第69話




「首もか…。

すげー掻きむしった跡だな…」


「……璃久さんに負わせた怪我に比べれば、こんなもの…」


「そーゆー問題じゃねーよ」





璃久は、俺の襟元を少し広げ、消毒液をつけたガーゼで首を拭い始めた。






目の前に、璃久がいる…。









そっと腕を持ち上げ、右手で璃久の頰に触れた。



それに気づいた璃久が視線をあげ、首をかしげる。





「どーした?」


「………あなた、璃久さんじゃ、

……ないですね」


「は?」





何言ってるんだこいつは、という表情をする彼女を見て、つい笑ってしまった。




でももう、本物でも偽物でもいいかもしれない。







「もう本物でも偽物でもいいです。

…でも、璃久さんじゃない人を璃久さんとは呼びたくないので」



「………」



「なんて呼べば、いいですか?」



「………」






璃久がじっと俺を見つめる。


声も、仕草も璃久そのものだ。

口調も、包帯の巻き方や応急処置の仕方全て、璃久がいつもしてくれるものと同じ。





でもわかる。


わからないわけがない。







この人は、俺の愛する人ではない。











「………好きに呼んだら?」




璃久は、俺の発言に特に気にした様子もなく応急処置を再開した。





「……そう言われましても、貧血な上まともな思考能力がない今の俺には、名前なんてパッと思い浮かびませんよ」



「あー。めんどくせー」






はぁ、と嫌そうにため息をつきながらも、決して拒絶したり否定はしない。


もちろん肯定もせず、受け入れもしない。




璃久らしい反応だ。





「すごいですね…。

それ、どうやってるんです?」


「何が?」


「あまりにもよく似ているので…」


「はいはい」


「………」







偽物だとわかると、触れることに躊躇うこともなくなる。



万が一力加減を間違って怪我をさせたり殺したりしたとしても、これは璃久ではないのだ。





……そう考えている時点で、俺は人間としてアウトだろう。






「……なんで、私を助けようと思ったんですか」



「ここにいたから」


「私が木田さんを傷つけたのは一目瞭然でしょう。しかも、よりによって璃久さんの姿で近寄った理由はなんです?」


「…………………。はぁー…」





手当が終わったらしく、璃久が立ち上がった。そのままグッと伸びをし、ぼんやりと通路の先を見つめている。


チラリと璃久が見ている方向を見てみたが、暗いだけで何もない。





「とりあえず幸架が正気なうちに開理さん呼ぶか」



璃久が木田のポケットから携帯を探し出し、電話をかけ始めた。


繋がるのを待っているらしい彼女の後ろ姿を見ながら、袖から投げナイフを滑らせ、その首に向かって投げた。



首の薄皮をかすめ、そのナイフはコンクリートのビル壁に当たり、折れて落ちた。




その間、璃久はピクリとも反応しない。

ただ、こちらに振り返って少し驚いたように目を見開いていた。


電話からも耳を離している。






「………璃久さんじゃないから、私はあなたを殺せますよ」



「………」






すぅ、と璃久の目が細められ、鋭い光を帯びた。この表情は、璃久の表情ではない。


つまり、これが璃久に化けているこいつの本性。





「………璃久って呼びたくないなら、好きに呼べよ。それと、私は伝言に従って来ただけ」



璃久の声のまま、口調のままその人物は続ける。



「……伝言?」




カシャン、と璃久の手から携帯が地面に落ちる。その携帯からかすかに声が聞こえてくる。

開理と通話中のようだ。






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