第三章 12 試作品

 週が明けて、月曜日になった。


 午後からは、恒例のソコロフの会議がある。


 先週から、佳乃が出席する予定だった。だが、急用で欠席しため、今日が佳乃の初出だ。真帆は、佳乃の謀略を阻止する手筈を考えた。


 会議中の佳乃の発言から、些細な盲点を探す必要がある。


 そう心に誓いながら、真帆はソコロフの正門に近づいた。


 正門に続く塀沿いに、黒いセダンが停まっている。真帆の位置からは、車の後部が見えていた。だが、巨大工場の塀は、長い。車のナンバーまでは、判読できなかった。


 遠目だが、車内の人影が確認できる。三人か? かすかにエンジン音が聴こえると、車が発車した。車は、突き当りを右折した。市街地の方角だった。


 ソコロフは、大手企業だ。そのため、毎日のように来客があるだろう。真帆は思い過ごすと、いつもの会議室に向かった。


 今日で、真帆にとって三回目の出席となる。代替食品を指摘すると、担当から外される可能性がある。そのため、今日の会議では、表面上、無難な回答を返す予定だ。


 会議の後、紗月と個別面談の約束をしている。水面下で、ルピナス豆の試作品を手に入れる必要があるからだ。気懸かりなのは、佳乃の登場で、紗月の態度が変わる可能性だ。


 会議室に入ると、真帆は、佳乃の姿を探した。


 その時だった。女性事務員が、小走りで入室した。開発責任者の耳元で、何かを伝えている。


 責任者の中年男性が、顔をしかめて逡巡している。事務員が退室すると、出席者一同を見渡した。


「先週に続き、龍姫大学の更科教授が欠席されます。急用で、お迎えの車で戻られました」


 真帆の脳裏に、仮説が浮かぶ。


――佳乃先生が逮捕された? 任意同行かな?


 先ほどの黒いセダンは、龍姫大学の公用車だろうか? 私大なら、学部長や医局長クラスになると、公用車が利用できる。だが、県立大学の一教授に、公用車が宛がわれるとは、思えない。真帆には、警察車両だと思えた。


 真帆は、そっと紗月の姿を確認した。紗月は、強張った表情で責任者の顔を見詰めていた。


 佳乃の欠席が告げられたが、理由は述べられていない。だが、会議は、ただならぬ雰囲気で始まった。


 開発責任者の笑顔が、痛々しい。無理に取り繕っている表情だ。


 資料には、ルピナス豆の記述がある。だが、ルピナス豆を話題にする者は、いなかった。


 ソコロフ側が、龍姫大学に国内産のルピナス豆を強要した可能性もある。


 新製品の話題性は、スタート・ダッシュが必要だ。《日本初》と謳った新成分や新食材は、世間の注目を集める。


 大学病院や医大では、医療利権が日常茶飯事だ。大手製薬会社の癒着も然り。医大勤務の真帆も、目の当たりにした。


 だが、食品業界にも、似たような利権争いがあると聞く。大手企業なら、水面下の研究資金も潤沢なので、尚更だ。


 真帆は、考えを巡らせながら、出席者を確認した。今日の出席者は、真帆とパッケージ会社の社員二名が、部外者だ。


 会議は、一時間で切り上げられた。出席者は、早々に会議室を後にした。ソコロフの社員は、誰もが何かを隠している態度だった。


 真帆は、紗月に呼び止められた。


「この後、ご一緒できないんです。緊急会議が入りまして」


 紗月が会議室を見回す。真帆と二人なのを確認すると、社内用の手提げ袋から、簡易包装された小箱を取り出した。


「召し上がる場合は、自己判断でお願いします。オーストラリア産スイート・ルーピン豆種で試作したチョコレートです」


 言葉を切ると、紗月が続ける。


「輸入品であっても、まだ日本でのルピナス豆の加工食品は、流通できません。醤油のみです。代替食品の研究と題して、試作しています。厚生労働省の認可が下りれば、発売できる状態ですが」


 真帆は、紗月の眼を見ると、鎌を掛けた。


「コオロギ・タンパクも候補に挙がっていましたね」


 紗月の瞳に、憂いが見られた。小箱をそっと、片手で持ち上げた。


「コオロギ・タンパクの試作も、この中に入っています。アルカロイドの危険はないので、流通しても大丈夫です。ですが、コオロギ食品は、他の企業に先を越されていますからね」


 真帆は、小箱を受け取ると、沙月に訊ねた。


「社外秘では、ないのですか?」


 寂しげな笑顔で、紗月が口を開く。


「関係者の方々には、情報開示しています。試作品も同様ですから」


「守秘義務は遵守しますからね」


 紗月の眼差しは、何かを哀願していた。


「万が一の場合は、ソコロフの久保から受け取った、と報告してください」


 紗月が、深々と頭を下げた。


 試作品を社外の者に渡す。この行為は、紗月の独断だと思えた。


 紗月は、言葉にできない何かを真帆に訴えている。試作品のチョコレートを、真帆が独自に分析する必要がある、と思えた。


 ソコロフの正門を出ると、真帆は、行先とは反対の方角を見た。約二時間前、黒いセダンが走り去った。佳乃の逮捕か任意同行が、実現したのだろうか?


 喜ぶのは、時期尚早だ。だが、もうすぐ佳乃の謀略が曝露される、と思うと、真帆の胸に嬉しさが込み上げて来た。


 真帆は、天を仰いだ。

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