第6話 総合文化芸術部の後輩、そして先輩
教室に戻ったぼくはといえば、珍しくワクワクしていた。耶衣子ちゃんと一緒に過ごしたり、時々クラスの人たちと歓談したりすることも、それは落ち着いた日々で、ぼくは気に入っている。けれども、偶然に出会った異国の友人と親睦を深めるというのも、ぼくにとっては非常に刺激的で、魅力的に思われた。
個人的な予習、復習、それから授業、この繰り返しであっという間に授業は終わって、放課後になった。
ぼくは耶衣子ちゃんと、それからネリーと一緒にまずは部室に向かった。部室にちらっと顔を出して、部活を休むと言伝をするためだ。本当はネリーとは後でメグと一緒に合流しても良かったんだけど、せっかくなので付いてきてもらった。
修道院学園の部室は、二年生の棟から渡り廊下を渡った向かいの棟、特別科目棟にまとめて入れられている。昇降口も渡り廊下に面して設置されているので、授業終了後の渡り廊下と中庭は、運動部に向かう生徒や帰宅する生徒が行きかっていた。そんな生徒たちの合間を縫うようにして、ぼくらは特別科目棟に向かった。
ぼくらの部室は、特別科目棟の二階にある。
総合文化芸術部。それがぼくと耶衣子ちゃんの入っている部活の正式名称だ。長ったらしいから、大抵は文芸部と呼ばれる。耶衣子ちゃんに誘われて入部したのだけれど、曰くこの部は変わっているらしい。異質という意味で。
文芸部はその対象とする文化芸術毎に、課という小単位で五つに分かれる。
小説、エッセイ、随筆、詩、短歌、俳句、川柳を研究する文学課。
アニメ、漫画、ゲームを研究するサブカルチャー課。
テレビドラマ、映画、ラジオドラマを研究するエンターテイメント課。
演劇、オペラ、歌劇を研究する舞台芸術課。
そして落語、歌舞伎、能、狂言を研究する古典芸術課。
こんな網羅的な大所帯になったのは、なんでも初代部長のせいらしい。その人に言わせれば、『遍く文化芸術は相互関連し起源を共有するものであって、文化横断的な俯瞰的理解が真なる文化芸術研究には不可欠』、なんだとか。あるいはマイナージャンルも寄り集まって大きな部活動になった方が、沢山部費も貰えるよね、という策略も有ったとか無かったとか。ぼくは俄然、後者だと思っている。
もっとも、策士策に溺れるというやつだろうか。結果として文芸部は修道院の文化系部活の中でもトップクラスの部費を配分されることになったものの、今度は文芸部内で部費配分を巡る争いが勃発し、血で血を洗う諍いが絶えない始末――というのは言い過ぎだが、実際のところ期初になると部費配分を課長間で揉めているらしい。詳しくは知らない。
ただ所感としては、初代部長のご高説よろしく兼課が推奨されているので、文学課とサブカル課、エンタメ課を兼課する平部員のぼくには、それほど課同士が対立しているようには思えない。
文芸部の組織構造はこんな具合である。そんなわけで、兼課が認められている以上、どの課に誰が参加しているかは管理されているけれど、かといって日ごとにいちいち出欠管理はしていない。だから本来であれば、今日ぼくと耶衣子ちゃんが部活を休むからといって誰かに断る必要なんてなかったんだけれど、今日だけは少しばかり具合が違ったのだ。
ぼくは、後ろに耶衣子ちゃんとネリーを連れて、文学課の部室に入った。部室も五つの課でそれぞれ分かれているのである。
目当ての人物は予想通り部室に来ていた。部室に居たのはその生徒だけ。
部室は両側の壁にずらりと本棚が並び、本棚に挟まれるように、部屋の中央には大きな長い机がある。その生徒は、机の端っこに陣取っていた。
ぼくは少し躊躇ってから、ナターリア、と呼びかけた。
本を読んでいたナターリアは、夕陽を受けて白銀の如く輝くプラチナブロンドの長髪をかき上げて、こちらを見た。
「比米島先輩。それに南先輩も。今日はお早いですね」
「ナターリアも、早い」
耶衣子ちゃんが言う。ナターリアは授業が終わると真っ先に部室に来ているようで、誰よりも早いのだ。
「読書の邪魔をしてごめんね」
彼女、織幡ナターリアが本を読んでいる姿は映画のワンシーンのように画になっていたから、ぼくはまるで神聖な儀式を邪魔してしまった子供のような気分で、ちくりと胸が痛んだ。
