第31話 日常

〜半年後〜


「はるーー!!!!」

「おい凪流!うっせぇよ!」

「だってー、ハルだよ!ハルとごっはん〜」

「俺もいるんだけど…」

そんな2人の会話を聞きながら、早く行くよ、と背中を押す。

ここは、前の会社──あの街から少し離れた街だ。

あの家を出た私は、凪流の新しい家に行った。

前の会社の人にこっそり家を教えてもらった、なんて言って。

本当は調べればすぐにわかったが、そんなこと言ったらドン引きされるので内緒である。

レストランに入り、3人でメニューを見ながらオーダーした。

「で?2人はどのくらい付き合ってるの?」

ブッフォー!と奏多が水を吐き出し、凪流はむせった。

え?なに?私何か変なこと言った?

「な、なんだよ、いきなり!」

「え?聞いてほしくていちゃいちゃしてたんだと思ってた」

「いっ!いちゃいちゃなんてしてねぇだろ!」

「あー、顔真っ赤」

「うっせ…」

そんな私と奏多の会話を聞きながら、顔を真っ赤にしている凪流も可愛い。

まぁ、だいたい見ればわかるよね。

付き合い始めたのはまだ2ヶ月程度だろう。

「そっ、そう言うお前は?好きな人いねぇのかよ!」

「いないね」

「……恋しよう?ハル」

「自分が幸せだからって恋愛を押し付けないでくださいー」

「えー!そんなつもりじゃないよー!」

あはは、と笑っていると、オーダーしたものが運ばれてきた。

「おたせしました」

かちゃかちゃと置かれ、わーいわーいと3人で食べ始める。

凪流の家にころがりこんだ私は、凪流の会社の面接を受けて合格し、働き始めている。

仕事のことは凪流に教えてもらいながら、奏多がたまにカバーしてくれる。

そのおかげで、さほど苦労せず馴染むことができた。

先輩方もとても優しくしてくれる。

いい会社だ。

食事が終わると、食後の飲み物が運ばれてきた。

凪流と奏多はコーヒー、私は紅茶。

ここのレストランはアールグレイだ。

私はダージリンが好きだが、アールグレイも2番目に好きだったりする。

「お待たせしました。こちらがコーヒーでございます」

「あっ、はい!」

凪流と奏多が受け取る。

「こちらが紅茶でございます」

「ありがとうございます」

以上でお揃いでしょうか?と訪ね、店員は戻って行った。

「ねー!見た?今の店員イケメンだったよ!」

「あ、見てなかった」

視線を去って行った店員に向けてみたが、もう後ろ姿しか見えない。身長が高いことくらいしかわからなかった。

「えーー!!もったいない…」

「おい凪流…」

「ハッ!違う!違うよ!アイドルを見るような気持ちで言っただけだからね!」

あわあわしている凪流を見て、奏多が笑った。

この慌てた顔が見たくてわざと言ったんだろうな。

意外にSっぽいのか、奏多よ。

紅茶を一口含んだ。

……………ん?

「……え」

「どうしたの?ハル」

「あっ…いや、なんでもないよ」

「そう?」

あはは、と笑ってごまかす。

この香り、味…

アールグレイじゃない。

ダージリン?

茶葉を変えたのだろうか。

不思議に思いながらコースターにカップを置こうとして気づいてしまった。

コースターに、何か書いてある。

ほんの少しだけ濡らされたそれに、うっすらと文字が浮き出ている。

持ち帰ってから濡らして見ろってことか。

私は、なにも気づかないフリをして2人の会話を笑いながら聞いていた。


「ごちそうさまでした!」

「はい。ありがとうございました。またいらしてくださいね」

「はい!ぜひ!あっ、店員さん!お名前は?」

凪流がお会計をしている姿を2人で見ている。

だいたいお会計はローテーションでしている。

自分の分の金額を今日の当番に渡して会計してもらうのだ。

「……あいつ、ずっと悠見てたな」

「え?どいつ?」

「今の会計してる店員」

ふっと視線をその店員に移してみた。

茶髪の癖毛に、おっとりとした瞳。

顔立ちはたしかにイケメンと言われる部類だろう。

「へぇ、颯斗さんですかぁ…。かっこいいですね!」

「あはは…ありがとうございます。でも、彼氏さんが怒りますよ?ほら」

店員がこっちに視線を移した。

にっこりとした笑みを浮かべながらスッと瞳が細められたのを見逃さない。

というか、奏多の話ししてたのになんで私と目が合うんだよ、あの店員。

このコースターも意味わからないし。

もういっそのこと、見る前に捨てようか。

そうしよう。

それがいいに違いない。

さすが私!

あったまいい〜。

「お客様」

ハッと思考を止めて顔を上げると、店員が目の前にいた。

奏多は凪流にお説教している。

「これ、さっき落とされましたよ」

「あっ、…ありがとうございます」

携帯のストラップだった。

…え?

私、携帯にストラップなんてつけたこと、ないはずだけど…。

「………逃げんなよ」

……………………。

「…ぅ、……そでしょ」

目の前の店員が笑った。

思わず顔がひきつる。今の声は。

「あ、あの!これ私のじゃないですよ?」

「あぁ、そうでしたか。」

ストラップを手渡すが、その手をがっちり掴まれた。

これは…。やば、い、かなぁ?

