第1話【崩壊】


ポチャン


 餌の付いた針がそんな音を立てながら水面を揺らす。

 数時間前には川に到着して遊び始め、母さんが作ってくれたサンドイッチで昼食まで済ませた僕らに静かな時間が訪れている。

 少しオレンジがかった暖かい太陽の光と気持ちいいそよ風、水の流れる音は僕らの眠気を誘ってくる。


 しかしこのまま寝て夜になってしまったら大変なことになる。

 そう考えた僕は、前から考えていた将来の夢を二人に話してみることにした。



「……ねぇ、成人したら三人でこの山脈の外に出て旅をしようよ」


「でも人間族は彼等以外の種族には冷たいって聞くよ、仲良くできるの?」


「いいなそれ! 楽しそうじゃねぇか!!」



 乗り気なウルスに対し、ミアは不安そうな返事をする。


 山脈の中で平和な暮らしを続ける僕たちにとっての外界とは、”人間族”について書かれた少しの本と、村の大人たちから伝えられる本当かどうかわからない眉唾物の情報ばかりで、それも外界へ出ようとする者を減らしたいからなのか、恐ろしい話ばかりなのだから仕方がない。


 外界へ行きたいと言っている自分も決して不安がない訳ではない。ただこの二人とならどんな事も乗り越えられる気がしているという根拠のない自信と、広い世界をこの目で見てみたいという純粋な好奇心が恐怖心よりも強いだけだ。



「僕らなら大丈夫だよ、いざとなったら”魔術”も使えるし。……それに人間族だって色んな人が居ると思うんだ。僕とウルスは兎の丸焼きが好きだけど、ミアはそれよりも果物の方が好きでしょ? そんな感じの事だと思うんだ」


「そういう物なのかなぁ……」


「レオお前良いこと言うな。 大丈夫だミア、なんかあったらこいつが体張って守ってくれるよ!」


「いや……そこはみんなで何とかしようよ」



 僕よりも力持ちなのに任せようとしてくるウルスにツッコミをいれると、彼は豪快に笑う。

 ミアはまだ納得してなさそうだけど、成人するまではまだまだ時間がある。それまでに何とか説得しよう。世界を回って色んな面白い事を三人でやりたいんだ。



 しばらく外の世界について話しながら釣りをしていると、太陽の色はいつの間にかより一層オレンジに輝き、もうそろそろ帰る時間だという事を示していた。



 帰り道、今日釣れた魚がどんな料理になるか話していると、いつもこの時間森まで漂ってくる街の家から出るおいしそうな料理の匂いとは違う、何かが焦げたような匂いが街に近づくにつれて濃くなっていく。



「何この匂い、焦げ臭い……」


「火事か何かか?少し急ごうぜ」



 心配になり小走りで森を抜け街を目にしたところで、僕たちは言葉を失った。


 普段は釜戸からの白い煙しか上がらないぐらい平和な街からはモクモクと空を覆うほどの黒い煙が上がり、その煙によって夕日は遮られているのにも関わらず太陽のように明るいオレンジや赤い色の光が街を包み込んでいる。


 街を囲う城壁はもうその役目を果たせないと一目でわかるくらい崩れていて、壁ではなく柱と呼んだ方が適切な表現になる程には原型を留めていない。


 明かな異変に呆然としていると、一本の細い光の筋が一瞬空から街を差した。一拍置いた後に大きな音と光が発生したことで、それが何者かによる攻撃なのだと理解する。


 攻撃してきた何かを見つけるために空を見上げると、街から上がった黒い煙に包み込まれた空の中心に、一際大きい光をその身から放つ人らしきシルエットの何かが浮かんでいる。


 再度その何かから飛び出た光が差した方向から、先程と同じように轟音と眩い光が上がり、その場所が爆発したのだと知らせる。



「……イヤアアアアアアァァァァッッッ!!!!!!」


「なんだよ……これ……」



 さっきまでは考えすらしていなかった目の前の光景に圧倒され呆然と立ち尽くして居たが、ミアの叫び声で我に返った。


 思考を巡らせなくともわかる。何者か、人かもわからないあの空の中心にいる何かが街を攻撃している。


 横を見ると地面に膝をつき涙を流すミアとまだ放心状態のウルスが居るが、このままここに居ても良くて街が破壊されていくのを見ているだけ、悪ければ巻き込まれて意味も分からず死ぬだけだ。


 震えて動かない足を思いきり殴り気合いを入れる。腰が抜けて動けなさそうなミアを抱え、いまだ呆然と立ち尽くすウルスの肩を全力で揺らすと、こっちを振り向いたウルスの目は少しだけ正気を取り戻したように見えた。



