第四章 耐える
15
夫が関東方面へ、単身赴任に行く前に、わたしに一本の電話がかかってきた。
それは近所の人で、わたしより一つ下。
小学生の頃、よく家に遊びに行っていた子である。
「由香里」。彼女の名前だ。
由香里ちゃんは、わたしがイジメられていた時に、
「大丈夫だよ。うーちゃんは、わたしと遊べばいいんだから」
と、慰めてくれた。
ショートカットの黒髪が似合っていて、運動神経も良く、ハツラツとしていて、優しい子だった。
中学の時も、わたしと同じバレー部に入り、バレーのセンスも良かった。
そんな由香里ちゃんからの、突然の電話。
それは仕事の話だった。
いつも仕事は、向こうからやってくる。
仕事の内容は、社員食堂の調理補助。
由香里ちゃんは、その会社の事務員をしていた。
「うーちゃんどう?一週間に三日くらいの日数で、土日も祝日もお休みだし、九時から一時半までなんだ」
条件としては文句なし。
家事にも負担がかからないし、子供たちに「行ってらっしゃい」を言い、いざとなった時に学校へも迎えにも行ける。
家族とも相談してみるから、と言い、一旦保留にしてもらい、電話を切った。
そして、みんなでテレビを見ている時に、
「由香里ちゃんからこういう話がきたんだけど…」
と言うと、すぐさま両親と夫は、
「今すぐにでもOKと言いなさい」と、一致団結して言った。
だが、わたしの頭の中で、中学の時の、家庭科の授業をよみがえらせる。
本当に苦しかった。
いつもクボレイの顔色を窺い、バクバクと心臓は高鳴り、突然怒鳴られる。
またあんな恐怖を、味合わなければいけないのだろうか…。
不安と心配で、心の中で自問自答を繰り返す。
そして「やってみること」に決断した。
やはり、色んな条件が良かったからだ。
次の日、由香里ちゃんに電話をかけ、「お願いします」と、返事をすると、明日から早速頼みたい、と、言われた。
あれよ、あれよとバタバタしている間に、出勤時間に近づき、八時半に家を出た。
会社までは車で15分弱。通勤時間も文句なし。
車のハンドルをぎっちりと握りしめ、ハードな曲を流し、気分を高ぶらせようとする。
だが気持ちは正直で、ひたすらまっすぐな道のりを、わたしはゆっくりと車を走らせた。
駐車場に車を停め、事務所に挨拶をしに行った。
ぱちぱちと、か弱い拍手。
それもそうだ。
会社員の人たちと賄いとは、仕事内容が全く違う。拍手をもらえるだけでも良い。
食堂の建物は別棟だ。由香里ちゃんからカギを渡され、食堂まで案内された。
由香里ちゃんはにこやかに、
「緊張してる?大丈夫。家でやってる家事と同じだから」
と、わたしをリラックスさせるように、一言言うと、事務所へと戻って行った。
まず階段を上がり、厨房の扉のカギを開ける。扉は引き戸で、静かにガラガラと音が鳴った。
思っていたよりも厨房は狭い。
更に奥に行くと、トイレと六畳の和室があり、トイレの反対側には、クローゼットがあって、そこに作業服と厨房用の真新しい靴が置かれていた。
誰もまだ来ない厨房と、カウンターをはさんで、向かい側にある食堂は、静まり返っていた。
わたしは、家から持ってきた、かっぽう着の袖に腕を通し、後ろのヒモをキュッと結ぶ。
戦闘開始だ。
モップを濡らし、ほうきとちりとりを持ち、食堂の電気をつけ、掃き掃除から始める。
そして、モップで床をゴシゴシと拭いていく。
手を洗い、テーブルを拭き、箸やコショウや、しょう油が載せてあるトレイを、食器棚から取り出し、各テーブルに置く。
そのあとは、今日昼食を食べる人数を確認。
各自、名前の書いてある紙が壁に貼ってあり、日付けに沿って〇の印がついてある。
その〇の数を数えるのだ。
何度も数え、メモをした。
焦りとドキドキが止まらない。
これで大丈夫なのだろか…。不安でいっぱいになる。
先にトイレを済ませ、奥の和室に入り、かっぽう着から白い作業服に着替えた。
白くて真新しい作業服は、パリパリと音がして、全然体に馴染まない。白い帽子も被り、髪の毛が出ていないか、鏡でチェック。
厨房専用の靴は、底のゴムの臭いが強くて、鼻の奥までキューッと香りが残った。
