第12話 南耶衣子の目線

 南耶衣子は不機嫌だった。不機嫌と同じくらい、心配があった。

 もう昼休みになってしばらく経つというのに、前の席の人間が一向に現れないのだ。そして、隣の人間も。


 普段から昼食を一緒に取ろうと約束しているわけではない。でも二人で一緒に過ごす昼食の時間は、南耶衣子にとって、そして比米島凛音にとっても、当たり前の日常――少なくとも耶衣子はそう思っていた。昨日のお昼だって、連れ去られるまで凛音は一緒に昼食をとるつもりでいたはずだ。


 もしや、と耶衣子に一抹の不安がよぎる。

 凛音もネリーも、体育から帰らずにそのまま食堂に向かったのかもしれない。私に邪魔されないために。もしかしたら、そこにはメグもいるのかも。


 すぅ、と胸の奥が冷えるような、嫌な心地がした。

 すぐにでも探しに行かなくてはならない。差し当たっては、メグの教室へ。それから、食堂へ。

 耶衣子が立ち上がりかけたとき、三人の男子生徒が教室に入ってきて、先頭の生徒が大きな声を上げた。


「おいE組。最後に体育倉庫閉めたのお前らだよな。倉庫の外が散らかってるって、宮越先生カンカンだぞ。F組まで叱られちゃ、たまんねえよ!」

「はあ?俺、ちゃんと鍵閉めたけど」

「それなら、外見てみろよ」


 その大きな声は食事中のクラスの注目を集めていて、男子たちが連なって窓際へ向かい、グラウンドを眺めた。

 耶衣子もその様子につられてグラウンドを見る。体育倉庫は端の方にあって、耶衣子の机からも見ることが出来る。


「あれえ。あんな風になってたかなぁ?」

「現に散らかってんだから、早く片付けてこいよ」


 F組の生徒が、せっつく。

 その様子は、耶衣子の目から見ても確かに散らかっていた。

 体育倉庫の扉がある前面に、何か転がっている。白い板のように見えるが、正体は分からない。ただ、随分黒く汚れているように見える。倉庫の側面には小さいものが至る所に転がっていた。その中に酷く黒いものがあって、白いグラウンドによく映えている。随分汚い、と耶衣子は思った。


「ねえ、あれなんか変じゃない?なんか変な色」

 クラスの女子から、そんな声が湧いた。


「ヘイ!ヤイコ!」


 突然後ろから肩を叩かれて、振り返った。

 そこにいたのは金髪のおさげ。メグだった。


「ネリーを見ませんデシタ? 一緒にご飯を食べる約束してマシタ……。なんでしょう、ドタキャン? もうお腹、ペコペコ」

「いえ。私も知らない」


 耶衣子は僅かに安堵した。メグは別行動だったようだ。でも、だとすれば、凛音とネリーは今どこに。

 再びグラウンドに視線を戻した。グラウンドに散らばる汚れた品々に、見覚えがあるような気がしたのだ。


 それらはまるで、体育倉庫の中を何かが暴れ回ったせいで、宿主の身体から溢れ出た体液のようにも見えた。

 耶衣子は転がっているものを注視した。耶衣子の視力は、裸眼でかなり優れている。この視力に、彼女はずいぶん助けられた。


 ――あれはなんだ。


 運動会の、玉入れの玉?

 それにしては、丸く見える。ソフトボールのようだ。白いものもあるが、中には色がおかしいものもある。黒いボール。いや。少し赤が混じって――。


「ヤイコ? どこ行くデスかー?」


 背中越しのメグの声を置き去りにして、耶衣子は教室を飛び出して階段を一足跳びに駆け下りた。

 それは、あの場所に似つかわしく無いもので、彼女の記憶との照合に時間がかかったのだ。彼女の記憶と目の前の光景が、中々結びつかなかった。

 だが今になって、耶衣子には分かった。

 あれは、血だ。――凝固した血液。

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