第18話 欠けた記憶

鍵を開けて玄関を出たところで振り返り、ドアを見る。

無理やりいじった後はない。特に変わったところは無いようだ。

2人に目配せをして何もないことを確認し合うと、屋敷の周りを一周することにした。

「…鬼逸さん。俺、潜入であの女の会社に行ったことあんだけどー、…」

「…璃久さん?」

言い淀む璃久を訝しがった幸架が璃久を覗き見る。俺も話を促すように璃久を見た。

「えーっと…。あいつの字、もっと機械っぽかった気が済んだよなーって?」

「ハルカと仕事したことあるってことですか?」

「そーそー。資料の間違ってるとこをあの女が指摘してくれた時に書き込んでくれた字がさー。今日見た字と違う気がするんだよなー」

「……………」

少し考え込みながらも、何か手がかりはないかと集中することも欠かさない。

一周したが、特に変わったところはなかった。

森の方へ行ってみることにする。

森の入り口に向かいながら考える。

「わざと筆跡を変えた理由はなんでしょう?

というか、筆跡なんてそうそう変えられるものですかね…」

「誰かの真似とか?…そんなことする意味ねーか」

立ち止まる。

俺が立ち止まったことに気づくと、2人も足を止めた。

「……そうか。そういうことか」

「……?鬼逸さん?」

筆跡を変えた意味はわかった。

"あの人"の字を真似したのだ。

あとは今いなくなった理由、か。

再び歩き出す。

森の入り口に着くと、明らかな痕跡が残されていた。

「これは…」

「確実にここにいたってー、ことか」

「…………」

バッサリ切られた髪は地面に投げ捨てられている。

地面と髪には血が付着していて、争ったのか血の跡が擦れていたり、落ちている髪は土で汚れている。

「逃げようとして外に出たところで、誰かに見つかって抵抗したけど連れ去られた、ということですかね」

「状況だけみたらそーっぽいな」

「………………」

しゃがんでよく観察をする。

血の固まり具合から、ここにいたのは数時間前だとわかる。

擦られた地面を見ると、争って擦れたにしては複数の人物が地面に踏みつけたような深い跡はない。

血の跡から刺された可能性が大きいと考えられるが、それにしては出血量も少なすぎる。

だが、自分でやったと考えるには出血量が多いように見えた。

血のついた土を少しつまみ、ティッシュに包んだ。

あの彼女は、自分の血液型をO型Rh:nullだと言っていた。

あとでこの土も確認しておくことにする。

「そういえばー、鬼逸さん。ハルカが幸架の血が足りない時に自分の使えって言ってたよな?

O型のRhはnull(ナル)だーとか言ってたけど、それって何?」

「え⁉︎璃久さん、それは本当ですか⁉︎」

「な、なんだよ。ここで嘘つかねーだろ」

ちょうど彼女の血液型について考えていたところで璃久が尋ねてくる。

幸架はRh:nullの意味を知っていたらしい。

とても驚いていた。

「Rh:nullはかなり希少な血液ですよ。しかもO型ですか…。まさか存在するなんて。ただの都市伝説だと思ってました」

「だからなんなんだよ、それ」

俺は周囲に注意を向けながら、璃久の質問に答える。

「…Rh:nullは、1万人に1人未満の確率でしか持っている者がいないと言われてる。

人間の赤血球の表面には最大で342種類の抗原が存在すると言われているが、その中でもRh抗原を一切持たない「Rh null」型は非常に珍しい血液型だ。

同じようにRh nullの血液型やRh nullに近いような非常に珍しい血液型を持った人に対する輸血、また特殊な状況の輸血を可能にする血液として非常に重要視されてる」

説明を始める俺の話を2人は真剣に聞いている。

「だからその重要性から通称『黄金の血』と言われている。

ただ、ABOとAB型はあるからな。だから、Rh:nullだけだとよくネット上で言われている「誰にでも輸血できる血」なんてものにはならない。Rh:nullかつO型の血液のみ"誰にでも輸血できる血"になる」