そうしているうちに、下の方からガラガラと扉の開く音が聞こえ、「おーい!」と声がした。
わたしは靴を履き替え、急いで階段をかけ下りると、そこには大鍋や、クーラーボックス、スーパーの袋に入った野菜などが、階段に置かれていて、丸っこくて背の低い、年配のおばさんが立っていた。
「この材料を厨房まで運んでちょうだい」
挨拶を交わす前に、そう言葉で指示され、三回程階段の昇り降りを繰り返し、全て厨房のカウンターの上に置いた。
その丸っこくて背の低いおばさんは、この食堂のリーダーであり、メニューを考えたり、他の正社員の人にも指示する人だった。
息切れをしながら、白石です、と、先に名前を言われ、わたしも慌てて名前を言い、「よろしくお願いします」と、挨拶をした。
白石さんはニコニコし、「今日の人数は?」とか、「掃除は終わった?」と訊いたあと、メニューを書いた紙をわたしに渡して、わたしは指示されたように、食堂にある白いボードのメニュー表に、月~金曜日までのメニューを書いた。
思い出すと恥ずかしいことだが、わたしは「トリニク」のことを、「鳥肉」と書いてしまった。あとから、「鶏肉ね」と言われ、顔が熱くなったことを覚えている。
白石さんとクボレイは、そっくりだった。
体つきも、目つきも、言い放つ言葉も、態度も…。
違うのは「お金をもらうこと」だけだった。
のちに、もう一人のパートさんも紹介され、そのパートさんはわたしとすれ違いの曜日を担当し、もうすぐ定年を迎えると言っていた。
それから、正社員の上田さん、五所川原さんも、交互に一緒に働くようになった。
会社から車で三十分のところに、社員寮があり、正社員の三人は、社員寮の食堂と、こちらの食堂と掛け持ちしていることを、あとから聞かされた。
そして、仕事が慣れた頃に、夫は関東方面へ行き、わたしは、もっとしっかりしなくちゃ、と、自分に言い聞かせた。
食堂の仕事は順調に進んでいったが、わたしの両手が悲鳴をあげ始めた。
「ケンショウエン」。
慣れない重さの炊飯器や、大鍋、寸胴鍋、数ある食器を持っているうちに、両手が痛みだした。
仕事は、治るまで待ってるから。と言われ、しばらく休むことにした。
特に手首と親指の関節が痛く、整形外科に行き、ブロック注射を、何度も何度も繰り返し打ってもらった。
一時的には良くなる。
仕事は休めても、家事は休めない。母親からは、
「なんだ?そのくらいで仕事休んで」と、言われ、家事は手伝ってもらえなかった。
洗濯物を干す時に、洗濯バサミに少し力を入れただけで、ビリビリーッ!とした痛みが激しく流れる。それでもガマンして、一時間かけて干した。
料理もわたしの仕事だ。
ほうれん草を茹でて絞ると、親指の関節が悲鳴をあげる。
それでもわたしは、できる限りのことをした。
スーパーに行き、惣菜を買う時もあった。
わたしは母親の味をよく知らないから、今までなるべく手作りをしてきたが、両手がいうことを効かなくなり、罪悪感を持ちながら、惣菜をカゴに入れた。
支払いも、店員さんに頼んで、財布からお金を抜き取ってもらった。
情けない、悔しい、こんな単純な作業も出来ないなんて…。
母親に頼りたくても、母親は、いつもの畑と、踊りと、近所の会社のパートで大忙し。
頼めるはずもない。
時には胸が熱くなり、涙が出そうになってもぐっとこらえ、大丈夫なふりをして、家事をこなした。
その分治りは遅く、普通の生活が出来るようになるまで、半年かかった。
それでも、白石さんたちは、わたしを待っていてくれた。
その後母親から、
「アンタみたいに長く休んで、また復帰できる会社なんてないよ。反対にお金を払わなくちゃ」
と、あはははと笑いながら言われた。
わたしも同感してしまった。
更にもっと一生懸命仕事をしなくては…、と思い、自分を奮い立たせた。
仕事は益々難しくなっていく。
そして、わたしとすれ違いで働いていたパートさんが、退職し、わたしと母親と仲良しの、靖江さんという近所の人が新しく入った。
白石さんも、もうすぐ定年を迎えると聞いた。
白石さんは焦り、笑顔もなくなり、反対側のステンレスを鏡代わりにし、わたしの仕事ぶりを覗いていた。
緊張は益々酷くなる。