「また、いらしてくださいね?」

優しい言葉とは裏腹なその瞳に、私の人生終了の鐘が鳴ったのは、言うまでもない。

「はるー?…あー!!!いいなぁ!イケメンに迫られてるぅー!!」

「え……」

「いえいえ、迫るなんてそんな…。忘れ物かと思ってお渡しきたものが間違いだったのですよ」

「あっ、なんだ〜、そっかぁ〜」

「……おい凪流、もう少しお話続けてやろうかー?」

「あっ、…か、奏多…」

ぎゃーと騒ぐ凪流とお説教を続ける奏多。

思わずふふっと笑ってしまった。

「……会社向かいの通路、気をつけろ」

「え?」

見上げると、鋭い瞳がこっちを見ていた。

「月が見てる」

「………了解」

手をひらひらと振り、いまだ痴話喧嘩中の2人の元へ歩いていく。

「ほら、行くよ。全然今日の分終わってないんだから」

「はぁーい!タイミング最高!ナイス!はる!」

「なーーーるーーーー?」

そんな私たちを、彼は優しい表情で見つめていたのが、出るときにほんの少しだけ見えた。


「……悠(はるか)。あいつ、大丈夫なのか?」

「んー。大丈夫大丈夫。普通の店員さんでしょう」

「…………そう、か?俺には普通に見えなかったけど?」

「あはは…」

会社への帰り道、お説教で項垂れる凪流と私を心配する奏多。

奏多よ、君は正しい。

あの人は普通じゃない。

人間としての情のかけらもない鬼畜なのだよ。

でも聞いておくれ。

顔だけはイケメンだ。

ムカつくほどのイケメンなのだ。

「……奏多が私の代わりに顔面殴ってくれればいいのに(ボソッ)」

「え?何つった?」

「あ、何でもないよ?…ほら、凪流。いつまでガックリしてるの、会社着くよ」

「はぁーい」

2人が会社に入った後、ほんの少し会社の向かいにある道に目を走らせた。

5人、こっちを見ている。

不自然な動きにならないように気をつけながら、2人を追って中に入った。

月が見てる、ね。


ーーーーカタカタカタカタカタカタ

今日も仕事は忙しい。

なんて、本当は10分あれば資料なんて作り終われる。

書かなければわならない内容はわかっているし、それを整理して書けばいいだけだ。

ただ、それは"普通"にできることの範囲を超えている。

表社会では、足並みをそろえていなければ生きていけない。

突出した才能も不出来も弾かれる。

個性さえ平均にならされるのだから、何ともまぁ不思議だ。

"自分"と言うものを認めてもらえるのは、芸術家のトップクラスくらいだろう。

まぁ…突出したイケメンは好かれるらしい。

何とも腑に落ちない。

イケメンばっかり生きやすいなんて。

その顔面をボコボコにして使い物にならないものになればいい。

ふふふふふふふふふふ、はっはっはっはー!「………はる?どうしたの?にやけてるけど」

「あ……いや、その、資料作り終わらなくて、あはは…」

「あー…そうだよね、…課長、無茶振りだよね〜」

顔面の表情筋を引き締め、再びパソコンと向き合った。

ちらりと凪流を見ると、私の三倍はありそうな紙の束が置いてあった。

予定より早めに終わらせて手伝った方が良さそうだ。

のんびり打っていた資料を早々に切り上げ、凪流の分をこっそり3分の2抜き取って資料作成をした。

3分の1は10分で終わったので、こっそり凪流の机に戻しておく。

もう残り3分の1は、凪流に合わせてゆっくり作成した。

「はるー!ありがとうー!もう、ほんと終わらないと思ってて…」

「いいよいいよ」

「凪流…俺ら、悠より早くここ働き始めたのに…。どっちが先輩わんかんねぇな」

ニシシ、と奏多は笑った。

えー!酷いー!なんて凪流と奏多がいちゃいちゃし始めた。

なんとも微笑ましい光景である。

ご馳走様です、と拝んでおくことにする。

「…はる?私たち、死んでないよ?」

「なんで拝まれてんの、俺ら」

「いや、…美味しいなぁと思って」

「は?」「え?」

人の幸せは好きだ。

私自身が幸せかどうかと聞かれれば、もちろんNOだろう。

今この瞬間さえ、誰に殺されるかわからない。

殺されるならまだマシだ。

もし、この頭の中にある情報を好き勝手にされるような事態になれば、それこそ表も裏も関係なく地獄に変わる。

今の社会、殺人兵器より情報の方が脅威だ。

幸せになりたいと思ったことはない。

でも、こうやって幸せそうに笑う人を見ると、その幸せが自分のものになるように錯覚するのだ。

幸せそうに笑い合う2人。

こういう人たちが増える世界に、なればいい。

「さて、帰ろうぜ」

「うん!あっ!明日休みだし、飲みに行こうよ」

「あー、それいいな。そうするか」

帰る用意をしながら、私たちは今夜の予定の話に花を咲かせた。


会社を出た瞬間である。

そいつは木に寄りかかって立っていた。

なぜわかったか?

そりゃあわかりやすい。

通行人が彼をチラチラ見ている上、女性が彼を取り囲むように視線でアピールしあっているのだ。

とっさに奏多の後ろに隠れ、知らない人のように通り過ぎたかった私の意思を、凪流が邪魔する。

「あれ?颯斗さん⁉︎どうしたんですか、こんなところで!」

凪流ぅぅぅぅぅ!