「そんなすげーのを幸架にやろうとしてたのかよ…」

「…俺に輸血しようとしてたなんて今初めて知ったんですけど」

幸架は心なしか青ざめた表情で言った。とても貴重な血液だ。その反応は妥当だろう。

「…それだけでも喉から手が出るほど欲しいやつらがゴロゴロいるだろうな。さらにハルカは記憶媒体。使い方なんていくらでもあっただろう」

落ちている髪も数本拾う。

一応本物の髪か確認しておくことにするが、十中八九本物で本人のものだろう。

立ち上がって森を見る。

昼間でも暗い。雨が降りそうだ。雲が厚くなってきた。

この季節は、天気がすぐ変わる。


その場の写真を撮れるだけ撮ったあと、彼女の髪や血痕などの痕跡を消して屋敷に戻った。

その後は2人に写真からわかることを読み取れるだけ書き出してもらっておくことにする。

俺は髪と血液の確認をしに行ったが、だがやはり髪は本物で血液型も女自身が言っていたもので間違いなかった。

リビングに戻ると、2人は写真をじっと見つめながら話ていた。

「あ、鬼逸さん。どうでしたか?」

「髪は本物だし、血液型も一致した」

「そうですか…」

ソファーに座り、ふぅ、と息をついた。

ここ最近、目まぐるしく変わっていく状況についていけていない。

焦りは良くないと思いながらもやはりそればかりが胸に広がっていく。

「鬼逸さん。思ったよりなんもわかんなくてさー…。わりぃー」

「いい。…むしろ何か掴めるものが残されているなんて考えてない」

「…あの、鬼逸さん」

幸架が持っていた写真を机に置き、真剣な面持ちで話を切り出してきた。

「なんだ」

「実は、今まで言えなかったことがあるんです」

「…………」

先を促すが、幸架は言い淀む。

「鬼逸さんが助けてくれたあの晩なんですけど、ハルカにお願いがあると言われました」

「お願い?」

「はい。言うなと言われたわけではなかったんですが…」

あの晩は確か、2人で雑炊作ってたな、と思い出しながら幸架が言い出すのを待つ。

「その、お願いというのが…。──あの人を殺して、ジュンを探せ、と」

「はー?なんだそれ」

「……鬼逸さん、ジュンって誰か、わかりますか?」

璃久は意味がわからないと天井を仰ぐ。それを聞いて俺は黙り込んだ。

「…………」

彼女は、何を考えている?

幸架の言葉を頭で反芻する。

呼吸がうまくできない。汗が流れ落ちる。思考が止まる。

今、何が起きている?

「鬼逸さん?」

幸架が心配そうな表情で俺を見た。俺は動揺を隠すように顔を上げて2人を見つめ返す。

「………ジュンは、知ってる」

「誰、ですか?」

「俺だ」

「え…」

あの人、は俺のことだろうか。

俺を殺して、俺を探せ?