慣れることより、毎日が必死で、怒鳴られることも、しょっちゅうになった。
時には、靖江さんもわたしと一緒の日に入り、白石さんから、難しい料理を教えてもらっていた。
二人で並んでコンロに向かい、それぞれの仕事をこなしていく。するといつの間にか、白石さんが腕を組んで、
「何やってるの!」と、耳がキーンとなる程の大きな声で、後ろに立つこともあった。
日増しに白石さんの足音が気になりだし、階段を上がってくる足音で、ビクビクしてくるようになった。
それでも、お金をもらっている以上、靖江さんと一緒に励まし合いながら、必死になって働いた。
そして白石さんが定年の年を迎えた。が、白石さんは延長することになり、白石さんの代わりを靖江さんがすることになった。
そして、新しいパートさんを探すことになった。
その時頭に浮かんだのは、夫の幼なじみで料理が好きで、わたしがデパートにいた時からのお客さんの、明子さんだった。
明子さんもわたしと同じ専業主婦で、子供たちの手が離れたから、働きたいと言っていた。
もちろん、白石さんの話もしたけれど、明子さんは、「わたしは料理が得意だから」と言い、少し通勤距離があるけど、勤務時間もちょうどいいと言ってくれて、一緒に仕事をするようになった。
夫に電話で報告すると、「大丈夫かぁ?」と、心配された。
わたしは、二人一緒なら大丈夫だよ、と返事を軽くした。
仕事内容はもっと難しくなり、わたしはポテトサラダや和え物、豚汁や茶碗蒸しなど、任されるようになった。
果たして、わたしの作った料理は、大丈夫なのだろうか、と、いつも、いつも悩んでいた。
全く自信がなかった。
明子さんも仕事で苦労し始め、お互い白石さんが辞めるまで、頑張ろうとコーヒーを飲みながら、励ましあった。
数年後、明子さんの態度が変わり始める。
その時にはもう、白石さんは辞めていた。
それは、靖江さんから聞いた。
靖江さんとペアになった時、立ちながら後ろで足を組んで、ゴボウのささがきを一時間かけてやったと言う。
五所川原さんも、最近何か聞いてない?と、わたしに訊くようになった。
上田さんと組んだ時は、完全にばかにするようになり、言葉遣いも悪くなった。
そんなある日、突然由香里ちゃんから、
「明子さん、退職願い出したよ。何か
聞いてない?」
と、言われた。わたしは驚き、目を丸くした。
わたしは今までのことを、正直に由香里ちゃんに話した。由香里ちゃんは、「うーちゃんだけ、ひいきしてる」と、言っていたと言う。
わたしは益々驚く。
由香里ちゃんに、
「そんなことないよ。いつも通りに一生懸命してただけだよ」
と、答えた。
でも考えてみれば、最近、会おうよとか、コーヒー飲もうよと誘っても、断られていた。
そういえば、わたしと五所川原さんと待ち合わせして、映画を観たことがある、と言った。
そのことで腹が立ったのだろうか。 だが、傍で話を聞いていた靖江さんが、明子さんも五所川原さんと一緒に、ご飯を食べに行ったことがあるらしいよ、と、教えてくれた。
なぜ、ひいきしてるなんて…。
わたしが何かしてしまったのだろうか。
由香里ちゃんは、明子さんの態度もおかしくなっていたし、うーちゃんより料理が出来るのに、わたしに料理を任せてくれない、と、訴えていたと、教えてくれた。
結局明子さんは、サーッと辞めてしまい、送別会の時には、わたしと離れた席に座り、目を合わせることも、会話をすることもなくなった。
その時には夫は、会社を退職し、家から近くの会社に務めていた。
そしてわたしの話を聞き、
「ほらな、友達通しで職場が一緒だと、何か起きるんだよ。逆に、最初から職場が同じで、仲良くなった人とは、上手くいくんだよな」
と、言った。
あの時夫が電話越しに、「大丈夫か?」と聞いてきたのは、このことだったのか…。と、思い知らされた。
その後、未だに年賀状は、毎年手書きで届く。それは、夫と明子さんの夫が、幼なじみだからだ。
わたしとのやり取りは全くない。
スマートフォンに残した住所も、電話番号も、ラインも、全て消した。
私は独身の時から、明子さんとご飯を食べたり、楽しい話をした。子供たちが生まれてからも、しょっちゅう、明子さんの家に遊びに行った。