ここは話しかけるなよぉぉぉぉぉぉ!!!

空気を読めぇぇぇぇぇぇぇ!!!

「おい凪流!周り見ろよ!

…あっ、えっと、颯斗さん?でしたっけ。

待ち合わせですか?邪魔してすみません」

奏多ナイス!

さぁ、ここは帰ろう。

「あぁ、こんばんは。大丈夫ですよ。待ち合わせ相手、来たので」

ほんの少し首を傾げ、ニコっと笑い返される。

周りの女性が、頰をポッと赤らめた。

こいつ、狙ってやってるのか。

楽しいのか。

イケメンの無駄遣いか?

本当にムカつく。

「ああああーー!颯斗さんっ!笑顔最高ですっ!」

「凪流〜?お前、俺の昼間の話ひとっつも頭に入ってねぇなぁ?」

「あっ、いや、…奏多も、かっこいいよ?」

「嬉しくねぇよ」

ここでいちゃつくなよぉぉ!!

冷や汗が止まらない私と、無言の笑顔で圧力をかけてくる"颯斗さん"。

そういえば、コースター濡らして見てなかった。

待ち合わせって…

うっすら見えた文字は、1週間後の日付だった気がするのだが…。

「ハル」

思わずビクリと肩が揺れる。

奏多と凪流の視線がこっちを向くが、あらぬ方向を見て気づかないふりをした。

「……あ、予定あるなら帰り迎えに行くけど?」

「颯斗さん!これから用事ないなら、飲みに行きませんか?これから3人で行く予定だったんですっ!」

「おい…凪流…」

颯斗は、ポカンとした表情をした後、クスリと笑った。

「あ…じゃあ、お邪魔じゃなければ、ぜひ」

「はいっ!」

颯斗にメロメロの凪流を見て、奏多がゲンナリしている。

「……悠。凪流が、マジごめん」

「あはは…。まぁ、凪流のイケメン好きは今に始まったことじゃないしね。それに奏多もイケメンでしょ」

「俺はイケメンじゃない。…っていうか、こいつ本当に大丈夫なのか?」

「大丈夫でしょ。ただの店員みたいだし」

「ただの店員が、なんで俺らの会社の場所知ってんだよ。あの店であいつ見たの、今日初めてだと思うんだけど?」

「……あ、あはは」

「知り合い?」

「そんなわけないでしょ」

「だよなぁ」

ごめん、奏多。

心当たりがありすぎて、知ってるなんて言えないんだ。

あはは、あはは……はぁ………

「行きましょう!行きつけのバーがあるんですっ!」

凪流はルンルンで颯斗の袖を引っ張る。

「………俺、忘れられてる?」

「……あの人、性格悪いから問題ないと思うよ(ボソッ)」

「………性格悪い?やっぱ知り合いか?」

「……あ、いやいや〜。

そんなわけないでしょう?」

「そうか?」

「行こう。凪流がはめ外しすぎて飲みすぎないようにしないとね」

「あー…。だな」

颯斗は凪流に引っ張られて苦笑いしている。

私たちは、少し離れたその背中を追って歩き出した。


道中、凪流は颯斗にべったりだった。

「颯斗さん、はるに何の用だったんですか?」

「友人が返したいものがあるって言っててね。

忙しくて会いにいけないから渡しておいてくれって。

ついでに様子見もして来てくれると嬉しいって言われたから」

「なるほど〜。颯斗さんのお友達ってことは、やっぱりイケメンですか⁉︎」

「あはは…。まぁ、綺麗な顔してるとは思うよ」

「いいなぁー」

店員の時は、白シャツにスラックス、カフェの黒いエプロンを腰につけていた颯斗は、今は私服だ。

少しダボダボな黒のズボンに、深い赤のインナー、灰色のPコートを着ている。

その首には、長い皮紐に通された筒状のペンダントトップがキラリと輝く。

少し肌寒い秋にちょうどいい服装だろう。

私たちはもちろん会社帰りの服装である。

「…奏多」

「どうした?」

「凪流は、奏多が好きなんだよ」

「…んだよ。知ってるよ、そんなの」

ふわっと奏多が微笑む。

颯斗の隣ではしゃぐ凪流を見て、ほんの少し寂しそうな瞳をする。

「会話聞いてればそんなのわかる。まぁ、あんなに仲よさそうだと少し妬けるけどな」

「会話?」

「あいつのこと探ってんだろ」

奏多が颯斗を睨みながら、そう言った。

「え⁉︎」

「え…。気づいてて俺に言ったんじゃねぇの?」

「………いや、全然わかんなかった」

ブフッと奏多が笑った。

凪流は、相変わらずバカっぽい会話をしている。

颯斗の友達の話や、いつからあの店で働いてるのかとか、颯斗の好みとか。

「どう見ても悠を守ろうとしてんだろ。

あんなにべったりなのも、お前と2人にしないようにじゃね?」

「……え、あの凪流が、…そんな頭のいいことを?」

「あの凪流がって…ブフッ」

奏多が耐えきれずに笑い出す。

私には、凪流がいつものイケメンアタックをしているようにしか見えなかったぜ?