どういうことだ。

「鬼逸さん。俺らも一緒に考えてーからさ。教えてくんねーかな」

「……俺は施設で育った。その施設は子供に名前なんてつけない。個々に番号をつけていた。俺の番号は1234。だから、…同じ実験体の1人が俺をジュンと呼んだ」

「なるほど…。1234、か」

「……あの女もいたのか?なんて呼ばれてたんだ?」

「あぁ…。わからないが、いたんだろうな。あいつは番号ももらえなかったみたいだし」

「…じゃあ、あの男性は?」

「……………」

あの男性──No.000。

「……あの男性って……記憶媒体No.000かー?」

「はい」

「……………」

俺は、黙ったまま天井を仰ぎ見て目を閉じた。

頭が回らない。心なしか体が重い。

何か体に合わないものを食べただろうか。

そんな記憶はないが。


「"Devil"」


高めの少年のような声と共にふっと後ろから手が伸びてきて、俺の首に触れた。

薄く目を開けると、綺麗な男の顔が目に映った。

「なっ!どこからっ」

2人がナイフを構えた。

俺は動かず、男を見つめ返す。

「"Devil(デビル)"って呼ばれてたんだよ、俺は。

酷いよねぇ、こんなネーミングセンスない名前で人のこと呼ぶなんてさ」

「……鬼逸さんを離してもらえませんか」

「別になんもしてないのに。そんなに警戒しなくてもよくない?」

「……テメーなんて誰が信用できるんだよ」

「酷いなぁ…」

No.000は俺の首からするりと滑らせて頰に触れる。

冷たいその手が気持ちよくて、ぼーっとする。

「君たちさ、困るよ」

「「………………」」

男の目がスゥっと細められる。

「……やめろ」

「うん。君がいうなら何もしないさ」

制止の声をかけると、ニッコリと返事を返された。

「……お前らもナイフしまえ」

「でもっ!」

「こいつはなんもしねぇよ」

「………っ。………わかりました」

2人がナイフをしまうと、男はまたにっこりと笑った。

「そうそう。それが賢明な判断だねぇ。

というかさぁー、お兄さん風邪引いてるじゃん。なんで2人とも気づかないの」

「「え」」

パッと璃久と幸架が俺を見た。

何か気づいたらしく、なんで言ってくれないんだよ!と騒ぎ出す。

バタバタと動き始め、あれやこれやと準備をして走り回る2人を見て、兄弟みたいだなとほんの少し笑えた。

「……何しにきた」

「おにぃーさんのイケメンな顔を拝みに?」

「思ってねぇだろ」

「思ってるよ!」

2人がバタバタしている間にNo.000に話しかける。いつどこから入ってきたか、全然わからなかった。

「まぁ、風邪引いてるんだろうなと思って来ただけなんだど…」

「それだけならむしろ帰れ」

「なんでそんなこというのさ。こんなに親切で優しくしてるのに冷たくない?」

「お前がいると疲れる上に気が休まらん」

「そっか。…そっかぁ…」

拗ねやがった、こいつ。

ズーーーーン……なんて効果音が聞こえそうだ。

「鬼逸さん!横になってください!おかゆと薬持っていきますから。あ、あと冷えピタ」

「……必要ない」

「何言ってんだよ!病人は休むのが仕事だろー!」

「…すぐ治る」

俺は心配ないと2人にパッパと手を振った。しかしそれに難をつけてきたのはNo.000だった。

「でもさ、38度はありそうだよ?」

「……………」

それを聞いた幸架と璃久にゴゴゴゴゴゴッと聞こえそうなほど迫られたので、渋々言うことを聞くことにした。

はぁ、とため息をついて立ち上がる。

思ったより体は限界だったらしく、そのままフラついてしまった。それをNo.000に支えられる。

「わっ!…全然大丈夫じゃないねぇ。抱き上げてあげようか?」

「やめろ。お前にだけは絶対されたくない」

「ひどっ!」

No.000に支えてもらいながら(不本意)、リビングの奥にある寝室のベッドに横になる。

「鬼逸さん!食べれる分でいいので食べてください。あとこれ、かってに部屋物色させてもらって持ってきました」

おかゆと水、薬を渡される。

正直食欲なんて全くないが、心配そうにこっちを見る2人を見ておかゆと薬を無理やり口に流し込んだ。

No.000は終始にやにやしていた。イラつくからそろそろ殴りたい。

「……あなたどこから入ってきたんですか」

幸架がNo.000に聞く。

けっこう険しい顔をしている。

「んー?玄関」

「……鍵、かかってましたよね?」

「うん。あ、入ったあとちゃんと閉めてきたから安心して」

「あんたに入ってこられてる時点で安心できねーよ」

「大丈夫大丈夫。この森抜けられる人は早々いないでしょ」

「「………………」」

2人はなんとも言えない表情でNo.000を見ている。お前はここまで入ってきてるだろうがという声が聞こえそうだ。

俺はそのあと横になれと言われたのでそのまま横になった。

ちなみに、横になる前に変装をNo.000に剥がされる。

「ほらほら、寝て寝て」

「……嫌だ。起きたら地獄絵図、とかお前ならありえるからな」

「俺をなんだと思ってるの」

「デビル、だろ?」

「ソウデスヨネー、ハイ、ワカッテマシタヨー」

No.000はしゃがみこんで床に人差し指で円を書いている。

典型的な落ち込んでるやつがやる行動だ。アホか。

はぁーあとため息をつくと、No.000はとんでもない提案を始めた。

「んー。わかった。じゃあ俺の腕切り落とそうか」

「……は?」

「腕があるから、お兄さんさんは心配なんでしょ?この2人殺すんじゃないかって」

「…………」

「殺さないって言っても手錠してもらっても信用してもらえないだろうさ」

