「おい!宝良たから、酒」


「まだ飲むのかよ、もう辞めろよ」


「親に向かってなんだその言葉は!!!」


そう言ってその男は俺にグラスを投げつける。


ガシャーーーん


大きな音を立てて壁に当たったグラスが割れた。それはいつもの事だ。

そしてそれをそっと拾い上げ後片付けをするまでが日課だ。


「…お前なんか生まれたから…」


グラスを拾う手が止まる。

またか…親父は酔うと毎度その言葉を言う。


「お前なんか生まれなければあいつが死ぬことはなかった…!なんで、なんで…」


「…………」


正直聞き飽きた言葉だった。

生まれてから何度何度も聞いた言葉。

その言葉を聞いてももう俺の感情は動かなくなっていた。悲しいも辛いという感情もない。ただの言葉だ。


無感情でグラスを拾っていると後ろから肩を思いっきり捕まれ、振り向かされた。


「なぁ、宝良 お前の顔を見てるとあいつを思い出すんだよ、それが辛いんだよ」


そう言ってそいつは俺を殴る、蹴る。

自分の行き場のない感情を解消するかのようにただ殴って蹴る。気が晴れるだけ殴って蹴って…。じっとしていれば終わる。いつもそうだったから…でもこの日だけはいつもと違った。


ガンッガンッ


「ケホッゴッホ」


「宝良〜もう俺と死のうか、お前を殺して俺も死ぬわ」


そう言って包丁を手にする親父。


「…何言って…」


「お前も疲れただろ、親に毎日殴られ蹴られ ろくに働いてない父親 …お前不幸だもんなあ、疲れたよなあ?生まれてこなきゃよかったよなあ…ごめんなあ…でももう俺も疲れたんだわ だから一緒に死のうや」


目が本気だった。いつもと違った。

殴られ蹴られた体はそこら中痛くて…少し動かすだけでも顔が歪む。でも逃げないと殺される。それだけは、はっきり分かった。



逃げなきゃ。

痛い体を無理やり起こし俺は部屋から逃げた。


「宝良ぁぁあああ!!!」


声を振り払い、ただただ走った。

無我夢中で走った。


どこに行くわけでも宛があるわけでもなかった。勝手に流れる涙もぐちゃぐちゃの頭も、何も考えられなかった。ただ真っ直ぐ走るしか出来なかった…。なのに…


その時あの子の顔が浮かんだ。

控えめに笑う、あの笑顔を…。

あの屋上にしか流れていなかったあの優しい空気を…。

俺は走っていた足を止め、ある場所に向かった。

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