「…あと、あの颯斗ってやつ」

「ん?」

「凪流と話しながらずっと俺のこと見てるっていうか…観察してるよな」

「え」

「さっきからすごい視線が、ね」

チラッと颯斗に視線を向けるが、相変わらず凪流の話に頷きながら苦笑いをしている。

「そうは見えないけど…」

「やばいと思ったら早めに帰っていいから。

なんなら凪流の家に3人で泊まってもいいし」

「本人の許可なくそんなこと言っていいの?」

「あいつのことだから、同じこと考えてんだろ」

あはは、と2人で笑った。

凪流に視線を向けてみると、やっぱりこの2人はお似合いだと思った。


〜・〜


あはは、と笑い合うはると奏多を横目に、凪流は颯斗に話を振る。

「颯斗さんのお友達って、なんて名前なんですか?」

「んっと、秋信(あきの)と往焚(ゆきや)っていう2人ですよ」

「秋信さんと往焚さんですか〜。名前がイケメンっ!」

「名前がイケメンって…。あははっ!そんなの初めて聞きましたよ」

「えー?そうですかー?あっ!颯斗さんの好みの女性って、どんな人です?」

「好みの女性?うーん…」

考え込む颯斗をジッと見つめる。

顎に指を添え、どこか遠くを見つめるように視線を伏せている。

「そうだね…。煙のような人、かな」

「え…?煙?変わってますね?」

笑顔で颯斗に顔を向けた。

…しかし、その笑顔はすぐに消える。

颯斗の口元が、ほんの少しニヤリと歪んだ。

何かを捕食するような、鋭い光が瞳に宿っている。

背筋がゾッとした。

この人は、普通じゃ、ない。

「……ぐ、具体的ですね?もしかして、もう好きな人いるんですか?」

無理やりニッコリと笑顔を作って質問をする。

颯斗は、もう普通の笑顔に戻っていた、

「秘密、です」

颯斗はにっこりと笑いながら、人差し指を唇に当てた。


〜・〜


「こ、…ここです!入りましょう!」

さっき、凪流の顔が引きつったように見えた。

私は首を傾げる。

少し怯えたような。

何かあったのかな?

頼むから余計なことをしてくれるなよという視線を颯斗に送る。

──カランカラーン…

「いらっしゃい。お!仕事帰り?お疲れ様」

にっこりとバーテンダーが挨拶をしてくれる。

割と常連な私たちは、たまにおまけしてもらったり。

人のいいおじさん、というような出で立ちで、バーテン服がよく似合っている。

「こんばんはー!、ここ、いいですかー?」

「あぁ、いいよいいよ」

まだ空いていたカウンターを指して凪流が言うと、にっこりと頷いてくれた。

颯斗、奏多、凪流、私の順番で並ぶ。

どうしても颯斗と私を隣にしたくないという意思が伝わってくる。

何言われるかわからないし、話さなくていいに越したことはない。

2人とも、ナイス!

いい連携のとれた動きだ!

でも、凪流はさっきまで楽しそうに颯斗と話をしていたのに、どうして隣を奏多に譲ったのだろうか。

「何飲む?」

「私、ファジーネーブル!」

「おー。じゃあ俺はジンフィズ。颯斗さんは?」

「あ、えっと…。俺は……」

3人で颯斗を見ている。

少し考える仕草をした後、その口元がふわりと微笑む。

「……バイオレットフィズ 」

「………はっはっはっはっはっ!」

バッと全員でバーテンダーを見る

とても愉快そうに笑っている。

どうしたんだ、突然⁉︎

何か面白い要素あったか⁉︎

「いやぁ〜、にーちゃん、意味わかって頼んでるなぁ?」

「あははっ。いやー、なんかもうヤケクソですよね」

「なんだい?にーちゃんイケメンなのにか?」

「あー…。むしろ、この顔のせいで顔面殴りたいって言われましたよ」

「「「ブフッ」」」

バーテンダーと奏多、凪流が噴き出した。

…私は全くもって笑えない。

心の底から心当たりがありすぎるそのセリフ。

そして、……バイオレットフィズ 、ねぇ。

「ハルは、何飲むんですか?」

「あっ!ハルはねー、いつもおんなじの一杯しか飲まないんだよー」

「同じもの?」

「うん」

でか目からのお楽しみ、なんて凪流とバーテンダーが笑う。

別に隠してないのだが。

「シンガポール・スリング」

「え?」

全員の視線が、今度は私の方を向く。

「今日は、シンガポール・スリングが飲みたい。バーテンさん、お願いできます?」

「あれ?…悠ちゃんってそんなにお酒詳しかったっけ?」

「……飲ん平衛だと思われたくなくて」

「あっはっはっはっはっ!またまた、面白いもの頼むねぇ」

バーテンダーは大口で笑う。

奏多と凪流はキョトンとした顔をしているが、颯斗は少し口元をニヤリとさせている。

別に隠してはいなかったけど、お前に言うのは癪なんでね。

「あっ、あの!シンガポール・スリングってどう言う意味なんですかー?」

「俺も気になる。…あれ?颯斗さん知ってる?」

「おっ!にーちゃん、当ててみるか?」

話しながらお酒はできたらしく、バーテンダーは私たちの前にお酒を置いた。

何やら3人で盛り上がっている。

私は、そっと一口含んだ。

「えー。でも、間違ったら恥ずかしいですから」

「颯斗さん、頭良さそうだし大丈夫じゃね?」

「そうそう!間違って覚えるものだもんねー!」

「凪流、それお前に返してやるよ」

「え……」

私はクスリと笑いながら、グラスの縁を指でなぞる。

「な?にーちゃん、どうせなら楽しい方がいいだろー?そうだ!奏多君と凪流ちゃんも当ててみなよ」

「えー!…うーん………」

「んーー、シンガポール・スリング……。今日も疲れた、とか?」

フフォッとバーテンダーが噴き出した。

まぁ、奏多よ。

君は斬新な、そして何の魅力もないそんなカクテル言葉があると思っていたのかね?

