第6話 End Night

悲鳴が上がる。

真紅に染まる。

もうやめてくれ、もう嫌だと声がする。

「あの女との関係、だったな」

胸倉を掴み、締め上げる。

「残念ながらなんの関係でもない」

グッとうめき、必死に空気を求め首を掻く。

口をパクパクとさせ、顔を真っ赤にしている。

「浜中!…や、やめてくれ!もうしない!」

「お前が最近様子がおかしいと連絡が入ったから、確認させられただけだ!」

「へぇ…。俺の様子がおかしい、ねぇ」

浜中と呼ばれた男の胸に足を置き、体重をかけていく。

ミシミシとなる骨の音がする。

「うっ…あ゛あ゛!!」

やめてくれ!と何度目かわからない、彼らの仲間が叫ぶ。

「ここ最近、じゃなくてここ数年おかしいだろ!お前!」

呻き、喚く男を見ながら男は満足げに笑った。

「仕事はしてる。問題ないだろ。あの女は拾った。別にあの女も俺も恋い焦がれているわけでも愛し合ってるわけじゃない」

バキッと音がした。

浜中と呼ばれていた男の身体がビクッビクッと足元で痙攣している。

仲間の顔は真っ青だ。

「…愛し合っていないというなら、お前はなぜそんなに怒っているんだ」

ハハッと乾いた声で、彼は嗤った。

「怒る?俺が?」

彼は嗤う。愉快げに。至極楽しそうに。

「俺は元からこんなだろ」

あぁ、そうだった。

──誰も寄せ付けない、誰も信じない。

──誰も頼らない、誰も近寄りたがらない。

近寄れば、こうなるのなんてわかっていたんだ。

そう。元からこんな男だった。

絶望した表情で男2人は彼を見た。

──孤独な悪魔。

──悪魔は嗤う。

日の光など浴びたことのないように。

闇に輝く日食の光のない太陽のように。

そんな黒。

青い空に輝く太陽に焦がれている、照らされることのない、漆黒の…。


あの日から、数日が過ぎていった。

シャワーを浴びる。

シャワーから出た湯とともに、真紅が流れた。

──やめてくれ!殺さないでくれ!

