第5話 Black Sun
女はぐっすりと眠っている。
俺の名をこの女は知らない。
俺が拾って、俺のものになった女。
嫌がりもせず、されるがままに。
される行為に拒絶を示さない。
女はこういう行為は初めてだったらしい。
それには多少驚いたが、これから自分の色に染めてやれるのかと思えば、口の端が自然に上がった。
この女が欲しい。
だが、この女を愛しているわけではない。
好きなわけではない。
ただ、この女が欲しい。
全てを知っている、全てを知らない女。
全知全能の、無知で無垢な、純粋。
どこにもいけないように抱く。動けないように。逃げないように。
仕事で女を抱くことがある。
だが、依頼だから努めて優しく。
しかし、この女は死のうとしていたくらいだ。
逃げて死のうとするかもしれない。
動けないくらいがちょうどいい。
だから遠慮はしない。
窓もない、一枚ガラスの部屋。
それも、防弾ガラス。
女が死のうとしたって出れないように。
この女は俺のものだ。
逃しはしない。
この女の全てが俺のものだから。
〜・〜
「………ぅ、ん」
なにやらお腹に締め付けを感じる。
そして背中が暖かい。
お腹に触れると、ゴツゴツした手と滑らかな皮膚の感触。
現在の私は服を着ていない。
そしてこの手は私の手ではない。
と、言うことは。どうやら男が私を抱きしめて寝てるらしい。
「起きれたんだな」
いや、起きてたみたいだ。
私は昨日同様起き上がろうと試みた。
…もちろん、結果は無惨にも起き上がれず。関節という関節が震えて起き上がれなかった。
隣でめちゃくちゃクスクス笑っているこの男に殴りかかりたい。
しかしどうせ倍返しがくるだろうから。
それでも。
こちょこちょと擽るくらいは許してもらえないか。
どうか、神よ。
許してくれ。我に味方せよ。
私は精一杯の力で男の方へ向き直り、手を伸ばした。
男は不思議そうに私を観察している。
この人のくすぐったいポイント、どこだろう。
脇腹、脇の下、首、足の裏。
部位によっては効かない人もいる。
慎重にいかねば。
チャンスは一回しかない。
よし。
私は脇腹を選択した。
手を伸ばし、いざ参らん。
頑張って渾身の力で。
ーーーくすぐり開始。
すると、男がブハッと堪えきれずに吹き出して笑い出した。
こ、これは…。
くすぐり効果ではなく、どうやら私の行動にツボったらしい。
あぁ…神よ…。
あなたは彼の味方なのか…。
なぜ、こちょこちょさえ私に許してもらえないのか。
いや、許せよ。少しくらい仕返しをさせてくれたっていいじゃないか。
くすぐっていた両腕も、昨夜の行為でだるかったため、私は諦めて腕をベッドにおろした。
「……風呂、行く」
どうやらお風呂に入れてくれるみたいですね、
はい。
お風呂に入り、着替える。
髪は男が乾かしてくれた。
そのまま男も自分の髪を乾かした。
私は疲れが抜けなくてぼーっとしたままされるがままになる。
終始無言だった。
男は、茶髪ボブのウィッグを持ってくると、私に付けた。
そして黒いズボンに灰色の長袖インナー、黒のパーカーを私に着せる。
その後、なんと男が私に化粧を始めた。
それも、ナチュラルに。
チークを濃いめにしているのは、血色がよく見えるようにだろうか。
それが終わると、男は自分の支度をし始めた。
私はうとうとして待っていた。
しばらくして終わった男は私のところに戻ってくる。
そしてなぜか頭ぽんぽんされた。
うとうとしていたので、それがすごく心地よかった。
その手に擦り寄ると男がふわりと笑う。
最初の印象と違って、男はよく笑う人のようだ。
そのまま男は私を横抱きに抱き上げると、玄関の扉を開いた。
鍵をしたあと廊下を歩き、エレベーターで一階へ。
そしてエントランスを抜け、自動ドアが開く。そこには太陽が燦々と照りつけた世界が広がっていた。
いつぶりだろうか。
太陽の元にいるのは。
日に当たることがほとんどなかった私の肌は、青白い。
少し肌がヒリヒリとするくらい照りつける太陽に、私は少しだけ頬を緩めた。
駐車場までくると、男は後部座席に私を横たえてシートベルトをつけてくれると、運転席に座った。
しばらく車の心地いい振動に身をまかせた。
男の運転は静かで、うとうとと眠気を誘ってくる。
ちらりと男の方へ視線を向けてみたが、男は片手でハンドルをさばきながらまっすぐ前を見てあるだけだった。
車が止まった。
男は私を横抱きにし、何やらショッピングモールに入って行く。
「いらっしゃいませ」
店員の声など元からなかったかのように、見事なスルーを決める男。
いやいや、でももう少しよく見てあげて欲しい。店員のお姉さんが彼に熱烈な視線を送っている。
男も気づいているだろうに、総スルーを決めている。
スルーなんですね…
私がそんなことを思っていることを知ってか知らずか、入口にあったレンタル車椅子に私を座らせ、男はそれを押して中へと歩きだした。
気だるげに車椅子を押す男の姿が、あまりにも似合わなくてこっそり笑った。
「…服と下着、あと何かほしい物。あったら言え」
頭上から声が降ってきたので、男を見上げる。
男は私の視線に気づき、一瞬だけこちらを見て前に視線を戻す。
「…もう外に出ることもないから、今のうちに必要な物言えよ」
