第19話 明かされる秘密
ぼくは警察病院に運ばれた。
ぼく自身は、身体に痛いところはなかった。傷といえば、耶衣子ちゃんが身を投げ出してぼくを助けてくれた時の、擦り傷程度。
問題は耶衣子ちゃんだった。
「……入院だなんて、大げさ」
病院の個室のベッドに、耶衣子ちゃんは不満そうな顔で寝転んでいる。ぼくは、そんな耶衣子ちゃんのベッドの隣で、椅子に座って彼女の監視役だ。
「でも、何かあったらいけないしさ」
「たかが腹部に拳銃一発。防弾ジャケットだって着てたし」
「結構痛がってたけど」
「痛かった」
「ごめん。ぼくのせいで」
「……仕事だから」
耶衣子ちゃんはぼそり、と呟いた。それから、彼女はぼくから顔を背けてしまった。
ぼくも、何を言ったらいいか分からなくて、黙ってしまった。
メグに立ちふさがっていた彼女は、メグからの発砲を腹部で受けていた。幸い、防弾装備を身に着けており、銃弾が彼女を直接傷つけることは無かったけれど、担当医によれば、その衝撃は内臓にダメージを負わせているかもしれないという。そのため、耶衣子ちゃんは数日安静となった。耶衣子ちゃん本人は、安静なんて要らないと思っているみたいだけど。
もし銃弾が彼女の剥き出しの部分に当たっていたら。ぼくのせいで、彼女が深く傷ついてしまったら……そう考えるとぞっとする。
本当は、もっと謝りたい。聞きたいことも山ほどある。耶衣子ちゃんは、メグのこと、ネリーのことを知っていたのか。マユミさんとはどういう関係なのか、君は、一体なんなのかってこと。
でも、黙ってしまった耶衣子ちゃんを前に、ぼくがかける言葉は霧のように現れては消えて、うまく口が動いてくれなかった。
「私」
そっぽを向いたまま、耶衣子ちゃんは唐突に口を開いた。
「本当はもっと強いんだから」
「ふっ」
そんなことを気にしていたのか。
ぼくが控え目に吹き出したのを耶衣子ちゃんは聞き洩らさなかった。耶衣子ちゃんが寝返りを打って、こちらを睨む。
「……信じてない」
「いや、信じるよ。耶衣子ちゃんは強い」
「馬鹿にしてる」
「してないって。強い強い」
「次は助けない。あの女に刺されるといい」
「……」
ぼくも、軽口で応戦したかったのだけれど。
生憎ぼくの脳は、大切な記憶だけ簡単に失って、忘れたい記憶をそう簡単に忘れさせないようにできているらしかった。
「……早く忘れた方がいい」
ぼくの顔をじっと見つめて、耶衣子ちゃんはぽつりと言った。
嫌な記憶は、忘れてしまえばいい。実際ぼくは、家族を失った記憶を忘れていて、それは幾分か気が楽だと思っていた。
でも、そうではないのだ。
覚えていなくとも、何も無かったことになんて、決してならない。
「そうだね。忘れられたらどんなにか楽だろうね。でも、忘れようと思えば思う程、思い出してしまう。忘れられないよ。それに、もうこれ以上忘れるわけにはいかないんだ。自分のためにも、ぼくの周りの人たちのためにも、ぼくは目の前にあるものを知って、その正体を見つめなきゃいけない。……耶衣子ちゃん、あの二人はいったい何なの?」
忘れても、無かったことになんてならない。
ぼくのせいで誰かが傷ついているのなら。
だれかが傷つこうとしているのなら。
ぼくはそれを、黙って知らない振りをしているなんてできない。ぼくは痛みに、恐怖に歯を食いしばって、真正面から立ち向かって、ぼくの選択がどんな結果を導くのか、この目で見届ける。
それは誰にも譲れないぼくの責任だ。
背負わなきゃいけない、ぼくの罪だ。
「ふー、酷い雨。おかげでびしょびしょ」