そんな声は聞こえないと躊躇なく引き金を引いた。

そんなことは関係ないと躊躇なくナイフを突き刺した。

今日は人数が多かった。簡単な仕事だと言っておきながら、60人もいたのだから。

理不尽にも1人で行って来いという命令だった。

今日は俺を殺すことが目的だったんだろう。

残念ながら、人数がいるだけのへっぴり腰ばかりしかいなかった。

部屋に戻ると、女が寝ていた。

しかしこいつのことだから一度は起きてまた寝たのだろう。

汗をかき、青い顔をしている。

ベッドに腰掛ける。

──ギシッ

女は苦しげに首を掻きむしったり荒い息を繰り返し、魘されている。

その頰に手を触れると、やけに冷たかった。

汗ばんで肌がベタついている。髪が首や頰に張り付いている。

頰に触れた手で、女の頭を撫でた。

ゆっくり、ゆっくり。

立てなくていい。

そうすればここにいてくれる。

何もしなくていい。

ただ側に、いればいい。

──ゆらゆら、ゆらゆら

タバコをふかした。

──ゆらゆら、ゆらゆら

煙は上へ伸び、やがて消える。

消えるのに、部屋に充満して消えない匂い。

まるで、犯すように。

まるで、犯されるように。

窓を開けなければ、この煙は部屋に留まったままだ。

見えなくても、ここにあり続ける。

でもきっと、わずかな隙間から逃げて行ってしまうのだろう。

だから、…。

「…おい」

何もしなくていい。

だから、ただ側に。


〜・〜


ショッピングモールから帰った日、

男は有言実行だった。

もう、それはそれは激しく。

鬼畜の本領発揮である。

おかげさまで足も腰も腕さえも力が入らず、おまけにガクガクする。加減を知ってほしい。

いつ眠ったかわからないので、また気を失ったのだろう。

朝の光を受けて目が覚めた。

男はもうすでに仕事に行ったらしく、部屋にはいなかった。

ベッドから出ようと試みたが、やはり無理である。

そのままぼんやりと外を見つめる。

昨日の激しい行為によってか、まだ怠さと疲労感があったので、もう一眠りすることにした。

柔らかいベッドに、ふわふわの毛布、掛け布団。こんなにいい場所にいていいのだろうか。これに報いるには何をするべきなんだろう。

考えようとは思ったが、思ったより疲れていたらしい。

本能のまま、眠りに落ちた。


「…おい」

──ゆらゆら、ゆらゆら

汗でベタベタして気持ち悪い。

あれから数日が過ぎたが、男は私が眠っている時に帰ってきては、出ていっていた。

だから会うのは久々だ。

──ゆらゆら、ゆらゆら

まるで、今、呼吸を思い出したかのように息を大きく吸い込み、ゆっくりはいていく。

「おかえり、なさい?」

男は、一瞬目を細めると、あぁ と返事をした。

「……………」

「……………」

寝過ぎたのだろうか。ぼーっとする。体がだるい。重い。

起き上がろうとするが、足がガクガクしていてできなかった。

「…た、ただい、ま」

ふっと男に目線を移す。

ただいまなんて言うような男には見えなかったが…。

じっと見つめると、男は横目でこちらを見て居心地の悪そうな顔をした。

「……ふふっ。」

私が笑うと、男は眉間のしわを濃くした。

「……はい。おかえりなさい」

男がほんの少しだけ目を見開いた。

すぐに戻ったが、微笑みながらタバコをくゆらせる。

──ゆらゆら、ゆらゆら

おかえりなさい

それは、ここが居場所だと受け入れること

──ゆらゆら、ゆらゆら

ただいま

それは、今日も生きて帰ってこれたと言うこと

──ゆらゆら、ゆらゆら

この日から、世界にも社会にも嫌われた男と女は、互いが居場所になった。

「…シャワー、いくぞ」

男からは仄かに石鹸の香りがした。

もう浴びてきてるのだろう。

それなのに、なぜシャワーに行こうというのだろうか。

首を傾げて男を見つめると、男は私を横抱きにしてシャワールームへ向かう。

「…汗かいてる。あと、1人じゃ立てねぇだろ」

悪意のない(悪意があった方がまだマシだった)"立てねぇだろ"発言の後、丁寧に笑ってくださった鬼畜ヤロ……ごほん。

…私に気を使ってくれたと思うことにする。

汗のせいで体が冷えていたらしい。

シャワーでじんわりと体が温まると眠くなってきてしまった。あんなにたくさん眠っていたのに。

男に支えてもらいながら体を洗ったが、ついに限界で。眠ってしまった。

眠る寸前、男がやわらかく微笑んだのが見えた気がする。


んにゃ?と目を覚ますと、男が私の髪を乾かしていた。どうやら眠っていたのは30分程度だったらしい。

服も、別の部屋着になっている。

パステルカラーのブルー。

短パンに長袖のパーカーのセットだ。

短パンはかなり短い今時のもの。

せっかく目が覚めたのに、ドライヤーで髪を乾かしてくれる男の手が心地よくてまたうとうとし始める。

「…お前、よく寝るな」

「………ん」

乾いたのか、ドライヤーを片付けて戻ってくると、男は私を抱きしめた。

「…今日はお仕事終わったのですか?」

「…あぁ」

どうやら、今日はこれからずっとここにいるらしい。

「…敬語、やめろ」