ぶっきらぼうだが、どうやら今日はなんでも買ってやると言いたいらしい。
コクリと頷くと、男は満足げな雰囲気になる。
服、下着、部屋着と、好きなものを選べと言われたが、全くわからなかった。
下着に至っては、サイズも分からなくて店員さんに測ってもらった。
デザインも、見たことのないきらびやかな下着に困惑してしまい、けっきょく男に選んでもらった。正直男性である彼が女性用下着売り場にいるのは居心地が悪かったと思うが、彼は気にしたそぶりを見せなかった。
そうして服と下着、部屋着が決まると、飲食スペースで飲み物を飲んで休んだ。
私も食べる方ではないが、男もそうらしい。
お昼は飲み物だけで終わった。
〜・〜
「ほしい物ないのかよ」
ここまでほしいものを1つも言わなかった。
実際ほしいものはなかったから。
少し考え込んでいると、男はそれをじっと見ていた。
そして、頭を捻らせること10分。
私は男に欲しいものを告げた。
「あの、…私に何か、買っていただけませんか?」
「……は?」
男の頭上にクエスチョンがたくさん浮かぶ。
どうやら伝わっていないらしい。
「あなたが選んでくれるものが1つ、ほしいです」
あぁ、とやっと理解した様子の男はしばらく
ぼーっと虚空を眺めていた。
その後、ふっとこちらに視線を向け、じっと見つめてくる。
その目を見つめ返す。
ハタから見れば、見つめ合うラブラブカップルだろうか。
だが、一目でわかるだろう。
そんな甘い空気は皆無だ
むしろ、なぜかギスギスしていると言うか、
え?修羅場?的な雰囲気というか。
周囲は遠巻きに、見ないふりを決め込んでいるように私たちを避けている。
そんな気がするだけで、きっと実際は周囲の空気に溶け込んでいるに違いない。
自分で思っているより周りは見ていないという言葉は、きっとこういうことだ。
と、私はかってに1人で納得した。
「…………」
男は無言で立ち上がると、車椅子を押してどこかの店へ向かって歩き始めた。
「お前、俺の選んだものがほしいとか言ったな。さっきから全部俺が選んでんだけど」
その言葉に、あぁそう言えばそうだと思った。
だがしかし。
「…この世界には、それはそれ、これはこれ、という便利な言葉がありますよ?」
「この世の中、なんか間違ってる気がする」
男とこんな話をするのは、初めてかもしれない。
きっと、みんなが楽しそうに笑うこの場所がそうさせてくれているのだろう。
男が向かったのは、アクセサリーショップ。
ちょっとわくわくする。
アクセサリーなど、つけたことがない。
渡されていたけれど、全て捨ててきたし、使うこともなかった。
…左耳のピアスを除いて。
「これ」
入って早々に男は何か選び、指差すと店員が駆けつけお会計を始める。
少し離れたところでそれを見ていた。
「お嬢さん。ちょっと我慢、ね」
そのときだった。
背後から突然、知らない男の声が。厳密には、知っているが他人の声がした。
男の声だ。突然車椅子から抱き上げられて驚き、声をあげそうになったが口元をしっかり押さえつけられてうめき声しか出なかった。
知らないその男──私は男Cと呼ぶことにした──はそそくさと走り出す。
ショッピングモールの隅の方、ほとんど死角になる場所に降ろされた。
しかしその場で降ろされても、昨日の情事によって私は立てない。
へなへなとその場に座り込んでしまった。
「あれ?立てない?そんな情報なかったけど」
男が3人。
あぁ、男が増えすぎて男C〜Eに…。
男たちは名乗ってはくれなかった。
「お嬢さん。お名前は?」
「……暗証番号を提示してください」
男(私を拾った人)によって、情報は全てロックされている。
私が答えられるのは、これだけだ。
「ありゃりゃ…。予想はしてたけど」
「めんどうだな」
「どうすっかね」
あ。いい呼び方を思いついた。
チンピラA〜Cと呼ぼう。
男と呼ぶから紛らわしくなるのだ。
何やら3人で話している。
私はゆっくり壁を頼りに立ち上がった。ガクガクと足は震え、腕もうまく力が入らない。
言い合いを始めた3人に背を向け、元来た道を戻り始める。ただし、ものすごくゆっくり。
「だーかーらー!命令で、って!逃げちゃダメ!」
あぁ、バレてしまった。
けれど足は止めないように壁に寄りかかりながら必死に歩いた。元からあまり歩いたことがなかったせいもあり、普通に歩く筋力がない。
「逃げんなよ」
グイッと後ろに腕を引っ張られ、体勢を崩した。やっと立ち上がったところだったところを支えの壁からも離され、膝から崩れる。
このまま倒れたら痛いなぁなんてことを考えていられるほど、そのスピードはスローモーションのように感じた。
──。
そのとき、何かが動いた。
死角になっているここは、周りから見えない代わり、周りも見えない。
その影から、何かが動いた。
"それ"は倒れそうだった私の目の前に来ると、容赦無く空いていた左手をつかみ、私を前に引っ張る。
チンピラBより容赦のない力で、痛い。ものすごく痛い。その勢いでチンピラBの手が私から離れた。
ポフッとその影に体重をかけると、影はさっと私を横抱きに抱き上げた。
「お前、会計中にナンパされてんじゃねぇよ」
その声は、彼だった。しかしこれ、ナンパなの?ナンパなのか?
