第16話 敵か、味方か
夕食の後は、順番にお風呂に入った。
最初は幸架。次に璃久。
ちなみに、私は首が治っていないせいで男と一緒に入る羽目になった。
「…お風呂では素顔なんですね」
「変装しててもよかったけどねぇー」
「その顔で声がスイートボイスだと気持ち悪いです」
「……き、気持ち悪い?そこまで言わなくても」
「今だけでいいので戻してください」
「…………」
私の体と髪を丁寧に洗っていく鬼逸。
漆黒の髪に瞳。
紅い唇、精悍な顔。
「…殴っていいですか?」
「何でだよ」
「無性に腹が立ちました」
「は?」
「あなたの顔に」
「………」
「綺麗すぎるので、私が芸術的に壊してあげようと思ったんですよ」
「お前の芸術センスなんて信用できねぇな」
「…………」
なんだとー⁉︎私の!スペシャルプレミアムな芸術センスをなんだと思ってるんだ!
「…スペシャルプレミアムって、そんな言葉使ってる時点でアウトだろ」
「…私が声に出してないものは聞かなかったことにできないですか?」
「できたら苦労しねぇな」
私たちは今日はずっとこんな会話ばかりである。
お風呂からあがり、体を拭いてもらった。
そのあと彼も体を拭いて着替えると、私の首の治療をする。
待ってろ、と言って洗面所から出て行きすぐに戻ってくる。
色素が薄い髪に、黒い瞳。光に当たると、ほんの少し茶色に見える。あの路地裏で私を助けてくれた人の姿だ。
肌は、お風呂上がりなのに青ざめていた。
行くぞ、と私の手を引いたその手は、まるで氷のように冷たい。
リビングに行くと、璃久と幸架はソファーで話をしていた。
「ずっとここにいられないし、でも使ってたマンションは戻れないから、どうしようか」ということらしい。
彼らの隠れ家は他の場所もきっともうバレてる、と幸架は考えているようだ。
そんな2人を眺めながら、ソファに座る。
男はドライヤーを準備して、私の後ろにポスンと座ると、私の髪を乾かし始めた。
「…あんた、よくこの人を顎で使えるよなー」
「…私には、怖くてできないです」
なぜかわからないが、2人に尊敬された。
ふふふ。この人を顎で使うのは得意なのだ!
「違いますよ。顎で使ってるんじゃなくて、かってにこの人がやるんです」
「ハル。めちゃくちゃ思ってることと違うこと言ってるよね」
にっこりと笑った鬼逸の声はふわふわ優男の声にしたらしい。コロコロと変わる声も顔も、だんだん慣れてきた。
まぁ、その方が威圧感もないしいいだろう。
なんで見た目を路地裏で助けてくれた時のものにしたのかは不思議だけど。
「……栗毛でもよかったけど、こっちの方が楽なんだよ」
なるほど。
変装にも色々事情があるのか。
いや、だったら素顔でよくない?そして髪は乾いた状態で変装したのか?いやいや、それはないだろう。いくらなんでも早すぎる。濡れたままウィックって被って大丈夫なのだろうか。詳しくない私にはわからない。
「ハル。そんなこと考えなくていいから」
「私、何も言ってないし考えてませんよ」
「じゃあ、もう少し口も心もチャックしようね」
私の長い髪は、乾くのに20分かかった。
乾くと、男はドライヤーを片付けに退出した。
璃久と幸架は、まだ明日からの生活について話している。
これから一緒に住むなんて考えはないらしい。
ただ、男が持っている情報はほしいし、何より湊の遺体の場所も教えてもらっていない。
だから、毎日通うしかないが巻かれないようにするためには…。俺たちには無理だ…。
と行き詰まっているようだ。
ガチャ、と男が戻ってきた。
「持ってた荷物、持って。出るよ」
「「「…え」」」
突然の宣言に、3人で慌てて準備をした。
なんで唐突に言うんだろう。
もっと早く言って欲しかったよ…。
それにもう深夜だ。ご飯を食べ始めたのが23時ごろだったのだから、今はもう真夜中の3時である。
準備が終わってリビングに集合すると、どこにでもいそうな女の子がいた。
いや。それは違う。
黒のボブヘアーに白のインナー、その上に黄色いパーカーを着ている。下には今時の短いジーパン素材の短パンを履いていた。
…スタイル、めっちゃいいんだけど。
身長は、私よりほんの少し高い程度。
綺麗な脚線美とくびれ。胸も華麗な形だと服の家からでもわかる。
大きな瞳に泣きぼくろ。ピンクの唇は、さくらんぼのようにツヤツヤしていた。ほっぺもほんのり赤みがさしていて、むにむに揉みたくなる。
モデルか。なんだこの子。
というか鬼逸はどこへ行ったんだ。
この子はどこから来たんだ。
「いこ?」
グハァッ。この子声まで可愛いんだけど。
高すぎず、低いわけでもなく芯の強そうな、でも高飛車ではない感じ。
「…あなたは誰ですか?」
にっこり笑いながら、幸架が声をかける。
璃久は、女の子を睨みつけている。
「え?何言ってるの?」
「だから、お前誰?って聞ーたんだけど」
「…わかんないの?」
「わかんないも何も、俺たちはお前に会ったことなんてねーけど?」
「…はぁ」
めんどくさそうにため息をついているが、それさえ可愛い。
羨ましい。羨ましすぎる。女性としての格が違う。
「……俺だよ」
「「「…………………!!!」
女の子から、可愛い女の子から、ふわふわ優男の声が!
状況を理解し始めた幸架が青ざめ始める。
ヤバい口きいちゃったよ、みたいな顔だ。
…ちょっと待て。これ、男の変装?嘘だ。身長も体格も違う!というか、私より足綺麗だし!筋肉質じゃない柔らかそうな感じだし!なんでー!
