第17話 記憶媒体No.000
「ボスがな、お前ら連れてくって言ったらめっちゃ喜んでくれてるぜ?よかったなぁー!」
こんな事態になってるのに、2人は俺を恨んだり疑ったりしていない。
むしろ、ここで疑ったり敵意を向けてくれた方が動きやすかったように思う。何もかもうまくいかない。
「倉橋さん!例の通り魔、捉えました!」
「おー、どれどれー?似てるかどうか見てやるよ」
全員の視線がそっちに移る。
今、逃げられるか?いや、無理だ。
俺もそっちにチラッと視線を向ける。
黒髪に黒い瞳、ヒョロヒョロでヒモっぽい。
さらに、明らかにクスリでおかしくなってる様子だ。突然叫んでは笑い、泣き出し、また笑っている。
「あー?似てねぇよ。誰だそんなデマ流しやがったの」
「まぁ、ここ2、3日でしたから」
「まぁいいか。ややこしいからそいつも連れてくか。報告すりゃ今日の仕事は終わりだろ」
黒服達が詰め寄ってくる。
まずい、打開策が何1つ浮かんでこない。
大丈夫だ。落ち着け。考えろ。
なんとかなるはずだ。
「あーー、疲れた」
誰も予期しなかった声が響く。
高めの少年らしい声。
こんな現場に能天気に突っ込んでくるヤツなんていると思わなかった。しかし、この声は。
「ここどこだよ。疲れたし。なんかでっかい蛇いたんだけど」
服についた葉っぱや砂埃を払いながら、"それ"は現れた。
白銀の髪。紅い瞳。真っ白な肌。真っ赤な唇。
黒のパーカーにフードを被り、ズボンもパーカーと同色の黒。
ネックオーマーもつけているが、その顔ははっきりと見えた。
「あーあ、めんどくせぇなぁ。仕事増やすなよ。はいはい、あんた誰?」
指揮官が"それ"に近寄っていく。
「そいつに近づくなっ!」
俺は敵の指揮官に、思わずそう叫んでいた。
「はぁ?何言ってんだよ。ただの一般人だろうが」
指揮官はそれでも俺の忠告を聞いてそいつから離れる。ほんの少し動揺した表情を浮かべている。俺があまりにも切羽詰まった声を出したからだろう。
さっきと様子が違う俺を見て近づいてくる、だるそうに立っている色素の薄い"それ"に、黒服達が捉えようと囲んでいく。
近づいてくる指揮官なんて、"それ"には目に映っていないのだろう。
俺はその人物から、目が晒せない。
「なぁ、指揮官サン。俺に誰?って聞いてきたけど、わかんねぇ?」
「はぁー?知ってたらんなもん訊かねぇーだろぉが?」
「ふぅーん…。あぁ!そっか。"ルナ"は脳筋バカしかいねぇもんねぇ」
「…なんだと」
ケタケタと笑う、"それ"。
全身から汗が吹き出る。震えが止まらない。
俺の異常な様子に気づいた幸架と璃久が、黒服と指揮官の様子を見ながら近づいてくる。
「…鬼逸さん?」
「しっかりしろよ!大丈夫かよ」
「まずい。ここにいる全員消される」
「なに、言って、…」
全員消される、と告げると、2人がバッと俺を見た。
呼吸さえ苦しい。
渾身の力を振り絞って顔を上げ、男を見る。
俺の動きを追うように2人も顔を上げ、"それ"を見た。
「みーんな俺のこと探してたんだろ?」
「何言ってんのかわかんねぇなぁーって言ってんだけど?言葉通じてるー?わかんないのかなぁークソガキ!」
ジャッと素早く拳銃を取り出し、指揮官が男に拳銃を向ける。
「やめろ!それだけはまずい!」
俺は敵にもかかわらず制止の声を上げるのは、これ以上"あれ"を刺激したら俺らの命もないからだ。
「そうそう、そこのお兄さんの言うこと聞いたほうがいいよ?おじ様?」
「…バカにしてんのか?」
「あれ?気づいてない?最初からバカにしてたんだけど」
「テメェ…」
ああ。もうダメだ。
「お前ら、走れ」
もう、演技なんてできない。地声だった。口調も誤魔化す余裕さえない。
「何言って」
「いいから、行け!」
「行きませんよ」
「行けっつってんだよっ!」
「「行きません!」」
2人が、俺を守るように立つ。
「死ぬっつーなら、」
「あなたと共に逝く」
なんで、そんな強い目ができるんだ。
なんで、そんなに希望を持てるんだ。
俺には、わからない。わかんねぇよ。だってほら。
──"悪魔"が嗤っている
「俺は名前ないんだよねぇ…。まぁ、強いて言えば?あるけど」
「もったいぶってんじゃねえー!さっさと答えろよ!まぁ、答えても?お前の地獄行きはかわらねぇけどなぁ、クソガキ」
「あぁ、そう?じゃあ答えるけど?
