第16話【希望】


 この冷たい檻に入れられどのくらいの時間が経ったのだろうか、僕らを品定めするかのように、奴隷を買いに来た客が何人か檻の前へと来ては、別の檻に入った者を買うか首を振って帰って行く。



「おいそこの女、読み書きは出来るか?」



 十人程が帰った後、頭に毛が一本もない筋骨隆々の男が僕らの檻の前で立ち止まり、ミアへと話しかけてきた。



「……はい」


「そうか、計算は?」


「……少しなら出来ます」


「よし……ルネットさん、このガキ買ってもいいか?」



 ミアへと数回質問した後、その男は馬車で僕らを連れてきた眼鏡の男に声を掛けた。



「勿論でございます! すぐに持って帰られますか?」


「いや、遣いの者を後でよこすよ」


「かしこまりました。では契約の為にこちらへ」



 ルネットがそう言い、そのまま二人で奥の部屋へと消えていく。



「……どうしよう」



 二人が見えなくなると、不安そうな声でミアはそう言う。

 予想はしていたけど、ミアだけ別の場所へと売られてしまう事が確定した。

 狼狽えるミアの手を握り、どうにか勇気づけようとするが言葉が出てこない。



「……でもよ、読み書きと計算って事は変な事はされないって事だぞ」



 ウルスのその言葉に、僕とミアはハッとする。

 確かにあんな問いかけをするくらいだから、何か仕事があるのだろう。

 欲望のはけ口として使われるのではなく、何か別の使われ方をするのはこの最悪の状況の中でもマシな部類だ。



「……うん、私頑張るよ。」



 震えながらも前を向きそう言うミアに、なぜか僕の目から涙が溢れ出す。



「もう! なんでレオが泣くのよ……」



 ミアも目に涙を貯めているが、心配させないようにか笑いながらそう言ってくれる。



「……ごめん。絶対に助けに行くから待ってて」



 涙を拭い、ミアの目を見てそう言う。



「うん、待ってる」



 それが難しい事なのは分かっていても、ミアは僕の言葉を疑わずにそう言ってくれる。

 ふとウルスの方を見ると、珍しく彼も目に涙を浮かべていた。






 それからしばらく経つと、さっきのツルツル頭が言っていた遣いの者という人がやって来た。

 エールさん達を思い返させる獣のような耳をピンと立てたその女性の手には、僕らの手に付いている拘束具が真ん中の鎖を切られて腕輪のように付いていた。



「あなたが私の新しい家族ね、よろしく」



 そう言いながら手を出したその女性にミアは戸惑うが、恐る恐る手を伸ばして鉄格子越しに握手をした。

 ルネットが檻を開け、僕らとミアを繋ぐ鎖を外し彼女だけを連れて行く。



「頑張れミア!」



 ウルスがそう叫ぶと、振り向いたミアは力強く頷いた。




 ミアが出て行ってから数時間、檻の前には一人の男が立っていた。

 服で覆われていない部分は全て入れ墨に隠され、眼球すらも真っ黒でどこを見ているかすら分からないその男は、数分無言で僕らを見つめた後、その口を開いた。



「コイツら買うよ」


「……は、はイッ」



 この男の風体と感情の読めないその声に怯えているのか、一拍置いてルネットが情けない返事をする。



「では契約の為にこちらへ……」


「こいつらも連れて行った方がいいだろ」


「は、はい……貴方様ならそうでございますね、少々お待ちを……」



 ミアのときは連れて行かれていなかったが、何故か契約をする部屋に僕とウルスも連れて行かれるようだ。

 鎖を引かれ連れて来られた部屋はやけに豪華な装飾が施されていて、あのジャラジャラと装飾を身につけていたオブセンの趣味である事が伺える。


 フカフカな座面の椅子に入れ墨の男が座ると、ルネットは対面に座り数枚の書類を机に出した。

 その書類の束を手に取った入れ墨の男はちゃんと読んでいるのか分からない速度でペラペラと全てに目を通していく。



「フゥ……二万で良いか?」



 男が全ての書類を見終わったのか机に置きそう言うと、その金額に満足したのかルネットは笑顔になり口を開く。



「はい、勿論でございます! では一人二万という事で「二人合わせて、だ」」



 言葉を途中で遮るように男が割り込んだ。

 予想外の言葉に、ルネットはその眼鏡を曇らせなからモゴモゴと何か言っている。



「こちらと致しましてもせめて三は頂かないと……」


「ん?良いだろ、どうせ買い手付かねぇんだから」



 ルネットの交渉にも動じず、男はその意思を曲げる様子はない。