「…こんな時間に男3人と女1人で歩いてたらさすがに目立ってやばいでしょ。男2女2なら見られても問題ないんじゃないかなって」
可愛い女の子の声だけど。見た目美少女だけど。
中身…あれ、かぁ……。
「ハル。私もこんなのしたくないから。早く帰って戻したいし…。行こ?」
なんか釈然としなかったけど、とりあえず可愛いので許そうと思う。
マンションを出て、男(美少女)について歩いていく。
たまに人にすれ違うこともあったが、私が幸架と、男(美少女)が璃久と腕を組んで話していると、そんなに不思議そうには見られなかった。この時間だから、酔っ払ってテンションの高い人たちも多い。さらに今日は休日の土曜日。みんな羽目を外して楽しんでいる。
男(美少女)に腕を組まれている璃久は、バレないよう必至に男(美少女)の話をうんうんと頷きながら聞いているが、顔色は青い。
それを後ろからついて行きつつ見ている私と幸架は、終始笑いが止まらなかった。(ちなみに私は長い髪を帽子に入れて隠しているだけ。)
しばらく歩くと、公園に着く。
それで、私はどこに行くかわかった。
「…私のどこでもいいから触ってて」
男(美少女)そう言われたので、幸架と璃久はパーカーの裾を握った。
私もそうしようとしたが、手首を掴まれたので、大人しくそれに従って歩くことにした。
鬼逸は躊躇いなく夜の森を歩いて行く。
昼間でも暗いこの森。夜の今は、足元が全く見えなかった。
躓かないよう注意しながらついて行くと、パッと視界が開ける。
その先にある屋敷に向かって歩いて行った。以前私はきたことのある場所だ。
後ろにいる2人は困惑気味で、その屋敷を見上げている。
「き、鬼逸さん。俺たち、入っていー場所なのか?…ここ、なんか、…その…」
しどろもどろになりながら、幸架が男(美少女)に話しかける。
「問題ないよ。…それと、ハル。男(美少女)って思われるの嫌だから、適当に名前つけて呼んで」
「え」
「なんか、変態みたいじゃん」
「…じゃあ、ミキちゃんで」
「ちゃんはいらないよ!ミキね」
「…はい」
男(美少女)の姿の時は、ミキと呼ぶことになった。
ミキは屋敷に入ると、私たちを一階のリビングへ連れて行ってくれた。
あまりの広さに驚く2人の背を押すのは大変だった。
ミキが口を開く。
「とりあえず、今日はもう寝よっか。明日のことは、明日言うからさ!ハルは今日、お腹痛くて動けないだろうし」
確かに日付が変わったから今日その日が来る予定ではある。しかし、だからなんで私の女の子事情に詳しいんだよ!
今は女の子かもしれないけど、中身男だろ!なんでそんなに短パン着こなせるの!男性の象徴どうやって隠したの!
「………ハル。下品。そんなこと普通考えない」
はぁ、と深いため息をつくと、ミキは璃久と幸架に話しかける。
「リー君とさっちゃんは部屋別にする?一緒にする?」
やばいwwwwあの人がwwww
璃久をリー君、幸架をさっちゃんってwwww
「…ハル」
「はい。ごめんなさい」
今、ミキの背後に般若が見えました。
「あー…できれば一緒だと」
「そうだね。璃久さん無理しそうだし」
「…今ここで何したら無理できんだよ」
はいよーと言うと、ミキは2人を部屋から連れ出し、部屋に案内しに行った。
程なくして戻ってきたミキは、異様に疲れていた。
「はぁーー…」
「………どうしたんですか?」
「……見てわかれ」
ミキ──鬼逸はため息をついた時から地声に戻っている。その顔とのギャップに鳥肌が立ちそうだ。
「…その顔で地声はやめません?」
鬼逸は声を戻して──かわいい女の子の声──おちゃらけて答える。
「ごめんね!(てへペロ)」
あぁ、鬼逸のこめかみに青筋が浮かんで見える。
気のせいであってほしい。
鬼逸は私の手首を掴んで歩き始めた。後ろ姿も可愛い。羨ましいなぁ。
「…ハル。どうしたって男の私より女のハルの方が女らしいから。安心して」
「…無理です。もともとなかった自信とプライドが粉砕されました」
「…これは、どうしてもハニートラップしなきゃいけない時にしてたやつで、ひさびさに女の化粧したし、うまくいってない」
喧嘩売ってんのかこいつうう!!!
うまくいってなくても可愛いんだよボケェェ!!!嫌味か!?嫌味なのか!?
化粧も下手でファッションセンスもない私への嫌がらせか!?
ふっと体が抱き上げられ、目を何かで覆われる。可愛い華奢な女の子に持ち上げられるって、フクザツな気分なんですけど…。
ストンと座らせられると、目隠しが取れた。
「…え、えっ⁉︎いつっ…え!」
「落ち着けよ」
クスクスと笑っているのは、どう見ても男だ。
漆黒の髪と瞳の、素顔、地声。
服はオール黒。
あれ?うそ。どこかに止まったりしてないし、別の部屋寄ったりしてないし。何より私を抱えていたのにいつのまに変装を解いたのだろうか。
「寝るか」
「…そう、ですね?」
私たちは、昨日目覚めたこの部屋でまた寝ることになった。
布団に入りぼーっとしていると、視界で何かが揺れる。
──ゆらゆら、ゆらゆら
──ゆらゆら、ゆらゆら
なんだか、一日とっても長かった。
この煙も久々に見るような気がする。
…実際はここ最近毎日見てるはずだけれど。
──ゆらゆら、ゆらゆら
──ゆらゆ…
それを見てふとした違和感に気づいた。鬼逸がいつもと様子が少し、ほんの少し違う気がする。
「…何か、不安でもあるんですか」
「なんで?」
「女の勘です」
「フッ。勘、ねぇ」
──ゆらゆら
──ゆらゆら、ゆらゆら
「…本当に勘ならいいのにな」
「私が嘘ついてるって言うんですか?」
「さぁ?」
「いつもはぐらかしますね」
「そうか?」
「はい」
「俺よりお前の方がはぐらかしてるだろ」
「私が?」
「そう。…まぁ、だからと言って指咥えてるだけなんてしねぇけどな」
「何が言いたいのか、全然わからないんですが…」
何の話をしているのだろうか。
私に何か伝えたいことがあるのか?