──俺は、記憶媒体No.000」
空気が凍る、なんてよく言う。
そんな甘いものじゃない。皮膚が痛い。息ができない。息は吸えないし震えも止まらない。声ひとつ出せない。
この場で平然としていふのは、目の前にいる"悪魔"だけだ。
「き、記憶媒体、No.……000、だと?」
「そうだけど?なんか用?」
「俺が探していた顔とは違う!」
「写真あるでしょ。確認してみなって」
「……写真持ってこい!」
はい!と部下が走って渡すと、組織が血眼になって探している記憶媒体No.000の写真と見比べ始める。
「嘘、だろ…」
見比べていた指揮官が、写真の人物と"一致した"のを確認すると、顔を青ざめる。
「……鬼逸さん、どうなってるんですか」
「俺らが知ってるNo.000は女で、ハルカなんですけど」
「今は何も話すな」
「あ!お兄さん!久しぶりだね」
ニコニコしながら記憶媒体No.000は俺に近づいてきた。
「元気?じゃないねぇ。顔色悪っ。ってか、頭バカになった?らしくないぽかミスしてさぁ」
「…そう、だな」
「そうそう。ダメだよ?ちゃぁーんと、
──綺麗に消さないと」
あぁ。こんな悪魔が本気を出したら、世界は1日で終わるんだろうな。
黒服全員がその場で倒れた。
指揮官も、ほんの少しの時差で倒れる。
立っているのは、俺たち3人とNo.000だけになった。
「なっ……」
「んー?あぁ…君は確か、璃久だよね?」
「………っ」
「大丈夫大丈夫!君らには何もしないよ?」
紅い瞳が嗤う。
「それと、後ろのは幸架だっけ?あんたはもっと食べたほうがいいんじゃない?ガリガリだねぇ」
後ろでは、何が起きているのかわかっていない黒服達と指揮官が、地面に突っ伏したままこいつを睨んで呻いている。
「あー、お兄さんももっと食べないとダメだね。栄養状態最悪だよ?」
「…お前に言われたくねぇよ」
「俺はちゃんと食ってるから。見ろよこの力こぶ!」
「俺には1ミリも盛り上がってるように見えないけどな」
「えー、ひどいなぁ」
拗ねたそぶりをしているが、微塵も傷ついてないだろう。全て演技だ。
あ!と思い出したように指揮官に近づく。
「ねぇ、指揮官サン!それ、貸してよ」
「ゔっ……あ"……」
「はいはーい、どーもねー」
指揮官の内ポケットから通信機を取り出すと、No.000はいじり始めた。
ピッと音がなると、ニッコリ嗤う。
指揮官に、シィーッとジェスチャーしているが、指揮官から見れば断頭台の上で落ちてくる刃を見ている気分だろう。
「クスクスッ……あ、ボス、俺です。倉橋です」
指揮官が震え始める。自分の声がNo.000から発せられていたのだから。No.000は指揮官の声で話を続ける。
「……はい、…はい。いえ、さっき落としてしまってねぇ…そうそう。しばらくゴミどもに直してもらってたんですよ。ゴミだって使える時は使ってやるのが大事でしょう。…………あぁ〜、似てただけで別人だったから殺して捨ててきました。…………わかりました。………はい、はい、……じゃあ駐車場までお願いします。………はい、それでは、ボス」
ピッと通信機を切ると、ニタッと嗤った。
「ちゃぁ〜んと君たちの頭に連絡してあげたよ。迎えにきてーって。まぁ、ここじゃなくて君たちの本部にある駐車場に、だけど?」
ふふふっとNo.000は楽しそうに嗤う。
「まぁ、せいぜい死ねないまま苦しんで?」
ガタン!と音がなる。
背後から別の集団が来る。
見たことない、真っ白な服を着た奴らは黒服と指揮官を連れてどこかに消えていった。
公園には、4人だけになった。
「さぁーて、俺もそろそろ行こうかな」
「……通り魔の情報流したのはお前か?」
「いやいや。そんな面倒なこと俺がすると思う?」
「…しないな」
「でっしょー!ま、俺ってば今日は救世主じゃん?」
「……俺にはメシアにしか見えなかったけどな」
「メッ、メシア…?」
がくぅーっと肩を落とし、泣き真似をする記憶媒体No.000。
「ねぇー、なんでそんなの被ってんの?」
「関係ねぇだろ」
「久々に会えたんだからもっと優しくしてくれてもよくない⁉︎顔くらい見せてよ」
「嫌だったってんだろ」
うぅー、と泣き真似をしながら記憶媒体No.000は本当に泣き出した。
「いいじゃん…ちょっとくらい…今、絶対なんかお礼もらってもいい感じの雰囲気だったじゃん…」
「……なんか欲しいもんでもあんの?」
「ある!」
「……なんだよ」
「ナイフ、一本」
「……………」
「一本でいいから恵んでよ。すぐ返すからさ」
「……………」
「き、鬼逸さん」
焦った幸架が俺に声をかけて来る。
しかし、俺はこいつとの腹の探り合いに全霊を注いでいる。返答する余裕はない。長考したのちに、
「……すぐ返せよ」
と言い返した。
「うんっ!もっちろーん」
袖口からナイフを"2本"滑らせる。
一本をこいつに渡す。
柄の方を渡せば、そのまま刺される可能性もある。
俺は、わざと刃を向けて渡した。後ろから、何してんだよ!という2人の視線を感じるが、無視する。
一瞬でも気を抜けば"消される"。
「ありがとうー?」
ニッコリとそれを指2本で挟み受け取ると、顔つきをスゥっと変えた。
まずいか。
もう一本、袖からすぐ出せるようにしていたナイフを手に滑らせ、いつでも使えるように構える。
だが、No.000は俺より早かった。
全然"気"を感じさせないまま、そのナイフを投げる。
俺に向かって。とっさに体を捩って避けた。なんとか髪数本切れただけで済む。璃久と幸架は真後ろにいたわけではないので、当たっていないだろう。
「ああああっ!」
後方で声がした。
後ろで璃久と幸架が振り向く気配がする。
俺も振り向いて確認したいが、こいつから眼を離すわけにはいかない。
「どうしちゃったの?今日失敗ばっかりだよ?」
どうやら、残党がいたか密偵がいたらしい。
璃久が立ち上がった。
死体からナイフを引き抜く音がする。
そいつは確実に死んでいる。
「……疲れてんのかも」
「そっかぁ…。ゆっくり休むといいよ。大丈夫だよ。君たちは安全だ」
「…よく言う。つい今さっき災難にあったっていうのに、安全なんて」
「えぇ?ほんとだよ。だって…
──2ヶ月は誰もどこも動けないさ」
…なんだ。何を考えている?
