。美鈴ちゃんが驚き、しばらく様子を見ているうちに、美百合お姉ちゃんは、勝手に起き上がった。

美鈴ちゃんは冷静に、その姿を見ており、中学の時にみんなの前で倒れたことを、思い出していた。

美鈴ちゃんは、美百合お姉ちゃんが倒れる時、いつも後ろに障害物がないか確認してから、倒れることを知っていた。

わざとだ。絶対わざとだ。

美鈴ちゃんはそのことを、わたしたちには、喋らなかった。


そして両親が買い物に行き、わたしと和希が、美百合お姉ちゃんと一緒にいた時、突然美百合お姉ちゃんは、電話の前で倒れた。

わたしと和希は、前に倒れたことを美鈴ちゃんから聞かされていなかったから、目の前で貝のように舌を出し、歯で舌を噛んで倒れたことに驚いた。

わたしは必死で声をかける。だが返事はない。

慌てて救急車を呼ぶ。

隊員から、「何時に倒れましたか?」と、聞かれ、わたしはどうしようと、和希に目をやる。すると、和希は時計をちゃんと見ていて、時間を伝えた。

救急車がウチに到着し、美百合お姉ちゃんは担架に乗せられ、救急車の中に運ばれた。

ちょうどその時、両親が帰ってきて、何事かとわたしに尋ねる。

わたしは興奮しながら説明をした。

救急車はまだ動かない。

運転手の人が受け入れ先の病院と、連絡を取り合う。

そうしているうちに、美百合お姉ちゃんは少しずつ目を開けた。

隊員の一人が声をかけ、

「わかりますか!救急車の中です!お名前は?」

と、問いかける。

そして、

「誰か救急車に一緒に乗ってください!もう一人は車で後から着いてきてください!」

と、言われた。

和希は、

「オレが後ろから着いていくから、お母さんは救急車に乗って!」

と、叫んだ。

両親は慌てたままだった。


救急車に揺られながら、美百合お姉ちゃんはしっかりと、受け答えをするようになってきた。

念の為、そのまま大きな病院に運ばれる。

夕方五時前の出来事だった。


病院に到着し、美百合お姉ちゃんは担架に乗せられたまま、治療室に入った。

わたしは体中震えが止まらなくなり、目がチカチカしてきた。

和希は、わたしのバックの中から頓服を取り出し、「ほら、飲んで」と、封を切った。

この時まだ、和希は若干二十歳。

心臓はバクバクしていたと思うが、それがわたしに伝わらないように、平静を保つ。

夫に似て冷静だった。

とても頼もしかった。


病院で待っている間に、母親に電話をかけた。

「もう、意識は戻り、念の為点滴を受けている。色々検査もしてもらったようだ」

「そうか。わかった。温花もお父さん(夫)も帰って来てるから」

「うん、まだまだ時間かかるみたいだから、先にご飯食べてて」

「うん、よろしくね」

わたしが電話をかけている間に、和希は病院の前のコンビニへ行き、サンドイッチとお茶を買い、お金を下ろしてきていた。

「ほれ、なんか食べた方がいい」

と、言われ、「ありがとう」と、サンドイッチを受け取る。

こんな状況なのに、意外とサンドイッチは美味しく感じられた。

そして、緊張して乾いたのどをごくごくとうるおす。

わたしは大きくて深い、深呼吸をした。

わたしの隣りに座った和希は、スマートフォンでゲームを始めた。


そして長いこと待ち、車椅子に乗った美百合お姉ちゃんが、やっと診察室から出て来た。

代わりにわたしが呼ばれる。

異常がわかる程の痩せている状態。 脳の検査もしたが、頭は特に問題なし。

もし、てんかんによるものなら、すぐにわかるが、それも異常なし。もしかしたら、精神的なものかもしれない。

明日もう一度、お姉さんを連れて来てください。


淡々と先生は話した。そして最後に、

「わたしは以前精神科に務めていたので、わかりますよ。明日もわたしはいるので、お姉さんにはわたしから説明しましょう」

と、言われた。


会計は和希が支払い、和希の車に乗って帰った。

時計はもう夜九時時近く。

外に出て空を見上げると、まるでプラネタリウムのようだった。

暗闇の中にキラめく星々たちが、三日月と共に、ご苦労さまと、言ってくれているような気がした。


次の日、美百合お姉ちゃんを車に乗せ、昨日の救急搬送された病院に行き、診察室に二人で入り、先生から説明を受けた。

そして美百合お姉ちゃんは、わたしの顔を見て、「うーちゃんはどう思う?」と訊ねてきた。

わたしは「この際だから、ちゃんと診てもらった方がいいよ」と、言うと、「わかった」と言い、精神科の専門病院の紹介状を書いてもらった。


紹介状のお陰で、診察日の予約は早く取れた。

送迎は、わたし。

両親は、精神科に行くのは嫌だと言った。

わたしは美百合お姉ちゃんを車に乗せ、何か会話をしなければ、と、思い、周りの景色を見ながら言葉を探す。

美百合お姉ちゃんの表情は、意外にも穏やかだった。

これから精神科の壁にぶち当らなければならないのに、わかっているのだろうか…。そう思い、わたしの方が緊張し、苦笑いを浮かべながら、道のりを車で走った。