「……そこまでしなくていい」

「そう?じゃあ指だけ切り落としておこうか」

No.000は自分の指の根元にナイフを当てて切り落とそうとする。

やめろとその手を制すと、なぜ?と首を傾げられた。

「…そんなことしなくていい。…何もするなよ」

「わかった」

No.000は、俺の片手を握るとにっこりと笑った。

「起きるまで、ちゃんとここにいるよ」

だから、おやすみ。

そう言われると同時に眠気がやってくる。

ひんやりとした手が気持ちいい。

見た目に反してNo.000の手は華奢で細かった。

ほんの少しでも力を入れたら、折れてしまいそうだ。

あいた手で、No.000は俺の頭を撫でた。

どこか懐かしさを覚える。

そのまま意識が遠のいていった。


目がさめると、真っ暗だった。左手はにぎられたままだ。

No.000は俺が起きたことに気づいて微笑みかけてきた。

「起きた?」

「…本当にまだいたんだな」

「約束くらい守るよ」

「……あいつらは?」

「部屋で寝るように言っておいたよ」

「そうか」

俺は体を起こそうとするが、だるさで重い。

「まだ寝てたほうがいいよ」

No.000は起き上がった俺を寝かせようとするが、俺は大丈夫だからと言ってベッドの縁に寄りかかるように座った。

「……電気、つけてくれるか」

「うん」

パチっと電気がつく。

No.000のことだから、血だらけの部屋に変わっているかと思ったが綺麗なままだ。

「それじゃあ、帰るよ」

そう言って立ちあがろうとするNo.000の腕を俺は掴んだ。

「…お前、本気で何しに来た」

「本気で言ってるんだけどさ、お兄さんの看病しにきたんだよ」

「…………………」

「いや、そんな目で見られてもほんとなんだけど」

俺の手を離そうとした男の手を、今度は俺は強く掴み直す。

逃がさない、とグッと握るとNo.000は困ったような顔をした。

「…ちゃんと休めるときに休まないからそうやってダウンしちゃうんだよ?」

俺に掴まれていない方の手を手を伸ばし、俺の頭を撫でる。

パシッとその手も掴んだ。

「子供扱いするな。…ちゃんと管理くらいできてる」

「子供扱いしてないけど…。管理できてないからそんなに弱ってんでしょ」

「何を考えてる」

「……はあ」

No.000は再び俺の側に腰掛けた。

腰掛ける瞬間を俺は見逃さなかった。No.000が座った場所のへこみが少なすぎる。あまりにも軽すぎるのだ。

「……お前、体重は?」

「そういうデリケートな質問、友達同士でもしないよ?」

「………………」

「…52くらいだけど」

「身長は?」

「155くらいかな」

「へぇー…」

「人に聞いといてその反応…?」

ガックシとうなだれる男を見て、思わずクスリと笑った。

こいつがなんでそんなことを言っているのかわからないが、"嘘"をついていることだけはわかった。

「でー?俺に何が言いたい?」

スゥっとNo.000の目が細められる。

少し不快そうだ。これ以上刺激するようなことを言うのは危険、か。

「…なんで俺が体調崩すってわかった?」

「お前がミスするときは大抵体調悪いときだろ」

「…それだけか?」

「……公園でお前の頰に触れたときの発汗量、体温、心拍、瞳孔」

「………………」

「お前なら2人庇いながらでも対処できたはずだ。それなのにお前は動かなかった。身体も頭も回ってない証拠だろ?」

「…なるほどな」

「お前の連れもお前自身も気づいてないみたいだったし…。お前のことだから俺に会って帰ったあと、気になって仕事し始めるだろ?どうせ朝方まで作業してたんだろうけど」

「…何してたかまではわからないだろ」

「さぁね」

「…………答えろよ」

睨み合う。

俺を殺すつもりは、"今"はないらしい。

それなら、ある程度生意気な口をきいても大丈夫なはずだ。

俺が譲らない姿勢をとると、No.000はため息をついて答えた。

「…資料の訂正と考察のし直し」

「……さすが」

よく当ててくる。

No.000が外れたところなんて見たことがない。

「7時半ごろまでやって寝たんだろ?そんなだから体調悪化してるのも気づかないんだ」

「…そうだな」

熱が高いのか、腰や節々が痛む。頭も痛い。体は熱いのに、体感温度は寒い。

パサっと何かかけられた。

何だ?と思って肩にかけられたものを見ると、パーカーだった。

顔を上げると、黒の長袖インナーの姿になったNo.000が目に入る。やはり細い。まるで骨と皮だ。

「…聞きたいこと、少しなら答えてげるから

横になって」

「……わかった」

もぞもぞと布団に入る。それでも片手はNo.000から離さなかった。

こいつは、目を離せばすぐに消えてしまうから。

座っているのが思ったより辛かったようで、横になると体が少し楽になった。

ふぅ、と思わず息がもれる。

「色っぽいなぁ」

「そりゃどーも」

「あー!嬉しくなさそう!」

No.000は不貞腐れたようにぷくーっと頰を膨らませた。

体が熱い。なのに触れる空気が冷たくて震えが止まらない。

「大丈夫?」

No.000の手が頰に触れる。

以前もこんなことがあった気がした。その時もこんな風に体調を崩して、心配そうな顔でこちらを覗き込んで、汗を拭うように触れてくれた。

気づけば目尻から雫が溢れていた。

どうしてそんなものが流れているのかわからない。自分では止めることができないそれに戸惑う。

悲しいわけでなく嬉しいわけでもなく、何か心動くようなものもなかった。

「……寂しい?」

「は…?」

寂しい?なぜ?