子供たちが小学校に行くようになってからも、また明子さんの家で何時間も過ごした。
わたしたちの、二十年間の仲良しつき合いは、いったい何だったのだろう。
このことは、わたしの脳裏から離れず、一種のトラウマになっている。
16
夫の単身赴任中に、お祖母ちゃんの十三回忌をすることになった。
その時両親は、小さく行うから、わざわざ呼ばなくてもいいんだ、と、夫には知らせずに、お寺で拝んでもらうことにした。
その日は平日で、子供たちが学校に行っている間にしようと決まった。
当日。
濃いめの灰色の雲が、空全体に浮かび、どんよりとした、湿った空気が漂っていた。
雨が今にもすぐに、降りてきそうだった。
その日は、となり街に住んでいる、父親の兄夫婦を呼んだ。
それから、たまたま同級会で東京から帰省していた、フミ子おばちゃんがいた。
そしてわたしの姉の、美鈴ちゃんも来た。
美鈴ちゃんは、夫のギャンブル依存症で離婚し、四人の子供たちを引き取り、立派に子育てをしていた。
お寺で拝んだあと、みんながウチにきて、料理を出し、お昼ご飯を食べた。
その時である。
父親は突然、
「本当は美鈴を跡取りにするはずだった。一番頼りないのが残った」
と、みんなの前で公表した。
母親も小さく、うん、うんとうなづいている。
わたしは驚き、「今何を言ったの?」と、心の中で呟いていた。
一瞬時間が止まったように、みんながシーンとする。
わたしの中で、一本の糸がプツッと切れた。
何事もなかったかのように、わたしが料理をテーブルに運んで行くと、フミ子おばちゃんが、静かな声で、
「そんなことないよ。うーちゃんだから良かったんだよ」
と、言った。
だが、言葉は取り消せない。
しっかりと頭の中にインプットしてしまった。
そのあと両親は、のんきに笑い、となり街のおじちゃんは、ビールを飲み、その奥さんのおばちゃんは、料理を堪能していた。
その時である。
濃いめの灰色の雲が、空全体を暗くし、ぽつりぽつりと、優しい雨が降りてきた。
次第にその雨は段々と激しくなり、地面を叩きつけるように、強く降った。
これはきっと涙雨だ。わたしの代わりに、空が泣いてくれている…。
わたしの瞳にも、雫が降りてきそうだったが、わたしは目の前にあるお茶碗を洗うことに、集中した — 。
夫には事後報告で、法事の話をしたら、
「オレは家族じゃないのか!法事なら休みを取ってでも帰ったのに!」
と、怒られた。
考えてみれば確かにそうだ。どうしてわたしは気づかなかったのだろう。
わたしはわたしを責め続けた。
数日後、美鈴ちゃんが用事があって、ウチにきた。その時にも父親は、「だからあんなところに嫁に行かないで、ウチに残れば良かったのに」
と、言った。
また父親の本音が出た。
その言葉は、わたしを酷く締め付ける。
わたしの中の、もう一本の糸が切れた。
夫は三年間の期限付きで、単身赴任をした。ところが会社側は、また三年と延ばしてきた。
わたしたちは、これ以上バラバラで暮らすのは無理だと判断し、夫は大手会社を退職し、家から車で十分程の近くの会社に務めた。
この会社も二交替勤務だった。
求人票を見てすぐに決断して入ったのだが、かなりのブラック企業で、早い人では、一日で辞める人もいた。
夫は前の会社と比べ、あまりの理不尽さに激怒した。
家の空気も悪くなっていく。
それでも夫は、気持ちを切り替え、今でもその会社に務めている。
年齢的にも再就職は難しいし、家業の農業をするのには、今の会社には融通が聞くからだ。
本音を言えば、クソみたいな会社だと思っているはず。でも、プライドを隠し、わたしたち家族の為に働いてくれている。
そんな夫にとても感謝している、
そして和希の高校受験、温花の中学入学が来た。
和希は志望校にらくらく入学。ひっそりと楽しい学校生活を始めた。
温花は小学六年生の時から、剣道を習い始め、中学に行ってもそのまま剣道を続けた。
頭と、手から肘までの防具は、自分専用で買わなくてはならない。
袴は一つで良いが、道着は、夏用と普段用と揃える。
竹刀は、初めは竹の安い方で、一本三千円の物を数本購入。しかし、練習中にすぐに折れてしまう。