美百合お姉ちゃんの精神科病院は、わたしとは違う場所。

家からも差程遠くない。

窓口で紹介状を見せ、確認してもらい、病院の中に入る。

待合室の青い長椅子に座り、名前を呼ばれるのを待つ。

叫ぶ人。

足と手を曲げ、母親らしき人に支えてもらいながら、歩く人。

痩せていて、全身ピタッとした服を着ている人。

口をずっと開けっ放しでテレビを見ている人。

色んな人がいた。

そして、美百合お姉ちゃんの名前が呼ばれ、看護師さんのあとをついて行く。

「身長と、体重を測りますね」

美百合お姉ちゃんは、看護師さんの指示に従い、身長と体重を測った。

体重計に乗った時、白髪混じりの長い髪を、耳にかけた。

その横顔から、一瞬口が見えた。片方の口角が上がり、ニヤッと笑ったのが、わかった。

身長は、わたしより少し高いが、ほぼ同じくらい。

「体重は?」

と、わたしが訊ねると、

「うん、三十三キロ。変わっいなかった」

と、軽やかに答える。

え?三十三キロ?ウソでしょ?

わたしは動揺した。


そして診察室に呼ばれ、二人で入った。

美百合お姉ちゃんは、足を引きずるようにズルズルとゆっくり歩き、わたしが診察室のドアを開けて抑えていると、そこに静かに入り、椅子にふらっと座った。

その時の先生は、東京から研修に来ていた先生だった。

美百合お姉ちゃんと二人で、先生は会話をする。

わたしは黙ってその話を聞く。

美百合お姉ちゃんは背筋をピンと伸ばし、椅子の背もたれにはよりかからず、口調はゆっくりだが、ハッキリと受け答えをしていた。

その後、美百合お姉ちゃんだけ診察室から出て、待合室で待つように言われ、残ったわたしが椅子に座り、先生と話をした。

先生は含み笑いをし、

「精神疾患ではないですね。あえて言うなら摂食障害ですね」

やっぱり…。わざとそう見せていたんだ…。

「お姉さんはとても頑固ですね。これ以上何を言ってもムダだと思います」

そう言われた。

薬を飲むのもイヤ、三ヶ月の入院もイヤ、食事制限もイヤ。

何を言っても、全て断った。

「まあ、グチこぼしくらいにはなると思いますから、一ヶ月に一度、通院してみましょうか」

先生は笑いながら、わたしにそう言うと、診察室を出るように促した。


次は、ケースワーカーさんと面談した。

ケースワーカーさんは、美百合お姉ちゃんの姿格好、歩く姿を見て、

「大変そうですね」

と、言った。

ひんやりとした、冷たい雰囲気の面談室に通される。

そこには、灰色のテーブルに、青いパイプ椅子が四個あった。

そして、今後どのようにサポートしていけば良いか、三人で話し合った。

美百合お姉ちゃんは、相変わらず背筋を伸ばし、受け答えをする。

そして、先生が言ったように、

「薬も入院もイヤです、食事を変えるつもりもありません」

と、キッパリ断言した。

ケースワーカーさんは少し黙り込むと、

「それじゃあ、少しでも働くことを考えてみましょうか。次回に労働支援の専門の人を呼びますので、その時にもう一度話し合いましょう」

と、言った。


次の精神科の審査日は、一ヶ月後。

その間、美百合お姉ちゃんは、歩くのが大変になってきたと言い、両親にシルバーカーを買ってもらった。

外を散歩する時や、買い物の時などに活躍した。

ウチの中にいる時は、相変わらず足をスースースーとひきずりながら、歩く。

背筋はピン!

食事も一切変わりなし。炭水化物は数年前から、絶対取らないようにしていた。


そして二回目の精神科の診察日。

前回と同じように、わたしも一緒に審査室に入る。

「調子はどうですか?」

「足が不自由で、シルバーカーに頼っています」

「そうですか。他には?」

「そうですね…。特に変わりありません」

「んー、足が不自由なのは大変ですね。整形外科の紹介状を書きましょう。じゃあ、また一ヶ月後に来てください」

先に、美百合お姉ちゃんを診察室から出し、わたしは先生の方を見ると、先生はわたしの顔を見ながら、左右に首をふった。

わたしはこの時、治療は必要ないから、もう来なくていいです。と、はっきり先生の口から、言って欲しかった。

しばらく待合室の青い長椅子に座っていると、ケースワーカーさんが来て、

「先日お話した就労支援の方がいらしてますから、お部屋に移動しましょう」

と、声をかけてくれ、ケースワーカーさんの後ろをゆっくりと移動した。

この時もシルバーカーは、活躍してくれた。

「はじめまして。就労支援ぽかぽかの代表、佐々木と言います。足が悪いのですか?」

「はい。この頃歩くのが大変になってきて、シルバーカーに頼っています」

「一応、ぽかぽかとしては、働きながら、自立をしてもらうという活動、お手伝いをしています。その人に合った仕事の斡旋や、仲間通しで日替わりの仕事をするということの、提案をしています。希望の仕事とかありますか?」

