ゾーハ②

 街道の脇には小麦の穂が燦々と日差しを浴びて生えたっている。

 今は収穫の時期だ。穂に人の姿が混じっていた。

 汚れて傷んだ白や灰色の単色のチュニックを着た農夫たち。質素なドレスを着た女たち。

 男たちは一生懸命に小麦を小鎌で刈り取り、女たちがそれを手早く束ねた。てきぱきとした動きだ。見慣れない人間であろうイーゴたちに、誰も、なんら目を向けることはない。

 人身農具(じんしんのうぐ)たちだ。

 始めて見る人たちだけれども、イーゴにはもっとも馴染み深い存在だった。

 この世の人間は、大まかに三通りに分けられる。

 一つ目は貧しく道具として生きる人間。

 二つ目は富に溢れた、人を使う人間。

 三つめはその間の人間。

 一つ目の人間は人身道具と呼ばれた。

 雇い主に買われ、使われ、捨てられる、道具と同等の存在。

 脇の農場で働く彼らは農具だから人身農具となる。

 使う側の人間は統治者や商人ら、潤沢な資金を持ち大きな収益を上げる者たち。

 同時にゾーハ教会で四位以上の上位の位階を持つ。

 そうした人間はイーゴの短い人生の中でまだ一度も見たことはない。

 世の中の後ろに隠れていて、それでいて動かしている人間だった。

 労働力が欲しくなった時には貧しい人間を人身道具として契約し、要らなくなればすぐに捨てる。

 その中間にいる人間は、人身道具より確実に裕福だが、かといって使う側の人間ほどの財力はない人間。

 イーゴの知る内ではそこそこの立場がある者たち。

 ゾーハ教会での位階は十三位から五位の下位から中位。

 農場監督官、教会の司祭、そして教会付属学校の教師のサーサリネ先生。イーゴの目にはそういう人間は特別な存在に映る。

 イーゴからすれば普通の人間とは、使われる側の人間、すなわち貧しい人身道具だ。目に入る人間がほとんどそうだったから。

 父親もそうだし、先導役も見かけからそうに違いない。彼が道案内を受け持つ人身地図なのは後で知った。

 小麦が生えそろった農場を通り過ぎるてしばらくすると、簡素な家が建ち並んでいた。

 漆喰の壁に藁葺きの屋根。どれもほとんど同じ造りをしている。

 さっき見た人身農具たちの仮住まいの住居群だろう。

 そう分かるのは、イーゴの住処の周りも同じような景観だからだ。

 人身農具になるような貧しい者は自分の土地も住処も持っていない。だから労働の契約の時には、たいてい仮住まいの住処が与えられる。

 それらはこういうふうに農場の付近に集中して建てられていた。

 見知らぬ土地、見知らぬ街道なのにイーゴには何の新鮮さもなかった。いつも見ている景色と大して変わらない。イーゴは遠出していながら何ら自分の世界を出ていなかった。

 住居群、農場、そこで働く人たち。

 子供のイーゴにはそれらが世界の全てだ。それと教会と貧民向けの小さな市。

 それは大人の人身農具も同じだ。

 今さっき通り過ぎた農場の者でも、イーゴの住処の周りの者でも、更にイーゴの知らぬ土地の者でも。

 住居群と農場を毎日行き来し、ただ必死になって働く。ある日捨てられ、拾われるところを探す。人身道具である限りそれ以上の職には就けない。

 再び同じように働く日に戻る。それを繰り返して一生を終える。

 あるいは病気で死ぬ。

 運が悪ければ次の働き先を見つけられずに飢えて死ぬ。

 人身道具の人生とはそういうものだった。

 そして父親も母親もそうだ。それもかなり質の悪い。

 けれど、父親は今が刈り入れ時の大事な時期であるのに、仕事をせずにこうして出かけている。

 本当は働きに出なきゃいけないんだ、イーゴは口には出さないが内心そう思っていた。

 一方の母親は怠け者なのに、服に、食べ物に、贅沢は人一倍したがった。父親も母親も酒を浴びて少ない賃金はすぐに使い切る。

 先のことは何も考えていない。似た者同士でくっついたのかもしれない。

 学も金も地位もない。職能もない。そんな親が就ける職は人身農具くらいだ。

 人身農具は仕事は過酷だが、誰でも雇われはする。しかし、雇われ続けるには、通り過ぎた農場の農夫たちのように必死に働き続けなければならない。

 父親も母親もそれに耐えられない。

 作業の辛さに仕事を放り出す。

 耕作が雑で契約を打ち切られる。

 収穫の不足分を他人の畑からくすねて刑罰を受ける。

 父親は他の人身農具の妻や娘に手を出す。

 母親は働いた以上の賃金を格上の相手に考えなしにうるさく要求する。

 とにかく浅はかだった。

 今までまともな労働者とみなされなかった。

 雇い主にとってこういう怠け者を早々に取り除けるのは人身道具契約の利点の一つだ。両親は契約を切られると仮住まいを追い出され、別の近くのたどり着いた土地で頼み込んでまた雇われる。その繰り返しだった。

 イーゴは、親にちゃんと働きに行って欲しかった。

 特に今は。

 仮住まいを離れたくないから。

 

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