夢も希望もないねぇ。

「流石に違うか…」

「うーん…。あっ!初恋、とか!」

「あっはっはっはっ!凪流ちゃんの彼氏よりはいい回答だな!」

「バーテンさんひどっ!」

みんなお酒を少し含んだせいか、話が盛り上がってくる。

こういう楽しい雰囲気は好きだ。

だから、お酒自体はあまり好きではないが、こうやってバーに来るのは好きだったりする。

「さて、にーちゃんの番よ?」

ニヤニヤと3人が颯斗を見る。

私は相変わらずグラスの縁を指でいじる。

「あはは、…そうですね。シンガポール・スリング、ですか。──秘密、です」

「えー?颯斗さん、秘密にしないで考えてることくらい教えてくださいよー!候補くらいあるでしょー?」

「あっ、いやいや!そうではなくて…。

シンガポール・スリングのカクテル言葉ですよ」

「えっ?」

「あっはっはっはっ!凪流ちゃんは天然だなぁ!」

──カラン

氷が溶ける音がした。

ゆったり流れるジャズ。

楽しそうに話す"4人"。

ここが、私の居場所ならよかったのに。

「にーちゃん、正解だ!」

「おおー!颯斗さん、すっげ」

「イケメンで頭いいとか、最高!」

「あはは…。ありがとうございます」

「じゃあ、ついでににーちゃんのも当ててもらっちゃうか!」

「え…それは…ちょっと」

「いいねいいね!そうしよう!」

颯斗が少し焦っている。

面白い。

お酒を少し口に含む。

ほんの少しの高揚感。

ふわふわとした心地。

いいなぁ、幸せ。

「えっと、颯斗さんのはバイオレットフィズだよな?……もしかして、恋愛系?」

「カクテル言葉だもんね!うーん……あ!あなただけを思う、とか!」

「凪流ちゃん、はずれー」

「えー」

「んー、今夜会いたい、とか?」

「奏多君もハズレだなぁ」

「えー、マジか」

バイオレットフィズ 。

すみれ色の、美しいカクテル。

私もいつだったか、頼んだことがあったな。

飲む暇がなくて、頼んで終わってしまったけど。

「ねー!はる!全然喋んないのなんでー!

はるも当ててよ!」

「そうだぞー!もうちょっとテンション上げろや」

「うーん…。バイオレットフィズかぁ…

まず、名前自体あんまり聞いたことなかったなぁ」

クスリ、と颯斗が笑った。

その視線で何が言いたいかはだいたいわかるが、ここはしらばっくれるに限るぜ。

「ねぇ、ハル」

「はい?」

スイッと颯斗が視線を向けてくる。

「これ外したら、今夜俺に付き合ってくださいよ」

「は?」

全員ポカーン。

颯斗にっこり。

・・・。

何言ってんだこいつはぁぁぁぁぁぁ!!

ついに頭のネジ全部ぶっ飛んだのかぁ⁉︎

どんな頭してたら今この場面でそんなこというんだよぉぉぉぉぉぉ!!!!

「え、颯斗さん、本気?」

ほら!奏多引きつってるよ⁉︎

「もちろん、本気ですよ」

お前はこんな時くらい、冗談ですよ(笑)ってかえせやぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!

「ま、はる、さっきから無言だったしー。

このくらいスリルあった方が真剣に考えてくれるんじゃなーい?」

凪流ぅー!

お前はもうすでに酔いすぎだろー!!!

「それもそうだな」

「あっはっはっはっ!若いなぁ〜。悠ちゃん、頑張ってー」

味方はいないのかぁぁぁぁぁぁぁ!!!!

「あ、あはは…」

もう苦笑いするしかねぇわ。

何でこんなことに…

「ハル」

フッと顔を上げると、頰杖をついてにっこりと首をかしげる颯斗がいた。

お前は本当に鬼畜だな。薄情だ。

人間じゃない。

あなたこそが本物の悪魔に違いない。

「あと10秒ね?」

「はい⁉︎」

考える猶予さえくれないのかぁぁぁぁ!!!

その、知ってるよね?、みたいな顔で微笑むなよ!

