第11話【風呂】〈勇者視点〉


 結局どれだけやっても魔力を少なく放出する事は出来ないまま時間は過ぎ去り、日が落ちる前に城へと戻る事になった。



(テンプレ通りならどんな事も簡単に出来るんだけどなぁ……)



 と、元の世界の創作物のように上手くいかない事に落胆しながら馬車から見える街の景色を眺めていると、隣に座っていたルミエールが励ますように俺の手にその透き通るように白い手を重ねてくる。



「タケル様、まだ一日目なのにそう気を落とされないで下さい。むしろいきなり魔力の放出まで出来たことに私は驚いていますよ」



 ルミエールのその優しい言葉に、目の前に広がる世界は創作物なんかじゃなく現実そのものなんだと再認識する。

 確かにまだ訓練初日だ。そんな簡単に出来るよりも、少しぐらい努力が必要な方がより一層をこの世界を楽しめる。



「ありがとうルミエール、明日もよろしくな」


「はい!」



 俺の言葉に元気に返事をするルミエールは、重ねた手はそのままニコニコとしている。

 温かく心地良いその手を見つめていると、それに気づいた彼女は「すみませんっ!」と焦ったように手を戻してしまった。



(むしろありがたいんだけどな)



 そう思うがそれを言葉にするとまた変な空気になりそうなので口には出さない事にした。

 流れていく綺麗な街並みとその心地良い揺れのせいか、俺はいつの間にか眠ってしまっていた。



――――――――




 誰かに肩をゆすられる感覚で目を覚ますと、もう馬車は城に到着していた。

 美しい女性に起こされた事を想像しながら隣を見るが、目の前にいるのは美人ではなく白髪頭の老人ノブルスだ。



「タケル様、到着いたしました。湯浴みの用意が出来ておりますが如何されますか?」



 寝ぼけた頭に湯浴みという言葉が衝撃を与える。



「湯浴み……風呂があるんですか!?」


「えぇ、昨晩は遅い時間でしたのでご用意出来ませんでしたが……あと敬語はおやめ下さい」



 昨日タオルとお湯を渡された時は風呂が無い世界なんだなと落胆したが、ただ召喚された時間が遅かっただけらしい。


 驚きのあまり敬語になった事をまた注意された。

 少ししか時間を過ごしていないが、この男が本当にマナーに厳しい事がもうすでに伝わって来ている。



(ちょっとぐらいいいだろ……いや、今はそんな事よりも風呂だ!)