寂しいと言うのは、1人じゃない人が言うものだ。

元から1人だった俺には寂しいなんて感情はない。親も親しい者もいない自分に、そんな感情は、ない。

「……お兄さん、お前は人間だ」

「…何当たり前なこと言ってんだよ」

「そうそう!当たり前だけど、お兄さんは忘れてる。俺も人間だよ」

「お前が人間、ねぇ…」

「そう。俺も人間。でも、君が欲しがってるあの女は"人間じゃない"」

「………………」

「世界には、自分と似ている人間が三人いるらしいよ?」

にっこり笑うと、男は話しだす。

「お兄さん。地下にある湊の骨さ…。あれ、そっくりさんだよね?」

「……………」

「2年前、湊が死ぬよりずっと前にお兄さんは暗殺を依頼された。ターゲットを見たお兄さんはビックリ!なぜなら、その顔が自分にそっくりだったから」

緊張で男を握る手を少し緩めてしまった。スルリと男の手首が俺の手から離れる。

逃げられるかと思ったが、離れたその手はそのまま俺の手を包み込んだ。

「お前は、これは使える!と思った。

暗殺は依頼通り完遂させたお前は、死体は自分が処理したと報告し、"まだ殺してない"そっくりさんをこの地下に眠らせて連れてきた」

首筋を触れられる。

ヒヤリとした感触が肌を滑る。

No.000は意味のない行動はしない。これにも何か意味があるのだろう。

「地下で何をしたかは…言わないでおこうか。

で、まぁ2年前、お前は記憶媒体が部屋から出て言った後、自分の遺体の代わりにその男を置いていった。

身代わりの死体を見つけた"あいつ"は大喜びだったみたいだけど?死体八つ裂きにして壁に文字まで書いていったみたいだし」

クククッと楽しそうに男が笑う。

「"あいつ"が出ていった後、お前は死体と家具を回収。その後、幸架と璃久がお前の部屋に来て証拠写真をたくさん撮ったのを確認して、部屋の痕跡を消した」

俺の首に触れていた手が締め上げるような形で添えられる。

軽く力が込められているだけなので、息苦しさは全くない。

「でも、お前が怪我をしていたのは間違いない。かなりの深手を負っていたお前は、出血多量でしばらく意識不明に陥った。……目が覚めたのは2ヶ月後、かな?出血のショックで、しばらく意識が混濁した状態だった」

首に添えられた手が離される。

思わずその手を掴んだ。

No.000は冷たい瞳で俺を見る。

「意識が回復したお前は、自分の記憶が一部抜けていることに気づいた。曖昧になってしまった記憶は3つ。

自分と数ヶ月一緒に過ごした人間のこと。これからのことを予測していた、その内容の前半半分。そして、記憶媒体No.000についての詳細」

はぁ、と息をついてNo.000はベッドに寝転んだ。

「残っている記憶を頼りに、お前は動き始めた。自分と数ヶ月一緒に過ごした人間のことは、街を歩き回って探してたのかな。予測の前半半分の記憶は、後半の予測から推察して組み立てて補って動いたってところでしょ。

記憶媒体No.000のことは、自分の記憶と残った記憶、家にある資料と仕事でもらった情報から紐解いたって感じかな」

違う?と首を傾げ、目線を合わせてくる。

ほんと、こいつは化け物だ。

まるでずっと監視されていたかのように錯覚する。

「そう。お前の言う通り」

No.000は、にっこり笑った。

「で、今俺がいったことをあの2人にお前は例の地下室で説明した」

「……そこまでわかるのか」

「えへへっ。特技だからねぇ」

褒めてないんだが…

No.000は嬉しそうに笑った。

「で?他に聞きたいことがあればどーぞ?」

「あの女が人間じゃないって、どう言うことだ」

「あの女は、記憶媒体No.000、だからさ」

「お前もだろ」

「そうだね。──俺はNo.000だ」

そこでふと違和感を覚えた。

なんだ…?なんの違和感だ?

