第14話 ことの顛末
翌日、学校へ行くと、ぼくは登校早々にクラスのとある男子生徒から平身低頭で謝られた。なんでも、体育倉庫の鍵を閉めたのは自分だった、とのことで、それはもう土下座でもせんばかりの謝りようだった。
彼に悪気がなかったことは分かるので、結果としてぼくらは無事だったのだからそう謝ることは無い、とぼくが言うと、彼はもう一度頭を下げてから礼を言った。
この一件は、下手をすれば大きな事故に繋がった可能性もあるわけで、学校としても大きな問題になっていたらしい。
行李先生がホームルームで語るところによると、体育倉庫の鍵管理は体育教師に一任されるらしい。教師が責任をもって内部の様子を確認の上で施錠管理をすることで、この一件への対策となったようだ。長期的には改修の動きまで持ち上がったというから、その影響の大きさが分かる。
さて、今回の一件が思わぬ波及をみせていたのは、体育倉庫に関してだけではない。ましてやぼくでも、耶衣子ちゃんでもなく、それはもちろん、金髪美少年の転校生、コルネオーリに関してである。
体育倉庫置き去り事件によって、比米島凛音と言う名前と、コルネオーリ・ハワードと言う名前は、学年性別の垣根を越えて学校中に広まっていった。特筆するところのないぼくなんかは、ひょこりと飛び出しては引っ込む穴倉のモグラかチンアナゴみたいに噂が立ち消えていったのだけれど、ネリーは違った。
曰く、体育倉庫に閉じ込められたのは外国からの転校生、金髪碧眼の美少年である。そして運動神経も抜群らしい、という噂が学校中に広まっていて、他のクラスの生徒たちまでF組を覗きに来る始末となっていた。生徒の構成は、体感として女子の割合が圧倒的に多かった。
その光景を眺めていて、ぼくは少しばかり不安になった。
ネリーが羨ましいとか、そういうわけではない。
ぼくの心に沸いた心配の種とは、ネリーが男だと思って好意を寄せる人が現れたとき、ネリーはどうするのかってことだ。ネリーの中の理想の男性がレディファーストの英国紳士だとして、今の彼女はその逆、そっけない対応をしているけれど、それが防御策になっていると考えているなら彼女は甘い。マユミさん曰く、
『クール系男子はモテる』
らしいから。
ネリーに悪気はないだろうけれど、彼女の性別詐称は、じきに、誰かの好意を欺き踏みにじることになるかもしれない。そんな日がいつか来ることを、彼女は理解しているのだろうか。彼女がそんな苦難の道を歩く前に、ぼくはネリーを止めてあげるべきだったのかもしれない。そんなことは、今更なんだけどさ。後悔はいつだって、ぼくの影法師だ。
そんなモヤモヤを抱えたまま、放課後になった。
耶衣子ちゃんに引っ張られて着いたのは、食堂だった。
なんでも、本当はぼくが入院した日に予定していた運動部案内を、今日やるということらしい。凛音は病み上がりだから見ているだけでいい、と言ってくれたのだが――、
「ごめん。ぼくはやっぱり、やめておくよ」
葉先輩には申し訳ないが、ぼくは断った。
先輩に案内してもらうのは女子の部活で、ネリーは公には男子だが転校生だから大目に見るとして、男子であり在校生であるぼくが女子部を見学というのは、どうにもバツが悪いと思ったのだ。見学される女子の皆だって嫌がるだろう、ということをぼくは力説した。それに見学だけと言いながらも、少しやってみようよ、と不慣れな運動に誘われて不様を晒す――そんなのも嫌だと思っていた。口には出さなかったけれど。
葉先輩は、ワタシなら気にしないネ、と言った。
それは葉先輩が気前の良い人だからだ。ぼくがそう言うと葉先輩は照れたような顔をして、ぼくの額を指でちょこん、と突いたきり何も言わなくなった。納得してくれたようだ。
問題は残る三人だ。メグもネリーもすっかり万全といった具合に、長袖長ズボンのジャージを着こんでいる。一緒に行こうとしきりに誘うものだから、ぼくは行李先生に呼ばれている――と言い残して脇目も振らずに逃げてきた。
職員室まで来て後ろを振り返ると、追いかけてくる人影は無かった。納得は……していないかもしれないが、諦めてくれたらしい。
ぼくはここまで来たついでに、口を衝いて出た話を事実にしておくことにした。職員室へと入る。
実際のところ、行李先生に呼ばれている、というのは嘘ではない。
週に一度、いつでも良いから話に来いと行李先生に言われている。それは一年分授業が遅れている先生がぼくのために提案してくれたことだ。分からないことが有れば来い、よりも、先生と話す機会があらかじめ用意されていた方が、ぼくとしては有難かった。気兼ねなく行けるし、先生としても気兼ねなく来いというメッセージだったのだろう。それに、長期休学していたぼくみたいに変わった事情の生徒の状態を随時、把握しておきたい意図もあったかもしれない。
職員室に入ると、行李先生は自分の机で何やら書き物をしていた。
「行李先生」
「ん。比米島か。体調はいいのか。――うん、それならいい。何か用か?」
行李先生は手に持ったボールペンを置いて、そう言った。
毎週の報告に来た、とぼくが言うと、先生は生徒指導室へ場所を移した。
生徒指導室は、普通の教室の半分ほども無い、小さな部屋だ。この教室が普段どういう目的で使われているのか、ぼくは聞いたことが無い。