何か違う気がするのだが…。
チンピラ3人は真っ青、という言葉がお似合いの顔色になる。
突然その影──男がふっと笑う。
チンピラ3人はそれにビクッと肩を震わせ、男を見た。
果たして、この状況で男はなんというのか。
チンピラたちをどうやって蹴散らすのか。
少女漫画や恋愛小説では胸キュンシーンである。
さぁ、この男はどう来るか。
いや、こう思っているのは私だけに違いない。
男が口を開いた。
私とチンピラ3人は、ゴクリと生唾を飲み込む。
「お前、まだ立って歩ける力残ってたんだな。なら、今夜はいつもの倍か」
その場で待ち構えていた私とチンピラ3人は、理解不能の言葉に硬直する。
この男は一体何を言っているのか。
「……あ」
思わず声をあげた私。
気づいてしまった。気づきたくなかった事実に。
こ、これは。
チンピラに向けた言葉ではなく、私に、向け、て…。
いやいやいやいや。
待ってくれ。
「誤解です。戻ろうとしてたんです。本当に」
「戻ろうとして立てたんだろ。しかも俺以外に会うことも触れられることも許した覚えはない」
「不可抗力です。どう考えても私は悪くありません」
「へぇ…」
男と、男と敵対していそうなチンピラどもの緊迫した場面…だったはず。
こんな会話をしている暇はないはずなのに。
しかも人前で!何という会話をしているんだ!
それよりも、昨夜以上なんで絶対死ぬ。
これ以上の肉体労働は、完全に川を渡った後のお花畑に行っちゃうコースになる。
「おい。この女は、お前のなんだ?」
チンピラがようやく男の言葉と今の状況を理解したらしい。
質問を投げかけて来た。
だがしかし、そんな勇気を振り絞ったチンピラの努力の一声よりも、今は私の生存確保の方が大切である。
「だいたい、今の状況でそんな素っ頓狂なセリフをおっしゃるあなたの方がおかしいではないですか」
「今の状況なんて知るかよ。俺はお前がかってにふらふらナンパについていくから仕方なく見守ってやったんだろうが」
「見守る…ですか。あなたがもっと早く来てくだされば無理に立ち上がらずにすみ、火に油を注ぐこともなかったではないですか」
「残念だったな。こいつらについて行った時点でお前の今夜は決まってる」
「…1つお聞きしたいのですが、この方々がこなかったとしても今夜は決まっていたのでは?」
「さすが。よくおわかりで」
「………」
チンピラなどこの場にはいないかのように、
そして私の必死さなど露程も理解していない男は私をおちょくる。
そのままチンピラ3人を無視して男は歩き出した。チンピラ3人はそれを呆然と見送ってしまっている。それでいいのだろうか。
男はそのまま駐車場へ行き、来た時と同じように後部座席に私を寝かせた。
「ちょっと待ってろ」
そういうと、男は車に鍵をかけてどこかへ行く。
おそらく、チンピラの元へだろう。
きっとチンピラたちは見事にスルーされて怒り狂っているに違いない。
思ったとおり、私を車に乗せると男はショッピングモールに戻っていった。
優しいお話し合いでどうにかなるものなのだろうか。
チンピラたちが話していたことは私にはさっぱり理解できなかったが…。
しばらくして、戻って来た男はしれっとした顔をしていた。
帰りもクドクドと今の不可抗力の話をするが、男は笑うだけでさっぱり聞いてくれる様子はない。
理不尽だ。
運転中の男はそれはたいそう機嫌が良かった。怖い。
元いた部屋に戻ると、ショッピングモールで買った荷物が届いていた。
男を説得することを諦め、荷物の整理を始める。
男は、いつものように私をじっと見ていた。
服を入れる場所を教えてもらい、タグをとって畳んだ衣服を詰めていく。
こんなにたくさんあっても着ない気はするけれど、無表情で次々と服をカゴに入れていく男を見ていてそれをいうことはなかなかできなかった。
一段落してふぅと息を吐き出す。
少し疲れた。
早く休みたくて買った部屋着に着替えると、男が後ろから私を抱きしめる。
その時に、
ふわり、
鉄の匂いがした。
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