第4話


「中西さん、印鑑押し忘れてたって課長が」

と藤丸が言うので、


「ああっ、気づいてくださって嬉しいですっ。

 ありがとうございますっ」

と今、まさに営業に持っていこうとしていたその伝票を差し出す。


「いや~、俺が書いた伝票じゃなんいだけど。

 この辺のフロア、堅苦しい感じがするから、みんな行きたくないって言うんだよね」


「なんで、それでお前が来るんだ」

と一成が言う。


 総務、経理系のフロアまで階段で上がってくると鍛えられるからだろうな、と体育会系の藤丸を見ながら思っていたが。


「中西さんが居るからだよ」

と藤丸は笑って言ってきた。


「……お前、俺が居るのに、杏里に言い寄るとはいい度胸だな」

と脅すように一成が藤丸を睨む。


 だが、藤丸は美しいがゆえに凄みのある一成の目つきにも引くことなく言い返していた。


「確かに、みんなお前に遠慮して、中西さんを誘わないけど。

 別に付き合ってるわけじゃないって中西さんに聞いたよ」


 そういえば、呑み会のときに一成と付き合っているのかと訊かれて、そういうわけじゃないです、と答えたのだった。


 いや、本当に付き合ってるわけじゃないし。


 今までわざわざ訊いてくる人が居なかったので、そう公言する機会がなかっただけだ。


 だが、ギロリと一成に睨まれた。


「お前みたいないい男がいつも側に居るから、声かけづらいけど。

 中西さんをいいと思ってる男は、他にも居るよ」


「何処のどいつだ。

 名前をあげろ」


 ……あげないでください、絶対に。

 嫌な予感しかしないので、と青くなり、藤丸を見た。


「あげられない、恋敵だからな」

と藤丸は腕を組み、一成を見返す。


「藤丸のくせに生意気な。

 俺と同じ土俵に立ったつもりか」


 いや、貴方こそ、私のことを好きなわけでもないのに、何故、その土俵に立っているのですか……。


「高徳寺」

「なんだ」


「お前は自分が誰より完璧な男だから、中西さんの側に居る権利があると思ってるようだが、恋愛というのはそういうものじゃない」


 そんな当たり前のことを言われて、一成は何故か衝撃を受けているようだった。


「ダメ男の方が気になるという女も一定数居るんだぞ。

 私が居なきゃ、この人ダメね、みたいな。


 男のダメなところをキュートだと思ってしまう人間が。

 人の性癖いろいろなんだぞ」


 そうですね。

 高飛車な美女にムチで打たれたい、と入社式の日に白状してしまった、うちの同期みたいに。


「そういう女は、お前みたいに、ジャングルの奥地でも平気で生きていけそうな肉体とスキルを持っているような男は好きじゃないんだ!」


 あの……私はそういう女じゃないうえに、貴方こそ、ジャングルだろうが、砂漠だろうが、宇宙空間だろうが生きていけそうなんですけどね、と思っていたが。


 一成は何故か、彼のその言葉に激しい衝撃を受けているようだった。


「……俺は間違っていたのか?


 杏里の側に完璧な俺が居れば、誰も杏里に言い寄らないし、杏里も他の男に目が向かないと思っていたのに。


 俺はダメ男になるべきだったのか?」


 いや、そこはならなくていいんですけど……。


 だが、一度、よろめきかけた一成の決意だったが。


 元来、タフな精神構造の持ち主なので、すぐに理論武装して立ち上がってきた。


「だが、俺にもダメ男の要素はあるぞ。

 俺はひとりでジャングルでは生きていけない。


 杏里が居ないと。

 杏里だけが俺の生きがいなんだ!」


 今、私には、『杏里(の幸せを邪魔すること)だけが』という心の声の部分まで聞こえてきましたが……。


 無意識のうちに、そこをすっ飛ばして言うの、やめてください、と私は思っていたが、藤丸は何故か強い感銘を受けたようだった。


「高徳寺っ。

 お前のような男がそこまで中西さん一筋だとは。


 わかった。

 俺は身を引こう」


 告白された瞬間に、なにも言ってないのに、身を引かれてしまいましたよ……。


 おそるべし、高徳寺一成。


 伝票を手に階段を下りていく藤丸を見ながら一成は、あの悪役っぽい笑みを浮かべて呟く。


「とりあえず、虫は去ったな」


 いや、この虫を去らないのですか……と私は一成を見上げ、思っていた。





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