鬼逸は灰皿にタバコを押し付けると、うーんと伸びをした。そのままベッドに入ってくると、私をぎゅっと抱きしめる。
「…大人しくしててくれれば楽なんだけど?」
「大人しくしてるも何も、私は何もできませんよ」
「何もできないって、何を?」
「知りませんよ。私が何したってあなたは見抜くじゃないですか」
逃す気もなさそうだし、でも私を好きだというそぶりもない。それなのに、大事な人形のように触れ、自分を刻み付けるように抱く。
「い"っ…」
鬼逸が私の首を噛んだ。まだ塞がってない傷口は避けてくれてはいたが、それでもいたいことにかわりない。
「頼むから、俺の手が届く範囲にいろよ」
「………」
チュッ、チュッとキスマークをつけられる。
昨日のものが何一つ消えていないのに、まだ綺麗な肌が見える場所に鬱血痕と噛み痕をつけていく。
「…おやすみ」
その声を聞いたと同時に、私はいつの間にか深く眠っていた。
〜・〜
眠る彼女をみて思う。
このままでは、"失敗"する。
明日の結果次第では最悪の結果になるかもしれない。
それだけは嫌だ。"君"のためなら俺は。
"悪魔"に何を捧げてもいい。
命も魂も心も、体でも心臓でも、この"血"でも"頭"でもくれてやる。
あの日、気づかなくて何度も後悔した。
次こそは"君"さえ欺いて。
守ってみせる。
〜・〜
なんだかぐっすり眠った気がする。
私はそれでも微睡の中にいた。
「…………ん」
お腹が痛い。
頭も痛いし、腰も痛い。体もだるいし。
男の予想どうりに来た"女の子の日"。
予定通りに来るかなんてわからないのに、なんでわかったんだろう?
「起きたか」
「ん…おはよう、ご。ざいま。す」
「それはどこの国の言葉だ」
「ユウ国のハルカ語にご、ざりま。すーる」
「ほんとに大丈夫か?」
「痛い…です」
鬼逸はあー…なんて言いながら、私の頭を撫でてくれる。
「…そればっかりはどうしようもねぇからな」
「男性に生まれたかったです」
「俺はお前が女でよかったよ」
「なんでですかー!」
「いきなり元気だな」
うぅ〜、痛い、とうずくまる。
私を鬼逸がよしよし、と撫でてくれるその手が温かくて、それに甘えて擦り寄る。
「お前が男だったら、俺はどうしたってお前に追いつけねぇよ」
ぽそりとつぶやかれた声は、私に届かなかった。
「……もう少し大きな声で言ってくれないと、聞こえないです」
「聞こえなくていい」
そんな会話をしている間にも、あまりの痛みに私はポロポロと泣き出してしまった。彼は困ったような顔をこちらに向ける。
「あー…とりあえず、なんかあったまりそうなのと痛み止め持ってくる」
「…うん」
男が部屋から出て行く背中を見つめた。
体が痩せこけているせいなのか、ホルモンバランスが悪いせいなのか、私は毎回この痛みが酷い。
ピルを処方してもらってから、痛み止めを飲めば耐えられるくらいにはなっていたが。何度もコロコロと変わる誘拐先(この状況)のせいで手持ちになかった。
痛い。彼のせいだ。そうだ、全部あの人のせい!あの鬼畜!イケメンだからってなんでも許されると思ってたら間違いだ!
「…どんなに嫌でも顔だけは認めてくれるんだな」
かちゃりとドアが開くと、鬼逸が戻ってきていた。…なんでいつも間が悪い時に戻ってくるんだよ。
コーンスープと痛み止めを持って来てくれたので、ありがたくいただく。
痛み止めが効いたら一階のリビングに行こう、と言われ、コクリと頷いた。
それを見て笑った男の顔が、いつもと違うことに気づく。
「…大丈夫ですよ」
「なにが」
「わかりません。女の勘です。あなたの悩み、きっと大丈夫です」
「…ハハハッ。なんの根拠もねーじゃねぇか」
「ないですけど…」
私が不貞腐れていると、お前が言うなら大丈夫か、なんて彼に頰を撫でられる。
その瞳が優しくて。
──無性に泣きたくなった。
痛み止めが効いて来たので、着替えて一階のリビングに行った。
男は、色素の薄い髪と黒い瞳、青白い肌の男に変装している。
声はやっぱりふわふわ優男だ。
どうしても素顔と地声は嫌らしい。
私の服は男のものを借りているので、だいたいいつも黒である。もちろん、全身黒い服。
私を毛布と一緒に抱き上げ、毛布で視界を隠されたまま一階のリビングに連れて行かれる。
リビングにあるソファに私を寝かせると、男は肘掛け部分に腰を下ろした。私から離れる気はないらしい。私はそっと毛布から顔を出した。
数分して、璃久と幸架も来る。
今日の話をするらしい。
璃久と幸架が向かいのソファーに腰を下ろしたのを確認し、鬼逸が声をかける。
「君らのいたマンションと他の隠れ家6軒だけど、全部"蜘蛛"の見張りがついてる。中も調べられてるみたいだよ」
「そうですよね。それは予想通りというか、想定していました」
やっぱりか、と2人の表情が告げる。
「璃久さん、どうしましょうか」
「…俺、幸架より頭悪いから、幸架が思いつかなきゃなんもいー案ねーと思うよ」
「ですよね…璃久さん、脳筋ですもんね…」
「…そこまでゆーかよ」
「あのさぁ」
2人の会話に、鬼逸が入る。
「ここにいてもらっていいよ」
「えっ!でも、ここは鬼逸さんがメインで使ってる場所では?」
「そーだよ」
「…俺たちがいたら問題ルナではないですか?」
「それは問題ないけど…あるとしたら一つだけかな」
「一つ…?」
「うん」
男が私の頭を撫で始めた。
薬が効いてきたのか、副作用で眠くなってくる。うとうとしている私を見て、男はふわっと笑った。
「…君たちがハルを襲わないかどうか、だよ。
それだけが問題なんだよねぇ」
「「………」」
全く問題ないと思います。2人は私に興味ないと思います。更に私に色気はないのです。痩せこけた体に、不健康そうなこの肌、見てください。服を脱がされた時点で、骨の浮き出た体を見た瞬間にお相手が萎えると思います。
…なぜか鬼逸はは例外だけど。
私はジトーッと彼を見る。
しかし、男も真剣らしい。口元は笑っているが、目は笑っていない。私みたいな女の心配なんて不要でしかないのに、彼の瞳は今すぐにでも人を殺せそうだった。
「鬼逸さん」
「んー?」
「ハルカに手を出したらどうなるか、私たちは理解できる範囲で理解しているつもりです。だから、それだけは信じていただけないでしょうか」
「…それもそっか。なら、大丈夫かなぁ」
「はい。それに、正直私はもっとふくよかな女性が好きです。悠は細すぎて折れそうで、見てて怖い」
「そーそー。俺ももっとボイーンなねーちゃんが好きだわ。こいつ、ガキっぽいし」
「………………」
2人の言い草を聞いて、私は信じられないものを見たような顔でその二つの顔を凝視した。
そこまで言わなくてよくない⁉︎わかってたけど!わかってましたけど!