「わたしは東京にいた時に、薬局の仕事を手伝っていたので、同じ薬局の仕事がしたいです」

美百合お姉ちゃんは、東京にいた時に、甲状腺の病気になり、それから掛かり付け薬局の、仕事の手伝いをするようになった。

それは、痩せたかわいそうな美百合お姉ちゃんを見兼ねて、薬局の人たちが、たまたま提案してくれたのだった。

「薬剤師の資格があるのですか?」

「いえ、ありません。でも薬局で働いていたので…」

ケースワーカーさんと、佐々木さんは顔を見合わせ、少し困った顔をした。

「それでは、一応薬局の仕事を探してみますね。また次の診察日に会いましょう」

「はい、わかりました」

「ごめん美百合お姉ちゃん、ケースワーカーさんと、佐々木さんとお話したいから、待合室で待っててくれる?」

「話?わかった」

そう言うと、一人部屋を出て、待合室に向かった。と、思ったら、面談室の扉の長椅子に座った。

その後ろ姿が、扉のすりガラスに、はっきり映っていた。

わたしは、美百合お姉ちゃんに聞こえないように、今までの経過と、先生に言われたこと、本当は足も何ともないことなど、そっと話した。

ケースワーカーさんと、佐々木さんはうんうんとうなづきながら、「どうりで…」と、佐々木さんが言い、納得した。

とりあえずは、仕事を探してみると、佐々木さんは答え、先に部屋を出て行った。

「お待たせ。寒かったでしょ」

「ううん、平気。それより何の話をしたの?」

「仕事のこととか、よろしくお願いしますとか、そんな感じ」

「ふう~ん、わかった」

美百合お姉ちゃんは賢いし、カンも鋭い。

わたしは悟られないように、先生と、ケースワーカーさんと、佐々木さんに本当のことを言った。


今度は総合病院の整形外科に行った。

もちろん送迎はわたしだ。

エレベーターに乗り、六階へと上がる。整形外科は思ったよりも空いていて、すぐに名前を呼ばれた。

わたしも診察室へ入って行く。

そして、倒れたことや、精神科に通院していることなど、先生に話した。

先生は足を触り、

「かなりむくみがありますね」

と、言った。そして、

「倒れたことがあるなら、念の為MRIをしましょう」

と、言い、電話をかけると、

「ちょうど機械が空いているので、すぐにしましょう」

と、言い、美百合お姉ちゃんだけ先に待合室で待つように、指示をした。

先生は、

「むくみはありますが、足は何ともないですよ。第一、シルバーカーを持っている人の姿勢じゃないし、本当にシルバーカーが必要な人は、バックが出来ませんから。ただ、かなりの頑固そうなので、本人の納得のいくように、MRIを勧めました。おそらく、大丈夫だとは思います」