「はるー、ガンバ!」

「頑張らないと悠お持ち帰りされっぞー」

「にーちゃん、鬼畜だなぁ!」

バーテンさん、その意見、最高に賛成。

「ほら、ハル」

これは…誤魔化せそうにないな。

「うっ…えっと…。そっ、そうだなぁ〜。恋愛系の、カクテル言葉かぁ…。バイオレットフィズ 、バイオレットフィズ …」

考えるフリをして、あっ、当たったー!ラッキー!みたいに行こう。

「えっとー。うーん…あっ!私を覚えていて、とか?…あはは…違う、か…」

「おー!悠ちゃん正解っ!すごいなぁ」

「はる、すごーい!」

「勘で当てられるのがすごいわ」

「あはは…ありがとう」

よかった。バレてない…。

──クスリ

颯斗が笑う。

うわ、やっぱ誤魔化せないか…。

「恋愛系のカクテル言葉って考えてたのに、よくわかりましたね?普通はなかなか出てこないと思うけれど?」

「あー、たしかに。私を覚えていてって、恋愛系っぽい言葉じゃねーよな。……まぁ、なくはないだろうけど」

「はる、……もしかして失恋したばっかりとか?」

「あ、…あはは、実はこの前告白して振られちゃってさぁ〜」

「えー!何で言ってくれなかったのー!」

この後散々私の失恋についての話で盛り上がった。

私は、ありもしない自分の失恋話を作り上げるのに必死だった。

……クソゥ、せっかく気持ちよく飲もうと思ってたのにー!


「私、ちょっとお花摘み」

「はーい!」

やっと話の収集がついたところでトイレに行く。

はぁ…疲れた。

トイレには入らず、手洗い場で手を洗う。

「………はぁ」

3回程洗った後、ハンカチで拭く。

それでも気になり、また5回くらい手を洗った。

やりすぎてはバレるので、このくらいが限度か。

またハンカチでしっかり拭いた後、席に戻った。

「あれ?2人とも潰れた?」

席に戻ると、奏多と凪流は酔いつぶれていた。

そんなに飲んでいるようには見えなかったのだけれど…

「あぁ…。悠ちゃんがトイレに行った後、2人でガバガバ飲み出しちゃって」

「なるほど。…颯斗さんはお帰り?」

「電話来たってさっき出てったよ。もうすぐ戻ってくるんじゃないか?」

「そうですか。……バーテンさん。2人にタクシー呼んであげてもらえますか?」

「ん?いいけど…悠ちゃんは?」

「裏口から帰らせてもらえませんかね?」

「いいけど…何かあったのかい?」

「いえいえ!私、これから見たいドラマがあって、そろそろ帰りたいんです。ここの裏口の方が早く帰れるので」

「おお!そうかそうか。暗いから気をつけてな?」

「はい」

お会計分のお金を渡した後、こっちだよと裏口に案内してくれるバーテンについていく。

少しクラクラする。

飲みすぎた?

でも、私は2人と違って一杯しか飲んでいない。

酔いにくいように薬も飲んでおいたし…。

ぐらりと体が傾く。とっさに壁に手をついてやり過ごした。

息が上がる。

熱い。

力が抜けてきた。

熱いのはお酒のせいだろう。

ならば、息が上がるのと力が入らないのは?

……筋弛緩系の何か入れられたか。

「悠ちゃん」

にっこりとバーテンダーが笑った。

「大丈夫かい?二階に部屋があるから、酔いが醒めるまでそこで休んで行ったらどうかな?」

「あ…。すみません。お言葉に甘えてもいいですか?」

「もちろんだよ」

バーテンダーに支えられて二階に上がる。

もうすでに視界で視界がグルグル回っていた。

足に力が入らず、敷いてあった布団にガクリと倒れこむ。

………ん?

"敷いてあった"布団?