「逃げよう!! 早く!!!」



 とにかく被害が及ばない場所で、今街に何が起きているか把握しないといけない。


 家族は無事なのか、街はすべて破壊されたのか、あれは何なのか、一心不乱に街を見渡せる山の中腹にある開けた場所を目指して走る。


 ミアを抱えているにも関わらず、いつもの半分の時間で着いたその場所で後ろにある街を振り返ると、もうそれは以前見ていたようなどこか心の安らぐ景色ではなくなっていた。


 『空からもわかるように』と花畑のように鮮やかに色づけられていたはずの住居の屋根は見る影もなく、かろうじて残っている建物も黒く煤けて何が何だかわからない。



「お父さん……お母さん……」



 そう呟いたミアの方へ顔を向けると気が付いた。街の中心部、住民の集会所となっていた大きな広場に多数の人影が見える。



「ミア! 街の中心を視て!!」



自分で目を凝らして見ようとするのではなくミアに声をかけたのは、生存者が居ることで彼女を安堵させるためではなく、彼女の”魔術”に頼りたいからだ。


 僕が山オオカミと戦う時に使った魔力の刃のように、あの街に住む住民は皆それぞれ特殊な能力を持っていて、それを”魔術”と呼んでいる。

 ミアの”魔術”は広範囲の探知能力で、生き物の気配を感じ取りある程度はその生物の詳細まで把握することが出来る物だ。


 ついさっきまで絶望していただけのミアも、生存者の可能性が出たことで少しだけ目に光が戻ったように見える。


 説明としては言葉足らずな僕の指示だけで状況と意図を察知し、一度深呼吸をした後に目を瞑り、神に祈るかのようなポーズで集中し魔術を発動させる。



「……生きてる。でも待って、南から何か……怖い……」



 誰が生きているのかはよくわからないが、その言葉の通りならあの人影は生存者らしく少しは安心できそうだ。


 しかしその後に続いた不穏な言葉とミアが震える様子から、また何か得体のしれない物が迫ってきている事がわかる。

 不安になりながらも南の方に目を向けると、キラキラ光る何かが木々の隙間から大きな蛇のように遠くまで連なり、それは街の方へと山を下りてきている。神の助けかさらなる絶望か、その煌めきが森を抜け正体を現した時、僕達は後者だと悟った。


 それは神々が助けとして遣わした光り輝く大蛇などではなく、今まで読んできた本の中では厄災の象徴として描かれているような、銀色の鎧に身を包んだ人族の兵士の行列だった。


 数えきれないほどの銀色に光る兵士は途絶えることなく街を包囲していく、ネズミ一匹逃げる隙間がないほど完璧に街が囲われた後、空に浮いていたあの街を破壊しつくしたバケモノが街の中心部へと降りて行く。



「……俺が何とかする」



 このままあの生存者らしき人影もあのバケモノに殺されてしまうのだろうか、等と考えている横で、ウルスがそう呟く。


 何をするか聞く間もなく、一歩前に出たウルスが彼の”魔術”を発動させていく。

 彼の体から煙のようなものが噴出し、それは数年前街を襲った竜の姿へと変貌していった。


 黒く硬そうな鱗に覆われ、村の大人総出で討伐したあの巨大な竜を模したその煙は僕たち三人を容易に包み込んだが、中からは煙が半透明に透けるように外の様子が見える。



「二人とも耳をふさげ!!」



 ウルスのその叫び声にすぐ耳をふさぐと、その巨大な体をのけぞらせる程大きく息を吸った煙の竜は、街に向かって空気をビリビリと痛いほどに震わす程の大きな咆哮を上げた。


 遠くに見える銀色の兵士たちの隊列は、その咆哮が質量を持って攻撃したかのように手前から扇状に崩れ、空を覆った黒い煙も吹き飛ばされて太陽の光が顔を出した。


 耳鳴りが落ち着いた後、ウルスの肩に手をかけた瞬間にミアが叫んだ。



「伏せてッ!!!」



 その言葉とともに俺ごとウルスにタックルをするミアの奥に、あのバケモノがこちらに何かしようとしているのか、手のひらをこちらに向けたのが見えた。


 咄嗟に”魔術”でできる限りの大きさの魔力の刃を出し、飛んでくる光の筋の軌道を全力で変える。少しだけだが角度がそれて直撃を避けたその光が僕たちを掠め、轟音とともに山肌が爆発し三人ともまとめて吹き飛ばされ、斜面を転がり落ちる。



 その大きな音と衝撃に朦朧としながらも僕らが立っていた場所を見ると、地面が爆発によりえぐり取られ、植物だけではなくその下の土すらも焦げていた。


 竜の形を成していた煙は跡形もなく消し飛び、竜を倒したことへの銀色の兵士たちの歓喜の雄たけびが、さっきの竜の方向には及ばないものの遠く離れたここまで空気を震わせている。


 幸い三人とも怪我はないように見えるが、そんな小さな喜びよりもまともに戦う事すらできないという圧倒的な絶望感が僕たちを襲う。



「……逃げよう」



 何分経っただろうか、いや実際には数秒程度のことかもしれないが、今できる事を必死に考え言葉にしようとした末に出てきた言葉はこれだけだった。


 二人からの返事はなかったがこの状況を見てそれ以外を考えられる者はいないだろう。


 僕たちは不安と絶望を胸に抱えながらも、それが溢れ出さないように言葉は交わさず、体を支え合いながら深い山の中へと入っていった。


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