第三章 10 清掃員

 職員用食堂は、お昼時だが、空いていた。


 龍姫大学は、農学部や水産学部もある。そのため、研究用の農場や養殖場で育った農畜産物と海産物が食堂の食材に使われていた。


 メニューは、生活環境学部の栄養学科が考案している。総合大学ならではの地産地消や自給自足が、実現されている。


 真帆はトレイを持って、惣菜コーナーの副菜を見渡した。珍しい品種の野菜料理が並んでいる。真帆の隣には、佳乃が立っていた。


――佳乃先生に誘導尋問するチャンスだ!

 と、真帆は咄嗟に思い、小声で佳乃に囁いた。


「ルピナス豆の惣菜が並ぶ日も、近いでしょうね」


 佳乃は顔色ひとつ変えずに、小声で返して来た。


「日本で栽培されたルピナス豆は、まだ厚生労働省で認可されていないの。早く、許可して欲しいのだけどね」


「ソコロフでは、試食が始まっていますよね?」


「もちろんオーストラリア産のスイート・ルーピン豆種よ。欧米では、新スーパー・フードとして、粉状の物もあるからね」


 佳乃は真帆から視線を逸らし、倫子の行動を目で追っている。倫子は、メニュー選びを終えて、最後の汁物コーナーにいた。佳乃は、ソコロフの一件を倫子の耳に入れたくないと見える。


 真帆は、畳み掛けるように、佳乃への質問を続けた。


「佳乃先生は、食用ルピナス豆の研究をされているのですよね?」


 研究の詳細を語りたくないのか、佳乃が目を伏せる。


「世界中でタンパク質の代替食品として、ルピナス豆が注目されているのよ。日本で認可が下りてから、ルピナス豆の研究を始めても遅いの。先手を打っておかないと」


 真帆は、「なるほど~」と、わざと冗談めいた口調で続けた。


「大学側も、柔軟な考えをお持ちなのですね」


 真帆は佳乃の横顔を観察した。孤独の影が見える。


「日本で国内産ルピナス豆が認可されたら、農家や企業は、すぐに販売網を広げたいでしょう。だから、五年前から、栄養価や機能性を、うちの大学で調査しているのよ」


 佳乃の視線が、再び倫子の行動を追っていた。倫子は、会計を済ませ、テーブルに歩を進めている。


「分かっていると思うけど。ソコロフの件は、企業秘密だからね。吉岡先生のお耳には、入れないようにね。情報漏洩になるから」


 佳乃は小声だが、毅然と真帆に言い放った。だが、真帆には、佳乃が内心、焦っているように見えた。


 真帆は佳乃を安心させるため、真剣な表情で頷いて見せると、話題を変えた。


「この後、佐用町のルピナス畑にご案内いただけるのですよね?」


 冷たい笑みを浮かべながら、佳乃が口を開く。


「もちろんよ。吉岡先生は、私が日本でルピナス豆の栽培が許可された際の、準備をしていると思っているわ」


 真帆は、佳乃の額が汗ばんでいるのを、見逃さなかった。


「ソコロフの名前が出ないよう、気を付けますね」


 倫子の視線を意識しているのか、佳乃の態度が一変した。紅(こう)芯(しん)大根や紫人参の栽培秘話を、楽しそうに話し始めた。だが、瞳の奥には、憂いが残っていた。


――佳乃先生の研究は、厚生労働省の基準を守っていない!


 と、真帆は直感した。先日、穴瀬が指摘した内容を思い返した。


 ルピナス豆は、違法植物ではない。栽培は自由だ。


 仮に、食用のスイート・ルーピン豆種を栽培していたとする。植物研究の一環で、含有成分を分析しているだけなら、問題ない。


 佳乃がルピナス豆の研究を始めたのは、五年前だ。その当時から、厚生労働省に交渉していたら。許可が下りるのも、時間の問題だと思えた。


 年長の倫子が、真帆と佳乃の不穏な空気を読んだのか。食事中も移動中も、面白可笑しく龍姫大学の歴史を語っていた。


 昼食を終えると、再び佳乃の研究室に戻った。佳乃が室内を見渡して、首を傾げている。何かに苛立っている様子だ。


「お掃除の方に、机上の物は動かさないで、と、いつもお願いしているのですが……」


他人様ひとさまに清掃を依頼しているのだから。多少のズレは、仕方がないわよ」


 苦笑いをしながら、倫子が佳乃をなだめている。


 その時だった。真帆は、ある仮説が閃いた。


――先ほどの猫背の女性が、穴瀬刑事だったんだ!


 確証は、ない。だが、真帆には、穴瀬か代理の者かが、この研究室に潜入したと思えた。


 重要な発見があれば良いと、真帆は、願った。

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