「入りたい! 案内してくれ!」



 風呂がある事への喜びで声が大きくなってしまったが、目の前のマナーに厳しい男は少しも表情を変えずに「ではこちらへ」と冷静に案内を始める。

 その背中についていく事になにか違和感を感じ、周囲を見渡して気付く。


 ルミエールがどこにも見当たらない。



「なぁノブルス、ルミエールはどこへ行ったんだ?」


「彼女は皇帝様が気になって仕事が手につかないと仰るので、今日の訓練の事を報告しに行っております」



 それはノブルスの役目だと思っていたが、確かによく考えると魔術に詳しそうなルミエールが行く方が都合が良さそうだ。

 ノブルスは訓練の時に何かメモを取っているようだったし、後で報告書にでも纏めるのだろう。




 そんな事を考えていると廊下の端、突き当たりにある装飾の施された豪華な扉の前でノブルスは立ち止まり、懐から鍵が大量についた金属の輪を取り出した。

 その中から迷いなく一つの鍵を手に取り、扉に付いている大きな南京錠を取り外し取っ手を回す。

 その扉の奥には、物が置けるようにへこんだ壁にカゴが置いてある広い廊下と、その奥には100人は入れそうな浴場が広がっていた。



「脱いだ服はカゴへ入れ、湯船へと入る前に桶で体を流してから入浴してください」



 元の世界でも聞き慣れた作法を教えられる。

 自分はちゃんと体を洗ってから入る派だが、何人もが浸かるお湯ならあとで洗う方が効率的なのだろうか。


 こっちの世界の常識に合わせた方が無難なことはここまでの生活で実感している、何気ない事だが説明した通りに桶を使い体を流し、湯船へと入ることにした。



「……あ"ぁ"ぁ"〜」



 ぬるすぎず、かといって熱すぎない丁度いい心地の良すぎる風呂に思わず汚い声が出た。

 芯まで伝わってくるその気持ちよさに、体が溶けていくような気までしてくる。

 非日常の異世界生活に浮かれていたのか気づかなかったが、体は自分が思っている以上に疲れていたようだ。



 そのまましばらく風呂を堪能していると、ガチャリとドアが開き、数秒後閉まる音がした。

 ノブルスが様子でもみにきたのだろう、そう思っていると声をかけられる。



「タ、タケル様、お背中を流しに参りました!」



 それは歳を重ねた重みのある声ではなく、この世界に来てから一番会話を交わした若い女性、ルミエールの声だった。

 予想外の出来事に思わず振り向くと、ルミエールは白く丈の短い、ワンピースとキャミソールの間のような物を着て顔を赤くして立っている。


 一瞬少し違うものを期待してしまっていたが、湿気で彼女の綺麗な肌に貼り付くその薄い布も、なかなか視線を外すことの出来ない物だった。



「あ、あぁ……頼むよ」



 見るからに準備万端な彼女に自分で洗うとは言えない。

 いやむしろ洗って欲しい気持ちの方が大きいに決まっている。


 彼女に促され、浴槽から出て石でできた椅子へと座ると彼女は石鹸で泡立てた薄い布で俺の背中を洗い始めた。

 その優しい感触は、疲れた体に下心的な物ではない気持ちよさを与えてくる。



「なぁ、報告は上手くいったのか?」


「は、はい! それが……実はタケル様に謝らなければならない事があります」



 洗われている間無言というのもおかしいので世間話をするくらいの気持ちで聞いてみるが、その返答は予想とは違いなにか問題がありそうだ。



「え?何だ?」


「……数百年前に召喚された勇者様の記録では、召喚がすぐに"魔術"が使えたとされています。それを見た皇帝様は今回も同じだろうとお考えになっていらしたので……」


「……もう"魔術"が使えたって嘘をついたのか?」



 ずっと側に居てくれるルミエールに忘れていたが、彼女も俺ではなく皇帝に雇われている立場だ。

 嘘をついた事はどこか悲しく感じるが、正直に言う当たり何か考えがあるのかもしれない、と落胆する気持ちを誤魔化す。



「い、いえ! 嘘をついたわけではなく、事実を話したら……勘違いをされてしまったのです!!」


「……勘違い?」


「はい、その過去の勇者様もタケル様と同じだったのでしょう。手から一筋の光を放ち、空に穴を開けたという伝承が残っているのです……」


「ん? ならあれは"魔術"なのか?」


「……今日のタケル様を見てわかりましたが、あれは高濃度の魔力が溢れ出しただけの物で"魔術"ではありません、今ほど研究も進んでいない時代の出来事なので"魔術"だと記録されたのだと思います」



 どうやら皇帝はその報告を聞いて、前の勇者と同じく"魔術"が使えたと勘違いしたのだろう。

 上の者の間違いを指摘するのは元の世界でも難しかったのに、それが一国の主ともあれば否定など出来ないのは理解できる。



「ん〜……まぁいいんじゃないか?」


「いえ! 本当に申し訳ありません!!」


「いや、もうあれを"魔術"っていう事にしたらいいんだよ」


「……え?」



 ルミエールは俺の言葉を理解できないようで、ポカンとしているのが振り返らなくとも伝わってくる。



「あれを敵に向けて放ったら攻撃になるだろ? ならもう"魔術"と言い張ったら全部解決じゃないか」



 雲に穴を開けるくらいの破壊力は確認している、ちゃんと狙って放てるなら戦いになっても多少は使えるだろう。

 ちゃんとした"魔術"は後で覚えるとして、魔力をぶつけるだけのあの光をまずは攻撃手段として使えるようになれば皇帝の勘違いも事実となる。



「……確かにそうですね。流石タケル様です! 私には思いつきもしませんでした!!」



 ルミエールはそう言いながら、喜びのあまりか知らないが、俺に抱きついて来る。

 服を着ているとはいえ、それは肌着レベルの薄い布だ。

 ほとんど直に当たるのと変わらない、二つの柔らかい感触を背中に感じる。



「……す、すみません!」



 何を言うべきか分からず黙ってしまっていると、それに気づいたルミエールが焦りながらそう言い、離れてしまう。



「……あの、もう上がられますか?」



 彼女が様子を伺うようにそう聞いてくるが、息子が元気になりすぎて今は立ち上がれない。



「い、いや……ルミエールはもう上がりな。俺はもう少しここで涼んでいくよ」



 出来る限り冷静を装い、そう言うと「わかりました」と言いルミエールは脱衣所の方へと歩いて行った。



(言えばルミエールはどうにかしてくれるんだろうが、まだ何も成していない身分だと気が引ける。いつか皇帝の望む戦果でも出せた時には……)



 そんな事を考えながら、俺は火照った体と心を冷ますように水瓶に貯められた冷たい水を頭から浴びた。

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