ゾーハ③

 歩いていると、大きな鐘の音が聞こえてきた。

 正午を告げる音。

 この近くにあるどこかの教会が鐘を鳴らしていた。

 どこにいようがゾーハ信徒であることを忘れさせない響きだ。

――ゾーハ世界信仰――

 世界の全てを包み込む我らが教え。

 唯一にして絶対の教義。

 五百余年前、神の声を崇高な預言者ネシトがお聞きになられたことから全ては始まった。

 この世の全ての人間はゾーハの組織と、法と、教えの下に生きている。

 世界は果てしなく広くて、自分の見知っているところはごく狭い一部に過ぎない。

 人が密集する都市、果てしなく続く山脈、海の向こう、遥かな遠い、イーゴの知らない想像もできない土地、それらが世界に幾万とある。

 にも関わらず、ゾーハの教えは大昔に人の行き交える土地の全てに浸透を果たしたという。

 この七大教皇庁の一つ、へイルストース教皇庁管轄下も。

 他の教皇庁の下にある陸地と島々。

 さらにそれよりも外の世界すらも。

 教えてくれたのはクークワ教会付属学校のサーサリネ先生だ。

 クークワは今の仮住まいの地方の呼び名だ。

 親は教会という場所を嫌っていた。用事があるのは不愉快なことばかりだからだ。

 月に一度の税金の徴収と、長い時間じっとして、時には聖典を復唱をしなければならない共同礼拝。

 会衆席の椅子は位階持ちを優先して使われて、貧しいものは大抵立ちっぱしになる。

 その二つが同じ日に行われ、誰であれ参加を義務づけられている。

 大した信仰心もない両親にはただの苦行を強いられ、懐が寒くなる日でしかない。

 かといって行かなければそれらと比べものにならない苦痛、むち打ちが待っている。

 クークワ教会のラープ司祭は堅物だから、酒を持っていって機嫌を取ろうとしても、さらに仕打ちを増すだけだ。

 親は教会に行く日は決まって機嫌が悪い。

 だがイーゴはクークワ教会にはサーサリネいて色々なことを学ぶことが出来るから気に入っている。

 彼女は二十歳半ばくらいの細面の女性で、教会付属学校で学頭をしている。

 学頭といっても教師は彼女一人だけ。付属学校は教室が一部屋あるだけの小規模な施設だ。

 彼女は血色は良くなく体は弱いようだった。

 けれども、使命感からか、よく通うイーゴたち、例え人身道具の子供でもいつも熱心にゾーハの教義を教えてくれる。

 サーサリネはイーゴの境遇の中で、数少ない味方だったし、頼りだった。

 ゾーハの教会付属学校は、本来なら教育を受けるのには報酬を払わなければならない。

 学費はとても高く人身道具の家庭には払える額ではない。

 両親はもちろん、他の人身道具の親たちも金を払ってイーゴに教育を受けさせようなど考えはしないだろうし、望んでも出来はしない。

 しかし、彼女は本科の有償の生徒とは別に、空いた時間に無償でイーゴのような貧しい子供にも教育を施してくれた。

 純粋な厚意からだった。

 ゾーハの教義を読むための文字、言葉から計算まで様々なことを教えてくれる。

 学ぶのは楽しい。

 それが今の仮住まいから離れたくない理由だ。

 鐘の音を聞いて、先導役が額の汗を拭いながら言った。

「ここいらで休もうか」

「そうだな」父親は同意した。

 疲れていたイーゴは助かったと思った。先導役が道を外れて行くと、また小川が流れるほとりがあった。三人はそこで水を飲みほとりで腰を下して休む。

「坊や、もう少しだからな」先導役はイーゴを励ました。

 3人はしばらく休んで再び歩き出す。

 先導役の言った通りに、目的地にはそれからすぐに着いた。

「ここだよ」

 ついたのは豪奢な庭園だった。 

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