第四章 05 法務教官の話

 木曜日になった。


 真帆は、芦岡医大の精神科医と臨床心理士たちの一行と、兵庫県内の少年院を訪ねた。少年院は、加古川市にあった。


 真帆の研究テーマは、『犯罪栄養論』だ。犯罪者の食生活を調査し、犯行に至った思考や行動を分析している。


 真帆は、将来性のある未成年者たちの更生を願っていた。自身の研究が、一助になれば良いと考えていた。


 芦岡医大の精神科は、警察の依頼で、犯罪者の精神鑑定を行っている。そのため、年に数回、少年院や刑務所を視察した。


 真帆の目的は、所内の給食センターだった。所内では、栄養士が在中して、メニュー考案を行っている。そのため、質素だが、一汁三菜のバランスの取れた内容になっていた。


 何度か訪れているうちに、研究者や関係者に開示している情報も集まった。


 年配の法務教官が、事例として、様々な少年犯罪を語った。どれも、テレビのニュースやドラマ化された事件の内容と類似していた。


 個人が特定できないよう、話す内容も工夫されていた。少年犯罪が増えないよう、ある程度の情報開示も必要だ。それがヒントとなり、問題点の解決に繋がる例も多い。


 真帆は、法務教官の話の中で、ある事例が気に懸かった。


 少年犯罪の事例は、以前からチェックしていた。だが、初めて聞く内容だった。


 ある中学三年生の男子生徒が、同級生に海水を点滴した事件だ。


 動機は、「将来、医者になりたい。未成年のうちに、人体実験をしておきたかった」だった。


 真帆の心が、ざわつく。


 少年院は、加古川市内にある。だが、何処の少年院に送致されるかは、家庭裁判所が決定する。そのため、法務教官が話す事例は、兵庫県内ではなく、全国規模だ。


 視察が終わると、真帆たち一行は、芦岡医大が所有する小型バスに乗り込んだ。


 真帆の隣には、四十代後半の臨床心理士、小松こまつ高志たかしが座った。長身で色白だ。昭和時代の漫画家を思わせる、黒縁眼鏡を掛けていた。


 小松は真帆の研究に興味を持っており、話し掛けて来た。


「気になるお話は、ありましたか?」


 真帆は、先ほどの気に懸かる事例を挙げた。


 小松も気に懸かっていたのか、何度も首肯する。


「引退した法務教官から、詳細をお聞きしたことがありますよ。もちろん、少年の名前も何処で起きた事件かは、判りませんが」


 小松の話によると、二十四~五年前の事件だ。少年の家庭が裕福だったため、財力に物を言わせ、マスコミには報道されなかった。


 少年は、頭脳明晰でIQが非常に高かった。表向きの発言では、反省の色が見られた。だが、動機の説明の際、少年の本音が隠れていた。


「海水の点滴で、死に至る時間が計測できず、残念だった。だが、我に返り、同級生の無事に安堵した」と漏らしたそうだ。


 当時の法務教官は、発言の前者の部分が、少年の本音だと察した。


 少年の犯行の思い付きは、古い文献の模倣だった。文献の内容は、戦時中のエリート医学者たちの研究内容だった。


 真帆には、『七三一部隊』の文献だと思えた。


 少年は、所内で勉学に励み、出所後すぐに大検を取った。風の噂では、改名し、国立の医大に進学したそうだ。


 小松が話し終えると、高速のサービス・エリアが見えて来た。


 バスが停車すると、真帆は、小松に礼を述べた。


 小松が席を立つと、考えを巡らせた。


――国立の医大?


 真帆は、心のざわつきの正体が判った。十二年前の黒岩沙羅の事件だ。沙羅には当時、親の決めたフィアンセがいた。確か、国立の医大生だった。


 国立の医大を卒業した医師は、何万人もいる。だが、残虐性と年齢が一致するように思えた。


 少年期に知恵が回る者は、法律を隠れ蓑にして罪を犯す。堂々と捕まり、将来に向けて勉学に励む。


 残虐性を持った少年が、成人になり、医師として働く。これは、更生になるのか? 知恵が回る者は、模範生を演じるのも上手いだろう。


 真帆の心の中で、もう一人の犯人像が浮かび上がった。


 まだ、想像上の人物だ。だが、佳乃と繋がる人物だと思えた。

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