第23話 新しい日々がやってきた

 その日のうちに、ぼくとマユミさんは帰宅した。一応、ぼくの警護をしている誰か、もくっついて移動していたらしい。ぼくには全然、分からなかった。職業柄、標的に気付かれないように尾行する技術を常に磨いているのだ、とマユミさんは言った。凛音に気付かれるようでは公安失格、だとも。


 家に着くと、ぼくらはいつも通りに過ごした。家の方はというと、事前に危険物が無いかの確認はマユミさんの手筈で済ませているようで、捜索が為されたとは思えないほどに、元の綺麗さを維持しているように見えた。


 翌日は土曜日だったのだが、朝から家に耶衣子ちゃんが来た。聞くところによると、身体に異常が無いのでさっさと病院を出たらしい。労災補償もないから、と言った耶衣子ちゃんの声には悲哀があった。傭兵は大変のようだ。


 それから土日の間は、ほとんど耶衣子ちゃんやマユミさんとつきっきりだったと言っていい。一緒に勉強したり、買い物へ行ったりした。一人になったのは入浴とトイレの時ぐらいだ。もっとも、入浴の際には水着をきた耶衣子ちゃんが警護だと言って風呂に侵入してきたので、それを追い出すという出来事もあったのだが、触れないでおく。あまりいい思い出ではない。というか、警護のつもりなら水着ではなく武装しているべきではないのだろうか。


 そういう一件が関係しているかは分からないけど、就寝も三人まとまって、となった。ぼくの部屋にマユミさんと耶衣子ちゃんも寝る。三人いれば安全性は三乗らしい。何かが起こっても三人の誰かが気が付けば、危機は逃れられるでしょう、というのがマユミさんの理屈らしかった。


 そんなわけで文字通り寝ても覚めても、ぼくはマユミさんと耶衣子ちゃんと一緒に生活を送っていた。少しばかり学校が恋しくなった。

 この日も襲撃らしきものは、無かった。


 明くる日、登校日である。耶衣子ちゃんはこの一件が済むまでぼくの家に住み着くことを決めたらしく、土日の間に制服やらその他の服など必要なものを家へ持ち込んできていた。そのためぼくらは二人仲良く(?)、玄関を開けて家を出た。誰かに見られていたら弁明のしようもない。


 登校、学校、授業。全ては日常で占められていた。ただ一つ、ネリーが金曜日から学校を休んでいるという事を除いては。

 ぼくは授業中にちらりと後方のネリーの席を見て、そこが空席なのを見るにつけ、非現実に引き戻された。


 ――ネリーは体調不良ではない。ぼくを狙っている。だから学校に迂闊に現れない。


 そのことを知っているのは、学校でぼくと耶衣子ちゃんだけで、クラスの生徒からネリーの回復を願う言葉を聞くたびに、ぼくは何とも言えないやるせなさに襲われた。彼らの想いは、ネリーに届かない。


 ぼくはネリーに苛立った。

 自分が騙されていたってことは、どうでもいい。それよりも、彼女が沢山の人の善意を裏切り続けていることが、無責任だと思ったのだ。だからぼくは、ネリーには絶対に学校へ戻ってきてもらって、全てのケリをつけて欲しいと思った。その前に勝手に居なくなられたら、ぼくは彼女を許せない。


 そんな憤りに頭が支配されていたからなのか、学校内での生活に油断していたのか、その瞬間は突然訪れた。

 ぼくは、マユミさんと耶衣子ちゃんに、トイレに行くときの対応を相談していた。耶衣子ちゃんが何故か男子トイレの前に居る、という些か異様な光景は、どうやらぼくに対する慎ましい善意としてクラスの生徒達に受け入れられたので、それはもう何も言うまい。問題はそれだけでは無かった。


 当然の事を、あの場で誰も思い至らなかった。

 耶衣子ちゃんだって、トイレに行くのだという事に。

 放課後に、突如降って湧いたその問題に対しては、ぼくと耶衣子ちゃんは少しばかり言い合いになった。ぼくが女子トイレに入ることは絶対に不可能であるという最後通牒を突き付けて、ぼくの場合と同じく、ぼくが女子トイレの少し離れたところで、待機するという事に落ち着いた。

 このイレギュラーな作戦変更に問題があったと言われれば、反論のしようがない。


 ぼくは、強引に連れ去られた。

 ぼくの腕をひく、制服姿の女子。栗色の髪の毛に、後頭部の二つのお団子。


「よ、葉先輩⁉ ぼく、用事が――」

「ちょっとだけネ! 時間は取らせないさ」


 後ろ髪をひかれる思いだったが、葉先輩の腕を強引に振り切るなんて乱暴な真似はできず、ぼくは仕方なく葉先輩について行った。

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