やっぱり…。両親や周りの人をだませても、先生はだませない。

「やはり、そうですか。わたしもそう思っています。姉が納得するまで、付き合います」

わたしはそう言って、美百合お姉ちゃんの待つ、待合室に向かった。


そしてエレベーターで三階に降り、

看護師さんに付き添われながら、廊下の奥へ奥へと進んで行った。

美百合お姉ちゃんは、わたしの座る椅子の横にシルバーカーを置き、機械のある部屋に、ゆっくりと入っていった。

看護師さんは、

「二時間くらいかかりますよ」

と言い、その場を離れた。

MRIって、そんなに時間かかったっけ?古い機械なのかな…。

わたしはそう思いながら、ペットボトルの水を飲み、終わるまでずっと椅子に座っていた。

その場所は小さい窓が一つだけある廊下で、薄暗く、誰も通らないところだった。

何の音もしない、とても静かで寒々しい感じがした。


MRIを終え、また美百合お姉ちゃんと一緒に、六階の整形外科の待合室に行った。

結果はすぐに出ていた。

異常なし。てんかんの発作もなし。

足もむくみだけで、異常なし。

先生はきちんと話してくれたが、美百合お姉ちゃんは納得していなかった。

わたしに、病気の自分を見せたかったのかもしれない。


数日後、美百合お姉ちゃんが散歩に出かけた時に、わたしは今までの結果を、正直に全部話した。

両親は納得せず、

「じゃあ何で倒れるの?足をああいう風に引きずって歩くの?」

と、わたしに尋ねる。

「だから、わざと何だって。自分で病気のふりしてるんだよ」

両親はやっぱり納得しない。

そして、ふらふらと歩いて帰って来た美百合お姉ちゃんは、すぐ様倒れる。また貝のように…。

その時は見守るだけで、救急車は呼ばなかった。

案の定、しばらくすると、自力で立ち上がった。

それからというもの、夫の視線は厳しくなり、

「病気じゃないのに、自分で頑張る努力をしない」

とか、

「一日中テレビつけっぱなしなのに、生活費も入れない」

とか、不満を言い出した。そして、

「オレはもう関わりたくない」

と、わたしに言った。

和希と温花も少しずつ気持ち悪がり、部屋に閉じこもるようになった。

わたしは間にはさまれ、とても悩む。

美鈴ちゃんは、

「私だったら、一時的に帰っても、すぐにアパート借りて出て行くけどね」

と、吐き捨てる。


わたしの病院の診察日。

この時はまだ、X先生が担当だった。美百合お姉ちゃんのことを相談すると、

「それはご主人に頼んで、あなたは自分のことだけ考えましょう」

と言った。

だが、実際そうはいかない…。

仕方なくわたしは、美百合お姉ちゃんに、アパートに住むことを提案した。

ウチに帰ってきた時に、本当は、三年間一緒に住みたいと言っていた。しかし、まだ二年と少ししか経っていない。

両親は激怒し、

「お前がアパートに住むように仕掛けたのか!」

と、言った。

「かわいそうな美百合」が、「もっと不幸でかわいそうな美百合」になってしまった。

わたしは何とか両親を説得。

そして、就労支援の佐々木さんに電話をかけ、アパートを一緒に探してもらうことにした。

待ち合わせは、一ヶ所の不動産屋。 そこの駐車場で、佐々木さんと会った。

先に佐々木さんが、不動産屋の人と話してくると言い、わたしと美百合お姉ちゃんは、しばらく、いや、結構長い時間、待たされた。

外は残暑が厳しく、蝉の声が最後のつもりで鳴り響く。太陽がジリジリと、辺り一面照らしていた。

佐々木さんは不動産屋から出てくると、精神科に通っている人はトラブルが多いから、もう貸さないことになった、と、言われた。お役に立てなくてごめんなさい。あとは自分たちで探してください。と、言い、あっという間にブーンと、車でその場を離れた。

立ち尽くすわたしたち。

さて、これからどうするか…。

わたしはスマートフォンで不動産屋を探し、美百合お姉ちゃんと徹底的に探し回った。

美百合お姉ちゃんの条件は、バス停が近いこと、できれば三万円で抑えたい。と、いうことだった。

まずは駅の目の前にある不動産屋。

そこに入ると、中年の男の人、一人だけいて、テーブルの上は散らかっていた。

わたしたち二人を見ると、貸せるアパートはありません、と、すぐに言い、わたしたちは追い出された。

次の不動産屋を探す。

そこでは待遇が良く、大学の側にあると言われ、そこで二件紹介された。

一件は大家さんが目の前のアパートで、周りは田んぼでのどかな景色、バス停がすぐ側にあった。

中に入ると日当たりは良く、リフォームしてありキレイだった。

しかし、簡易水洗のトイレ。

美百合お姉ちゃんはそれが気に入らなかった。それと、冬は寒くて水道管が凍るかもしれないから、天気予報を見て、水道の水抜きをすること、それが不満だった。

そして、もう一件行ってみると、すぐ側に大学。

広々とした、日当たりの良い場所だった。

早速一部屋見て見ると、入ってすぐに、空気がよどんでいるのがわかった。

不動産屋さんの話だと、二階が事故物件で、部屋は真下。通常より安くしている、ということだった。

しかし、そこはわたしも、雰囲気でダメだと感じた。

そして次を探す。

今度は、仕事をしていない人には貸せませんと、すぐに断られた。

わたしは美百合お姉ちゃんの疲労も心配したが、運転して歩く自分も弱っていくのがわかる。

やがて陽は夕暮れに近づいてきた。

そして、最後のつもりで一件入った不動産屋で、物件があると言われた。

そこは桜の公園も近くで、川も近く、散歩コースとなっている途中だった。

バス停もすぐ目の前。

中に入ると、玄関は狭いが、六畳一間で、ちゃんとしたキッチンも備えてある。

しかも、水洗トイレで、凍結防止の設備も整えてあった。

ウチからも車で十五分と、近い場所。大家さんも三分歩いた場所にあるから、何か問題があってもすぐに言える。

文句なし。


風がスーッと肌をひやっとさせ、赤赤とした陽は傾き始め、建物をオレンジ色に染めていく。

急げ、急げ!