「そっか。それなら大丈夫だね」
確かに大丈夫ではあるけど、この3人の言い草にはかなり不満がある。まぁいいけど。あなたがそれで2人を信頼するならいいけど!?
「ハル。2人に湊の遺体がある場所案内してくるから、ハルはベッドで寝てて。その帰ってきてすぐ様子見に来れるし」
「ん……わかりました」
よしよし、と撫でると鬼逸は立ち上がり、私を寝室のベッドまだ運んでくれた。そして毛布をふわりとかけて頭を撫でてくれる。
眠いなぁ。もう、起きていられない。
3人が出て行く音を聞いていたが、その扉が閉じる前に私の意識は途切れた。
〜・〜
鬼逸は寝室を出る前に振り返ると、彼女が寝息を立てていた。
「鬼逸さん?」
リビングにいる璃久に声をかけられたが、そっと彼女に近づき、起きていないことを確認する。
脈拍、呼吸、思考、筋肉の弛緩、瞼の動き。
確実に眠っていることを確信すると、女に毛布の上からさらに布団を被せる。
テーブルの上にメモを置き、今度こそ部屋を出た。
リビングに戻ると、幸架と璃久は出かける準備ができていた。2人が玄関に行こうとするので、呼び止める。
「こっちについて来て」
キョトンと来た顔をしながらも、2人は俺についてきた。
二階に上がり、廊下を進んで行く。
外装からは考えられないような長さの廊下に、2人の顔が険しくなる。
さらに、廊下はまっすぐではない。
迷路のように入り組んでいる。
部屋数も多く、扉は全て同じだ。目印になるものは一つもない。
廊下を進み続け、突き当たりに窓が一つ。
そこから外の光が漏れている。今日は晴れている。
行き止まりだ。
「鬼逸、さん?」
不安げな幸架の声を聞きとるが、返事はしなかった。
窓の淵を両手で掴み、上に上げる。
そこに現れたドアノブをひねり、壁を押すと、
ストンと壁が落ちるように消えた。その先には闇が広がっている。
「…外の景色が見えていたから、本物の窓かと思ってました」
興味深そうに話す幸架にニッと笑いかえす。
「ただの映像を流してるだけだ。外の天気と連動させてる」
そう言って、暗闇に一歩踏み出した。
2人が通路に入ったのを確認し、壁のスイッチを押と、入ってきた壁が静かにしまって行く。
壁が完全に戻ると、通路に灯りがついた。
「…すげー」
「これ、誰が設計してるんですか?」
「俺だよ」
「建てたのは?」
「…俺と、もう死んだやつ4人。…言っておくけど、俺が殺したわけじゃないから」
「なるほど…」
通路は、螺旋階段になっていた。そこから地下に向かって伸びている。
璃久と幸架の足音が、コツンコツンと響く。
「鬼逸さん。歩いてますよね?」
「足あるよな?生きてるよな?」
後ろでこそこそと2人が会話している。俺の足音が聞こえないからだろう。
けっこう失礼なこと思ってんな。
「ある…いや、ない?この人黒いズボン履いてるから全然見えねーし」
「たしかに…この闇に同化してて見えませんね。いや、でも触れますし、…あれ?触れる?」
「ちゃんと生きてるから安心して」
「「……すみません」」
バレていると思っていなかったようで、ぎこちなく謝罪される。
「あぁ。でも、俺はあんまり生きてるっては言えないかもね」
「「………」」
どういう意味か聞きたいのが伝わってくるが、俺はあえて答えなかった。
そのあとは、ずっと無言だった。
そうしてかなり下っていったあと、
「…どこまで下るんです?」
と幸架が尋ねてきた。
「もうすぐ」
そう言ったと同時ぐらいに光が灯る広いスペースに着く。
「……ここ、は」
璃久が部屋を見渡して尋ねてきた。
まっさらな部屋。
大きな立方体のような部屋だ。
いくつか木箱があったり、布で隠されたものがあったり、何かをかけるような場所があったり。
台のようなものもある。
薄暗く、コンクリート色の壁と床、天井、台は汚れている様子はない。
俺は奥へスタスタと歩いて行く。2人もそれについてくる。
台の前に来た時、そこで止まれと合図をだした。
2人は、その通り立ち止まった。
奥の箱を開け、一つの袋を取り出す。
そのまま台座に向かって足を動かしながら、その袋を台座へ投げた。そのまま適当な箱の上に腰掛ける。
「開けて見てみて。写真と資料。DNA鑑定の結果と君らが探してたものがある」
「「…………」」
2人は、無言でその袋を開けた。
台座に一つ一つ出していく。
俺は、適当な箱の上に座ってその様子を見ていた。
〜・〜
幸架は渡された袋の中身を璃久と一緒に一つ一つ見ていく。
最初に出てきたのは骨。
頭蓋骨と大腿骨、骨盤と次々に出てくる。
骨を取り出した後に出てきたのは資料だ。
名前は不明。
詳細も不明。
