第89話


〜・〜



「痛っ…」


「悪いな…。我慢してくれ」


「いやいや。自業自得ですから。

むしろありがとうございます」






椅子に座り、開理に肩の治療をしてもらっている親則をぼんやり見つめていた。


木田は何も話さず、無言を貫いている。




小さな談話室のようなこの場所のドアには、2人の見張り。


ドアの外にも、数名のルナ組員が待機しているようだ。



そして天井にもカメラ。





警戒は相変わらず、ということらしい。






「よし、終わり」


「ありがとうございます」


「いやいや!こっちこそ。……ありがとうな」




開理は弱々しく笑った。

それを見て、親則が少しだけ切なげに瞳を揺らす。




「さて、俺はコーヒーでも持ってこようか。

木田もコーヒーでいいだろ?

親則さんと幸架はどうする?」


「あ、それじゃあ俺もコーヒーでお願いします」


「……」





木田は軽く頷き、親則も笑顔で答えた。


答えられないのは、俺だけ…。




どう答えていいのかわからない。

この状況で何か飲食しようと言われても、容易に口にできるわけでもない。



きっと何を出されても口にすることはできない。





「開理さん。俺も手伝っていいですか?」


「え?

…あ、あぁ。それじゃあ、お願いする」


「秋信さん、カフェラテでいい?」


「…………え?」





突然話しかけられるとは思わず、少し動揺した。


それでも、親則は微笑んだまま俺に尋ねる。





「うまく作れるかわからないけど、よく飲んでたからさ。

カフェラテなら飲みやすいかなと思って」


「あ………はい」


「よし。

それじゃあ行きましょうか、楽生さん」


「あ。は、い」





親則の勢いに乗せられたのか、それとも親則のふんわりとした明るさのせいなのか。


開理もつい返事をしてしまっていた。



それに。



………俺があのカフェで飲んでいたものなんて、よく覚えてたな。






璃久と同じものばかり頼んでいたが、たまに別なものを頼む時もあった。


そういう時は大抵カフェラテで。




甘すぎず、苦すぎず。

あの甘い香りと飲みやすい苦味が好きで、たまに自分で選んでオーダーしていたのだ。



璃久は甘いものが好きで、キャラメルラテやカフェオレの方が多かった。

たまに集中したい時はブラックコーヒーを飲んでいた気がする。



…って、俺も俺か。

こんなにも、忘れられない。






「………幸架」







ふっと、木田の声で引き戻された。

顔を上げると、木田の瞳には後悔が浮かんでいた。


ほんの少し、俺と目を合わせるのを躊躇いながら、木田は顔を上げる。




「………はい」





言われそうなことは、だいたい分かっている。


あれだけのことを言ったし、木田自身に傷までつけた。


何を言われてもおかしくはない。



今後の私の立ち位置だって、良い方向には行かないだろう。



自分に不信感を抱くものを側に置く人なんて、いないのだから。





私だって、自分の命をかけて裏組織のために働けと言われても無理だ。


私が守りたいのは、……大事にしたかったのは、たったひとつだけなのだから。




「………」


「………」




口を開いて、何か話そうとしかけては閉じる。

木田はそれを繰り返した。


俺は静かに、木田の言葉を待っていた。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る