「…相変わらずお前だけは読めねぇ」
「ひどいなぁ。読まなくても俺はちゃんと言葉に出して伝えてるだろ?」
「全然伝わってこねぇよ」
「うそー!かなしい…」
およよよ、なんてNo.000は泣き真似を始める。
警戒は解かないようにして、璃久からナイフを受け取ると、袖口に戻した。
「あ!あとさ……体鈍ってるんじゃない?今の間に93回は殺せたよ」
隙だらけな自覚はある。でも、今はもう打つ手がない。とりあえず、この2人は逃さなければならない。
こいつは、敵か?味方か?
──どっちだ。
「ねぇ、君は今、なんて呼ばれてるの?」
ゆっくりと俺の方に歩み寄ると、俺の目の前までくる。No.000は俺の胸あたりまでしか身長がない。
その両手を伸ばし俺の頰を包むと、自分と視線を合わせようとしてるのかじっと覗き込んでくる。
「フリーランスキラー?湊?海斗?晃?圭?樹?佐川?鬼逸?レイ?ミキ?…ねぇ。なんて呼ばれてるの?」
こいつ…全部知ってるな。
「……俺たちは、鬼逸さんって、今はそう呼んでますよ」
答えたのは、幸架だった。
記憶媒体No.000は、俺から視線を外して幸架を見た。
幸架の緊張が濃くなるのがわかる。それを守るように璃久の集中力が増していくのも伝わってきた。
「教えてくれてありがとう。鬼逸かぁ。鬼畜自由人?そんなふうに思われてるんだ。ウケる」
「…ウケんな」
「なんでー!なんで今日そんな冷めてるの!?"あんなに仲良くしてたのに"」
あははっと笑いながら、また目がスッと細められた。
もう何してもこいつには敵わないと思った俺は、こいつのされるがままになることにした。
No.000にグッと髪と変装が引っ張られ、剥がされる。
地毛の黒髪がばさっと広がった。
キッと目の前のNo.000を睨むと、こいつは嬉しそうに嗤った。
「ん。綺麗だなぁ。隠しちゃうの、もったいないもったいない」
「なんのつもりだ」
「何が?」
「こんなに"情報"俺らに渡して、何を狙ってるんだ?」
「…それは俺が言いたいよ」
記憶媒体No.000から、笑みが消えた。
「俺は全部捨ててやったのに。お前が拾ったんだろ。拾ったくせに死にやがってさ」
ふらふら〜っと歩いて、ブランコに座ると、小さくゆらゆらと揺らし始めている。
何を言っているのかさっぱり理解できない。
「…意味わかんねぇよ。こんな窮地にも呼ばれねないし。呼んでくれればすぐ行くって言ってるのにさぁ」
こいつ…拗ねてるのか?