血液型はO型Rh:null。
性別は男性。身長は182cm。体重は60kg。
…かなり痩せ型だな。それに、血液型がハルカと同じだ。
資料を見ながら、袋に手を入れ、探る。
どうやら、入っているものは後一つ。
それを取り出すと、私も璃久も目を見開いて凍りついた。
「……湊、さん?」
写真は、誰かと待ち合わせしているのか木に寄りかかって腕組みをし、下を向いている。
木漏れ日を受けても黒い髪。
伏せられた切れ長の、髪と同じ色の瞳。
薄い唇は紅く、美しい精悍な顔。
「これが…湊さんの、遺体…?」
「待ってください、なんであなたがこれ、を…」
──目の前に写ったものが、信じられなかった。
声も出ない。瞬きもできない。
〜・〜
鬼逸の様子に気づいた璃久も幸架と同様に顔を上げた。
璃久も目に映ったものが信じられずに、硬直する。
2人が中身を確認したのを眺める。写真を見つけ、2人が凍りついた。
なんでここにこれがあるのかと俺に問おうとした幸架も璃久も固まったまま動かない。
俺は箱から降り、パーカーのフードを深く被り直し、首にはめていたネックオーマーを鼻上まで引き上げた。
「…大丈夫?説明するから、ちゃんと聞いててね」
「……鬼逸、さん」
俺は栗毛をいじりながら、ん?と答える。
真っ青な2人を見て、説明を始めた。
「死亡推定日時は2年前の11月28日、23時37分。遺体のあった場所は都内某所マンション最上階のリビングのソファ。俺は依頼で処理をした」
「誰…から…?」
「被害者本人から」
「………なるほどな」
「…依頼内容は、自分の遺体と家具を持ち去ってくれと。その後、2人の人間がここに見にくる。そいつらが帰ったのを確認してから現場の痕跡を消せ、と」
「だから俺たちがきた時に遺体も家具も遺留品もなかったんですね」
「次の日に血痕が消えてたのも鬼逸さんがやったってことか」
「そういうこと」
「……それにしても…」
「どういうことか、さっぱりわからねー」
俺は、2人を観察した。
全て話すわけにはいかない。
1つでも間違えば、"失敗"する。
話すタイミングも内容も、間違ってはいけない。
「……聞きたいこと、どうぞ」
その後、2人の質問にありのまま答えた。
2人が質問してきたことはなるべく全て。
答えられないものは答えららないと告げる。
臆病になってきている自覚はある。
でも、それではダメだ。
利用できるものは利用する。絶対に、失敗せず終わらせてみせる。
「……だいたいのことはわかりました」
「……まだ全部じゃねーけど」
「そうだね。まぁ、あとはおいおいね」
はい、と返事をすると2人は"同じ瞳"で俺を見た。
信頼されていると一目でわかる。
「そんなに簡単に信じて大丈夫なの?俺、けっこう危険人物じゃない?」
「大丈夫ですよ」
「そうそう。これで死んでも本望。つーか、俺も幸架も死なねーよ」
「そうですよ。3年も前だけど、ずっとあの湊さんに鍛えられてきましたからね。ちょっとやそっとじゃ折れない自信ならあります」
「なら、今日はその折れない心でもう少し頑張って」
袋に出したものを戻しながら、俺は2人に話しかける。
ここにはいつでも入っていいと伝えるが、迷う上にもう用事はないと言って2人は断った。
袋を元の位置に戻し、2人を連れて入り口と反対の壁に向かう。
箱をずらして、ぽっかり空いた穴に2人を招く。
先に降り、2人も降りたことを確認すると少し跳んで入ってきた穴の淵に手をかけた。もう片方の手で箱を元の位置に戻す。
夜目が利く俺は2人の手をつかみ、5歩進む。
それから壁のスイッチを押した。
「「うわっ!!」」
突然急激に上昇した床に、2人はバランスを崩した。ガシャッと音がして、外に放り投げだされる。
3人で着地すると、乗っていた床は元の位置に戻って行く。
「……先に言って欲しかったんだけど」
少し愚痴る璃久を見てクスッと笑うと、そのままついて来いと歩き出す。
「これは、昨日通ってきた森の道ですよね?」
「そう。2人一緒でも1人でもいいから、2時間以内にこの向こうにある公園に辿りついて」
「2時間って…」
「昨日ここ通った時、3分くらいじゃなかったですか?」
「うん。最短ルートは3分」
「迷ったとしても1時間かかる程度で済むんじゃねーの?」
「…今からすることの意味は、君たちが公園に着いた時に説明するよ」
「「…了解」」
「さて、今は13時。お腹減ってない?」
「大丈夫です。1日1食いただければ十分です」
「そっか。2時間じゃ無理だろうから、17時半までにしよう」
「「え」」
今は13時20分ごろ。
この狭い森に、4時間も?