「でも、"人間"には敬意をと教わりました。それに、”あなた”に敬語をやめたら、戻った時真っ先に殺されます」

男の腕に力がこもる。

「…気づいたか」

「はい。でも、あなたの詳細は全くわかりません。きっと血眼になってみんな頑張っていますよ」

ハッと乾いた笑いを男がこぼした。

「本当は知ってくせに。それにお前以外には無理に決まってんだろ。探したって出てこねぇよ」

「生きてる人は必ず見つかっちゃうものですよ。死んでたって見つかっちゃうんですから」

「お前意外にバカだな。見つかんねぇよ」

私は頭が混乱してきた。

この情報社会、情報世界で絶対に見つからない情報なんてあるわけがない。

実際、男の存在を私は知らされていた。

その詳細がわからなくても。だって彼は…。

「…確認でもするか?正解したら、1つ要望に応えてもいい」

「いいですよ」

そして、男が私を指差して、私の”正体”を当てる。

「お前は”記憶媒体”だ」

私は微笑む。

そして男を見つめ返した。

「あなたは"フリーランスキラー"、ですね」

男はほんの少し口角を上げた。

「幸架と璃久との関係は?」

「推測ですが、戦闘特化型集団のLUNA──ルナから派遣された方で、任務中好きに使えとでも言われたのでしょう。違いますか?」

「…俺の見張りも兼ねて、な」

──記憶媒体

情報世界で1番恐ろしいのは情報を取られはこと。

パソコン等の機械で別の記憶媒体に移したとして、ハッキングや記憶媒体が盗まれたら終わりだ。

そこで目をつけられたのが…。

完全記憶能力、映像記憶能力を持っている人間。

ごく稀に存在するその人間に記憶させて監禁すれば、奪われる心配はない。あとは、洗脳するだけだ。外の世界さえ行かせなければ、逃げたいという発想さえ生まれない。

絶対的忠誠と記憶媒体として必要なノウハウさえ叩き込めばいい。

──フリーランスキラー。

フリーランサーとは、どこの団体、組織にも所属せず、仕事を頼まれた時にする人のこと。

つまり、頼まれれば誰でも殺す人間のことをさす。

暗殺者や殺し屋の類は組織的なものが多い。

情報を守る、相手の情報を探る、作戦を立てる。そして実行、処理、処理後の確認。これらを全て1人でやることは難しいからだ。

1人で活動したとして、なかなか仕事を頼まれることはない。それは信用問題で、1人より複数人が関わる仕事の方が確実で抜けがなく、信用されやすい体。

しかし、この男は。

一晩で3つの戦闘特化型の大きな組織を壊滅に追いやり、その組織組員がその晩に蒸発。生死さえ掴めないという状況を仕事で完遂させた。

特におかしい殺害現場が残っているわけではないにもかかわらず解決できず迷宮入りし、痕跡1つ見つけられない。

突然の失踪、という状況が正しいと思わせる。忽然と人が消えた三つの組織本部は異様としかいえなかったという。

そんなお偉い方の話があがれば、だいたいこの男に違いないと噂が立つ。

そんなのは意味がわからない、こんなのありかよ、と言わざるおえない人物であり、どこの組織も団体も注視し血眼で調べてるにもかかわらず。どんなに調べても、探し回っても、名前1つ上がらない。

フリーランスキラーなんて、この男以外にもいる。

それなのに。

"フリーランスキラー"と呼ばれるのは、この男1人だ。

「お互い正解、ですね」

「…あぁ」

男はタバコを取り出し、燻らせ始めた。

──ゆらゆら、ゆらゆら

「お前、敬語やめろ」

「え、それとこれは別では?」

「誰が別だって言ったんだよ」

──ゆらゆら、ゆらゆら

「え。そんなのずるいです」

「知るか。つーか、さっきから言ってるだろ。敬語やめろ。"お前の"敬語は気持ち悪ぃ」

「む、り、で、す」

──ゆらゆら、ゆらゆら

「……………」

「…………」

うぅ、無言の圧力がすごい。半端ない。

──ゆらゆら、ゆ…

「わ、わかったよ。頑張る、から。

そんなに見ない、で」

「………………」

男はクスリと笑うと、タバコの火を揉み消した。灰皿から、ほんの少し残った火が煙を揺らす。

ーーーゆら、ゆら

「じゃあ、私はからのお願いは、…」

男が私を見つめている。その顔はいつもの無表情なのに、瞳が揺れているように見える。少し身構えているような。

それと悲しそうというか、不安そうというか。

私は首を傾げた。

「…どうしたんで……どうしたの?」

男の視線が下がり、揺れる。

──ゆら、ゆら

「………いや、なんでもない」

──ゆら、ゆ…

煙が、消えた。

それを見た男が泣きそうに見えるのは、気のせいだろうか。きっと気のせいだ。

「……で?お前の要望は?」

「あ、はい。…ん?うん?」

「…なんだよ」

男を見つめる。

切れ長の目に、端正な顔立ち。

少し長めの黒髪は、光が当たると艶めく。

艶のせいで固く見えるが、触ると意外にふわふわしているのを知っている。

私は息を吸い込んだ。

そして、口を開く。

「あなたの帰りを、ここで待っていたい」

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