いや、こいつに限ってそれはねぇか。
「まぁ、かってにやったことだし、恩着せようなんて思ってないよ。俺も死んでるしね」
「…お前は生きてんだろ」
「俺を生かしたのはお前だろ」
「……ハハッ………あはははははっ!」
「えぇ?鬼逸、ついに壊れた?」
「あー、やっぱ、お前わかんねぇ」
「…ねぇ、そこの2人。なんでこの人わかんないんだと思う?こんなにどストレートに伝えてるのさぁ!なんで?」
「……いや、わかんねっスよ。本気で」
「…私も鬼逸さんと璃久さんに同意ですね」
「えぇ⁉︎こんなに、こんなにわかりやすく伝えてるつもりなのに……」
かなり落ち込んでいるように見えるが、気のせいだ。これもきっと演技なのだから。
No.000がふぅと息をつくと、静かになった。
「…そろそろ行くね」
「どこに?」
「俺がいるべき場所、俺の居場所さ」
「そんなの、どこにあんだよ」
「あははっ!──そんなの、どこにもないよ」
強く風が吹いた。
砂埃が舞って目に入る。
痛みで目を閉じる。
でも、瞬きするくらいの一瞬だったのにもう、そこにNo.000はいなかった。
「……帰るぞ」
「「……はい」」
全員フードを被り、森に入っていく。
2人は俺のパーカーの裾をしっかり掴んだまま付いてくる。
──久々に会った"君"は、やっぱり"悪魔"だった。
森を抜けて屋敷につくと、俺ら3人は玄関でしゃがみこんでしまった。
正直、もう一歩も動ける気がしない。
「……鬼逸さん。記憶媒体No.000って、女じゃなかったんですか?」
「……それと、今のが鬼逸さんが散々俺たちに見せたかったハルカってことですか」
「…………いや。お前らはしらねぇだろうけど、記憶媒体No.000は事実上2人いる」
「「は?」」
はぁ、と息をついて立ち上がろうと壁は手をつき、それを支えに足に力を入れる。
緊張と安堵で、けっきょく立てなかったけど。
「記憶媒体No.000。幼少期、つまり育成段階で会ったことがあるんだが…。あいつは男として育成されてたな」
「……男?」
「まぁ、"2年前"、逃亡したって連絡受けて探して見つけた記憶媒体No.000は女だったけど」
「……鬼逸さんは、本当に湊さん、ですよね?」
「……お前ら、俺のこと呼ばなかったし、湊って呼ばれるの知らなかったんだけど」
「あれ?…え。呼んでませんでした?」
「あのとか、今いいですか?ととかだっただろ」
「あー…確かにそうだったなー…」
2人が項垂れているのを見ながら、やれやれと頭を掻く。
ゆっくり立ち上がり、ようやく気分も落ち着くと、ハルカを寝かせていた部屋の前に行く。
「…今思ったんですが、悠はここで連絡とってた可能性があるんですよね?」
「…ここ開けて、大丈夫何スか?」
「…………たぶん」
3人で視線を合わせ、ドアノブに手をかける。
ゆっくり開け、中の様子を伺うが、何かが動いているような気配はない。
恐る恐る扉を開き、ベッドに近づくと…。
女はまだ眠ったままだった。
机に置いたメモの位置は1ミリもズレていない。
掛けた布団もほんの少しズレているが、長時間離れたような冷たさはなかった。
彼女に近づき、観察する。
脈はゆっくりだし、呼吸も穏やか。
瞼や筋肉の弛緩を見ても、確実に眠っていた。
「鬼逸さん。どんな薬使ったらこんなに眠ったままになるんですか」
「…強すぎたか?」
「誰が見ても薬に負けてるだろー!」
「ということは、やっぱり悠はここにずっといたってことですか?」
「俺と幸架が探せって命令されたのは女の記憶媒体No.000だったよな?」
「はい。そうだったはずです。写真だって渡されましたから、それは間違いないですよ」
「あの指揮官は別の写真持ってた見てーだがな」
ほれ、と右手の人差し指と中指の間に写真を挟み、2人に渡した。
白銀のに紅い瞳。真っ白な肌に、にっこりカメラに向かって笑っている。
かなり綺麗な顔をしているが、どう見ても男だ。
目の前にした時は、本当に生きてるのかよって誰もが思うだろう。
「…これは?」
「今日いた指揮官様が持ってたって言うか、探せって命令されてた記憶媒体No.000の写真
…あいつ、指揮官から抜き取ったやつ押し付けて行きやがった」
「…男だよなー、これ」
「そうだな」
2つの写真を見比べ、共通点なんて1つもない2人を交互に見る。
あいつは、2ヶ月はどこの組織も動かないと言っていた。
あれが意図的な嘘でなければ、絶対外れない。
今日の様子からすると、本当に俺らに恩を売って何かさせたかったわけではないらしい。
と、今思ってることさえ計算に入れられていなければ、の話だが。
「……おい。起きろ」
彼女の頰をペチペチと刺激して起こそうと試みる。
だが、彼女はピクリとも動かない。
無理だな、と2人に首を横に振って見せた。
おいおい…と言う顔をしつつ、2人は笑っていた。
〜・〜
「うー……ん…」
「起きたか」
「……おはこんばんは、です?」
「…なんだそれ」
目がさめると、何故か男に膝枕されてソファにいた。ご丁寧にブランケットまでかけてある。
あれ?素顔だし地声。
男の手には本。
向かいのソファーに璃久と幸架が座ったまま眠っていた。
なでなでと男が大きな手で頭を撫でてくれる。
心地がいい。
低血圧気味のせいか、起き上がるのがかなりシンドい。しかもまだ眠い。
そして生理痛がだんだんじわじわ戻ってきた。
痛いと甘えたくなるというか、甘やかされたくなるのが人間である。
もぞもぞと動く。彼の私の頭を撫でていた手が止まった。
「んーーーーー…」
「どうした?」
ごそごそ、もぞもぞ。
ベストポジションを見つけると、そのまま男の腹に腕を回して抱きつく。
ぎゅっとしていると、思った以上に彼の腹周りが細いことに気づいた。
でも、あったかいので今日はそんなこと気にしないことにする。
一瞬固まった後、なんなんだよ、とクスッと笑い左手を頭において、右手は背をさすってくれる。
眠い、痛い、怠いが揃っている今の私に羞恥心など皆無である。
…暖かくて安心する。
チラっと視線だけ上げ、時計を見ると、10時20分。
カーテンが閉まっているので、22時20分か。
ずいぶん寝てしまっていたらしい。
「寝すぎました」
「…………そうだな」
「……今、一瞬私から目をそらしましたね?」
「……………」
なんで無言なんだ?目線合わせろ。
「……たとえ女の子の日でもこんなに寝たことないんですけど」
「…そうか」
「今朝くださった薬、本当に痛み止めですか?」
「…………もちろん」
「………………………」
「………………………」
「………なんで目、合わせてくれないんですか?」
「……別に?」
うおおおお!確実に痛み止めじゃないもの飲まされたぁぁ!!!