「悠ちゃん」

まずい、と思った時にはだいたいもうすでに遅いものだ。

ぞろぞろと従業員らしき人たちも部屋に入ってくる。

眠っていた2人、いない颯斗、"他の客が誰もいない"バー。

おかしいと思ってはいたし、バーテンダーが何か企んでいるのはわかっていた。

凪流を狙っているのかと注意して見ていたが、今まで何もして来なかったので注意を怠った。

思わず舌打ちしたくなる心境だ。

「実はね、もうお店は閉めたんだ。

2人も起きないよ。颯斗さんとやらも急用だとかで帰ったからね」

「ここにいるみんな、悠ちゃんが好きなんだ。

ね?今日はたくさん楽しんで帰って?」

人数は…見える範囲で5人。

グッと体に力を入れてみるが、ピクリとも動かない。

ぞろぞろと腕が伸びてくる。

「悠ちゃん、髪とか服で隠してるけど、すごく綺麗な肌してるよね」

「スタイルもいいのに、服で隠したらもったいないよ」

「この折れちゃいそうな儚い感じもたまらない」

「少し強く吸っただけですぐ跡付きそうだね」

「あー、スベスベもちもち」

あっという間に上半身は下着のみにされ、スカートはまくり上げられる。

あー、最悪だ。

どうせ動くことができないので、抵抗は早々に諦めた。

口もハンカチを入れられたせいで何も話せない。

べたべた、ぺたぺた、サワサワ

「あぁ、いいよ、悠ちゃん」

恍惚とした表情で次々に手が伸びてくる。

そうだ、眠ってしまえばいい。

そうすればすぐに終わるのだ。

犯されたって減るものはない。

けっこうここのバー気に入っていたのにな。

もうここには来れなそうだ。

足が持ち上げられる。

腕も足もしっかり押さえつけられている。

明日仕事じゃなくてよかったかもしれない。

そっと目を閉じた。


──ガンッ


「なんだっ!」

5人が動揺してキョロキョロと辺りを見渡す。


──バキッ…ゴッ…………ガッ


シーーーーーン………

なんだか凄まじい音がした気がする。

恐る恐る目を開けてみる。

吹き飛ばされたらしいドア。

全裸で倒れる男8人。5人だと思ってたのに増えてた。

顔を上げれば、黒のズボンに灰色のPコートの後ろ姿。

「………おい」

「………はい」

「何やってんだよ」

「……ちょっとミスりました」

「は?」

「………………」

無言で睨まないでください。

本当にわざとじゃないんです。

欲求不満とか絶対ないんです。

むしろ身体的につらいので避けたいところだったんです。

ばさり、とコートをかけられる。

私の服はもうすでに引きちぎられているようだ。

「湊さーん!あれ?どこいった?みなとさーーい"っ」

璃久が部屋に入ってきた。湊さん呼びに対し、後ろから入ってきた幸架がその頭に軽くチョップを入れる。

「ここで湊さんなんて言っちゃダメですよ!」

「あ。悪りぃー、えっと…颯斗さーん」

そこで颯斗からよろしくない音が聞こえた。

みなさん。今この人、盛大に舌打ちしましたよ。

すんごい嫌そうな顔してます。

"お友達"なんじゃなかったんですか?