仕方なく、一本一万円のカーボンで作られている、竹刀も購入した。
わたしはなるべく練習を見に行った。
部室は狭くて防具は置けないから、いつも迎えに行く時に持ち帰り、次の日、練習前に体育館の入口に置いて置かなければならなかった。
練習は毎日。
土日は常に練習試合や、大会が入る。
温花は、女子の中では背が低く、痩せていて、他の子より努力しないと負けてしまう。
柔道みたいに、体重で相手と勝負する訳ではないから、小さくて痩せていることは、試合には不利だ。
それでも歯を食いしばり、先鋒で試合に望む。
体格の良い子と当たれば、ちょっとぶつかっただけで、転んでしまう。転んで立ち上がる最中も、試合は続行する。
顧問の先生は二人いて、男の先生は遠藤先生、女の先生は島田先生だ。
わたし以外のお母さんたちは、子供たちがもっと小さい時から、剣道を習わせていた。
だから顔なじみだし、練習の時の心得や、試合の準備はお手の物だった。
試合中は、観客は声を出してはいけない。買っても負けても、静かにしなければならない。
そして一人のお母さんが、
「島田先生が受け持った生徒で、うつ病になって、学校に来れなくなった人がいるんだって」
と、島田先生のウワサ話をした。
わたしは胸元がザワつき、どきっとした。
温花は我慢強くて、でも試合になって負けてしまうと、悔しくて泣いていた。そしてそのたびに、島田先生にメンタルが弱いと、叱られていた。
その反面、遠藤先生は肩をトントンと叩き、励ましてくれていた。
その姿がとても痛々しくて、わたしの中にも、ぐっとくるものがあった。
「お母さんがそんな顔してると、温花ちゃんまで不安になるよ」
ママ友(?)からの要らぬアドバイス。
練習試合は県外の時もあった。
その時は朝五時集合なのだが、実際は、五時出発だった。
温花は、いつも練習でクタクタの体だけど、わたしは四時に声かけをし、それから五分おきに、部屋まで起こしに行く。
だからわたしは、お弁当を作らなければいけないから、三時前には起きていた。
夏以外はいつも外は真っ暗で、星がピカピカと小さく輝いていた。
新人戦や中総体は、ウチの中学校でやることが殆ど。
体育館がキレイなこと、二階には広い踊り場がぐるっとあって、そこで生徒たちがご飯を食べたり、父兄が観覧することが出来るからだ。
そして二階の奥には、来賓方が休憩出来る部屋があり、そこでお弁当を食べたり、コーヒーを飲んだりすることが出来、試合会場としては、持ってこいの場所だった。
そのたびにわたしたち母親は、素早く準備を整える。
わたし以外のママ友(?)は、要領がわかっているし、誰もわたしには教えてくれない。
見よう見まねでみんなについて行き、「これやりますか?」「あれやっときますね」と、自分から率先して仕事を見つける。
一人のママ友(?)が、来賓方のお弁当を注文し、それが届くと、二階の部屋に数人行き、お弁当を並べ、コーヒーやお茶の準備をする。
わたしはそれがわからなくて、一人でパイプ椅子に座っていると、いつの間にかわたし以外のママ友(?)が、その部屋に揃い、試合前のコーヒータイムを味わっていた。
別にみんなが、わたしを仲間ハズレにした訳ではない。
わたしがその要領を、知らなかっただけだ。
わたしは一人、取り残された気分になり、反省と落ち込みと、心の奥で交互にしていた。
その他の大会は、市内の体育館や、となりの市の体育館、他の中学校の体育館の時もあった。
個々で移動しなければなくて、わたしはいつも前もって、場所と、車で何分かかるか、直接チェックしていた。
夫は協力的ではない。むしろ、そこまでやるか?みたいな感じだった。
両親の口の悪さも、ここぞとばかりに発揮し、温花のいる前で先生の悪口や、ママ友(?)の悪口を、ツバを飛ばしながら散々言っていた。
わたしは、せめて温花の前では言わないで欲しいと頼むが、「だって本当のことだもの」と、母親は普通に言った。
わたしは切なくて、苦しかったけれど、温花の方が何倍も苦しく、嫌な気持ちになっていたと思う。
そんな時に、ママ友(?)が話していた、島田先生と生徒のうつ病のことを、思い出していた。