という顔で2人が俺を見る。
「そう。17時半になっても戻って来なければ迎えに行く。いい?」
「「…了解です」」
「ん。……2人一緒に行くの?」
「そのつもりだけど」
「なるほどね。ベルト縛って繋いでおいたほうがいいよ。じゃないと、開始5分で離れ離れになる」
「開始5分で、ですか」
「うん」
〜・〜
璃久は頭の中で思考をめぐらせた。
正直、都内にある小さな森の中でそんな事態は起きないと断言できるが…。この人が言うってことは相当だ。
言うことを聞いておこう。
そんなアイコンタクトを幸架と交わすと、2人はポケットからリボンを取り出し、ベルトに通して結んだ。
動きに制限が出るが、これで離れ離れになることはないだろう。
油断している様子はない。
正直に言えば絶対に抜けられる自信もある。
しかし、鬼逸は確信しているようだ。2人が、絶対に公園に辿りつけないことを。
「それじゃあ、開始」
2人は、昼間でも薄暗い森へ入っていった。
「どーなってんだよ…」
あれから2時間経過した。
出口の公園どころか入ってきた道さえわからない。
しかも、意味のわからない生物に遭遇する確率も高い。
「璃久さん。さっきの大蛇、俺のウエストより太かった」
疲れ切って、2人で木の根元で休憩する。
入ってすぐ道も目印もない足元の中、ほんの少しだけ歩いた跡を見つけた。
それを頼りに歩いていると、大人のクマと思われる動物に遭遇。
それはふつうに問題なくナイフで追い払えた。
そして30分後。やっと迷ったことに気づいた。
しかしなぜ迷ったのかわからない。
気づいたら、ほんの少しだけ見えていた足跡さえ見えなくなっていた。
どうしようかと幸架と話し合ってると、さっき見たクマの倍デカイクマと遭遇。
見たことない規格外のその体格差に、俺と幸架は全力で木をのぼった。
それから、次々に木の枝を飛び移ってなんとかクマを巻いた。
どうせ引き返しても元の位置に戻れないとわかっていた俺と幸架は、今の位置を歩数と地図を思い浮かべて推理した。
東西南北で表すなら、公園があるのは西。
屋敷は東。その屋敷を取り巻くように森が広がる。
森はドーナツ型で広くない。はずだった。
と、その後も異常に足の速い鹿や人を喰えそうな巨大蜘蛛、闘牛のように襲ってくる馬に、龍じゃねぇのかってほどの蛇に遭遇してる。
「……幻覚か?」
「2人揃って同じもの見ているのにですか?」
「……だよなー」
ガックリうなだれながら、行ってらっしゃいと手を振っていた栗毛の鬼逸を思い出す。
これは、悠が鬼畜イケメン悪魔野郎なんて言うのも頷ける。というか、そんなもんじゃない。
サタンか、閻魔か。
こんなの、どう考えても公園に辿りつけるイメージがわかない。
「……幸架」
「はい…」
「出る方法より、生き残る方法考えっか」
「それが賢明、ですね」
はぁ…と大きく2人でため息をつき、ゆっくりと歩き出した。
〜・〜
17時25分。
鬼逸は公園で2人を待っていた。
2人はまだ出てこない。想定済みだが。
出てこないの知ってて17時15分まで屋敷にいたけど。
ハルカはまだ寝てた。
肩が出ていたので、布団を被せてから屋敷を出てきた。
ん…と可愛い声を出していたのを思い出して、思わず笑う。
この想いが恋情だとは思わない。愛でもない。わからない。
友情でも、欲情でもないと思う。
彼女といると、ずっと足りなかったものが埋まったような感覚になる。
何度抱いても足りない。
何度抱きしめても足りない。
何度キスしても足りない。
何度話しても足りない。
何度笑顔を見ても足りない。
何度俺が瞳に映っても足りない。
でも、彼女といるときは満たされている。
足りないとは思っても、虚しさや虚無感はない。
これはエゴだ。
彼女の情深かさに漬け込んだ、俺の傲慢。
空を見上げると、高い空が広がっている。
もう、夏が終わる。
──ねぇ
──何?
──君って……なの?
──うん
──そうなんだ。羨ましい。
──そう?…ねぇ。
──何?
──……したくない?
──したい。でも…。
──わかる。大丈夫。だから……しよう?
──わかった。
──よし。それじゃあ、
あんなこと、しなければよかった。
いや、違うか。わかっててしたのか、"彼女"は。
わかってなかったのは、俺だけか。
17時30分。
2人がいる場所はだいたい予想している。
そこに向かって歩き始めた。
森を歩いて5分、2人を発見する。
「……鬼逸さん」
「……どーなってんですか」
「身に染みてわかった?」
「…はい。あの屋敷は確実に安全ですね」
「…あんた、ほんとに、なんだあの化け物みたいな生き物」
俺がふふふっと笑うと、はぁ…と2人はため息をついた。
2人は繋いでいたリボンをナイフで切る。
「2ついいですか?」
「なに?」
「1つは、鬼逸さんのいう通り、璃久さんと繋いでおいてよかったです」
「それはよかった」
「もう一つ。初めて鬼逸さんとお会いしたとき、鬼逸さんが投げたナイフが壁に根元まで刺さっていました。細身の鬼逸さんにそんなことできるわけがないです。壁かナイフに細工があったんですか?」
「…錆びた包丁は何も切れない。でもちゃんと手入れすれば紙も切れる、でしょう?」
「……そんなに切れるものを袖に仕込んでいたら、袖も皮膚も裂けてます」
「裂けない素材を使えばいい」
「壁を貫通するナイフが切れない素材なんてあるんですか?そんなの発注したら目立ちますよ」
「存在しないなら存在させればいいし、作ってもらえないなら作ればいい」
「………なるほど」
俺に関して、ありえないこそがありえないのだと、幸架は諦めたようにため息をついた。
2人に手を貸して立ち上がらせる。その手を離さずに森を進んでいく。
「……俺からも聞きたいんだけど」
「なに?」
「ここの生き物、おかしすぎるだろ」
「そりゃそうだよ」
「……見たことないのしかいなかったけど」
「………医療実験でできた。でも、どの子も俺に懐いてるし、嫌がれば実験やめてたから」