すぐに家に帰り、両親に報告。

すると善は急げで、両親と美百合お姉ちゃんは、契約をしに、また不動産屋に向かった。

しばらくすると、美百合お姉ちゃんから電話がきて、わたしの生年月日を聞かれた。

(知らないんだ。お姉ちゃんも両親も知らないんだ…。)

わたしは、何で聞くのかわからなかったけど、一応生年月日を伝える。

わかった、じゃあね、と言い、すぐに電話は切られた。

わたしは、あやふやな感じがし、心がモヤモヤしていた。

そして契約を済ませ、三人が帰ってきた。

一週間以内に引っ越ししなければ、契約解除となる。ということで、あれよあれよと、慌てて引っ越しし、美百合お姉ちゃんは、それから一人暮らしを始めた。

あとから、どうしてわたしの生年月日を聞いたのか、母親に聞くと、わたしを保証人にしたと言う。

は?なんで?わたし、本当の病人だよ!なんで父親が保証人じゃなくて、わたしなの?

わたしは、勝手に保証人にされたことに、腹を立てる。だが母親は、名前だけなんだから。と、開き直る。

そういう問題じゃない。何もわかってない!

わたしは体も頭も疲れ果て、数週間後、入院した。

その時には、もうX先生はいなかった。


それからというと、わたしが入院したから、結局買い物や病院への送り迎えは、両親が交代でしている。あれ程こだわったバス停は、意味がなかった。


入院して三ヶ月後、わたしは退院した。

待ってましたと言わんばかりで、

「アンタが美百合を追い出したんだ!」

と、退院早々母親に言われた。


仕事も、美百合お姉ちゃんが望むものがなかったから、佐々木さんとも疎遠してしまった。


いったいわたしは、何だったのだろうか…。


美百合お姉ちゃんも、犠牲者だ。

両親から「頭がいい」と、過度の期待を持たせられた。

そして今は、他人に弱い自分を見せつけ、わたしは病気なんですよ、とアピールしている。

それは、自分は本当は誰かに助けて欲しい、ありのままの自分を見て欲しい、受け止めて欲しいという現れなのかもしれない。


母親も似ている。


景色は銀色に染まり始めた。

熱々のクリームシチューが恋しい時期だった。



28



従姉妹の結婚式に出席する為、家族揃って東京へ向かった。

この時わたしはまだ、独身だった。

東京の街中をぞろぞろ揃って歩いていると、美鈴ちゃんは声をかけられた。

「JJのモデルになりませんか?」

スカウトだ。

美鈴ちゃんはチラッと声のする方を見ると、名刺を渡されそうになるが、手で払いのけ、無視をする。

その数分後、

「JJのモデルになりませんか?」

今度は違う人に声をかけられ、名刺を渡されそうになると、

「わたし、子供四人いるんで…」

と、言い、全く見向きもしなかった。

惜しい、すごく惜しい。

わたしはそう思っていた。

美鈴ちゃんは、茶髪にストレートのロングヘア。歩くたびに、サラッサラの髪の毛がふわりと風になびく。

白くて、袖がシースルーのふわりとしたブラウスを着て、黒のロングプリーツスカートを履き、ヒールのある靴で、ツカツカと歩いていた。

美人だし、華があるから、振り返る人も多い。

時にはじっと見られることもある。

わたしにとって美鈴ちゃんは、自慢のお姉ちゃんだった。


中学生の頃、雑誌、バースデー派と、レモン派と別れていた。

わたしと弥生はレモン派。付録の便せんと封筒で、手紙交換をしていた。

レモンには、のりピーがモデルでポーズを決め、とても可愛いと思った。


小学六年生の時だっただろうか。わたしは風邪をこじらせ、一週間殆ど何も食べることが出来なかった。

病院にも連れて行ってくれなかった。

最初は、お腹に入っているものを、吐いて、吐いて、吐きまくった。

きゅうりの酢の物が食べたくなり、母親に作ってもらい、美鈴ちゃんがわたしの傍に来て、食べさせてくれた。

布団の側には、洗面器に新聞紙が入っているものを置き、せっかくのきゅうりの酢の物を、全部吐いた。

時には太巻きが食べたいと、わがままを言い、母親に作ってもらって食べてみるが、それもすぐに吐いてしまった。

