第三章 11 ルピナス畑

 真帆と佳乃、倫子は、農学部が所有する車で佐用町に向かった。


 三十代の男性教員が、車の運転と案内役を買って出た。若き農学研究者で、「佐竹」と名乗った。


 昨年の九月に、湖香と紗月がルピナス畑を訪れている。当時も、佐竹が案内したのだろうか?


 倫子の前では、質問ができない。だが、隙を見て、佐竹に訊ねる必要がある、と真帆は思った。


 姫路から佐用町に行くには、たつの市を通る必要がある。この辺りは、播州平野とも呼ばれ、田園風景が広がっていた。


 播州平野は、昔から大豆や小麦の名産地だ。大豆から淡口うすくち醤油、小麦から手延べ素麺が誕生している。


 たつの市一帯は、空襲の被害に遭わず、阪神淡路大震災の影響も少なかった。そのため、江戸時代の街並みが、そのまま残っていた。


 静かな城下町を通り過ぎると、佐用町に入った。


 車は、徐行運転になった。交差路で車を一旦停止させると、佐竹が真帆と倫子の顔を見た。


「そろそろ、見えてきますよ」


 佐竹が指さす方向を見ると、ルピナス畑が広がっていた。だが、二月のルピナス畑に花はなく、青々としていた。ルピナスの花の見頃は、四月中旬から六月だ。


 倫子の残念そうな表情を見ると、助手席の佳乃が口を挟んだ。


「ハウス栽培で温度調整しています。開花もご覧いただけますよ」


「来た甲斐が、あるわね」倫子の表情が、明るくなった。


 車から降りると、真帆たち一行は、二階建ての研究所に入った。面積が広く、事務室や実験室、巨大冷蔵施設などが完備されている。


 ここでは、ルピナスの他、播州平野で収穫できる農産物が研究されている。事務室の窓からは、ビニール・ハウスが目に入った。


 佳乃が食用のルピナス豆のサンプルを運んできた。


 莢付きのルピナス豆、莢から出した豆、乾燥した豆など。様々な角度から、ルピナス豆が観察されていた。


 ルピナス豆は、角が丸い四角形で、正方形に近い。親指の爪ぐらいの大きさだ。大豆と似た色だが、やや緑っぽい。そのまま茹でて食べるには、不気味な配色だ、と真帆は思った。


 真帆も倫子も、実物のルピナス豆を見るのは初めてであった。乾燥したルピナス豆は、緑の部分が消え、大豆と似た色だった。


 佳乃の案内で、ビニール・ハウスへ向かった。倫子が歩きながら、佳乃に専門的な質問をし始めた。


 真帆は、佳乃と倫子に先を譲ると、佐竹と並んで歩いた。前の二人と五㍍ほど距離を空けると、佐竹の横顔を見た。


「昨年の九月なら、まだ遅咲きのルピナスが見られたでしょうね?」


 佐竹が、にこやかに頷いた。


「ルピナスは、二度咲きする場合があります。春ほど綺麗じゃないですけど、初秋のルピナスも哀愁があって、いいですよ」


 佐竹の心がほぐれたと思える。真帆は、質問を続けた。


「企業の視察は、よくあるのですか? ルピナス豆は代替食品として、世界で注目されていますからね~」


「先方の情報漏洩になるので、詳しく話せないのですが」


 佐竹が照れ笑いを浮かべながら、先を続ける。


「去年は、数社の方々がお見えになりました。秋には、兵庫県内の企業さんも、いらっしゃいましたよ。『地産地消の実現』って感じで、嬉しく思いましたね」


「見学に来られるのは、食品会社が多いのでしょうか?」


「食品会社は一件だけでしたね。私は観賞用のルピナスを研究しているので、種苗会社や花屋業界の企業さんが多いのです」


 秋に湖香と紗月を案内したのは、佐竹だ。真帆は、さらに質問を続けた。


「食用ルピナス豆の栽培は、農学部さんの研究ですよね?」


「今のところ、しっかりアク抜きして加熱すれば、毒性のアルカロイドの心配は、ないと思いますよ。後は、厚生労働省の判断次第でしょうね」


 先に歩いていた佳乃と倫子が、ビニール・ハウスに入った。真帆と佐竹も、続いた。


 佐竹は、佳乃に促されると、ルピナスの品種を説明し出した。


 ハウス内には、色取り取りのルピナスが咲き誇っている。


 食用のスイート・ルーピン豆種は、莢を付けていた。直立の茎に付いた花の跡が、そのまま莢になっている。莢は青々としているが、茎が茶褐色に変色していた。その様子が、何故か、佳乃の姿と重なった。《虚無の匂い》だ! と真帆は思った。


 情報漏洩にならない程度に、真帆は再び誘導尋問を開始した。


「ルピナス豆は、どんなお味なのでしょうね? 試食は、違法になりますか?」


 真帆の問いに、佳乃と佐竹が、顔を見合わせている。佐竹が、まごつきながら口を開く。


「まだ国産のルピナス豆は、食用として認可されていません。そのため、我が校で栽培した物は、試食用として外部に渡せないのです」


 倫子が、佳乃と佐竹の顔を交互に見ていた。近所の噂話を聞くような、楽し気な様子だった。


 佳乃が、毅然とした態度で説明し出す。


「味は、ヒヨコ豆と大豆の中間って感じかしら。ここの食用ルピナス豆は、自己責任で食べましたよ。流通した訳ではないので、違法には、ならないでしょう」


 佳乃の強気な姿勢は、虚勢を張っているように見えた。


 一方の佐竹は、額の汗を手の甲で拭っていた。


 佳乃の高圧的な態度に負けてはいけない。真帆は、満面の笑みを湛えて、質問の礼を述べた。


 佳乃は、ソコロフの試食用に、国内産のルピナス豆を送っている、と真帆は、確信した。


 佳乃の謀略の目的は、何か? まだ疑問が残る。


 だが、佳乃の尻尾を掴む日は、そう遠くないと思えた。

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