なんでだよ!
女の子の日って辛いんだぞ!男のお前にはわからんだろうがなぁぁ!!
「…んー。あ、悠起きた?」
うとうとしながら幸架が起きた。
まだ眠そうだが、あくびをしつつこっちを見る。
横になったまま男に抱きついているような体勢の私とそれを受け止めてくれているような男の雰囲気。
それでも甘い空気など微塵も流れていない。
ジト目で彼を睨む私と必死で目線を逸らす男。
何か悟ったらしい幸架は、苦笑いした。
「んあ?…あー。あんた、やっと起きたのか」
「…………おはこんばんはです」
「おは、こん…?なんだそりゃ?」
幸架が起きてすぐ、璃久も起きた。
ふあーーーっと大きなあくびをつき、まだ眠そうに伸びをしている。
「……お二人さんは、今日私が飲まされたのが何かご存知で?」
「「…いや?」」
「……………………」
ジトーっと2人を見つめる。
心なしか冷や汗がダラダラ流れているように見えるんですが、気のせいでしょうか?
気のせいなんでしょう。え?なになに?気のせいじゃない?
………。
さっさと言えよぉぉ!!
こんなの確実に痛み止めじゃねぇ!!
「…はぁ。ご飯作りますね。あ。あなた方のはスペシャル豪華な美味しさで作るので、ちゃんと食べてくださいね?」
絶対すごい不味いの作ってやる。
何これ、魔女鍋?みたいなやつ口に突っ込んでやる。
私は、心にそう決めてキッチンに向かうために起き上がろうとした。
もちろん、3人は必死で私をキッチンかに行かせないように頑張っていた。
夕飯を食べてからシャワーを浴び終わった後、全員リビングに集まった。
3人は本を読んでいる。
私はお腹が痛かったので横になり、男の膝枕で毛布にくるまっていた。
「なんで素なんですか?」
「…バレた」
「やっぱり湊さんはあなただったんですね。意外に抜けてるんですね」
「うるせぇよ」
「照れなくていいんですよ」
「その口縫ってやろうか」
「問題ありません。だってあなたは私の思ってることわかるみたいですし」
「……………」
バカかこいつはという顔をされたが、見なかったことにする。
「何を読んでいるんですか?」
「資料」
わからない。私が頭にハテナを浮かべていると、幸架が教えてくれた。
「鬼逸さん、それじゃわかりませんよ…。知っている情報でも、何か見落としがある気がしてまして。璃久さんが図面系の情報、俺は組織関係の情報、鬼逸さんは個人情報の本を見直してるんですよ」
「なるほど。お仕事頑張ってるってことですね」
資料を真剣に読んでいる3人をほんの少し覗き見る。
彼が仕事してる姿なんて見たことなかったので(いつもふざけてるだけだと思ってた)、真剣な顔をしているのが不思議だった。
「…幸架。ここって…」
「あぁ。今でもなんで失敗したかわかんない場所だったですよね」
「鬼逸さん。ここの図面、拡大したやつってあるか?」
「……持ってくる」
スッと立ち上がって部屋を出て行くと、男は大きめの紙を持って戻ってきた。
それを机の上に広げると、3人はその図面を覗き込んだ。
「1年ほど前、蜘蛛の研究員5人の捕獲依頼が出て、俺と幸架さんで依頼先の組織と協力して仕事をしました。下見は璃久さんがしました。
計画もすぐに決められたので、スムーズにに突入することができたんです。
入り口と出口、隠してある通路と逃走ルートは真っ先に爆破しました。
5人が行きそうな部屋は元から把握していたので、それを1つ1つ確認したんですが…」
「どこにも5人はいなかった。しかもこの建物にいた386人全員消えたんだ」
「386人が消えた?」
鬼逸は資料から顔を上げて2人に尋ねる。
「はい。突入して30分で全員消えたんです。逃げられる場所は1つもなかったはずなんですけど…。なぜ失敗したのかわからなくて。その後、依頼先の組織組員と意見交換をしたんですが、誰もわからず…。何度確認しても計画に不備はありませんでしたし、わからずじまいのまま終わったんです。消えた標的である研究員5人は今でも消息不明です」