「いいえ。問題ありません。ええと……そちらの方は?」
「こちらは、コルネオーリ君。ぼくのクラスに来た転校生」
ネリーは、コルネオーリ・ハワード、と言ってぺこりと頭を下げた。
「そうでしたのね。わたくし、一年生の織幡ナターリアと申します」
ナターリアは立ち上がると、背中に棒が入っているみたいに、見蕩れるほど綺麗なお辞儀をした。一分の隙も無い。
と、目を奪われている場合では無かった。ぼくらを待ちあぐねたメグがひと暴れするとも限らない。ぼくは、すぐさま用件を切り出した。
「それで、今日予定してた本の感想戦、明日にしてもいいかな。今日はコルネオーリ君に学校を案内したいんだ」
「そういうことでしたら、わたくしは一向に構いません。また明日、ということで」
「ぼくの都合でごめんね。ありがとう」
「楽しみは後に取っておくほど、もっと楽しくなるものです」
彼女はそう言って、ふふふと小鳥の囀るように可愛らしい笑い声をあげた。
容姿もさることながら性格だって非の打ち所がないので、ぼくは彼女と話していると時々自己嫌悪に陥ることがある。その心の広さを見習いたい。
ぼくの用事、というのはこれだけだったので、メグを待たせるのも悪いと思い、もう一度ナターリアお礼を言って、部室を後にしようとした。
すると、ネリーがじっと、ナターリアの方を見ていた。
「ネリー?」
ぼくが声をかけるとネリーは、はっとしたように、ぼくの方を振り向いた。
「あぁ、可愛らしい女性だと……思ってね。それに日本語もとても流暢だ。ナターリアさんは、ご出身はどちら?」
「まあ。お上手ですね。コルネオーリ先輩もお綺麗ですよ。それとわたくし、よく間違われるんですけれど……生まれも育ちも日本なんです。祖父が東欧の生まれで、クォーター。だから、日本語しか話せないんですよ」
こんな見た目ですけれど、と彼女は自分で注釈を入れて、笑った。
「ははは、そうなんだね」
そんな言葉とは裏腹に、ぼくにはちっともネリーが笑っているようには見えなかった。寧ろピリピリと緊張しているような、そんな感じ。
ぼくが行こうか、と声をかけると、今度はすんなりネリーは付いてきた。
確かにナターリアの見た目は異国風だけど、扱う言葉は完璧な日本語だ。ネリーはそんなナターリアに……嫉妬、みたいなものがあったんだろうか。
「ネリーの日本語も、随分流暢だよ」
ぼくは歩きながら、何の気なしに、ネリーに言った。後ろを歩くネリーから返事は無かった。だからぼくは、それ以上何も言わなかった。
食堂に着くと、手持無沙汰だったのかメグは食堂の掲示板を眺めていた。
「メグ、お待たせ。何を見ていたの」
「んー、何という事はありまセン。なんとなく見ていただけ」
それっきりメグは掲示板に興味を失ってしまったみたいだった。
それからぼくらの学校見学が始まった。
一年生の棟から伸びる渡り廊下を歩いて行ける体育館。その隣には全校生徒を収容できる大きな講堂。運動部が部活に励んでいるグラウンドやテニスコート。学校というのは大抵似たつくりなので、ぼくなんかが思いつくところではそれくらいしか紹介できるところはなかった。それからは耶衣子ちゃんにバトンタッチした。
耶衣子ちゃんはというと用意周到で、四月に一年生向けに配られた部活動紹介の冊子を持ってきていて、せっかく学校見学なのだから文化系の部活を見学しようと言った。
思いのほか――いや、この言葉に失礼な意味は無くて純粋に――耶衣子ちゃんは、文化系部活動に顔が広かった。どの部活にもだいたい知り合いが居たのだ。そのおかげもあってか、耶衣子ちゃんが異国の転校生に部活を見学させてあげたいのだというと、皆快く受け入れてくれた。
茶道部だったり書道部なんかは、ジャパニーズカルチャーですネ‼、なんてメグは興奮して楽しそうだったし、ネリーだって顔にはあまり出さないけれど、興味深そうにしていた。書道部なんかは、着物を着てはどうかと勧めてくれたのだけど、二人は流石に申し訳ないと着替えは固辞していた。
その他、放送部、美術部、合唱部、吹奏楽部、軽音楽部、囲碁将棋部、新聞部、料理部、ディベート部、エトセトラ……と目いっぱい部活を見学している間に、最終下校時刻になった。