 僕らにも伝わるこの男のその頑固さは、目の前のルネットにも十分伝わっているのだろう。

 変な汗をかきながら頭を掻きむしるルネットが了承するまでは、数十秒もかからなかった。



「……分かりました。ではそれで構いません」


「おう、便所行ってくるからコイツらに説明しといてくれ」



 商談が纏まったことを確認すると、すぐに男はそう言って部屋から出て行く。

 それを確認したルネットは大きくため息を付くと、指示されたように僕らに奴隷について説明を始めた。



「一回で理解しろよ。まずお前らの値段は二万ユールだ。自分を買い戻すなら二人で二十万必要って事だな」


「……自分を買い戻せるのか!?」



 その説明に、ウルスが大きな声で反応する。



「チッ、そんな事も知らねえのかよ。十倍の額払えば買い戻せる事なんか常識だろ」


「……もう一人いた女の子の値段を教えてください」



 舌打ちをして呆れるルネットに、ミアの値段を聞くと彼はバカにしたように笑う。



「ハッ、お前ら買い戻せると思ってんのか? あのガキは十万で売れたから百万も必要なんだぞ? 金貨百枚分だ、無理に決まってんだろ」



 その言葉を無視してウルスと目を合わせると、この状況から抜け出す希望が見えた事に、彼も嬉しそうな表情をしている。



「キメェ面しやがって……まぁいい、次はその鎖についての説明だ。真ん中を切ると少しだけその拘束が弱くなるけど、ご主人様に攻撃したら腕が切断される事を覚えとけ」



 自分の腕に取り付けられた拘束具を見る。

 力が使えるようになるのは嬉しいけど、説明によるとそれを使って自由の身になる事は無理そうだ。

 大人しくお金を貯めた方が良いのだろう。



「あとは……」



 ルネットが説明を続けようとすると、ガチャリと扉が開きあの男が戻ってきた。



「どこまで説明した?」


「あ、えーっと……買い戻しと、あの……鎖については、今終えました」



 その質問にさっきまでの高圧的な態度とは違い、いきなり弱気な姿へと一変したルネットは、しどろもどろになりながらそう答える。



「ならもういいだろ」



 その答えにそれだけ返した男はドスンと椅子へ座り、懐から金貨を二枚取り出して机に置いた。

 少しの静寂の後、ルネットはいそいそとその金貨を机の引き出しにしまい、懐から鍵を取り出す。

 その鍵で僕らの拘束具についた鎖が取り外され、久しぶりに四肢が自由な状態になった。



「おい、行くぞ」



 椅子から立ち上がった男が伸びをするウルスと僕にそう声をかけ、部屋から出ていく。

 一瞬呆然とする僕らにルネットがシッシッと早く行けとジェスチャーをしてきた事で、着いていかなければならない事を理解した。



 男を追いかけると建物の外には馬車が待っていて、その馬車に乗ると男が話しかけてきた。



「おいお前ら、名前は?」


「レオです」


「……ウルスだ」


「そうか、俺はロズだ」



 男はそれだけ言うと黙ってしまった。

 質問すら出来ない雰囲気に、僕とウルスは黙って外を眺める事しかできない。


 薄暗い曇り空と、馬車が進むごとに荒れていく街並みが、そんな僕らの不安な気持ちを掻き立てる。


 数十分進み、ボロボロの教会の前に馬車が止まる。

 ロズが降りたので続いて降りると、その教会の神父だろうか、それらしい服装に身を包んだ男が手を前に組んで僕らを待っていた。



「新入りだ」



 ロズがそう言うと、神父は大きくため息をついて近づいてくる。



「……また混血の子達ですか……全くアナタは」



 その後にも何か言いたげな神父をロズがジロリと睨むと、神父は言葉を続けるのをやめ、こちらに視線を向ける。



「君たち、ここでの生活は辛い事の方が多いかもしれない。だけど頑張って生きるんだよ」



 そう優しい言葉をかけてくる神父に、ぺぺ村の門番の顔が蘇ってきた。

 もう人間族は信じられない、どうせこの男も裏では嫌な笑顔をしているに違いないという思いが、怒りと共に湧き上がる。



「……君たちが生きれるならば私の事はどう思おうと構わないよ。さあ、こちらへ来なさい」



 僕の表情を見て心を読んだようにそう言い、神父は教会へと向かっていく。


 生きなさいと今更言われても、簡単に死んでやる気なんかさらさらない。


 絶対に生き延びてミアや皆を助け出すんだ。


 そう決意を固め、ドアを開けて待つ神父の方へと、足を踏み出した。


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