もぞもぞと動いて図面を盗み見た。
5階建てのビルの図面のようだ。
私が見ていることに気づいた男は、私を膝の上に座らせてくれた。
ブランケットを膝にかけ直してくれるという気遣いまでしてくれる。
見るな、とか言われるのかと思っていたので驚いたが、お構いなく図面を見ることにした。
「お前らは部屋を確認して行ったって言ったが、それは5階からか?」
「はい。屋上から突入して、5階から順に確認していきました」
私は図面から目を離した。
何か考えている彼を観察する。
こういう姿を見るのは新鮮なので、今のうちに見ておこうかなという気になる。
「だとしたら怪しいのは5階か」
男は図面を指差しながら口を動かし始める。
「お前らが5階から突入してくることを知っていて、5階の奴らから逃げた。そしてお前らが4階を確認している間に3階にいた奴が逃げる。
で、次に3階を確認している間に2階のやつが、2階にいるときに1階のやつが通路を使って逃げたと考えるのが妥当だろう。そうすれば上階からの足音でその上の足音が減っていることは気づかれにくい。
二階にいたのは下っ端の奴らで、捕まっても問題ないやつらだったんだろ。
まぁ、運良くバレなかったみたいだけど」
3人の話を聞きながらも、私はだんだん眠くなってきた。
もぞもぞと動いて男に寄りかかると、ブランケットを手繰り寄せて埋もれるようにする。
あー、あったかい。
この人意外に体温高いから、寝るときあったかくていいんだよね。人間湯たんぽ的な。
ぽんぽんと頭を撫でられる。
心地よくて、ついうとうとする。
3人はまだ議論している。
5階がどーのこーの話している。
あぁ。眠い。
今日は疲れた。
あんなに寝たのにまだ眠いなんて、もう少し私の体、気を使ってほしい。本当に何の薬を飲まされたのだろうか。
「……5階東と3階西の男子トイレ」
3人がバッと私を見る。
私は眠くて眠くて、寝言のようにつぶやく。
「……手洗い場の、鏡の、う………ら……」
あぁ、眠い。
まだまだずっと眠っていたい。
そう。
このままずっと、ずっと…
〜・〜
スースーと寝息を立てて眠るハルカ。
あれだけ薬で眠らせていたのに、疲れたようにずっと俺に寄りかかっていた。
彼女が落ちないように腕を回して抱き込んで支えた後、彼女の言葉を脳裏で反芻する。
5階東と3階西。男子トイレの手洗い場、鏡の裏。
図面を見比べる。
「……なー。5階東と3階西の男子トイレの鏡、間隔が他の階と微妙に違ったよなー?」
「あ、そう言えばそうでしたね。確か他のトイレより2ミリほど長かったはず。誤差はありますから、気にしませんでしたが…」
「………………」
歪みや鏡のズレ。他にも数カ所、建物にはズレた場所があった。
それらを見直し、建物の見取り図に訂正を入れていく。
日付が変わって午前4時。
訂正が終わった目の前の見取り図を見て、3人で覗き込む。
──5階東と3階西の男子トイレの鏡の裏。隠し通路が現れた。
「うそ、だろ」
「ハルカは知っていたということですか?」
「いや…。この建物のことは知らなかったはずだ」
「根拠は?」
「このビルができたのは1年半前。こいつの記憶がなくなった後だ」
「……なるほど」
腕の中で、スースーと眠り続ける彼女。
穏やかな顔で眠るその顔を見ながら考える。
──なぜわざわざ教えた?
知っているような言葉を言えば、明らかに彼女は俺たちに疑われることはわかるだろう。
素人だって考えなくてもそれくらいわかるはずだ。
案の定璃久と幸架は彼女に不信感を持ち始めた。
"不信感を持たせること"が目的か?
そんなことをしたら動きにくいのはこいつだ。
何をしようとしてる?