「俺は、君にとっては敵になるかな」

「……そうか」

「うん。君の計画を…君が予測して来たことを全部壊しに来きたんだ」

「………………」

敵か…。気は抜けないな。いつ消されてもおかしくない。

「……ハルカが出ていった理由はわかるか?」

「知ってるよ」

「…言う気は?」

「んー…。君が、風邪治るまで寝ていてくれるって約束するなら教えてあげる」

「……わかった」

No.000がスッと体を起こした。

そのまま立ち上がり、ドアの方へ歩き出す。

「…2ヶ月、誰もどこも君たちに対して動けないと知っているから」

「…………?」

どういうことだ?2ヶ月もの間どこの組織も大きな動きはできないということか。なぜ。

「お前たちの前に"俺"が現れた。裏社会ではこう噂される。──あの3人はNo.000を味方につけた、ってね」

ハッと、やっと思考がつながる。

なるほど。

そう言うことか。

「…そう。あの女は記憶媒体No.000。

"俺も"、そうだろ?俺とあの女がどう繋がっているのか知っているものが誰もいない。

ということは、No.000を探すために各組織は動き出すはずだ。出なければ君たちに手を出さないからね。なにより記憶媒体はいなくなってからずっと探されている。でも、果たして俺に喧嘩を売ってくるやつは、いるのかなぁ?」

「なるほど、な。つーかさ、お前とハルカが繋がってるのは事実なんだろ」

俺の表情から、俺が何か掴んだのだと気づいたらしいNo.000が笑った。

「さぁ?というかさ、俺が生きてるのは"お前がしくじったせい"だからね?」

「しくじった?」

「そう。早く、それに気づいてくれるといいのに。そしたら、俺は今すぐ"消えられる"」

何か見落としてる。

それに、さっきの違和感…。

ハルカもこいつも記憶媒体No.000。

いや、ちがう。

そうじゃない。だが、"そう"って、なんだ?

頭がおかしくなりそうだ。

考えられる限界に達している気がする。

「……あいつもお前も記憶媒体No.000、だよな?」

「そう。あいつは記憶媒体No.000。俺も、No.000」

これだ。

言っていることは同じなのに、何か違和感が…。

「…それじゃあ、俺は行くよ。ちゃんと約束通り治るまで寝ててね?それと…。俺は、絶対お前の作戦をぶち壊してやるから」

紅い瞳に射抜かれる。

宣戦布告のこの言葉を言うこいつの目は、

敵意も悪意もない。

その瞳に宿っている感情を読み取ろうとしたが、俺には分からなかった。


「鬼逸さん?大丈夫ですか?」

うっすらと目を開くと、幸架が心配そうに覗き込んできていた。No.000はいない。

体を起こそうとしたが、体が動かなかった。

頭と喉も体も痛い。

スゥッと手が伸びて、額に触れる。

その手は温かい。

体温を確認すると離れていく。

「昨日より熱上がってますね…。薬、効いてないんでしょうか」

困ったような顔をして考え込んでいる。

近くに璃久はいないようだ。

幸架は濡れたタオルと着替えを持ってきてくれた。手伝ってもらいながら、重い体を拭いて着替える。

「今日もゆっくり休んでてください。俺は1日鬼逸さんと一緒にいますから。いつでも呼んでくださいね。街の偵察には璃久さんが行っています。鬼逸さんほど上手くはないですが、少し変装していきましたし…」

布団をかけ直してくれながら幸架が話す。

「あ。公園まではNo.000が一緒に行くと言ってくれたので…ただ、帰っては来れなくなるので、適当にホテルをとって過ごしてもらってます。連絡はこの通信機に送られてくるようになってます」