食堂に戻ってきたぼくは、若干疲れていたんだけど、メグはまったく、そんなことは無いみたいだった。
「今日はとても楽しかったデス!センキュー、ヤイコ‼」
「メグ、落ち着いて……」
メグは耶衣子ちゃんに抱きついた。耶衣子ちゃんは、見たこと無いくらいタジタジで面白かった。
「ボクも、楽しかったよ。日本の学校の部活動って厳しいイメージがあったんだけど、ここはそうじゃないんだね」
「西洋に起源を持つからか、日本的な学校との折衷といったところ。兼部も認められているし、比較的自由。それでも、毎日部活が有ったり、英国的な学校と比べればハードかもしれない」
耶衣子ちゃんの補足に、なるほどね、とネリーは頷いた。
「ワタシ、今度は運動部も見てみたいデス‼ヤイコ~」
耶衣子ちゃんに抱き着いたまま、メグは耶衣子ちゃんをゆさゆさ揺すった。耶衣子ちゃんはいつもみたいに、にやっと笑った。
「そう来ると思ってた。適任を用意している。次回に乞うご期待」
さすがに耶衣子ちゃんが運動部にまで交友関係が広いとは――これも批判的な意味ではなく――思わなかったから、ぼくはびっくりした。
「そんな人――あっ」
一人の生徒の顔が、思い浮かんだ。
思い当たる人物がいる。各種運動部を兼部しながら、文芸部にも所属している生徒――
「実は今日呼んでいる。今日は顔見せだけ。もう来る頃」
たっ、たっ、たっ、と軽快な足音が近づいてくるのが聞こえた。
「お・ま・た・せー‼」
体操服姿で現れたのは、予想していた通りの生徒だった。修道院のパワフルガール。お転婆娘。葉芷琳(ヨウ ジーリン)その人だった。髪を丸めて後頭部で栗色の髪を二つのお団子ヘアーにしている。ぱっちりとした目が如何にも快活な三年生の先輩だ。背が僕より高くって、スタイルが良い。
「葉先輩。わざわざどうも」
「そうかしこまるなよう、ヤーちゃん」
はっは、と葉先輩は豪快に笑う。
耶衣子ちゃんをヤーちゃんなんて呼ぶ人はこの人くらいだ。なんだか反社会分子みたいな言い方だが、別に耶衣子ちゃんも嫌ではないらしい。
「リーウォンも、しばらくぶり‼ 部活には、また顔を出すネ」
「お待ちしてますよ」
ぼくとて、そこはかとなく中国人風に呼ばれているような気がするが、悪い気はしない。葉先輩が根っから真正直で嫌味のない性格だからなのか、こちらもそれで納得してしまっている。
「それで、この二人が?」
「はい。マーガレット・ハワードと、コルネオーリ・ハワードです。二人とも、イギリスからの転校生」
耶衣子ちゃんが二人を紹介すると、葉先輩は二人の前に歩み寄った。
「おう、そうであるか。ウチは三年の葉芷琳。ヨウでもジーリンでも、どっちでも呼ぶとヨイシ」
葉先輩はメグの手とネリーの手を強引にとって、握手した。
二人は、めいめいに自己紹介をした。
「明日は葉先輩が運動部を案内してくれる。覚悟するように」
と耶衣子ちゃん。覚悟ってなんだ。ぼくは一緒に行かなくていいかな。
「もちろん、私たちも一緒。凛音も」
耶衣子ちゃんはぼくの心を看破したようだった。正直勘弁してほしい。
ぼくはこの運動という奴が大の苦手なのだ。
「ほら。ぼく、病み上がりだからさ。激しいスポーツはお医者さんに止められてて」
「私は知っている。連休前に医者から太鼓判を押されたことを」
「なぜそれを……」
「さあね」
耶衣子ちゃんは小さく笑った。しかし本当に、いったいどこで。まさか診察室に盗聴器でもあったのか。
「ヨロシ。明日は皆で修道院学園、大運動会ネ!今日はたっぷり休息をとっておくこと。それじゃ、バイバイ~」
現れたときと同じように嵐のように去っていく葉先輩を見送っているうちに、ぼくはそれまで何を考えていたのかさっぱり忘れてしまった。まあいいだろう。忘れてしまうことは、大したことがないことだ。
今日はこれでお開きとなって、ぼくらは帰路についた。といっても、メグとネリーは途中まで同じ通学路だし、耶衣子ちゃんはぼくの家の近くに住んでいるので、最後まで一緒だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます