第30話




ズリズリとしゃがみこむ。

鏡に手を当てる。




鏡に映る現実など、壊れてしまえばいい。

鏡と一緒に、変わって行く今が壊れてしまえばいい。






でももう、私たちは20歳。

幸架を縛るわけには、いかない。










「……………そろそろ潮時、か」















離れる準備をしよう。


いつ、離れなきゃいけなくなっても大丈夫なように。




『璃久さん?大丈夫ですか?』





ゆっくりと顔を上げてドアを見ると、磨りガラス越しに幸架がいるのがわかった。


ずいぶん長いこと篭(こも)ってしまっていたらしい。





「………わりー。今出る」



『あ、いえ。大丈夫ならいいんです。

ゆっくりしてきてください』





幸架はそのままリビングに戻っていった。





私は流しっぱなしだったシャワーを止め、髪と体を洗った。



浴室から出て体を拭き、服を着る。

もちろん、男性物の服だ。






湊とゼロに別れを告げた日以降、私は幸架の前でも男装をし続けている。


あの2人が、もうこの世にいない。

もう側にいない。





そのことが、もうすぐ幸架と離れることになるのだろうことを実感させたのだ。


それなのに、諦め悪くこんな男装までして抗(あらが)っている、バカな自分。








途端になにもかもやる気がなくなってしまった。


再びしゃがみこむ。

ぼんやりと天井を仰ぐと、いつもと変わらない天井しか見えなかった。











──コンコン












『璃久さん?本当に大丈夫ですか?』




心配げな声が、する。


私がいつまでたっても出て来ないからだろう。






ふっと苦笑が漏れる。


優しい幸架。

温かくて、気遣い上手で、世話焼きで、

心配性の。







「………大丈夫、……だと思うんだけどなー」



『………………』






思ったより、あの2人の死に大きな衝撃を受けているのかもしれない。



ふと、幸せそうに笑って死んでいたゼロが脳裏をよぎった。







愛する人のために、自分の全てを捧げた人。








幸架に似ている。


妹のように、幸架は私を大事にしてくれている。

その私のために、命さえ捨てようとする場面も多くあった。





幸架の枷(かせ)は、あのリミッターがなければ体を蝕む力でも、裏社会というものでも、ない。



私、なのだろう。








『…………璃久さん』


「何だ?」


『開けますよ』


「は?なんで?」





慌ててウィッグを手に取るが、いい、なんて

一言も言っていないのにドアが開いた。


その場に座り込んでいた私を見て、幸架の目が見開かれる。





「…どうしたんですか?

今日の仕事、そんなにきつい物のようには思わなかったのですが…」


「仕事?…あー、なんか、楽勝だったな」


「じゃあどうしたんです?」


「………なんでもねーよ」







幸架の表情が曇る。


いつもそうだ。

私はいつも、幸架にこんな顔しかさせてやらない。


笑っているのに、苦しそうな笑顔。









「………私には、言えませんか?」


「は?」


「……………」







ゆっくりと私の目の前までくると、幸架はしゃがんだ。


そして手がゆっくりと伸ばされ、ウォッグをさりげなく奪い、私の頰に触れた。




「幸架?」



「……………」






幸架はやっぱり、なにも言わなかった。



ただ。



やはり、いつものように苦しげに微笑んでいた。







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