その新聞紙に吐いた汚物を、処理してくれたのは、いつも美鈴ちゃんだった。

熱が出て、うんうんとうなっていると、美鈴ちゃんが氷枕を持って来て、冷たいタオルをおでこにのせてくれた。

その間、一度も、母親は部屋を訪れたことはない。

そして、胃液と血が混じったものしか出なくなり、遂に気持ち悪くても、吐くものが何もなくなった。

美鈴ちゃんはいつも傍にいて、わたしが洗面所で胃液と血を吐いていると、背中を一生懸命さすってくれた。

それから吐くことが怖くなった。


徐々に少しずつ、水分を取れるようになり、ようやく、食べ物も口に運べるようになった。

当時体重は、四十二キロがわたしのベスト体重だったが(今は全く違うけど…笑)、一週間で三十八キロになってしまった。

その時のことを美鈴ちゃんは、

「あの時痩せて、のりピーそっくりで可愛かった」

と、伝説のように言うようになる。


のりピーと東京の従姉妹は、同じ中学校だが、クラスは違うし、話をしたことがなかった。でも見たことはある、と言っていた。

ちなみに、従姉妹の家の近くに、木梨サイクルもあった。

わたしは東京に憧れた。そして、レモンに着いてきた、タレント募集の履歴書に書き、こっそりタレント事務所に応募した。

一次審査合格の通知が来た時は、舞い上がる程興奮し、胸がドキドキ、地に足がついていない状態だった。

だが、二次審査は仙台。

仙台まで行ける程、お金は持っていない。

もちろん両親には言えない。

あっけなく、タレントへの道は破れてしまった。

そんな時のりピーが、わたしの住んでいるとなり街に、ミニライブのイベントで来た。

わたしは必死になって、母親に頼み、ライブ会場まで行った。

車で着いた時には、もう人は、ごった返していて、遠くからしか、見れなかった。

わたしは背が低いから、何度も何度もジャンプして、のりピーを見ることが出来た。

その後、のりピーは「男のコになりたい」で、デビュー。

わたしはすっかりトリコになった。


美鈴ちゃんは、とても美人だ。美百合お姉ちゃんとわたしとは、全く似ておらず、スタイルも良い。

わたしと美鈴ちゃんが一緒にいると、友達か、わたしの方がお姉ちゃん見られていた。

男女共に好かれるが、たまに女子から妬まれることもある。

高校の時は、応援団に入り、女の子たちから、ラブレターをもらっていた。

そして高校卒業し、会社員となり、二十歳で結婚し、四人の子供のお母さんになる。

しかし旦那さんは、ギャンブル依存症で、パチンコ、競輪、競馬とのめり込み、遂には子供たちの通帳を勝手に解約し、他にも借金を作ってしまった。

美鈴ちゃんは、子供たちの為に必死で働きながら節約していた。

そんな時、督促状が沢山きて、旦那さんの借金は膨らみ、自己破産する、と言った。

その後、子供たちを連れて離婚。

子供たちは長男は働いていたが、長女は高校生、あとは中学生二人だったから、学区は変えず小さなアパートを借り、ひっそりと暮らした。


その辺りから、美鈴ちゃんの運命の歯車が、狂い始める。


数年後、子供たちは成長し、アパートは手狭になり、別の広いアパートへ引っ越す。

そして、長女は就職先が関東に決まり、高校卒業し、すぐにアパートを出て行った。

その後長男が結婚し、アパートを出て行き、残った二人も家庭を持ち、それぞれアパートを出て行った。

美鈴ちゃんは一人になった。

孤独からビールの量が増えていく。


仕事は初め、順調だった。

元旦那さんとの職場を辞め、ある企業の受け付けをし、総務、人事と、移動する。

仕事はバリバリの、キャリアウーマンだった。

ところが、上からの指示で別会社に移動させられ、パワハラを受け、仕事を辞めた。

常に正社員が希望で、介護施設の事務員や、製造会社の事務員など、仕事を転々とした。

いつも辞める理由は、お局に妬まれ、残業を増やされ、必死でくらいつくが、パワハラを受け、徐々に仕事を辞めさせられるように、仕向けられていた。


その後、市役所にパートで務めるが、美鈴ちゃんの席の目の前の人が、発達障害者で、美鈴ちゃんの服装や持ち物を真似するようになり、引き出しのものまで隠すようになる。

酷い時には、大事な仕事の書類を隠されることもあった。

美鈴ちゃんは、ウチに来るたび、

「ばーか、ばーか、死ね!」

と、吐き出すようになる。

たまに母親が、グチを言うと、

「わたしは、お母さんのグチを聞きに来た訳じゃない!お母さんが思っている程強くないんだからね!」

と、はっきりと言う。

わたしは、そんな風に自分を出せる美鈴ちゃんが、時にうらやましく思えた。

美鈴ちゃんのストレスは、益々エスカレートし、うつっぽくなったり、職場で過呼吸になったり、パニック発作を起こすようになった。

女係長に相談しても、相手にしてもらえず、反対に「あなたが優しくしないからよ」と、言われる。

発達障害の彼女の年齢はオバサンで、お客さんのいる前でオイオイと、大声で泣き、美鈴ちゃんが意地悪をすると、係長に訴えるようになった。

そして、市役所の次年度のパートの申し込みをすると、係長は既に他の人に声をかけていて、仕事が生き甲斐だった美鈴ちゃんは、職をなくした。

数年間の間の、あっという間の出来事だった。

美鈴ちゃんは、正社員にこだわっていた。

給料、保険、ボーナスと、きちんとした職場に就きたかった。

だが、年齢的に正社員も、再就職も難しくなってくる。


最初のアパートに引っ越した時に、ウチに遊びに来て、

「お気軽専業主婦はいいよねー」

と、わたしに言った。

わたしは耳を疑った。

美鈴ちゃんからしてみれば、お気軽に見えていたのかもしれない。

でも、決してそんなことはない。

両親に常に怯え、緊張し、夫と子供たちにも気を遣う毎日。

子供たちは、両親のように育てない!と決め、反面教師にし、必死に日々暮らしていた。

掃除機は毎日かけろ!ここに女はいないのか!と、母親に言われる。

疲れて、だらーとテレビを見ていると、あぐらをかいてテレビ見てるなんて信じられない!正座して見なさい!と言われたり、横になっていると、トドのようだ!と笑われた。

そういう母親は、外仕事をして疲れたと言い、ソファに寝転びながら、テレビを見ていた。

そんな話を美鈴ちゃんに言うと、

「そんなの、自分の親だからまだいいよ。姑だったらもっと酷いよ」

と、返された。

わたしは行き場がなくなり、肩を下ろした。


わたしが病気になり、一度目の入院の時、電話をかけてきて、

「どうしてあなたが入院するの?自分で自分のこと、かわいそうだと思わないでね」

と、言われた。

優しかった美鈴ちゃんが、どんどん遠のいていく。

面会にも来て欲しかった。

わたしは、美人でスラッとしている美鈴ちゃんを、看護師さんに見てもらいたかった。

自慢の姉です、と、そう言いたかった。

だが、美鈴ちゃんは、わたしが何度入院しても、一度も面会に来たことはない。

わたしのことを弱い人間だと思い、入院するのが許せなかったのかもしれない。

「わたしだって、うつになったけど、負けたくないと思って自力で治したんだよ!」

と、責められたこともある。

「あなたは誰を守りたいのですか?」

と、入院中にラインできたこともあった。

その時は、何も返事をしなかった。

わたしだって、子供たちや夫を守りたい。

でも、頭が、心が、体が、いつもいつも悲鳴をあげる。

いっそのこと、死んでしまえばラクになる。

何度も何度も、自分を責めた。

入院は、年に一度、三ヶ月のペースで、いつも保証人は、夫と美鈴ちゃんだ。それは申しわけないと、常に思っている。

だが、声が出なくなったり、過呼吸や、パニック発作、時には倒れる。心と体が伴わない。

そして悪夢にうなされる…。

美鈴ちゃんに、「うつと、うつっぽいは違うんだよ」と、言ってみるが、美鈴ちゃんは自分でうつ病になったと、勘違いをして、いつもわたしを責めるようになった。

ウチにきた時、わたしが横になっていると、

「ぴーくん(夫)だって、和希だって、温花だって、眠いの我慢して働いてるんだよ!何で寝てばっかりなの?世の中金だよ!金、金、金!お金がないと大変なんだよ!うーちゃんはそういう経験したことないから、わからないんだよ!何で仕事しないの?」