「ハルカにはもう記憶があるってこと?」
「だったらさっさとこっから抜け出してんじゃねーの?」
「それもそうだよな…。でも、俺らより図面そんな見てなかった気がするんだけど…」
「パッと見てすぐ視線そらしたよなー」
「知らない建物だったとして、そんなパッとまでドンピシャなこと言えますかね。というか、私たちは書かなきゃわかんなかったのに、訂正線も書いたりしないで当たるなんて…。
それに、この訂正線だってほんの数ミリの歪みを訂正していっただけのものです。計り直さないとわからないくらいの本当に数ミリあるかないかだった」
「1ミリもない歪みもあったよなー…あー、頭こんがらがってきた…」
予測が狂い始めてきた。
予測し直す必要があるだろう。
常に予測を訂正して動いてきたつもりだったが、甘かった。
それに…。"君"が動いているなら、予測なんてあっという間に覆されるんだろう。
〜・〜
ハルカハふっと目が覚めた。
時計が指す時間は8時12分。
カーテンから光が漏れる。
朝だ。
後ろから温もりを感じる。男は私を抱きしめたまま寝たらしい。
目の前には璃久と幸架。座ったまま眠っている。
机の上の図面は広げられたままだ。
赤鉛筆で訂正ラインが引かれている。
鬼逸の腕をほどき、ブランケットを彼にかける。
部屋を出て、別の部屋から毛布を持ってくると、璃久と幸架にもかけた。
机の図面をしゃがんで覗く。
遅くまでこの作業をしていたのだろうか。赤鉛筆の先が丸くなっている。
近くにあった鉛筆削りで削り、その図面に書き込みを足していった。
数字や文字、記号。使った爆弾の内部構造と"仕込まれていたもの"。
なんでこんなの書いているんだろうなと思いながら、頭の中から思いついたものを書き込んでいく。
行ったことのないビル。見たことのない物や場所。機械の構造なんて知らない。
それなのに爆弾の内部構造を書いていく。
鉛筆を削っては書き、また削っては書き込む。
書き終わると、3人が読んでいた本をパラパラとめくった。
目に付いた場所を赤で訂正する。
1時間ほどそんな作業をした。
書き終わると、本を元の位置に戻した。
キッチンに行く。自分の髪を持って、包丁で切った。ボブになった自分の髪に苦笑する。
切った髪を束ね、ポケットに突っ込んだ。
時計を見ると、9時24分。
3人が起きる様子はない。
着ていたパーカーのフードを被る。
部屋を出て、玄関に向かう。
そっと開けると、綺麗な空気が広がっていた。
憎たらしい太陽。今日は雲があまりない。
ほんの少し肌寒くなった空気を深く吸い込み、ゆっくり吐き出した。
扉に戻り、"外側から"内鍵をかける。
カチ、と音がして閉まったことを確認すると、そのまま歩き出した。
どこへ行こうか。わざと森をうろつこうか。
たくさん動物がいるようだし、だれか食べてくれるかもしれない。
いや、それはないか。
思わず苦笑いする。
こんなやせ細った体、食べる動物なんていない。いっそのこと、私を探しているらしい人たちについて行くか。そうすれば迷惑をかけなくて済むだろうから。ここにいればまた3人に迷惑をかける。
それとも、どこか死に場所を求めて探すか。それが一番、幸せかもしれない。追われる身に、居場所などない。
森の入り口まで着く。木に手を当てた。
よくこんなもの作ったよなぁとしみじみ思う。
入った者が絶対にここに来れないように細工がしてある。
どの木も地面も全て"同じように"レイアウトされている。
これが目印です、なんてわからないようほんの少しだけ通った跡のようなものが点々と存在しているが、全てダミーだ。
木は全て枝分かれが多く、葉も太陽が見えないほど多い。
おまけに、上空から侵入されないように電磁力が最高出力で流されている。
この真上を通ろうとすれば、確実に墜落する。
こんなところで生活し続ければ、人間だってただでは済まないだろうに。
森の入り口に髪をバラまいた。
男から、折りたたみナイフを一本借りてきた。彼のズボンの裾に隠してあったので…こっそり…。
パーカーの袖をまくり、そのナイフで自分の腕を刺した。
地面に落とした髪と地面に適当にその血を垂らして行く。
垂らし終わったあと、手でぼかした。
髪も手のひらで擦り、切った髪は血と土で汚れた。襲われて攫われた風に見えるといいのだが。
ナイフを畳み、パーカーのポケットに入れる。
パーカーの紐を取ると、腕を圧迫するためにきつく腕に巻きつけて結んだ。
森へ入って行く。
これでいい。これで、いいのだ。
〜・〜
鬼逸は眠る時に感じていた重さがないことに気づいて目が覚めた。
時計を見ると、2時59分。
カーテンから漏れる光を見て、14時59分だとわかる。
寝たのが7時半ごろ。
わりと寝過ぎたことに気づく。
ブランケットがかけられていた。彼女が使っていたものだろう。
自分にかけてあったせいで、いつからいないかは予測できなかった。
目の前のソファーで2人はまだ眠ったままだ。
彼女はどこに行った?
