プロローグ⑤

 圭吾は、自炊して冷蔵庫に小分けにしていたご飯とレトルト食品を組み合わせた夕食を済ませて、シャワーを浴びた。

 机の上にあるパソコンの電源を点け、大手予備校のオンラインの講座を再生する。

 国立大学の医学部を目指し、毎日仕事から帰った後と休日に勉強を続けていた。

 医者になる意思ははっきりしている。

 きっかけは高校3年のときのことだ。

 奨学金の申請が通らなかった頃、地震が起きたようなめまいと、突発的な息苦しさに見舞われるようになった。日に日にそれはひどくなる。

 何かの病気にかかったのではと、かかりつけの病院に行った。

 診察は顔なじみの院長が直接してくれた。

 院長は圭吾を小さい頃から知っている。

 圭吾は診察の傍ら、自分の置かれている状況を話すと、院長は親身になって聞いてくれた。

 何よりも圭吾を希望も資質もある若者だと扱ってくれた。

 あれから何年も経つが、社会の底辺で生きる圭吾をそんなふうに見てくれる人間など会ってはいない。派遣会社も職場の人間も利用しようとするか、底辺の労働者だと見なすだけだ。

 結局、圭吾は身体的にはどこも悪いところはなく、精神的な要因、おそらく自律神経失調症だということで心療内科か精神科を当たった方がいいということだった。

 帰り際、院長の言葉に圭吾は涙が溢れてでてきた。

 圭吾はその後、院長に言われた通り診療内科をあたることにしたが、田舎なので近辺にそうした診療内科や精神科はほとんどない。唯一、内科と掛け持ちでやっているところがあって、そこを受診した。

 何時間も待たされ、診察になると、圭吾は医師に自分の状況のことを話すように言われた。親のことや奨学金の申請が通らず進学したいのにできそうにないことなど、悩みを打ち明ける。

 すると、医者は圭吾に、あろうことか、甘えるなとか、そんなのは自分だけじゃないだとか、独りよがりな人生訓を上から押し付けてきた。

 あげくの果てに、一万円近い診療費を取られた。

 当時の、今でもそうだが、圭吾にとって致命的な額だ。圭吾はそこへは二度と行かなかった。

 それから、圭吾は自前で自律神経失調症について書かれた本を買って読み込んだ。

 それで、あの医者のやっていることはデタラメだと分かり、やぶ医者だと確信した。

 圭吾はその後、本に書かれている自律神経を整えるトレーニングを試すことで、ようやく自律神経をコントロール出来るようになり、なんとか生活出来るくらいには持ち直した。

 ライン作業で働き始めた頃に、何もなくなって、返って自分のやりたいことを考えることが出来るようになって、このときのことが思い出された。院長のような、弱者の味方になる人間が必要だと思った。そういう人間になりたい。

 

 それから本格的に医者を目指すようになった。

 収入は時給が最低賃金から数百円足した程度で、さらに寮費が手取りから3分の1程を引かれている。

 そこからさらに切り詰め、予備校の通信講座な学費を払い、進学後の費用を貯蓄する。

 

 勉強の方は大方、合格ラインに達している。 

 あとは貯金の方で、百万円近く貯めたが高額な医学部の進学費用にはまだまだ遠い。また派遣切りにあえば貯蓄も大きく切り崩さなければならなくなる。

 医者になれるのは遥か先かもしれないが、そうなれば母親は安心するだろうか。

 今はただ忍耐あるのみだ。

 次の日の土曜、圭吾は筆記用具の補充にショッピングモールへ行くことにした。

 そこでテロに巻き込まれ、死んだ。

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