相対する机と椅子が二脚、壁際にはキングファイルの入ったキャビネットとか、開けっ放しになった段ボール箱に入っている教材なんかが置かれている。およそ、職員室に置ききれなくなったものをここで補完する程度の用途で、使われているのだろう。
ぼくと行李先生は、向かい合って座った。
「どうだ?ここのところの勉強の調子は」
「そう、ですね。勉強は進んでます」
ぼくはおずおずと、先生の目を見たり、目線を外したりしながら話した。
行李先生の涼し気な目がじっとこちらを見つめていて、その目尻の泣き黒子が大人っぽさを感じさせる。マユミさんは大人の色香だなんだと阿呆なことを言っていたが、マユミさんより余程、行李先生の方が色香というやつを備えている。年齢だって、マユミさんと行李先生はそれほど離れているとは思えないのに。ただそのせいでぼくは、気恥ずかしさから無性に落ち着かず、いつもどぎまぎと先生と話している。
つっかえながらも、ぼくは行李先生に、連休に一年生時の勉強を進めたことや、当然承知の事とは思うが、医者から運動許可を得られたので体育に参加したことなどを話した。
先生は、よくやっているな、と言ってから、
「ただ、あまり気負うんじゃないぞ。一年分の勉強を短期間で取り戻そう、なんてのは土台無理な話だ。無理せず、分からなければ聞きに来い」
と補足した。ぼくが頷くと、先生は話を続けた。
「体育は……早々に申し訳ないな。今後の運用で話したように、元々鍵の施錠管理を生徒に一任していた、ということが事故の要因の一つだと思っている。辛い思いをさせてすまなかった」
行李先生は、そう言って頭を下げた。
「そんな。先生のせいじゃないですよ」
「責任の一端はある。無関係という訳にはいかん。そして同じようなことが二度と起こらないようにする責任も、我々にある」
ぼくは、責任という話をするなら、今回のことは個人の責任ではないと思っている。全ての悪さ加減が不幸にも重なってしまった結果だ。でも行李先生は、きっとぼくが何を断っても、考えを変えないだろう。
そう思ってぼくは、行李先生の謝罪を受け入れた。
体育倉庫の一件はそれきりで、それから話題はまた体育の話に戻った。
「一年間のハンディがあると思って地道にやるといい。初めは上手くいかなくて嫌に思うかもしれないが、赤子がハイハイから立って歩いていくように、失敗しながら少しずつ感覚を取り戻していけばいい。体育教諭の宮越先生には、私から配慮を伝えておく」
「あ、ありがとうございます」
体育は上手くいかなかった、などと話してはいないのだけど、見透かされていたようで恥ずかしい。でもそう言って貰えてぼくは気が楽になった。
ぼくが微笑むと、先生もまた頬を緩めて微笑した。いつもはカッコいいとか、たまに怖いけれど、笑っている先生は可愛らしい。ぼくがそんなことを言えば、先生はどんな反応をするだろうか。見てみたい気もする。
「笑った時の先生は、可愛らしいですね」
ちょっとばかし褒められて、応援されて、ぼくは調子に乗っていた。それに体育で沈鬱になった気分を変えたいと思ったから、軽々しくも、こんなことを言ってしまった。
先生はぽかんとして、それから前髪を手櫛でかき分けると、
「世辞は受け取っておく。先生を揶揄うもんじゃないぞ、比米島」
と困ったような顔で言った。
「まあその話は置いておくとして。……まだ転校してきて日は浅いが、コルネオーリの様子はどうだ?」
先生はすっかり話題を変えてしまった。先生からは期待したような反応は無くて、ぼくはなんだかがっかりした気分だった。
「ネリー……コルネオーリ君なら、よく馴染んでいると思いますよ。休み時間も皆に囲まれているし」
ぼくはネリーの休み時間の様子や、体育での出来事なんかを話した。行李先生は頷き、安心した様子で息を吐いた。
「それなら特に問題は無さそうだな。五月初旬の転校、中途半端な時期だ。クラスの中で小グループが固まって、馴染むのに時間がかかるんじゃないかと心配していたが、杞憂だったようで良かったよ」
「大丈夫ですよ。いざとなれば、ぼくや耶衣子ちゃんもいます」
どれほどの保証になるか分からないが、ぼくはそう口走った。
「……そうだな。頼もしいよ」
そう言うと行李先生は、優しい笑みを浮かべた。
行李先生との話が終わって、ぼくは部室に急いでいた。
ナターリアと本の感想戦をする約束を、体育倉庫の一件のせいですっかり忘れていたのだ。もし、今か今かと待たせていたら大変申し訳ない。
走らない程度の早足で歩き、部室に辿り着いたぼくは、息を整えてから部室のドアを開けた。
部室の中には、数人の部員が居た。そして一際目を引くプラチナブロンドの少女、ナターリアの姿もあった。皆、読書や物書きに集中している様子だったので、そっとナターリアに近付いて小声で話しかけた。
「ナターリア。今いいかい」
「あら、比米島先輩。病院に運ばれたと聞きました。お身体はもう?」
ナターリアは驚いた顔をして、それから眉を落として心配そうに訊いた。
「ばっちり問題ないよ。それより、約束の感想戦、今日はどうかな」
「先輩が善ければ、私は問題ありません。場所は……食堂にしましょうか。すぐ準備します」
ナターリアは読んでいた本を閉じると丁寧に鞄に仕舞って、席を立った。
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