リビングとキッチンにはいないようだ。立ち上がって一階を回るが、いない。
二階に行くとは考えられないので、外か?と思い玄関に行くが、鍵が閉まったままだった。
リビングに引き返すと、机のものの位置が微妙にズレていることに気づく。
昨日訂正した図面と読んでいた本。
いや…。明らかに書き込みが多い。
それに気づいて覗き込むと、ここにいる3人とは別の筆跡で追加訂正されていた。この訂正の量は、昨日自分ら3人が書いた3倍の量はある。
図面からは読み取れない建物の歪みと壁の"シミ"についての指摘。
ここの水道は出ない。使われていなかったのではなくわざとで…ここの薬品は〜と〜の中身だけラベルと違うものが入っている。本物の中身は持ち去られている。
ここの扉は……
図面の空きスペースには起爆装置から線が伸び、内部構造が書かれた図面と繋がれていた。
起爆装置の一部がおかしいことに気づいてそこをよく見ると、必要ないものが入っていることに気づく。
r'と書かれていた。
たしか、さっき持ち去られた薬品と書いてあった場所にこの記号があった。
幻覚作用があり、使ったあと水蒸気になるため痕跡が残らないものだったはず。
爆発と同時に飛散した薬品を、突入した組員と2人は吸い込み、それによる幻覚作用によって見えているより多くの人間が混乱しているように見えていたのか。だから研究員たちに逃げられたことに気づかなかったのだ。
図面の空きスペースには、そのほかにもびっしりと訂正ラインと説明書きがされていた。
本の位置もズレていたので、3冊とも目を通す。
璃久が読んでいた図面が書かれた本は、何ページか訂正の赤がある。戦闘特化型組織のルナ、蜘蛛、蟻の組織図に訂正が書かれているのを確認する。
ラスト数ページは白紙のはずだった。
しかし、1ページ目は見たことない地図と一部バツが書かれていた。
次のページはどこかの建物の図面。見たことがある。
確かこれは…。そうだ。無名組織の本拠地の内部がこんな感じだった。
"記憶にある内部構造"と図面がほんの少しずつかわっている。
この数年のうちに造り替えたのか…。
図面は4ページにわたって書かれていた。
次に幸架が読んでいた組織関係の情報の本を開く。
これもいくつか訂正がある。
不明、と書かれた文字に二重線が引かれ、追加情報が書き込まれていた。
あとで深く見直しておいた方がいいだろう。
最後に自分が読んでいた、個人情報の本を開く。
これも、不明と書かれた部分に二重線が引かれ追加情報が書き込まれている。
ルナと無名組織の幹部情報の欄は全て不明になっていたが、似顔絵まで書かれてある上、細かい詳細まで書き込まれている。
血液型、家族構成、住所、普段の行動パターン…
自分の情報が書いてあったページを開く。
そのページも不明と書かれたものが多かった。
だが、そこに訂正は1つも書き込まれていなかった。
記憶媒体No.000のページも開く。
全て不明のままだったそのページも、やはり訂正されていなかった。
「はぁ…」
ため息が、静かな部屋に吸い込まれていく。
「…鬼逸、さん?」
璃久に呼ばれ視線を璃久にやると、ぼーっと俺の方を見ている。
幸架はまだ眠ったままだ。
「おい、…幸架、起きろー」
「ぅ……ん………璃久、さん」
幸架は数秒ぼーっとした後、覚醒したらしくハッと俺の方を見た。
そんなにビビらなくてもよくないか?
「…おはよう、ござい…あ、こんにちは?」
「あぁ」
おはようと言おうとして時計が視界に入ったらしく、幸架は言い直した。
ふわ〜と璃久が眠そうにあくびをした。
「あれ…ハルカはどこにいんの?」
彼女がいないことに気づいた璃久に、机をコツコツと叩いて見せる。
2人は机に目を落とすとさっきの眠そうだった様子から、気を切り替えたように集中する。
さっきの俺がしたように、机にあった本と図面に目を通し始める。
それを眺めつつ、ソファーに座りながら思考を巡らせる。
彼女は本調子ではない。
昨日かなり腹が痛かったらしく、泣くほどだった。
昨晩もかなり甘えてきたところを考えると、痛がったのは演技ではないだろう。
彼女の持ち物は服以外ない。
ズボン裾に隠していた折りたたみ式のナイフが一本抜き取られていたので、それを持ち去ったとは考えられるが。
他に持ち出した形跡はなかった。
行ける範囲は限られる。財布も携帯もないのだ。歩いて行くにも、この2人と彼女を探す組織関係者がうようよ歩いている中に行くとは考えにくい。
机の上にある資料、訂正ラインと説明。
それらは全て虚偽なく本物だろう。
これだけの情報を置いてどこに行った?
助けてもらったお礼か…いや、それはない。
どう考えても誰が見ても、俺たちは彼女を助けていない。
この2人は依頼されたから探してたようだし、
"湊"探しの手がかりになると思っていたらしい。
俺はかなり酷い扱いしていた自覚がある。
薬盛るわ怪我させるわ酷く抱くわ。拉致監禁監視。和やかに会話したりしていたが、それが異常だった。
異常だとは気づいてはいたが…。
あまりにも彼女が平然とした態度だったせいで油断した。
「これは、ハルカが書いたんでしょうか?」
「そうだろうな」
「こんな情報…どーやったら手に入んだ」
「………………」
小さくて、ほんの少し丸味のある文字。
女性が書く字っていったらまぁこんな感じなんだろう。
しかし、この筆跡に何か引っかかる。
特におかしいところは無いように見えるが。
直感的に"これはおかしい"と感じるのだ。
「……とりあえず1時間で支度。屋敷の周りを見に行く」
「「了解」」
シャワーを浴び、変装を被る。
ナイフを1つ持っていかれたので補充し、リビングに戻ってきた。
左耳に触れる。
1つだけつけているピアス。アレキサンドライトが、キラリと光った。
彼女がいそうな場所はいくつかわかっているが…。
このタイミングでいなくなった理由がわからないまま、連れ戻しても意味はないだろう。
これだけの情報を置いて消えるなんて理解できない。
見返りを求めるメモもなかった。
取られたのはナイフ一本のみ。この情報量とナイフ一本では割に合わない。他に何かあるのか。
「鬼逸さん」
幸架の声を聞き顔を上げる。
2人がドアの前で立っていた。
準備できた、ということだろう。
ソファーから立ち上がる。
机上の文字を見る。この引っかかりが何かわからないまま、屋敷を出た。
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