と、ズバッと言われたこともある。


心の中の小さなわたしは、益々恐怖に怯え、背中を丸めひざを抱えながら、自分を責め続けた。


ラブホテルの清掃員の仕事を見つけた。

週に二、三日でもOK。勤務時間も応相談。時間帯も日中だけで良かった。

その仕事なら、人目も避けられるし、人間関係で悩むこともないかもしれない。

本気でそう考えた。

夫に相談してみるが、反対されてしまった。

就労支援の事務所にも行った。そこで、ぽかぽかの佐々木さんと、久々の再開をする。

毎日出勤。日替わりで作業も異なる。

花屋の手伝い、野菜の出荷場、週に一度のミーティング、それならわたしも出来そうだ。

少し期待を持つ。

だが、自分たちでメニューを決め、買い物に行き、揃って食べることもあると聞かされた。

わたしは説明を受けているうちに、少し覚悟が出来てきた。だが、佐々木さんに、

「みんな若い子たちで、何が旬なのかわからないし、スーパーの買い物も難しい。あなたが来てくれると、買い物やメニューがスムーズに出来るから、是非来て欲しい」

と、言われた。

わたしはその為に来るのではない。 期待されるのが怖いし、自信もない。

家庭料理なら、何とかこなしてきたけど、みんなと食べるメニューなんて、プレッシャーだ。

きっとわたしが先頭になり、知ったかぶりで教えることになるだろう。

そう思うと怖くなり、二度とそこには行かなくなった。


結局、仕事は見つからず、家でふさぎ込む毎日。そして、入院を繰り返していた。

そして入院中に、夫とわたしの通帳のぶつかり合いが起こった。

わたしは、自分で本音を言えたことが嬉しかった。新たな一歩をふみだした気がしていた。


三ヶ月後、退院。

冬の間入院し、安らぎの春を迎える。

桜が満開になった。

でも、桜を見ても、全然キレイだと思えなくなっていた。

そして農業が忙しくなり、わたしはスーパーに行き買い物をし、食事の支度をする。

だが、時間はかかるし、思うようにはかどらない。

しまいには、作り方まで忘れていた。

あんなに手作りにこだわっていたのに、全てが上手く進まない。

情けなくなる。

仕方ないから、次は惣菜を買った。

自分が許せなかった。


農作業も一段落し、お盆がやってきて、美鈴ちゃんはいつものように、ビールを飲みながら、時には焼酎に変え、料理を作った。

孫たちも増え、賑やかな、でも笑顔が耐えない一日だった。

美鈴ちゃんの子供たち一家は、それぞれ自宅に帰る。

美鈴ちゃんは父親に「飲みすぎだ!」と言われるが、「こういう時くらい飲んだっていいでしょ!」と、反撃。

両親はさっさとお風呂に入り、先に寝室へ行った。

美鈴ちゃんは、仕事が休みの日はどこにも出かけず、朝からアルコールを飲むようになっていた。

ビールから、アルコール度数の強い焼酎に、徐々に変えていった。

そして、事件が起きる。


このお盆の日、和希は次の日も仕事だから、と言い、いつも通りの時間に床に着いた。

温花は酔っ払い相手は出来ないと言い、自分の部屋にこもった。

そしてキッチン&リビングに残されたのは、夫、美鈴ちゃん、わたしの三人だけになる。

夫も美鈴ちゃんもアルコールが強い。意見も合い、飲みながら話に花が咲く。

夫がビールを取りに冷蔵庫に行き、リビングに戻ろうとすると、美鈴ちゃんは夫に絡み始めた。

夫は手にしたビールを、テーブルに置いた。

淡いブルーのノースリーブのワンピースを着た美鈴ちゃんは、フラフラと夫の傍に行き、夫の首の後ろに手を回し、背伸びしながら頬と頬を重ねた。 キスをする目前だった。

夫も満更でもない様子。一応、「おっとっと」と言い、美鈴ちゃんの手をはずした。

今度は、二人で指と指を絡ませ、押し合いをする。そしてまた、美鈴ちゃんは夫に抱きつこうとした。

思わず夫は椅子に座った。


わたしは目を疑った。

この人たちは、わたしの目の前で、何をしているのだろう、自分たちのしていることが、わかっているのだろうか。妻のいる前で、妹のいる前で、なぜ、イチャイチャしているのだろう。

わたしは呆気にとられ、ショックを受け、体を動かすことも、声を出すことも出来なかった。

ただ、二人のイチャイチャぶりを、黙って見ているしかなかった。

体が熱くなり、背中が痛くなった。 目を見開き、目の前で起こっていることを、しっかりと頭の中に焼き付けてしまった。

胸はギューッと痛みだし、足を動かしたくても、一歩も動かせない。

立ったまま、金縛りにあっているようだった。


その時、温花が心配そうにし、二階の部屋からリビングへ下りてきた。

そっと廊下から顔を覗かせ、

「美鈴ちゃん、大丈夫?」

と言った。

わたしの金縛りはようやく解ける。

夫は椅子に座ったままで、美鈴ちゃんは立ったまま、両手を広げていた。

以前美鈴ちゃんは、飲みすぎて記憶をなくしたことがある。そのことを思い出し、温花が様子を見に来たのだ。

美鈴ちゃんは、温花の部屋で寝ることになっていた。

金縛りから解放されたわたしは、もう、どうにでもなれ!と思い、先に寝室へ行った。

情けなさと、悔しさを半分持ち、それなのに、酔っ払った二人が、階段から落ちなければいいな、とも、思っていた。

涙をこらえ、頭から布団を被り、夫とは逆の方を向いて体を丸めた。


そして、やっと解散。

夫はフラフラと酔いながら、歯磨きを始めた。

美鈴ちゃんは、温花に支えられながら、ゆっくりと階段を上って行った。


わたしは一部始終を、温花が見ていなかったことにホッとしていた。


そして次の日、これは言わなくてはダメだ、と思い、起きてスマートフォンを見ている夫に、

「わたしが、どんな気持ちで二人を見ていたか、わかる?」

と、ベッドの中で詰め寄った。すると、夫は、

「だって美鈴ちゃんが抱きついてきたから、支えないと倒れると思ったから…」

と、平然と答えた。

悪びれた様子はなかった。

これ以上言ってもムダだと思い、胸のモヤモヤ感を引きずったまま、その話をわたしの心の中に埋めた。

同じ質問を美鈴ちゃんにも訊いた。

「えー?そうなの?ぜっんぜん覚えてないよぉ。大丈夫、わたしは見た目は女だけど、中身はオッサンだから。あははは」


酔っ払ってみたい…。

つくづくそう思った 。


美鈴ちゃんもまた犠牲者だ。本当は母親に甘えたかったのに、甘えられなかった。

「一番しっかり者」と言われ続け、甘えてはいけない、と、思い始めた。 自分が家の手伝いをすることで、「頑張っているわたしを見て」と、言いたかったのかもしれない。

大人になった今では、ウチにくると両親に敵意を現す。それはきっと、甘えたかった自分を、認めてくれなかった、本当の自分を見てくれてはいなかった、という気持ちからの逆襲なのかもしれない。

美鈴ちゃんは、ずっと甘えたい気持ちを抑えてきた。だから、わたしが入院することが、「甘えていること」と思い、許せないのかもしれない。



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