幸架は手に持った携帯型の通信機を持ち上げた。

見た目はスマートフォンだが、送られてきた文章以外は見れないもののようだ。

「さち、か」

「はい」

「行かなくて…よかったの、か」

「大丈夫ですよ。鬼逸さんを1人にする方が不安です。璃久さんなら、うまく動いてくれますよ。直感は動物並みですからね」

俺を安心させようと笑顔を返してくるが、内心はやはり不安なようだ。

璃久からの森を抜けた連絡はちゃんと来たらしく、それから繁華街に向かったらしい。

情報集めには最適な場所だろう。

「だから、今は俺たちに任せてゆっくり休んでください。鬼逸さんがいないと、俺ら無能なんですから」

温かい笑みを浮かべ、幸架は脱いだ服と濡れたタオルを洗濯しにいった。

俺は、一週間寝込み続けた。


「もう大丈夫なんですか?」

「あぁ。…璃久と合流したほうがいいだろう」

「そうですね。そろそろ戻りたいと今朝ちょうど連絡がありました」

2人で森を抜け、繁華街のカフェで待ち合わせた。璃久はすでに席についてコーヒーを飲んでいる。

「璃久さん」

「あぁ。幸架、久しぶり。鬼逸さん、大丈夫か?」

「あぁ。…いろいろ助かる」

「「え」」

「…なんだ」

「いやー、、、なんでもねーよ」

俺だって世話になったら礼くらい言う。

幸架も璃久と同じコーヒーを、俺は紅茶をオーダーすると、3人でようやく一息ついた。

俺も幸架も今日は変装している。

幸架は赤いをほんの少し茶色に染め、薄く化粧をしてメガネをかけている。

璃久は明るい茶髪を黒にして、幸架と同じように化粧で素顔を隠していた。

俺は適当だ。

目の前にあった変装道具をつけて来ただけなので、正直悲惨な見た目をしていると思う。

ふわふわ栗毛で、顔は一重の瞳に泣きぼくろ。

「……鬼逸さん、いつも思うんだけど、もっと地味な顔にできないんですか?」

「そうだな。今日は手抜きで悲惨だと自覚してる」

「手抜き…。店員の女が鬼逸さんに色目使ってっけど?」

「色目?」

チラッとカウンターを見ると、店員の女と目が合う。

ほんのり頰をピンクに染めると、上目遣い気味でこちらをガン見してくる。

「……あれが色目?全然色気感じねぇけど」

「「ブフォッ」」

2人が同時にコーヒーを吹き出した。

ゴホゴホとむせっている。

「大丈夫か?」

「鬼逸さん…ちょっと…ブフッ…あははっ」

「璃久さん…フフッ…抑えて、抑えて」

意味がわからん。

紅茶を一口含む。アールグレイか。

ぼんやりと窓から外を眺める。

まだ15時だ。

繁華街が賑わうのは夜。

まだゴホゴホとむせっている2人を心配して、カウンターにいた女が水とお手拭きを持って来てくれる。

それにありがとうございますと言いながら受け取っている2人をチラッと見て、すぐに視線を逸らした。

その女からの視線を感じないわけもないが、無視し続けた。

カフェは繁盛しているらしく、かなり賑わっている。

これなら俺たちの会話もそうそう聴き取れるものではないだろう。

全員飲んでいたものがなくなったので、軽い食事と飲み物をオーダーした。

俺はそこで情報の確認をすることにした。

「……幸架」

「はい」

「動く前に知りたいことがある」

「お役に立てることがあれば、なんでもおっしゃってください」

「……お前が知っている、記憶媒体No.000について話してくれるか」

「……鬼逸さんが知ってあるようなことしか知らないと思いますが、それでも構いませんか?」

「構わない」

オーダーしていたものが来る。

それを、時間をかけて食べていく。

「名前、性別、出生などの詳しいことは知りません。

ただ、記憶媒体の育成法なら少しだけ知っています。

5歳までに組織に対する忠誠を徹底的に叩き込まれるらしいです。

ただ、記憶媒体として育てていくために必要なことがいくつかあります。

1つは感情を抜くこと。

2つ目は記憶すること。

3つ目は生きることへの執着心を持たせること。

4つ目は許可なく口を開くことがないようにすること。

それらも5歳までに叩き込むらしいです」

いい香りを漂わせ、湯気が立つ目の前の食事に、正直食欲はそそられない。

それでもゆっくりと咀嚼して飲み込んでいく。

「適正検査をして、記憶媒体になれる基準を満たした子供だけを選抜。

最初は漏れても問題ない情報から記憶させ、記憶できなければその子供を除外していく。

さらに、記憶させる情報はどんどん深く、難しいものにしていくんだそうです。

俺が知っている範囲の数字ですが、一番最初に用意された子供の数は2300人。

適性検査で1500人まで減って、最終まで残って記憶媒体として実際に機能したのは"21機"。

1から21の数字をつけられて呼ばれていたそうです」

「詳しいな」

「えぇ。…無関係では、ないですから」

その言葉の意味は、今は無視することにした。

3人とも食事が終わり、皿を片付けてもらった。

もう冷めてしまったが、2人はコーヒーを、俺は紅茶を飲みながら話を続ける。

「21機の記憶媒体たちはコンピュータより優秀でした。欲しい情報を欲しい時に瞬時に手に入れられるし盗られる心配もない。

でも、それが破綻し始めるのも早かったそうです。原因不明の"エラー"で記憶媒体たちが次々に死んでいくことになったようで。どんな"エラー"だったのかは俺は知りません。ただ、1人だけ生き残った記憶媒体は20機が死んでからも異常なく機能し続けた」

幸架がコーヒーを一口含む。

時計は18時を指している。

カフェはまだ賑わいがあった。

「生き残った記憶媒体のナンバーは21。でも、その"一機"は他の記憶媒体とは異質だった。

その異質さとは…」


〜・〜


記憶媒体として初の情報取引の時だった。

初の情報取引の担当は、No.21。


──No.21、〜〜〜〜の情報を開示しろ。暗証番号は………だ。

──…ロック解除。情報を開示します。その情報は。〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。


ある情報の取引。

いつもの、なんの変哲も無い簡単なものだった。はずだった。


──ご苦労。

──お待ちください。


自我のない記憶媒体が、立ち去ろうとした客を引き止める。


──…な、なんだ。

──その情報を持っていかれましても、あなたにはなんの価値もないですよ。

──なんだとっ!