「……お友達が探してるみたいなので、お帰りなさったらどうです?颯斗さん」

「………あとで覚えてろよ」

「…………」

いいえ。忘れます。

スッと立ち上がると、颯斗は階下へ向かっていった。

「あ、颯斗さん」

「秋信(あきの)、往焚(ゆきや)。この2人送ってってやって」

「いいですけど…。どこにです?」

「この女の家に2人とも置いてけばいいだろ」

「了解。颯斗さんはどーすんの?」

「俺は今日帰らない」

「え…。あー、了解。秋信、行くぞ」

「はい」

聞き覚えのある声。

やっぱり璃久と幸架、だよなぁ…

肩にかけられたコートで体を隠すようにうずくまった。

行為に及ぶ前に颯斗は来た。

婦人科の病院には行かなくてすみそうだ。

それより、問題は筋弛緩系の薬の方だ。

動けない。

しくじった。

まだ、湊はこちらに戻ってくる様子はない。

ズルズルと自分の切り刻まれた服に近寄る。

ガサゴソと漁ると、首のタグ裏に隠していた薬を取り出す。

30分程度の効き目だが、筋力を上げてくれる薬だ。

これなら、普通に動けるようにくらいはなるだろう。

グッと飲み干す。

即効性だから、すぐ効く。

ズルズルとまた体を引きずり、男たちが脱いだ服から適当に選んで借りる。

湊がかけてくれたコートは軽くたたんで置いておいた。

薬が効き始めたところで立ち上がる。

確か、ここのベランダは非常階段もあったはず。

ガラリと開けると、案の定階段発見。

外に出て、紐を使って内鍵をかける。

これで少しはバレるのも遅いはず。

階段を降り、小走りに家に向かっていった。


家が見えてきた。

ポストに隠した針金を取りだし、ピックングで開けた。ちなみにカバンはバー二階のあの部屋に置き去りになっている。もちろん鍵もその中だ。

中に入り、鍵を閉めた後に二重ロック、さらに二重ロックにもチェーンを通してロックをかける。

そこで薬の効果が切れる。

ガクリと膝から崩れ落ちた。

もしかしなくても、多少の媚薬効果も混ざっている気がする。

ブザケやがって、変態ども。

ズルズルと体を引きずってようやく靴を脱ぐ。

それ以上は動けそうになかった。

体が重い。

熱い。

息が上がる。

汗がにじむ。

苦しい。怖い。寂しい。

弱っている時に思ってしまうらしいということは知っていた。

まさか、自分がこんな風に思う日が来るとは。

チャリン、と玄関に隠してあったナイフを手に取る。

次の一手はもうすでに打ってある。

あとは、その一手が動くのを待てばいいだけだ。

ここで私が消えても、作戦に問題はない。

もうそろそろ死んでもいいだろう。

私はよくやったと思う。

こんな日常から解放されたって、誰も責めやしないはずだ。

グッとその刃を首にあて、思いっきり引く。


──ガッ


「お前ッ!何やってんだよ!」

ナイフを持っていた手が持ち上げられていた。

フッと顔を上げれば、かなり怒っているらしい

"男"の顔。

「え…なんで、ここに…」

「……お前、頭悪くなったか?」

「……ひどい」

「お前がこっそり先に帰ることくらいわかってたから先回りした。それだけだ」

「あ…そ、だよね」

「てっきりこれも読まれて適当なホテルにでも泊まったのかと思ってたんだけど?」

「あ、あはは…」

男──湊にグッと手を強く握られ、痛みでナイフが手から落ちる。

カラン、となったその音がとても冷たく感じた。

「で?何しようとしてた?」

私を抱き上げ、そう尋ねる男はやっぱり怒っている。

「……痛みでなんとか薬の効果を誤魔化せないかなぁと」

「へぇ?首で?」

「…………」

私は彼に、ベッド上に乱暴に降ろされる。

そのまま押し倒され、両手をおさえつけられた。

「お前、2年前脱走した理由ってなんだ?」

「……あなたに接触するためですよ」

「口調戻せ。…接触の目的は?」

「……記憶のデリートをさせようとした」

「デリートの必要性は?」

「デリートしなければ、頭に埋め込まれた"リミッター"が外せないから」

記憶のデリートとは、記憶媒体として解放されらということだ。

私は私として動くために、デリートを命令される必要あった。

じっと見つめ合う。

「お前は2年前、無名組織壊滅の準備が全て整った。開理、幸架、璃久、俺だ。

もういつでも動けるようになったその状況で、記憶媒体として埋め込まれた"教育"のせいでお前は自由に動けなかった。

その、教育ってのは、言われたこと以外のことができないということだ。

そのリミッターを外すためには、記録のデリートが必要だった。

そこでお前は脱走し、俺が絶対に来るとわかっていた場所で待機。さらに作戦通りデリートができた」

「……そこまでわかってるなら、何の用?」

「お前は俺ら4人を利用した。

多分俺らの誰かが今ここで"うっかり"死んでも問題はないんだろ。

次の手ってたやらが何かはわからないが、俺らが死んでも問題なく行動に移せる。

俺らが生きてたらラッキーって程度に思いながら、利用できるだけ利用し尽くし、お前は無名組織壊滅という目的を達成した」

「……………」

「もう1つ言えば、璃久と幸架を最終戦闘試験で生かした理由。

璃久は潜入向きだった。幸架は視野が広いから。

他のやつらは使えないと判断して殺し、ついでに2人の脱走に邪魔だった試験官と見張りのやつらも殺した。

開理との賭け、お前は口頭で引き受けたけど、最初から真に受けてなんてなかったんだ。

退屈だったから生かした、それだけだ。

1ヶ月前、お前は俺を生かす気なんてなかった。

俺の脱出に開理を向かわせたらしいな。

でもそれも別に俺を生かすためじゃない。

あんなところで開理を待たせたら、あいつは崩壊に飲まれて死ぬかもしれないからだ。

2人とも脱出できたらラッキーだねー、程度で俺と開理を脱出させた。」

「……………」

見つめ合う、いや、睨み合う。

「だから、さっきから言ってるけどそれが何?利用された腹いせでもしに来た?

それとも、自分がいつ死んでもいいと思われてたのが不快だった?なら、さっさとやれば?」

「腹いせ、ねぇ。…まぁ、お前がそういうなら遠慮なく」

男が、ニヤリと笑った。


「俺は、お前の嘘を暴きにきたんだ」


ニヤリ、と不敵に笑う男。

こいつは何を言っているのだろうか。

意味がわからない。

「嘘?」

「そう。嘘」

「別に嘘なんてついてないけど?」

「だろうな。お前は俺たちに否定も肯定もしない」

「はぁ…。意味わからない」

そっと唇を塞がれる。

角度を変えては、何度も、何度も。

小さく声が漏れる。

うまく吸えない息が吐息になって漏れる。

ゆっくりと離され、今度は首に唇を寄せられる。

強く吸い付かれ、ほんの少し痛みが走った。

「……憎い相手の体触って楽しい?」

その瞳を見返す。

なんとも悪趣味な人だなぁと思った。

利用した。

死んでもまぁ別にいい。

目的さえ果たせればそれでいい。

1人を殺すために1万人死んだって、私には関係ない。

この中にこいつがいても、璃久や幸架、開理がいても問題ない。

それの何がおかしい?

表社会もそうじゃないか。

どんな犠牲の上で成り立った"表"なのか知らないまま生きているじゃないか。

この男だって、沢山の死の上で生きている。

璃久も幸架も開理もそうだ。

「…とりあえず風呂」

「……は?」

「行くぞ」

グッと持ち上げられ、浴室に連れて行かれる。

いつの間に!と突っ込みたいが、もうすでにお風呂が沸いていた。

「外す」

「え…何を"っ」

ぐっと髪が引っ張られ、ウィッグが外れた。

真っ白な髪がふわりと体を覆う。

そのまま服も脱がされた。

さらに、髪も体も懇切丁寧に洗われる。

しかも、体に塗っていた色素代替色まで落とされ、完璧な素にされた。

しかもついでと言わんばかりに自分の分も洗ってるこいつ。

そういえば、男ももうすでに素に戻っている。

昔は癖っ毛だったのに、今はストレートになった漆黒の髪は、濡れると色っぽく艶めく。

羨ましいわ。

女の私より色気あるなんて。まぁ私骨と皮みたいな体だから色気のいの字もないけれども。

──チャプン…

湯船に浸かる。

男は、私を後ろから抱きしめる。

「……なんでこんなことになってるの?」

「こんなことって?」

「あの3人の分も恨みつらみを果たしにきたんじゃないの?」

「なんで俺がそんなことしなきゃなんねぇんだよ」

「………なんで復讐しに来たのにこんな大事そうに抱きしめてるの?」

「なんの復讐だよ」

「よくも利用してくれたな、的な」

「別に」

「………………」

本当に意味がわからない。

何がしたかったのだろうか。

私はおとなしく抱きしめられたままになることにした。

男は、私の首に顔を埋める。

たまに唇を当て、強く吸いあげる。

その度に紅い跡が残る。

「……お前、こんなの簡単につけられんなよ」

「こんなのって…あぁ。別に減るものじゃなし、私に損害はないから」

「そういう問題じゃねぇよ」

「じゃあ何?」

「……………俺はベタなことなんて言えない」

「そうかい」

「……言わなくてもわかれよ。

お前にわかんないことはねぇんだろ」

「君の考えだけはいつもさっぱりわからないよ」

きゅっと、湊は私を抱きしめる腕を強めた。

大事に大事に私を腕に囲うその姿が、なんだかとても滑稽に見えた。

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