「…………あれ、全部飼いならしてるのか」「殺さないように指示してたし。ほら、君らも生きてる」
「「………………」」
(初めからどうなるかわかっててやった上に一言も助言なしだったし。さらに忠告さえなかったんだけど…この人に情はないのか?)と2人の心の内側が丸々と聞こえてくる。
「そんなに薄情かな?」
「「控えめに言って、人間じゃない」」
「えー」
視界がひらけ、公園にたどり着いた。
ブランコを囲む柵に2人を座らせると、自販機で水を買って渡す。
ありがとうございますと言って受け取った2人は、それをゴクゴクと飲んでいった。
「…ふぅ。なんで帰らないで公園?」
「そういえば、何か説明してくれるっておっしゃってましたね」
「うん」
ポケットに手を突っ込み、トントンっとジャングルジムを駆け上ると、その1番上に座る。
袖口からナイフを滑らせ、クルクルと回し、放り投げて宙で回しては手に戻して回す。そしてそのまま袖口に戻した。
「ハルに、伝言置いてきた」
「あいつに?なんて?」
「今日は帰れないと思う。18時までに帰って来なければ夕飯はコンビニに買いに行けって」
「…あんた、鬼だな」
「ハルカはコンビニに辿り着けないんじゃ…」
嘘だろ…マジか…惚れた女にその仕打ちかよ、と2人の表情が語る。
「別に惚れてないけど」
「「はい?」」
「だから、惚れてないけど」
「「嘘だー!あんなベタ惚れなくせに!」」
「ベタ惚れ?俺がハルに?」
俺は思わず笑ってしまった。
それを、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で2人は見ている。
ひとしきり笑うと、ほんの少し溢れた涙を指で拭って返事をする。
「俺は別にハルを好きだからベタベタしてるんじゃないよ」
「え、じゃあなんで…」
「これからわかるさ」
「どういうことですか?」
「考えられるパターンは3つ。
1つは、ハルに記憶が戻っている場合のパターン。
2つ目は最悪なパターン。
3つ目は…1番厄介、かな」
「「……………」」
2人は、真剣な顔で俺を見ている。
「まず、説明する前に1つ。ハルには、痛み止めって言って麻酔を丸薬にしたものを飲ませてきた」
「「おい!」」
「…えへっ。だいたい17時45分くらいに起きるはずだよ」
「…不憫だな」
うわー、睡眠薬とかじゃなくて、麻酔かーと言う青ざめた視線を受けながら、説明を続ける。
「えっと、だからまず1つ目のパターン。
ハルに記憶媒体としての記憶が戻っていたなら、ハルは家から出ない」
「なんでだ?」
「君らも知ってると思うけど、記憶媒体は"生存していればいい"。手足がなくても、寝たきりの状態でも、頭と口が使えれば問題ない。
俺たちがご飯渡してるから食べてるけど、記憶媒体としての記憶があれば俺たちがいなかったら食べる必要も感じないと言って口にしなかったと思う。夕飯一食抜いても死なないからね」
「なるほど…。記憶媒体としての行動、か」
「でも、この1つ目のパターンは確率的に0に近い」
「なんでだ?」
「ハルの記憶は、絶対になくなっているから」
「その根拠はなんです?」
「記憶媒体としての記憶があるのなら、ハルは組織に戻ってるはず。表社会に保護してもらおうなんて考えないはずだよ。…それにハルはNo.000。もし記憶があったならまず確実に家から出ない選択は消す」
「…No.000って、欠陥個体だったって聞いていますが」
「それはおいおい話すよ。次だ。
2つ目。これは完全に俺らは不利になる。というか、このパターンで来たら詰みだね」
「「…………」」
緊張した空気。17時50分。そろそろハルが起きたか。
「2つ目のパターンは、ハルが森に迷うこと」
「それが1番ありえる可能性ではないんですか?」
「ここの森迷わねーのは鬼逸さんくらいだろ。
ってか、あいつはこの森何回くらい通ったことあるんだ?」
「2往復、かな」
「2往復も通れば覚えてるんじゃ…無理か。2往復ってことは4回は通ってるわけだろ?夜も通ったけど、夜は真っ暗で足元も見えねーし、覚えてねーだろ」
「ハルは迷わない」
「なんで断言できるんですか?」
「ハルがNo.000だからだよ」
「「……………」」
「さっきも言っけど、No.000が他の個体と何が違うのかはまだ言えないからおいおいね。
ハルが記憶をなくしていることを前提に話すよ。記憶のないハルがする行動で考えられるのは、本当に道順を覚えている、もしくは全てではないけど思い出している、さらに未だに何も思い出してないの3つある。
もし道順を覚えているなら、ハルは記憶のない自分がどんな痕跡を残すかわからないからあの屋敷から出るのを諦めるだろうね」
「記憶ない女が、そんな痕跡残すのは危ないなんて考えるのか?」
「ハルだからね。俺にも読めない。あと、会話してて思う。ハルの記憶は確実にないけど、全部知っているような気がする。
でも、ハルの言動は…俺を見て推理して記憶を埋めてるように見える。その行動が本心なのか、演技なのか…わからない」
「どー見てもただの女にしか見えなかったけどな」
「君らはバカだね。感情を知らない、生き残ることと記録に特化して育てられた記憶媒体にさ、"考えて行動し、自立して生きていく"なんて思考あるわけがない。
それなのに、もとからそんな思考を持っていなかったはずの記憶媒体が、記憶を失ってから"そういうありえない自立した生活"をしていたんだよ。
普通の人間に溶け込んで、笑ったり話したりしている。そのことに、まず疑問を持とうよ」
「…ハルカがあまりにも普通すぎて気づきませんでした」
「そう、で、本題。
2つ目のパターンの場合、ハルは抜けられる道をわざと迷うことになる。
つまり、確実に俺たちを欺こうとしてるってことだ」
口出しするだけ自分の無能さに打ちひしがれているらしい2人は、黙って俺の話を聞き始める。