ママ友(?)たちとわたしの温度差は、かなり違っていた。
わたしは必死に食らいついて行く。 温花が、恥ずかしい思いをしないようにと、それだけを思う。
ママ友(?)たちは、遠い場所だろうが、県外だろうが、夫婦揃って追っかけをしていた。
子供たちは先生と一緒に、先に、中型のバスに乗り、会場場所に行っていた。
わたしはそこまで運転出来ないし、帰りが遅くなると、ご飯の支度が出来なくなり、母親に叱られる。
バスが帰ってきた時に、迎えに行くと、島田先生が、
「温花さんはメンタルが弱いから、強くしてあげてください」
とか、
「一ヶ月以内に、体重を三キロ増やしてください」
と、わたしに言うようになった。
プレッシャー…。
そして他のママ友(?)たちも、
「温花ちゃんのお母さんが来ない時に、いつも勝っているんだよー」
と、言い、会場に行かなかったわたしが、責められているような気がした。
確かに強いことは嬉しい。
だが、そこまで追い込ませて、休みもなく、遊ぶ時間もなく、それで勉強もおろそかにするなとは、何の為に学校に行っているのか、わからない。
夫や両親と同じ意見だけど、わたしだけは、温花の味方をしなくては、と、いつも思っていた。
温花は思春期突入で、八つ当たりはいつもわたしの役目だった。
「美鈴ちゃんがお母さんだったら良かった!」
と、言われた時は、宙に足がついていないような、頭がふわふわ浮いているような、体がバラバラになったような、何だか人ごとのような気がし、泣きたいけど泣いちゃいけないと思い、笑ってごまかすしかなかった。
剣道はどんどん、強くなった。
団体戦で、三位や二位まで取れるようになった。個人戦でも優勝する子がいたり、二位や三位でメダルや賞状をもらう子が増えてきた。
ママ友(?)たちの熱気は、更にムンムンと上がっていた。
冬休みの一月三日から、二泊三日で、青森で、他の高校生や大学生との合宿が行われた。
温花にとっては、地獄の合宿だった。
山盛りのご飯をよそい、残さず食べなければならなかった。
練習よりもそっちの方が、ツラかった。
わたしも、普段から出来るだけ食べやすいようにと、おにぎりを工夫したり、夜中に起きては、温花の大好きな太巻きの、小型版を、眠い目をこすりながら、頑張って作った。
試合が終わったあと、わたしの作ったおにぎりや太巻きを、ホッとしながら食べる姿が、愛おしく感じた。
美鈴ちゃんの四番目が、友達を連れタイヤ交換をしに、ウチにきた。
四番目は金髪に近い茶髪で、ダボダボのジーンズを腰まで下ろし、中に履いているパンツが見えた。
ヤバい!
わたしは父親の顔をちらっと見た。
予想通り、しかめっ面をし、首を傾げ、ジロジロと二人を見ていた。
タイヤ交換を終えた二人は、車のすぐ側にしゃがみこみ、タバコをふかし始めた。
父親の顔は真っ赤になっていた。
その日の夕ご飯。
夫は夜勤で既に会社に出勤していた。
それを良いことに、父親は、美鈴ちゃんの四番目の悪口を、言い始めた。
「あんなだらしない格好で、ちゃんと仕事してるのか?」
お酒の量が増えてくる。
「まさか、普通に行ってるよ」
わたしはなるべく普通に答えた。
母親と和希と温花は、無言のまま食べている。
父親は言い足りないらしく、悪口を続ける。
「せっかく食べているんだから、もうその話はいいよ。やめて」
わたしは、子供たちの顔をちらちらみながら、そう言った。
やっと、父親の口が黙る。唇を尖らせ、モゴモゴしている。そして、
「あんなふざけた奴は、見たことがない!」
と、また喋り始めた。
わたしは、もうやめて!子供たちの前で、大好きな従兄弟の悪口は、もう言わないで!やめて!やめてー!と、言葉を声に出すことか出来なかった。
この時、鉄の塊のような丸いものが、胸の中にバン!と入った気がした。
母親は知らんぷりで、ただ、黙ったまま、ご飯を食べ続けた。
わたしの中の最後の一本の糸が、思いっきり、ギリギリと音をたて、ブツリッ!と切れてしまった。
そして次第に、わたしの体には異変が起き始めていた — 。
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