第五章 07 解放

 月曜日の朝になった。真帆は、ライティング・ビューローに突っ伏して、眠っていた。


 眠っている間に、頭を動かしたのだろう。机上で便箋が乱れていた。穴瀬宛てに書いた仮説の紙は、床に舞い落ちていた。


 立ち上がると、真帆は洗面台で顔を洗った。


 鏡を見ると、顔が一回り小さくなっている。だが、肌艶は、良い。


 断食すると、体内のヘルパーT細胞が活性化すると聞く。ヘルパーT細胞は、自己免疫力を強化する細胞の一つだ。


 そのため、体内の老廃物や余分な脂肪が排泄に向かう。その時に、病原菌も排除されるため、難病が完治する例があった。


 三日だけでは、真帆の身体に蓄積された治療薬や病原菌は、まだ体内に残っているだろう。


――ここから出たら、断食道場を予約しよう!


 と、思うほど、真帆の心に余裕が戻っていた。断食三日目になり、真帆の思考は、楽観的になって来たのだ。


 真帆は、前向きな断食の事例を思い返した。


 ある自殺願望の男性が、アパートの部屋で餓死を決意した。他の方法を実行する勇気がなかったようだ。


 その男性は、断食三日目に、嫌だと思っていた会社の上司や悩み事がどうでも良くなり、自殺を思い留まった。


 ヘルパーT細胞が、不安定な脳細胞を修復したと考えられる。


 真帆は、この例に倣い、ここから出る時、岸田に悪態を吐かない! と決心した。だが、岸田に確認事項があるため、鎌を掛ける予定だ。


 岸田は心根が、優しい。そのため、今の真帆の様子を把握するため、廊下や庭から、防音室の灯りを確認しているだろう。


 防音室のドアの下には、隙間がある。


 真帆は、残り少ない便箋の一枚に、大きな文字で文書を書いた。


「断食のお陰で、閃きました。


 御影ラファエル病院で、診察を受けます。


 Ⅰ型糖尿病は、誤診だったと思います。


 協力を、お願いします」


 真帆は、ドアの下の隙間から、紙を滑らせ、廊下に出した。真帆の計算が合っていれば、今日は月曜日だ。岸田は非番のはずだ。


 月曜日は、岸田の父親の診察日に当たる。


 診察時間中なら、岸田の父親に気付かれずに、家を出られる。岸田への疑念が、晴れた訳では、ない。だが、懸けるしかなかった。


 真帆の願いが、届いたのか。一時間ほど経つと、防音室の鍵が、カチリと音を立てた。


 岸田の第一声は、「思った通り、元気そうだね」だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る