真っ赤になって怒った客に、No.21はこう告げる。


──あなた方は騙されているのですよ。


No.21に、客の情報は一切与えていなかった。

それにもかかわらず、No.21の助言と情報によって、その時の客がいた組織と敵対していた組織は一夜で"消滅"した。

他の記憶媒体も同じような情報取引を行ったが、No.21のように客に意見を言う記憶媒体はいなかったという。

その異質さから、その一機は記憶媒体としての番号を剥奪された。

そのため、記憶媒体No.21は消え、記憶媒体No.000が誕生する。


〜・〜


「…なるほど」

幸架の話に矛盾がないかどうか判断しながら最後まで聞くと、会計を済ませて店を出た。

時刻は19時。

夜のネオンが広がる。

No.000は、20機の記憶媒体が全滅するまで、記憶媒体としての仕事はしなかったらしい。

主に無名組織の状勢管理をさせられていたとか。

20機の記憶媒体が全滅してからは情報取引も行なっていたらしい。

さらに、No.000の性別不明な理由。それは、情報開示は女、状勢管理は男だったという。

死んだ記憶媒体に生き残りがいたのか、それとも別の新しい記憶媒体を使っていたのか。

思考を止めずに繁華街を進んでいく。

いくつか店に入ったりもした。

だが、有力な情報は耳に入ってこない。また別のバーに入る。

「なー。鬼逸さん。あいつは誰が攫ってったんだと思う?」

「…あいつは自分の意思で出てったんだろ」

「「え」」

お前ら、よくハモるな。

そんなに仲良いのか。

「あんだけ痕跡を残していったくせに足跡がなかった。足跡を消す余裕があったなら、髪も血液も残さないだろ」

「あー…。盲点…」

璃久がうなだれている。幸架もガックリと肩を落としていた。

そろそろ出るかと腰を上げようとして、視界の端に映った人物が気になってそのまま座り直した。2人もそれに習って座り直す。

「今日は何飲むんだい?」

「……バイオレットフィズ」

綺麗に遊んであるショートの黒髪。

まだ幼さの残る顔立ちに、左目の泣きぼくろ。

首元にも黒子があった。

服は、灰色のパーカーに黒のダメージズボン。

左耳にはピアスが1つ。店が暗くてよく見えない。

声は割と低い、か?男か女か判断がつけにくい。

上手く聞き取れなかった。

バイオレットフィズ…。完璧な愛、私を覚えていて。

今そんなことは関係ないか。

「はいよ」

「どーも」

カラン、と自分のコップから音がする。

それを口に含みながら、視線や顔を向けないように観察する。

──カランカラーン……

客が1人増えた。

「よぉ〜!いたいた!探してたんだよ」

30代(目測)の男がそいつの隣に座った。

そいつの肩を抱くように腕を組み、バンバンと叩いている。

叩かれている本人は迷惑そうだ。

「…何?」

「これから時間あるか?今日はいいもん持っててきたんだ!」

「へぇ…」

そいつは男の話を聞きながらグラスの淵を指でいじっている。

「いいよ」

「ほんとか⁉︎じゃあここにきてくれ」

男はそいつに鍵を渡して去っていった。

そいつは鍵をくるくる回している。

退屈そうだ。

そいつはまだ飲み終わっていないのに席を立ち、お金をグラスの近くに置くと出口に向かって歩き出した。

俺らの後ろを通るとき、ふわっと何かが香った。

なんの匂いかわからない。

香水か?いや、知っている。確か、スノードロップとかいう香水がこんな香りだった。

スノードロップ…雪待草…

花言葉は、確か、…希望、慰め。

でも別の意味もあった。誰かにこの花を送ると 死を希望する、という意味になるとか。

考えすぎか。

そいつが店を出た後すぐ、お金を置いて立ち上がる。幸架と璃久もそれに倣ってついてくる。

そう遠くには行っていないはずだ。

……いた。

ゆっくりと3人で跡を尾ける。

ホテルに入った。

それを見届け、屋敷に帰る。

明日は早朝から動くか…

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