「俺らを騙そうとしてるとしたら、ハルはもうすでに組織と合流してる可能性がある。となると、ハルを迎えに行った瞬間にでもルナかあの名前のない組織がここに来ると思うよ」
「…マジか」
「でも、多分この行動もハルはとらない」
「「……」」
「自分は敵ですって言ってるようなものだからね。ハルはそんなバカじゃない。
だから、悪意があってさらに俺たちを確実に殺せると確証があればこの行動をとると思うけど。その場合、俺たちは死ぬどころかこの先どうなるかもわかんないね」
「「……………」」
「……3つ目のパターン。
ハルは、ここに来る。
ここに来る場合に考えられるのは2つ。
全て知って、読んでここに来るか、何も知らずに普通に歩いてきたか、だ」
カラスが鳴いている。
17時55分。
俺は自分の手のひらが冷たくなっていくのがわかった。
「何も知らないで来た場合は1番楽だよね。
確実にハルは敵じゃないってことなんだから。
でも、全て知っていてここに来るって可能性が1番高いと思う。
俺が今話したこと全部わかった上で、ハルはきっとここに来る」
「…全部知ってるって、それが1番怖いのでは?」
「そう。だから、1番厄介なパターンなのさ」
だんだんと空気が冷えて来た。
そこで異変に気付く。
その瞬間、真っ先に消した選択…いや、"考えたくなかった1つの選択"が色濃く浮かんで来る。
「ごめん…。1つ、選択肢から消してたのがある」
「なんだよ」
「今ここにルナか名のない組織が襲撃してくる」
「「は⁉︎」」
「その場合、屋敷からハルが連絡をした可能性が1番高いかな。薬を飲んだふりをされたか、飲んでも効かなかったか、になるけど。…ごめん。どうやら、このパターンだったみたい」
「「え」」
公園の入り口から黒服達が詰め寄ってくる。
公園の前にある道路に、大きなワンボックスカーが停められ、その中から指揮官らしき男が出てくる。
「よぉ。璃久と幸架。久しぶりだなぁ?一般人と楽しくおしゃべり、か?」
「「…………っ」」
2人の顔は動揺でいっぱいだ。
俺も余裕がなく、目を細めた。どうやって切り抜けるか。
「ここら辺で亡霊通り魔が出るって噂があってなぁ。見回りしてたんだわー!そしたらここにお前らいるじゃ〜ん?めっちゃ笑える!」
「亡霊通り魔?」
「そーそー。2年前に死んだ、フリーランスキラー、いただろ?
そいつが出るらしいって聞いたから、捕まえてこいって言われてんだ」
「えっ!一体どうなって…」
俺は状況が読めなくて顔が険しくなる。
死んだ湊がそんなことするわけないというか、ありえない。
通り魔だと?噂にはかなり敏感に対応していたはずだが、そんなの1つも耳にしていない。
これもハルの"作戦"のうちなのか?
何にせよ、はめられた今の状況は変わらない。
引き返すか?いや、厳しいだろう。
突き放せる距離を稼ぐことができない。
一応戦えるだけの装備はあるが、相手が悪い。
3人では正直きつい。
相手は"ルナ"。戦闘特化型の組織だ。
俺はまだ一般人だと思われている。
ということは、まだバレていない。
2人は顔バレしてるし、何とか逃す方法を考えなければ。
「あれ?お前ら、No.000と一緒だったんじゃねーの?」
「……逃げられたので、追っているところです」
「あぁ〜、なるほど。全然連絡返ってこねぇーし、裏切りだと思ってたわ〜、ごめんね?あはは!」
「…捕らえろと命令されてるの知っててのこのこ手ぶらで捕まりたいやつなんていねーよ」
「まぁ、お前ら役立たずだったもんなぁ〜?
何だっけ?湊さぁーんとかいう人探してんだっけー?見たかったのかよ」
「……見つかってません」
「あっはははははははははははははっ!バカじゃん!役立たずにもほどがある!」
指揮官らしき男は心底楽しげに高笑いを続ける。
「で?No.000はどこにいるのかなぁー?」
「……………」
ここは、誤魔化すか。
俺がハルに化ければ意識は晒せる。
こいつら2人なら、この後何とか逃げられ…いや、無理だな。
重症の幸架を庇い続けた璃久だ。
2人とも、俺を置いて逃げるわけがない。
どうする。
ハッと時計を見ると、18時5分。
ハルは来ていない。
首筋を、汗が伝う。
──ハルは、味方じゃない。
どんなに先を読んでも、人の心や"偶然"なんてものは予測できない。
それができるなら、それこそ"未来予知"だ。
…でも、"君"なら、そんなヘマはしなかったよな。
いつだってどんな場面でも"君"は退屈そうだった。わからないことを聞きに行けば、聞いた倍以上を予測して返してくる。
──それ、考えてても意味ないよ
──なんで?
──そうならないから。それな…ってなる
──……わかんない
──だって…だろ?
──あぁ…全然わからなかった
──そりゃね
今の俺を見たら、"君"はきっと笑う。
バカだね、考えなくてもわかるよ?って。
俺はまた、失敗したんだろう。
ルナの指揮官が通信機で報告をしている。
「捕獲命令されていた2人を発見。一般人もそこにいたけど、どうするか」と。
捕らえろ、と命令されるだろう。
俺も捕えられる対象になるだろう。
どうする?
──どうする?
〜・〜
"それ"は、気だるそうに公園の森に立っていた。
「はぁ…なんなんだ」
だるい体を無理やり動かす。
今日は朝から気分最悪だった。
こんなんばっかだし、なんてひとりごちていると、やっと光が差してくる。公園が目の前にある。
一歩踏み出そうとして異変に気付いた。
なーんて、異変なんて思ってないけど。
公園で黒服集団と私服の男性3人が争っている。
冷戦状態。
一触即発って感じだ。
まぁ、こうなるんじゃないかなぁとは思っていたから別に驚かないが、あいつならもっとうまく対処すると思っていた。
クスッと笑う。
──らしくないミスしたな、お前
はぁ……さてと。
行きますか。
"悪魔"は笑う。
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