扉を開けて、スーツ姿のマユミさんが病室に入ってきた。首に白いタオルを巻いて、顔を拭いている。
「マユミさん……」
「あ、凛音。今日は夕食作らなくていいからね。こんな時間だし、コンビニで買っていこう?」
マユミさんはいつもの調子で、陽気に言った。
「マユミ」
「あーでも服びしょびしょだもんなぁ。私、先に帰って凛音の分も着替え持ってくるよ」
「――マユミ。あなた、いつまで逃げてるの?」
それはまるで死刑の宣告みたいに。
耶衣子ちゃんの言葉は病室の音を奪った。時間を刻む秒針の微かな音が、今は煩いくらいによく聞こえる。
マユミさんは、固く結んだ口から吐き出すように、声を絞りだした。
「逃げてなんて――」
「凛音は戦う気よ。自分のために。周りの人たちのために。それでもあなたは、何もなかったことにするの? それは優しさなんかじゃない。弱さよ。あなたは自分の罪が怖いだけ」
「知ったような口を利かないでっ‼」
その絶叫には、怒りと――悲しみが満ちていた。
雨で濡れたマユミさんの頬を水滴が伝う。リノリウムの床を濡らしていく。
「そんなこと私が一番分かってる。私が何をしたのか、私が今なにをやっているのか、全部全部分かったうえで私はここに居る。今までだって一つ一つ覚悟をしてやってきた。どんな恐怖にも動じない精神を身に着けたつもりだった。……それでもやっぱり、怖いの。刃物なんかより、拳銃なんかより、ただ純粋なこの子の憎悪を受け止めるのが……怖くて、怖くて、仕方がない」
マユミさんは子供みたいに声を震わせ、しゃくりあげる。雫を湛えた瞳が、ゆらゆらと揺れる。
「耶衣子ちゃんの言う通りよ。私は弱くて、臆病で。自分が傷つけば、痛いって泣いてしまうの。全然かっこよくなんてない。ただの馬鹿で泣き虫の、嘘つきの女。私はね、凛音の叔母なんかじゃないの。親戚ですらない。私、あなたを騙してたの。幻滅するでしょ。軽蔑してよ。酷い女だって罵ってよ」
涙で濡れた頬を拭うこともなく、マユミさんは肩を震わせながら笑った。深い諦観と絶望を絞り出したような、乾いた響きだった。
そこにいたのは、ぼくの知らないマユミさんだった。
でも、まったく違うマユミさんではないはずだ。ぼくの知ってるマユミさんの、これは一面なんだ。地面に触れている賽子の目が見えないように、これまでのぼくには見えていなかった、ただそれだけだ。
「たしかに、泣き虫かもしれない。でも、幻滅も軽蔑も、失望もしない。だって、マユミさんが優しい人だってことを、ぼくは知ってるから。マユミさんは、だらしがなくて、お調子者で、料理が下手で、よく冗談を言うけど、家を大切にして、母さんの部屋と思い出を大切にして、そしてぼくを大切にしてくれている。泣いても笑っても、ぼくらが甥と叔母じゃなくっても、マユミさんはマユミさんで。それで――ぼくの家族だ」
マユミさんは床に座り込んで、嗚咽した。
ぼくはマユミさんの傍らに寄り添って、彼女を宥めた。
ひとしきり泣いて、泣いて、ようやく収まったころ、マユミさんは手に持っていたタオルでごしごしと顔を拭いた。
彼女は立ち上がると、ぼくを正面から見た。その目はまだ真っ赤だったけれど、怯えは無く、揺らぐことの無い決意の輝きを放っていた。
「凛音。私、まだあなたに話していないことが有る。これまで、ずっと話せなかったこと。落ち着いて聞いてほしい。凛音のご両親は事故で亡くなったんじゃない。あなたの家族は……殺されたの」
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